もの5たり「地獄のベルトコンベアー」
こんな事でこの果てを見渡す事も出来ない橋を踏破出来るのだろうか、と言うクリネの疑念は恐らく杞憂だった。ベルトコンベアーか歩行式エスカレーターかと言った具合で足を捕らえられている間勝手に運ばれて行くので移動と言う意味合いではほぼ何もする必要が無かった。それに速度も有り得ない位速い、バランスを崩して足首をやられてしまっても可笑しくない速度だが、自ら無理に異様な態勢を取るなどしない限りはそこら辺のバランス感覚は考慮しなくても良さそうであった。声の種類には9割の荒涼たる怨嗟の中に1割だけの希望への渇望が有る。置いて行かないでだけではなく、確かに無念を晴らしてくれの声が有る。それがこのワープ擬きと言う形で彼らに提供されているのだろうか。
だがクリネの辛さの軽減にそれはあまり機能していなく、むしろ拷問めいた仕様として襲い掛かっていた。翠の声の発信源たる意識の集合体の様なこの橋を滑り行く事は意識のデリケートな部分を常時地面に擦り付けられている様な物で、足が捕らえられている間それから逃げる術は無くクリネは事有る毎に悲鳴めいた鳴き声を上げざるを得なかった。すぐ後ろを滑るクイナも態勢が許す限りは左頬を撫でようとしていたがクリネの苦悶の動作にそれを合わせるのは難しく、滑る以外ほぼ何もしないでいるのと同義な状態を続けていた。休憩タイミングとも言える強制滑走が終わる時に、クリネは次をとても耐えられないので適宜飛んで時間を稼ぐ必要が有った。だがそうすると今度はクイナの高速移動が捗らない、我慢と弱音の天秤に揺れる中でクリネは思う、ここまで軽々しく我々を扱える橋なのであれば今までの物も厳密には我々二者間における音と重力の遮断作用しかその実働きかけてはいないのではないか、その気になれば支柱無しで自らの連続した「体」を支えられる力が有るのであれば。クイナはカイナ・クイナを自覚した時点で神的な意識は有ると言っていた、自身も半分くらいはそうだ、もはや人だった時の自意識と今のそれは剥離している。だからと言ってこう言う圧倒的な上位存在にその力を顕現されると眩暈を覚える様な無力感に苛まれる。飛びながらも早く降りろ、相棒を何時まで待たせるつもりだとでも言わんばかりの重力発現に引っ張られつつそう言った現実逃避思考をする以外、クリネには何かをして自分の苦境を少しでも見ない様にする事は出来なかった。見上げるクイナの心配そうな顔を見ても心が晴れる訳が無い、むしろ逃げ続ける自分への自己嫌悪が増すばかりだ。クリネは一先ず降り立った、ここぞとばかりに橋は両足を掴んで来る。この無慈悲なベルトコンベアーに乗せられ、彼らは死地に向かうのか、天国へ向かうのか。それは神のみぞ知るだが今ここに居る瞬間は正に生き地獄としか言えない恐怖の感覚がクリネを支配していたのだった。




