8なし「飢えた野獣を宿す体」
クリネの焦りは一つに知識の共有が出来辛い事だ。何から何まで緑由来の情報を垂れ流してしまうと何がトリガーでクイナの頭に緑の硝子の破片が刺さるか分からない。家族の様に長時間接するのであれば隠し通すのは不可能だろうが、この試練間で考えた場合刹那の優しい嘘として命が尽きるまでの短い期間なら実現可能であろう、と言う希望と呼べるとすれば一応の希望的観測で彼は今鼻歌交じりのクイナと歩を共にしている。
翠の亡霊の声は丁度臨死の体験談の様な物で、クリネが欲しがる事柄にせいぜい辿り着いていて9割程度までの事しか言ってない、緑の水に人が触れたら、とか飲んだらとかそう言った核心たる情報は入っていない。幾らカイナ・クイナの死が積み上がろうとも死そのものやそれに近しい属性の情報、起因は遮断されていた。そしてそれは人類の歴史上死んだ人の死んだ瞬間の感覚が克明に表現された事が無いのに比肩していた。逆に分かる事として言えば触れるとかあまつさえ飲んでしまう、それらは恐らく相当度フェイタルなのだ。
クイナが触って流血したクリネの頬は愛すべき鳥使徒の肉体と言うクッションを挟んでいる分緑の根源そのものではない筈で、その温かな触れ合いのミステイク事例と似通った声はクリネの心にも届いて居る。もし体内に癒し手の朱き血が巡っている彼女をしても翠の魔が入り込んだら実際自己を元に戻す事は出来ないのでは無いだろうか、そもそも亡霊の声の中に緑を宿した人の事例が見えないのでなんとも言えないが避けるべき事態なのは間違いない。
何処までが自由意志なのか、ここもまたクリネにとっては疑問符が付く所であった。第一に陸上型使徒では無いのだから無視して飛んで渡り抜ければいいものをわざわざ蜘蛛の巣の空による翼の邪魔立てを搔い潜って着地して飲まなければならない程自分は喉の渇きに苦しんでいたかどうか。この嫌な発想は今のクリネのパトロール思想の根幹で、川から500mから1kmはキープ出来る距離を保ちつつ歩ける様気を付けてクイナを下流へと誘導している。多分あの異様な水への渇望は近付けばクイナをも襲う筈で、そうなったらもう止められない気がしてならない。
もう一つ言えば、そうまで徹底した言わば水害対策などしてまで歩を進める事自体一体何を動力源とする行為なのだろう。以前クリネはクイナから宙返りへの憧れを聞かされなんとなく制止したのだがしかしその宙返りとはこの世界においてなんだ、重力が発現する前に首から落ちずに完遂し得る行為なのか、単なる断頭台への歩み寄りなのでは無いか。止まる、もしくは歩んで来た道を戻る。これらの亡霊の声も聞いた事が無い、多分過去にもこの着想を得た者は当然居るだろうがその顛末が分からない。分からないと言う事は多分に恐怖に彩られた何かが待っていると考えるのは当たらずとも遠からずと言った所か。
そしてクイナ、彼女は人として未完成で若い。成長痛についても彼女の訴えを現世であれば不自然なペースでよく聞く。眠りがほぼ要らない世界、時間の流れの狂い方がどうなっているか定かではないが歩みこそが時の流れと比例していて、進む事がそのまま加齢なのでは無いだろうか。道半ば果てた亡者だらけの亡霊の中にその考えに賛同する声は無かった。そもそも会話をしている訳では無い、勝手にクリネの心で四方八方伽藍洞の様に響き渡る一方通行な物でしかないのだ、その無軌道さが単なるアクセスに便利な図書館としての意味合いの外側での負担、その体の緑の浸食を広げようと、その心を食い潰そうと蠢く飢えた野獣の姿なのだ。




