散歩
「セイ様、私はどうすれば良いのでしょうか?」
と、丸布団に鎮座している携帯に向かって言えば、
『アイのおもうように、すればよいではないか?』
と、画面の中でウネウネと游いでいる。
「思うようにと言うのが、分からないのですが」
と、藍が画面を擦る。感触は只のフィルムだがセイ様は藍の指が当たる場所にウネウネと寄せる。
『はなれていても、アオイのきはアイにむかっておるがな』
と、セイ様が言う。
「そうですか。テレバシーみたいなものかしら? 念といったら怖い気がするし」
と、藍が呟けば、
『アオイだけじゃなく、いろんなところからきておる』
と、セイ様が説明してくれるが、確かに身体の調子というか息がしやすい。私ってずっと呼吸困難だったみたい。
「私の希望ってあまり通った経験値が少なくて、無理しても良い結果になることが本当に少ないからでしょうか?
私の行動は周りの迷惑にならない方を選んで来たように思います」
と、藍が打ち明ける。
『アイのきぼうと、まわりはちがっておったのか?』
と、セイ様が聞く。
「子供の時の経験って大事なんですね。私は偏った経験しかしてないのです。知らないことの方が多く有ると思います」
と、藍が言えば、
『いまからでも、おそくはあるまい。ひとのこのじかんはみじかいぞ。アイはわがままになってもよいと、おもうぞ』
と、セイ様が言う。
……わがままになっても……いいのか……
机のランプを持ち、続き部屋に行く。寝着を着替えて外套も着込む。夜に散歩をするなら防寒はすべきだ。
『アイ、どこにいくのだ?』
「夜に散歩をしたくても、したことがないのです。私のはじめのわがままです」
と、藍が言う。
『よるは、やみのかごがつよくなる。きをつけるにこしたことはないが、アイのひかりのかごにひきよせられるものが、おるやもしれぬがな』
と、セイ様が言うが、止めたりはしない。気を付ける。
部屋から静かに出る。視力的に慣れれば夜目も効く。2階から1階へと使用人用の部屋がある方へ進み、通用口に出るところで、有る部屋から赤ちゃんの鳴き声がしだした。
……クルナさんとこのアイルくんだ。だいだい三時間おきに、母乳をあげているはず。
静かに外に出て、月明かりの中林沿いに散歩をする。肺に入ってくる空気は澄んでいて冷たい。外套を着てきて良かった。水分を纏った空気は体温を下げる。
整備されている道だが、ゆっくり歩かないと微かに石同士で音が響く。澄んでいる周りに音が広がる気がして足元に神経が向いてる。
鼻から口から入ってくる空気は、冷たくて甘い。何だこんなに美味しいんだ。空気の味を堪能する。
シルエットの木々が藍を誘導してくれてるようだ。朝早くの散歩も好きだが、夜中の散歩は獣の視線を感じても怖くない。視線を送る動物達が私に敵意を向けてないからだ。
日本の夜は明るくて、物騒で一人で歩くなんて出来る訳ないか。誰かしらに会うだろうし機械的な視線を感じて、楽しくないかも。
月明かりでも影が出来るんだ。満月でもないのに。
「ふぇふぇ〰️んふぇふぇ〰️ん」
……アイルくん?
「よしよし。ねんねしようね」
と、誰かがアイルくんを寝かし付けているようだが、ぐずり泣きしかしてこない。クルナさんは話せないし、まだ歩けない筈だ。
……誰?
そうっと近づいて見て見ると、……ナリスさんだ!
