理解不明
社務所で宮司の千種から、指示された作業を一人していた藍の携帯が、受信を知らせた。
作業のキリがつき机の上も片付けて、千種の手伝いをしに行こうと思い立った時に、立て続けに届く。
午前中を留守にし神社の禰宜職をしている、伯母の翠と従兄の浅葱からのメールだ。
両膝をついて立ち上がり、メールの通知画面から翠からのメールに目を通す。体調の確認と昼食に遅れるから先に済ませて、待ってて欲しいという内容だ。
次に浅葱のメールには、体調の確認と本庁の手続きが有る旨が表示されている。
……返信が必要なのね。でも……車の運転はおばちゃまなのかしら……
兎も角 「ハイハイ。 良ですよ」
と、返信をしようと両手に携帯を持って、窓側に一歩足を踏み出した。
「えっ!」
と、口にでた。
踏み出した足裏が、感触がなく一瞬天地が分からなくなった。
……転ぶ!
バランスを崩したと思ったが、右足裏には地があった。足袋越しに冷たい硬い感触で。
一歩踏み出し腰を落とした体勢で、見たことも無い空間に居ることに、藍は慮外した。
社務所に千種が顔を出す。
午前中本庁に出掛けている二人から各々メールが届き、昼食が二人になり希望を聞く次いでと、藍の体調確認をしに来たのだ。
覗いた部屋には、藍が座って居ただろう座布団の窪みと、付いたままのストーブを見て思案する。
お手洗いにでも行っているのかしらと、千種は部屋の隅に有るストーブのスイッチを押し、消火出来たことを確認して見回す。
作業が終えている机に目を向け、藍が台所に来るのを見越し、先に山菜の灰汁抜きを仕掛けましょうと、千種は社務所を出た。
その頃 浅葱は本庁から外に出て、車が停めてある駐車場で、携帯の画面をチェックする。
藍からの返信が無い。
端整な顔が眉をひそめて、後から追いついた母親の翠に告げる。
浅葱は背広のポケットからヘアゴムを出し、肩で切り揃えた艶のある黒髪を手櫛で軽くすき、後ろに束ねた。
瀧野家は千種をはじめ、母 翠 伯母の朱里も黒髪だ。千種は加齢により白髪の比率が多いが、翠と長いストレート髪を後で束ねている。伯母の朱里は顎のラインに切り揃えたボブだ。
浅葱と藍も黒髪だが、二人にだけ特徴がある。
浅葱は襟足に朱色の髪が生えていて、束ねないとわからない。
藍はこめかみから朱色の髪が、一束つづ生えている。父親の誠が癖毛で、軽く黒髪と朱髪が波打つ。
この時代 艶黒髪一色のほうが、珍しく目立つ存在だが、藍は本人が意図せず髪の色や容姿で、周りの目を引くことに自覚が無い。
浅葱の髪質が母親譲りであっても、外見的には父親の修次によく似ている。長身で程よく付いた筋肉が、普段から姿勢が良い浅葱を引き立ている。
洋装でも仕事上の和装でも、目を引く容姿だ。性格もどちらかと言えば修次だと、何故か藍が判断してくる。
藍の自己評価は、簡単明瞭だ。
身長 体重 容姿 性格 学力等、……極々標準数値。
体力のみ人並み以下 最低数値。と、自己判断。
虚弱体質以外は、完全標準人間ー“並“
全く違うと言えない、自己評価で難儀する。
車の傍まで来た翠に、藍からの返信が無いことを浅葱に告げられる。
50歳には見えない端麗な顔に眉を寄せ、鞄から携帯を探り浅葱には運転を促す。
車に乗り込んだ翠は、千種にメールを送る。
『藍は傍にいる?』続けて藍にも『今 何処?』と、
直ぐ様、『私の傍にはいないけど、社務所のストーブが付いていたからお手洗いだと思う』
と、千種が返信してきた。
ハンドルを持ったままの浅葱が、翠が携帯から目を離すまで待ち問う。
千種の返信をそのまま浅葱に伝えて、車が動くのを待つ。
誰でも携帯を肌身離さずは、無理なことであるから浅葱も車を帰路に乗せた。
高速に乗り少し待っていても、藍からの返信が無い。
翠が携帯を握り直した途端に、千種から通知が来た。
『藍がいない』と、見た翠が通話に切り替えコールする。
「母さん どうこと?」
と、千種が電話に出たのだろう。
「分からない!携帯の位置情報はウチになっているのに、藍も携帯も見当たらない!?」
と、翠の携帯越しに千種の声が荒い。
「翠、今何処?」
「高速走ってる! 今、浅葱がスピード上げてるけど、1時間位はかかる」
「藍が見つかったら連絡して!」
と、一方的に言って通話を切った。
「ちょっと、浅葱スピード上げすぎでしょ!!」
と、翠はシートベルトをきつく握り込んだ。
「《ガーディアン》連絡網を廻すから、落ち着いて運転して!!」と、言っているそばでアクセルを踏み込んでいる。
と、気は焦るが平日のお昼前、高速は直ぐに渋滞に捕まる。
藍はそのままの姿勢で、目だけで周りを見回す。
畳だったはずの足下は、大理石みたいな石床になっている。
学校の教室より広めな空間に、祭壇らしきものが正面に設置されていて人が立っていた。
人が立っている?
