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戦火

火の王は、戦火の町に、少年と少女を見る。

3600字、7分


     燃える。崩れる。壊れ、消えていく。

     何も、戻らない。決して、終わらない。

     それは、人の運命(さだめ)か。逃れ得ぬ、“さだめ”なのか。


 私には、何が出来たのだろう。そしてあなたなら、どちらを選んだのだろう。



 燃え盛る業火の熱きところ、緋なるところの奥深く、真の炎の暖かきところ、真紅なるところにある、玉牙宮。

 その一角に、赤い獅子を従えた一人の若い男がいた。褐色の肌に、金糸で刺繍を施した黒と白の布をゆったりと纏い、目に鮮やかな赤いマントを羽織って、光沢を抑えた金に縁取られた紅玉の玉座に腰掛けている。(うなじ)にかかる髪は燃え盛るような赤で、炎の激しさを象徴しているように思える。しかし、知性を湛えた黒曜石色の瞳には、炎の激情すら押さえ込む強さがあった。

 床には魔法陣が描かれ、その中央に炎が踊っている。

 それは火鏡。彼は時々、そうして人の営みを垣間見るのである。

 それには、様々なことが映し出された。

 無機質な町、家族の小さな幸せ、争い、友情、恋人達・・・


 今、映し出されているのは、町だった。大きな町だ。石造りの立派な建物が幾つも建ち並び、広場には噴水やモニュメントが作られ、広い道路の両側には街路樹が植えられている。道路は車と人で溢れかえり、商店は昼も夜もなく明かりが灯されていて、広場に出る市には、食事時ともなれば人がごった返して威勢のいい物売りの声が飛び交っている、はずだった。

 ついこの間までは、確かにそうだったのだ。


 町は今、戦場になっていた。長い年月をかけて作られたはずの街並みが、建物が、炎に包まれ破壊されていく。銃声や大砲の音が鳴り響き、人々が逃げ惑う。

 政府と反乱軍の戦い。どちらも大義名分をかかげ、互いに、相手に対する民衆の憎悪を駆り立てようと躍起になりながら、無関係の人々を巻き込んでその命を奪っていく。


 火鏡を眺める男の顔は晴れなかった。温厚そうな黒い瞳には、憂いが湛えられていた。

 一体いつからだったのか、炎が破壊の象徴になったのは。

 確かに炎は大きな破壊の力を持っている。その気になれば、生命を奪うことは容易い。だが、原初、火は命を生み出す存在だったはずだ。生の強大な原動力、あるいは再生の為の破壊。それが炎霊の役割だった。そのはずなのに・・・やがて炎は人間同士の争い事に使われるようになり、無意味な破壊の象徴となってしまったのだ。それは決して、炎霊の望むことではなかったというのに。


 火鏡を見る男の目が、逃げ惑う人々の中に、十を超えるかどうかという少年と少女の姿を捉えた。きょうだいだろうか、友人だろうか、それとも、全くの他人なのだろうか。少年と少女は、必死に戦火から逃げていた。助け合い、庇い合い、まだ命の駆け引きなど不似合いな年の二人が、生き延びる術を求めて、銃弾の飛び交う町の中を走っている。

 二人の手は、しっかりと握られていた。その手を離せば、全てが終わると言うかのように。


 町の片隅に逃れた二人は、身を寄せ合いながら息を潜めていた。そこには、突然巻き起こった動乱から、同じように逃れた人達がいた。銃弾の飛び交う通りには、もうほとんど人の姿はない。皆、物陰に身を潜め、嵐のようなこの騒ぎが収まってくれるのを、じっと待っているのだ。その中に、若い母親と、幼い子供がいた。子供は母親に縋りつき、表現しようのない恐怖を訴えるように泣きじゃくっていた。母親は、自らも大きな不安と恐れに押し潰されそうになりながら、必死に堪えて子供を抱きしめていた。少年と少女はすぐ横に腰を下ろして、黙ってそれを聞いていた。

 突然、銃を持った数人の男達が飛び込んできた。息を潜めていた人々は、驚きと恐怖に顔を引きつらせて身を硬くする。男達は飛び込んでくるなり銃を向けてきたが、そこにいるのが戦火を逃れた一般市民だと悟ると、彼らの存在を無視して物陰に隠れながら銃撃戦を始めた。間近で響き渡る銃の音や壁を打ちつける弾の音に、人々は耳を覆い、目に涙を浮かべて身を震わせる。少年と少女の手は、更に固く結ばれた。


 銃撃戦をしていた男の一人が弾を受け、後ろに仰け反りながら倒れた。驚いて体を震わせた少年と少女の目の前に、男の持っていた銃が転がる。目の前に投げ出された銃を見て、二人は思わず後退りした。横にいた若い母親も、声にならない悲鳴を上げ、震えながら、それでも幼い子を庇うように、体の陰に隠した。

