ロッティナの秘密 2
私の失恋から22年、娘のルナーも叶わぬ恋をしているようだ。
ロッティナは、自分の机の上の大量の書類とカルテにウンザリしながら、物思いに耽っていたのだ。
今までこんなに書類仕事を溜めたことはない。何の仕事でも後回しにすることが、出来ないところところがある。今すべき事はしてしまいたいと思うから、義父のグローや夫ディービスの仕事でも、手を出してしまうことろがある。
自分の仕事だけで机の上が見えなくなるなんて、妊娠子育てと仕事をしながらでも、こなしてきた。
この穏やかに過ごせるはずの、この時期に何処から手を付けたら良いのか分からない程の、書類仕事なんて。
現実逃避、思わず昔を振り返ってしまったが、目の前の書類が消えるわけもない。
いつからだろう?
そうだ、あの日までは私の机の上には何も置いてなかった。
そろそろ夫ディービスが王都に、行きたいのだろうと思ったのだ。義父のグローに相談するよう勧めるつもりで、ダーニーズウッド邸に往診する馬車の中で話を振るつもりだった。
が、珍しくディービスから娘のルナーのことを聞いてくる。仕事のことを聞きながら、遠回しに探ってくるから少し意地悪をする。
それがいけなかったのだろうか?
何時ものメリアーナ様の往診だった。最近鬱ぎ込まれる事が多くなり、身体の不調を訴えられる。
どんな時も毅然とされていた、メリアーナ様の変調にカール様が戸惑われているのが、献身的に付き添われている。
領主邸の前を過ぎて別館に行くはずが、御者が馬を止める。
「ディービス先生、アートムでございます」
と、馬車の扉越しに声を掛けて来た。
扉を開けると、執事のニックとアートムが、領主邸の玄関前に立っている。
馬車をアートムが止めたのだろう、ニックが
「ディービス先生、申し訳ごさいませんが、こちらで急患を診て頂きたくお待ちしておりました」
と、頭を下げる。
ニックさんに案内されて入った客室には、シアン陛下とカール様がいらっしゃった。挨拶をしてディービスと、天蓋の中で見たものは、異国の女性が横たわっているが、明らかに発熱した症状だ。
掛布を捲ると異国の見たことがないドレスのままで、このままでは診察出来ないとディービスが訴えて私が下見と着替えを担当する。
ノアさんとカルマさんが手伝いに寄越されたが、勝手がわからないまま、脱がしていくと手首足首に圧迫痕がある。
白い肌にしっかり残っている。なんだろうか? お腹の痕は? 前のみベルトはしてなかったし、締め付けた痕もない。打ち付けたのか? 真横に?
女性の下着らしきものには、三人で手が止まる。どのように付けているのか、意味があるのか?
協力してもらいながら、身体を拭いていく。ディービスに言われた通り観察しながら、どうやら見とれていたようだ。
カルマさんが、黒髪を着替えに邪魔にならぬように持ってくれるが、さらさらと落ちて持ち難い。
私が知っている黒髪の人は、数人だけだがチリチリと癖が強く伸ばすのは、難しく絡まってしまいそうな髪質で艶がなかった。肌も色黒く白いのは歯だけに見えた。
ノアさんが脱がした異国のドレスをどう畳むのか悩んでいるし、カルマさんは女性の下着らしきものをまじまじと見ている。
横たわっている女性は、初見過ぎて戸惑ってしまうが、発熱で意識がないのはどの患者さんでも同じだと手を動かす。
お二人に手伝ってもらえて早くに出来た、以前は一人で時間が掛かったし、細身なのにしっかりした重みも懐かしい。
ディービスに着替えが終えたことを告げて、診察に天蓋と一緒に入り私は診察しやすいように、女性の前を緩める。
ディービスは、いつものように手を清めて振り返った時、息を飲んだのが分かった。
女の私でも見とれたのだ、男のディービスを責めるつもりはない。診察に大勢の人を診てきた夫でも意識してしまったのだ、時間にしたら一瞬だが。