……立っている人は白髪?
……キラキラ光っている銀髪! 同世代位の青年だが、わたしを見て瞠目している?
……瞳の色、パープル!!
目が合ったと感じた瞬間踏み出した右足を、無意識に後ろに引いた。足袋裏からは石の冷たい感触しかしない。
……何これー!?
と、目一杯心の中で叫んでみた。
が、力んだ両手で持っていた携帯に目を向けると、画面がフリーズしたまま何かのマークが、クルクル回っている。
青年から目を外して、画面を直視していると
「□□ □□□□□□□□」
記憶にも無い音で、話し掛けてきた。
藍が青年に目を会わせると
「○○ ○○○○○○○○」
話し掛けているのだろうが、全く記憶に無い音で分からない。
掃除の途中なのか、液体の入った木桶や雑巾らしき布きれ、後は用途の分からない道具が、一纏まりになって置いてある。
その中に段になった木箱を、青年は手に取り藍に近付いてきた。
青年の表情は、先程の瞠目以来思案顔をしている。
怪しんではいるが、嫌悪感はないようだ。
徐に青年が腰にしていたベルトを外し、上衣の下から紐状なものを出してきた。
携帯を持ったままのわたしの両手を縛り、持ってきた木箱に座らせて、木箱ごとわたしを拘束した。
……えっ!
あまりの手際に抵抗する間もなく、青年はわたしを一周して出入口の扉を、静かに閉めて出ていった。
……ベルト外してズボン落ちないのかな?
……なんで? 服の下から普通に紐が出てくるの?
……あの青年 判断早いよね。……言葉が通じないと分かると、一様女性に対して座る物を用意して、油断なく拘束して。
わたしの精神状態から、暴れないと判断したんだろうけど……
「それにしても、綺麗な銀髪だよね。目なんか紫」
……表情は乏しかったけど、整ったイケメンだよね。世間一般でみたら……
わたしの周囲の人達が多様性の美形揃いで、耐性があるのが残念だ。
……この状態は、何なんだろうか?
社務所にいたはずのわたしが、聞いたこともない言葉を話す青年がいるこの場所?
……見当もつかない。
昔 おばぁちゃまが白彦神社には、神隠しの伝承があると言っていた。
が、夏の怪談話と一緒に話されても、お泊まりのサービスだと思って本気にしてなかった。
神隠し……それが本当なら、ここは幽世?
あやかしの世界? 青年はあやかしには、見えなかったが……
わたしはゲームをしないから詳しくないけど、小説であるような異世界転生は、現世で死んじゃた人が異世界で生まれ変われるのよね。
わたしは、死んでないよね?身体弱いけど……
異世界召喚は、神官や魔法使いが魔法陣を使うとか使わないとか? 現代人を呼ぶんだよね?
魔法陣もなければ、光りもせず、呼び出した人もいない。
青年は、ビックリしてたしね。
逆行? タイムスリップ? 時戻り?……
外国の昔?日本じゃなく?……
異世界転移?
うだうだと、混迷していると出入口の扉が開いた。
先程の青年が、一人の男性を連れて戻ってきた。青年と似た人相で、銀髪 瞳はブルーだ。
若い時は綺麗だろうと思える相貌で、祖父と孫だろうか?何やら話したのち男性は、わたしを見てから出ていった。
青年はそのまま扉の近くで、わたしを見張っているんだろうね。
「どう言うことなんだ? これは!」
と、浅葱が呟く。
浅葱のこめかみや首筋が、汗で光っている。
同じように社務所には、翠 千種 宗一 司が突き合わせるようにして、携帯画面を凝視していた。
持っている携帯が、次々に通知音を出し鳴り止まない。
この部屋は、藍が今まで居た痕跡しかない。
作業机の側には、藍のトートバッグが立て掛けてある。
藍が座って居ただろう座布団は、少し斜めにストールが落ちていて、脇に膝掛けが無造作にある。
次々と携帯の画面に《ガーディアン》の着信通知が表示されるが、誰一人携帯を操作しない。
すると、ドアを思い切り開けて、湊が駆け込んできた。