3トーリー「届かない夢」
緑の海は果てしなく広い。これはカイナ・クイナの血だけではないな、とクリネは思う。現世の流血の歴史込みの大海だ。そんな膨大な亡霊の声を身に宿したら一瞬で頭が完全にやられる気がしてならない、それにそこはかとなく蒼の薄明時のあの光り輝きを常態でもう既に放って居る様にすら見える。美しさには棘が有る、とは言うがその言葉が似合う不穏さに満ち満ちた光景だ。崖の端に立つクイナも何処となく高度飛翔を前にしてその光景に見惚れている様な素振りが有る。
クイナは髪飾りを強く握り直すと、飛翔を開始した。2m、5m。7m辺りだろうか、無重力が切れ彼女は落下を余儀なくされた、ただ崖の端より向こう側に出ていたので地面に激突はしなかった。彼女は崖から下方に20m位の位置で復活した無重力に救われた。そこから死に物狂いで飛翔を続け崖の縁に戻って来る。大量の脂汗をかいている。それでも彼女は諦めず無重力の復帰を感知したタイミングで間髪入れずにトライする。だが重力は運悪く5m地点ですら簡単に戻って来てしまう。崖から20m、30m、最悪な時は40mまで行ったが彼女はなんとか崖の縁に戻る事は毎回出来た。5、6回やったが結局最高記録は初回の7mで、彼女は遂にへたり込んでしまった。
恐らく重力遮断は自然現象ではない。クリネは彼女の悪戦苦闘を見るにつけ自身の緑の水摂取は不可避だったのだと言う確信を持つに至った。橋を渡る試練を乗り越えてからでも夢を叶えるのは遅く無いかも知れない。この世界が彼女の存在を認めさえすれば、きっと彼女の望む10m飛翔は思いのままだろう。だからそれまでは我慢して今は世界が望む事、彼女が試練を乗り越える事を優先させた方がいつか起こるかも知れない崖の縁に戻る前の重力再発現を目の当たりにせずに済む最適解と言える可能性はある。<クイナ、『今』はまだそのトキではナいのかもシれない>と彼はくたくたになっているクイナに伝えた。どういう事なの、と言いたげなクイナに対し、クリネは視線だけ橋に送る事で答えた。
「何事も順番かしらね…分かったよクリネ。そうしてみる」
クイナは何度も失敗しながらも手放す事はしなかった髪飾りを頭に飾り付けると、両サイドのポケットの羽根を巫女服の上からポンポンと叩いた後橋の方に向き直る形で起立した。
橋にはどう言う原理か海に設置されて居てもいい筈の支柱が無かった。浮遊する力を自在にコントロールする世界からすれば造作も無い事なのだろうか。それに手摺りも落ちてくれと言わんばかりに用意されておらず、歩く為の最小限の構造でしかなく益々クイナの足を折った所の世界の悪意に嫌気が差す。それにこう言った事実からするとあの処刑の光景もより裏付けが濃くなる気がしないでもない。クリネは嫌な発想を振り払う。こうして二人の試練は始まった。いや、夢を打ち砕かれる事が既に試練の始まりだったのだろう。




