「体」編「Our名」 /ス2ーリー「三位一体のお守り」
崖は川にとってみれば終焉を意味していたが今まで比較すれば緩やかな試練を乗り越えて来たクイナとクリネからすればむしろ始まりと言えた。有機的な物質で作られた橋が架かって居る。最果てを見渡す事も難しい長い長い橋だ。あれから睡眠を済ませ頭の冴えているクリネの魔眼はこれが心技体で言う所の「体」である事を察知した。「技」である心臓と分離された所の肉体はこうして死後連なり結果として橋の様に見える何かへと変貌を遂げたと言う事だ。相変わらず悪趣味な世界設計をしているな、だがこれを渡り切った所に有るかも知れない「心」位は澄んだ存在で居て欲しいものだ、今まで緑の水に触れる事無く透き通った存在としての地位を守り続けて来たクイナに相応しい物としてとクリネは思った。そして彼はこうも思った、今まで空想で遊ばせて来た陸上型使徒などと言うのはまやかしで使徒は100%自分に準えられる鳥しか居なかったのだと。こんな恐ろしく研ぎ澄まされた試練に人間と並んで使徒まで陸上型では足手まといと成り兼ねない。
「やりたい事があるんだ。今なら出来る」
クリネはクイナの方に向き直ると決意の籠った口の結び方が確認出来た。ああ、と思う、多分例の高度飛翔だ。彼女が1m飛翔を時たま交えていたのは何もクリネの気を引こうと言う悪戯心だけからではない。いつか自分が行おうと宣言していた所の10mの高度飛翔、その予行演習だったのだ。
「その前に儀式的な事はやっておこうか。クリネ、命の炎を貰うよ」
そう言うとクイナは両ポケットの羽根を取り出し、片方の羽根は先の方、もう片方は根元の方でクリネの右頬を一撫でした。別にくすぐった訳では無いのだがクリネは愛撫に飢えていた右頬にもやっと救いの日が来たな、と一寸だけ安堵の気持ちに浸った。これは要するに緑の一線を彼女のお守りにも分けてもらおうと言うそういう行為だった。彼女の狙い通り羽根には翠が宿る、上下逆さの位置なので両方を地面に並べて置いたならそれは太陰大極図と言っていい対の存在となり、お守りとしての意味合いがより色濃くなった。
その変化した形を暫く眺め、彼女自身はそれの緑の部分を癒してしまう訳にも行かないので触れない様にそっと両ポケットにしまい込む。利き手の右手側のポケットにその先端に緑を宿した羽根を入れた、こちらの羽根が彼女からすればクリネを意味していた。頭脳が翠に侵されもう元に戻る事は恐らく叶わなくなってしまった相棒。彼女としては利き手側での人だった頃のクリネとの握手をイメージしている、もしくはもっと現実的な方で言えば左頬を撫でる時の手が単純に利き手である。根元が緑の羽根は自身の象徴だ、飛翔能力を悪意の空に中途半端に与えられ結局高度飛翔もままならぬまま地べたをスキップするのが限界の自分。それを足に緑を宿した自分、と言う構図で収めたつもりだ。その羽根を同じく不自由さのある非利き手として左側ポケットへ。
そして崖の端に立つ。崖は左右方向にも果てが見えない、恐らくそれは川の有る左方向ではない右を延々行った所で変わらないだろう。彼女は髪飾りを外している。処刑の光景の時より激しい事にはならないにしてもどの道ああ言った非常識的な負荷が加わるアクションの試行回数が増えれば幾ら粘り強く彼女の頭を彩る位置を固持し続けた髪飾りとていつかは落下して緑の海の藻屑となるだろう。三位一体でなくてはお守りの効力が弱くなる。髪飾りはポケットに入れても良かったが微妙にサイズが大きく、それにポケットの中で羽根と羽根が衝突して緑に唯一冒されていない羽根をそのままにしている意味が失われる可能性もあった。世界の「心技体」、この「体」に挑む彼女の覚悟は儀式によってより一層堅固な物となった筈だ。




