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人間

作者: 伊渕和人

人間という生き物は趣深い生き物である。

人の顔色伺っては、同意を求めていないのに首を立てに振ったり。

興味のないことだからと相手の話を横流しにして「わかる」とか言う。

周囲のことなんてそっちのけで暴れて他人に痛みを与えれば何故か笑いが生まれる。

自分だけが目立とうとして迷惑をしていることに全く気づかず憎らしくヘラヘラ笑う。

救急車がそばを通れば「おい、お迎え来たぞ」と何も嬉しくない言葉を寄せる。

こんな行動をあたかも普通のようにして生きている生き物それが「人間」


気持ち悪いったらありゃしない。

吐き気、めまい、高熱、これらが同時に襲いかかってくる流行り病よりも、

生牡蠣を食べてあたったときよりも、

不満を晴らすべく酒と自分に溺れて宿酔になったときよりも、

ずっとずっと、ずっとずっと、ずっとずっと気持ち悪いのだ。

心の赴くままに行動をしている人は感じないのだ。

人生で立ち止まったことのない人にはわからないのだ。

仲間意識で生きている愚かな人たちには味わうことのできないのだ。

人を、何十人の人をまじまじと観察したことのない人には見ることができないのだ。

そんな気持ち悪さ。そんな感情。


一体わたしは、気持ち悪さで覆われた人間の世界からいつになれば抜け出せるのだろうか。

野生に還ることも叶わない。

海に沈むなんて勇気もない。

百年生きていられる世が形成されてしまった。

生きることが正義で、死は悪なのだろうか。

生きることが全てで、死ねば何も残らないのだろうか。

死の上に立っている感触は知らなければならない。

安全も平和もこの感情も死によって成り立っているものだ。

ならばわたしは一度でも何度でも死んでしまいたいと感じた。


鶏が先か、卵が先かそんな問題を人間は抱いた。

私は先か後かの区別をつけていることが何よりの問題だと思った。

鶏がいるから卵が生まれるのか

卵があるから鶏がいるのか

生きているから死が生まれるのか

死があるから生きれているのか

どちらも無ければ今はないのだ。

どちらかが欠けていれば存在はしないのだ。


生きることそれは孤独と向き合うことだと感じる。

自分を受け止めきれるほどの自分になりたい。

他人に縋っているだけでは弱い自分になってしまうから。

自分を知りたい。

弱みも強みも表情も感情も声も何もかも。

浮ついた気持ちを落ち着かせるには

ふらついた肉体を支えるには

一人でないといけないとそう思った。


人間として生を受けたのならば

自分より小さい生き物にも

自分より大きな樹木にも

感謝をもつべきであろう。

それは大きいから、小さいからの理由ではない。

同じどんな人間にも持つべき心なのだ。


人間とは趣深い生き物である。

考えれば考えるほど、噛めば噛むほど味のでてくるガムのように考えが浮かんでくるのだ。

どうせ死ぬから何をしても良いなんて思い上がっているのは間違いであること、

生きるのに疲れたと心から思ってもいないのに同情求めて発言しているのは愚かであること、

意見を飲み込まず嘔吐するかのように気持ち悪さを加えて相手に不快感を与えるのは自分の幸せのためであること、

怠けている人ほど強い言葉を使い何もしないこと、

噴水のように終わることなく湧き出てくる。

生きることが難しいのなら誰かの足場になればいい、すなわち誰かのために人間を捨て死んでしまえばよいのである。







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