「(ねんねん♪ねんねん♪坊やねんねん♪)」
と、日本語なら驚かないですむかしら、小さく呟いてみる。
ナリスさんが怪訝そうなの顔で振り向いて、私と目が合う。…………固まった。が、アイルくんは泣き止んだようだ。
「こんばんは、ナリスさん。驚かせたくはなかったけど、どう声をかけても驚くと思って」
と、藍から挨拶をする。
「アイなの?」
「そうです。驚かせてごめんなさい。アイルくん寝ないんですか?」
と、ナリスさんの側に行くと、アイルくんは、パッチリとお目目を開けて周りを見ている。
「そうみたい。昼間良く寝ているみたいで。騒がしい時の方が寝れるのかしら? 良く分からないわ」
「赤ちゃんは、昼夜反対になる時が有るそうですよ。自然に直るみたいですが、クルナさんが大変ですね」
と、藍が言って、ナリスさんが抱いているアイルくんに視線を向けて挨拶をする。
「はじめまして、アイルくん。私はアイよ仲良くしてね」
と、握りしめている手に、右人差し指でツンツンと刺激する。刺激で開いた手のひらが藍の人差し指を掴み離さない。まだ視力的に見えてないだろう。
赤ちゃんの条件反射だが、嬉しくなる。
「クルナさんの母乳は出ているんですか?」
「ちゃんと張ってきてるから出てると思うわよ。タウさんは足りているようなこと言っていたし」
と、ナリスさんが説明してくれる。
「それなら、やはり昼夜が反対になっているんでしょう。昼間になるべく遊んであげ……ごめんなさい。ナリスさんは仕事ですね。クルナさんは寝れる時に寝ないと身体が持たないし」
「ありがとう。私は非番なのよ。そうじゃないとアイルの夜泣きに付き合えないわ」
と、ナリスさんが言う。
「クルナさんの足の具合は、いかがですか?」
「ディービス先生が言ってた通り、捻挫が酷いの。歩けるまでまだかかると思う」
と、ナリスさんが言っている側で、アァ~~ウゥ~とアイルくんは、ご機嫌だ。
「寝そうにないですね。アイルくんは」
「そんなことよりアイは、ここで何してるの?」
と、ナリスさんが聞いてくる。
「アイルくんと同じで寝れなくて、散歩です」
と、藍が答えると、
「大丈夫なの?」
「何がですか?」
「身体とか、ほら、ルカとか」
「そうですね。身体は朝になったら寝不足で少しだるくなるかもしれません。ルカは私が部屋に居ないと知ったら慌てて探しているかもしれませんね。
でも心は、夜の散歩を楽しんでいますよ」
と、藍は笑顔で答える。つられるようにアイルくんも返事をする。
「アイはまだ散歩を続けるの?」
「まだ、眠気が来ないので続けたいですね」
と、藍が言えば、
「私も一緒にいて良いかしら」
と、ナリスさんが遠慮気味に聞いてくる。
「良いですね、ナリスさんとお話しながら散歩しましょう。アイルくんがお腹を空かしてぐずるまでの時間なら、それ程長い時間にもならないでしょうし」
と、藍は賛成した。
ゆっくり林の中を歩き、この前のお礼を言ったり、端切れをどうするのかと聞かれたり、アイルくんの機嫌をみながら静かに話しは弾む。
礼拝堂の近くまで来ると、嵌めごろしの窓枠が外してある。出入口の扉も開いている。明かりが揺れているから人が動いているんだ。一緒に歩いていたナリスさんを藍は両手でゆっくり止める。
声を出しそうなナリスさんの口元に手のひらが当たらないように塞ぐ。アイルくんを見るとウトウト仕掛けている。
このまま帰った方がいい、ナリスさんの両肩を持って方向を変えようとした時、
「そこに、誰かいるのか?」
と、男性が声を掛けてきた。藍の聴覚は人より性能が良いが、聞き覚えのない声に緊張する。
……ナリスさんだけなら守ってあげれるけど、今はアイルくんを抱えていて走れないだろう。不審者は遠慮しなくていいと、メリアーナ様から許可が出ている。呼吸を整え始めると、
「悪い。驚かせたか? 今、礼拝堂の掃除をしていたんだ。怪しい者じゃないっと言っても、この時間は怪しいか」
と、男性が自分で突っ込む。礼拝堂の出入口の扉から顔を出して言ってくる男性は、手に持ったランプの光で顔が見えた。
……誰? わたしはダーニーズウッド邸で働いている人を全員は知らない。ナリスさんなら知っているだろうと、藍の肩口から声が聞こえた。
「アギル……」
と、ナリスさんが小さく呟いた。
……知ってる人なんだ。何だ~!
「あなたが何故、ここに居るの? ダーニーズウッド領を出ていったはずよ」
と、厳しめにナリスさんが声を出した。直ぐに抱えていたアイルくんが急に泣き出した。
「ぎゃぁぁぁぁ! ふぇふぇっぎゃぁぎゃぁ〰️」
……えっ!、不審者!
アイルくんの声に慌てたのはわたしだけじゃない。
「ごめんね、アイル。あなたを怒ったんじゃないなよ。よしよし」
と、ナリスさんがあやし出すが、アイルくんは泣く。
そろそろお腹が空いてもおかしくない。
「その赤ん坊は、君の子か?」
と、男性が聞いてきた。
「そんなの、あなたに関係ないでしょう!
アイ、部屋に帰りましょう。アイルがお腹が空いたみたい」
と、ナリスさんが藍を促す。黙ってナリスさんを見ていた男性が小さく呟く、
「そうだよな……ナリスがまだお館に居ててもおかしくないのに、何でアートムさんは俺を使う気になったんだろう」
と、藍は聴覚が良いのだ。ナリスさんには聞こえてなかったようだが、しっかり聞こえた。
二人は訳ありだ。それに男性は誤解してる。
「アイルくん、アイお姉ちゃんとお部屋に帰ろうか」
と、ナリスさんが抱いているアイルくんを貰う。ギャン泣きしていたアイルくんが、ピッタと泣き止む。
泣き止みはしたが、ふぇふぇと不服そうに顔をしかめる。
「お知り合いみたいですし、ちゃんと話された方が良いですよ」
と、アイルくんを抱え直して、藍はお館の方に歩き始める。