いつも通りの診察に、内心驚いた。自分の夫の職業意識に、流石だと卓抜する。
内心はどうだったのかは、解らないが初見を終えて天蓋を出る時、ディービスは大きく息を吐いた。
ディービスがシアン陛下に説明をしているが、聞こえてきた内容が、
「何故? あの娘の出身国をご存知無いのですか?」
……えっ? 陛下縁の人ではないの?……
「髪の色、目の色は黒ということは、極稀にですがカーディナル王国でもお見掛け致しますが、外国の方と考えられますが?」
と、ディービスが聞く。
シアン陛下とカール様が女性との経緯を、ディービスの質問と対応などを、ミカエル様、アートムさん親子も関わっていたんだ。
誰一人として、女性の素性を知らないのだ。
今回はルカが見つけたのね。意外にもルカの発言が多い。ルカが普通に話しているなんて、医院に来ても殆ど話さない。
挨拶と必要最低限の事しか目にしないルカは、義父グローとディービスとは話すが、他の者が話しかけても素っ気ない。それは娘のルナーに対しても同じだ。
ディービスが付き添い看護の必要性を説明して、私に視線を送ってくる。了承の仕草をして返すが、今医院に義父グローが居ることが分かっての提案なのだろう。
確かに完全看護の用意はしてない。ある程度の医院に残って居るものにも指示は必要だ。
夫ディービスの思惑は、色々分かるがアートムさんは、何とも思わないのだろうか?
ディービスの指示書をルカが、ノーマン家の御者に届けに行く。カール様が、
「ディービス。悪いがグローが来るまでに、メリアーナの診察は出来ぬか? それもと目を離す事は出来ぬか?」
と、聞かれたディービスは、アートムを見る。
「今の段階では、何も出来ないので今からメリアーナ様の診察に向かいます」
と、言って立ち上がると、
アートムさんが、天蓋のベットの側に立ち位置を変えた。
カール様と別館に赴きメリアーナ様の診察を終えたディービスが、カール様に問う。
「カール様、あの娘の説明は先程要らした方々にするのですか?」
「ロビン夫婦が当分領土を留守にしているから、ミカエルは聞くべきだし、アートム親子は何かしら動いてもらうつもりだ。……そうだな、後はグローを要れての話しになるな」
と、答えた、
「承知致しました」
と、ディービスが返事をし玄関から中に入ろうとしたら、ノーマン家の馬車が見えた。
夫に促されて私は先に客室に戻ったが、娘ルナーの失態を聞かされた。何を注意すれば良いのかを考えて、教育不足を夫に謝る。
その日は、驚きと懐かしさと覚悟がいる日となり、数日後の私の机の上に、紙の山が出来ていたのだ。
この机の上に有る書類仕事は、何日分が溜まった結果なのだろうか? それ程私は机に座っていないと言う事だと思う。
窓の外、医院のまえに馬車が止まった音がする。
……まさか! 今日も…………
入口の方で、聞き覚えの有る最近は良く聞く声が、
「ディービス先生はいらっしゃいますか? 産婆さんのタウさんは?」
と、ルカが聞いてくる。ディービスも医局に戻って来たところなんだろう、直ぐに出てくるが、タウさん?
「ルッツの所のクルナが転んで怪我をしています。アイの話では、破水したのではないかと。タウさんも来ていただきたいのですが」
と、ルカが大方の説明をする。
ルナーが自分も行くと言いたそうな素振りを見せたが、
「タウは昼から来る予定なので、今は家に居るでしょう」
と、ディービスが答えて、私に視線を向ける。
「では、私は用意致します」
と、返事をして部屋に戻った。
私の机に置かれる書類は、何処までの高さになるのだろうか。
毎日向かっているダーニーズウッド邸に、何が有ったのか?
あの日から私は驚きと、期待と覚悟を持って向かっている。
かつて秘めた思いを持った場所に今日も向かうが、今は夫からまだまだ学ぶことがある。新しい知識に触れる機会がある。
私は、溜まった書類よりしたいことが有るようだ。