 少女と子供の目が合う。子供の純真な瞳に浮かぶ、純粋な恐怖を、少女は見てしまった。

 人々の中には、男が銃弾に倒れたのを見て、悲鳴をあげ、泣き出す者もいた。そんな彼らに、男達の一人が言った。

 生き延びたいのなら、銃を取れ。銃を取って俺達と共に戦え。政府を倒さない限り、明日はない。

 少年と少女はその男の顔を見た。迷いと不安の目で。あるいは、不信と疑念の目で。


 そのとき、乾いた破裂音とともに、また一人の男が倒れた。人々は驚いて壁際にまで後退り、銃を持った男達は慌てて身を隠しながら、撃ってきた相手を探す。

 それは、向かいの建物の上にいた。一旦銃を下ろしたその男が、もう一度銃を構えようとするのが、少年と少女の目にはまるでスローモーションのように映った。あの男があの引き金を引けば、次は別の誰かが死ぬ。それは、自分かもしれない。

 二人は、目の前に転がっている銃を見て、こちらに銃を向けようとしている男を見た。それから少年は再び目の前の銃に、少女は隣に座る親子に目を向けた。次の瞬間、固く結ばれていた二人の手が、離れた。

 少年は目の前にある銃を取って構えた。少女は母と子の盾になるように、手を広げた。町の片隅に、一発の銃声が響き渡った。


 少女は、強張った顔で両手を広げたまま立っていた。建物の上の男は、銃を持ったまま不自然に体を傾けていた。少年は尻餅をついて片手を後ろにつきながら、大きく目を見開いていた。もう片方の手に、いまだしっかりと握られている銃からは、微かに煙が漂い出ている。そして彼らを狙っていた狙撃手は、ゆっくり、ゆっくりと、建物の下へ落ちていった。

 町は戦火の中にあった。そして、町を包んで燃え上がる炎は、幾つもの命を奪ったのだった。


 火鏡を見る男は溜息をつき、僅かな諦めの表情で目を伏せた。彼が命じれば、炎は静まっただろう。なぜなら彼は、火の王なのだから。だが彼はそうしなかった。出来なかったのだ。炎を鎮めたとしても、争いは消えない。それは、人の起こしたこと、彼ら自身が望んだ結果だ。人間のやることに手出しはしない、介入しない。そう決めたのだ。人が、精霊を拒んだずっと昔に・・・・




 数ヵ月後、火鏡には、広場に立つ少女の姿が映されていた。少女は一人だった。炎はおさまっていたが、町は完全に破壊されて、戦いの傷痕が痛々しく残されている。

 戦いは反乱軍が勝利した。広場では、反乱軍の兵士の一団が勝利を祝って騒いでいた。急ごしらえの壇上に立っている男が、盛んに拳を振り回して自分達の勝利を叫び、周りを囲んだ一団から盛んな拍手や口笛が沸き起こる。自分達の行為の正当性や、これから待っているはずの素晴らしい未来を信じて疑わないその一団を、少女は冷めた目で見ていた。あの中には、もしかしたらあの少年もいるのかも知れないが、それは分からない。少年と少女の道は、異なる決断をして手を離した、あの時に分かれてしまったのだ。

 あの時、少年は銃をとり、少女は人々の盾となった。そのとき二人の目にあったのは、決然とした思いと、少しの恐れ。殺すことへの恐れと、死ぬことへの恐れ。二人の恐れの種類は異なるものだったが、二人は同じ目をしていた。身を守る為に罪を犯すことを選んだ少年と、命を捨てて誰かを守ろうとした少女。どちらが正しかったのか、それは誰にも分からない、誰にも決められない。

 少女は兵士の一団に背を向けた。この動乱で、少女は家も家族も、全て失っていた。どんなに彼らの目的が高尚でも、どんな正当な理由があろうと、そんなことは少女には関係がなかった。失ったものは、二度と戻ってはこないのだから。だが、立ち止まるわけにはいかない。時代がどう変わろうと、少女は、少女自身の生を生きなければならないのだ。


 火の王は立ち上がった。同時に火鏡はすぼみ、少女の姿も消える。心配そうに見上げる獅子の鬣を、火の王は優しく撫でる。少年も少女も、自分で自分の進むべき道を決めた。彼に出来ることは、何もない。これからあの二人が、彼ら自身の生を強く生きていくことを願う他は。


 町は、喧騒の中にあった。古い秩序は消え去り、新しい社会が胎動を始める。安定と平和はまだ遠く、明日を保証するものは何もない。何が正しいのか、自分達がどこへ向かうのか、何が身を守るのか。確実なものが何一つない中で、それでも人々は生きていく。それはただ、生きる為。己の命を繋ぎ止め、次の世代へと繋いでいく為。破壊から生まれる新しい生を、ただひたすらに、生きていく為に・・・




これを書いた当時も、内戦や戦争はありましたが、今のような、大戦前夜のような状況になろうとは、思いもしませんでした。

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