約束の石(2)
一体どれだけそうしていたのか分からない。不意に、肌を撫でていく空気の流れが止み、ふわり、とアンヘリカを乗せた動物は闇の中に降り立った。
『さあ、ついた。』
「珍しい客人を連れてきたものだな、ルード。」
アンヘリカが動物の背から滑り降りると同時に、どこからか声がかけられた。ここは暗い上に音が反響して、元の音がどこから聞こえてくるのか分かりにくい。アンヘリカがきょろきょろしていると、横にいた動物が動き、それが向かった方向から可笑しそうな声が聞こえてきた。
「ここだ。ここ。」
アンヘリカがそちらを見ると、闇に溶けそうな紫の光が見えた。よく見ると、光を漂わせている人の姿がそこにあった。その足下には、同じような紫の光を纏う黒い獣の姿がある。
アンヘリカは突然現れた人影よりも、獣の姿を見てギョッとした。その獣は頭と尻尾が二つずつある黒豹のような生き物で、四つの目は紫色をしていた。見るからに恐ろしげな姿をしているその獣は、甘えるように紫の光を纏わせる人に擦り寄っている。
その人はというと、全体的にほっそりした印象だ。顔も細く引き締まっていて凛々しい感じがする。髪は艶やかな黒で、肩の長さで揃えられていた。長めの前髪で右目は見えないが、左目は強さを秘めた綺麗な紫色をしていた。紫と黒を基調とした服を着て、濃い紫色の肩掛けをかけ、黒いブーツを履いている。身長はやや高めで、見た目では男の人なのか女の人なのか、さっぱり分からない。
その人は笑いながらアンヘリカに近づいてきて、その胸に下がっている石を手に取った。しばらく黙って眺めていたが、やがてアンヘリカの顔を見て、暖かい笑みを見せた。
「そうか。これはお前が引き継いだのだな。」
それでアンヘリカが、すぐ傍までやって来ている黒い動物を凝視しているのに気がつくと、声をあげて笑った。
「恐いのか?」
アンヘリカは凝視した目のままでその人を見上げる。恐い、と目一杯に見開かれたその黒い瞳が語っていた。その人はからからと気持ちのいい笑い声を立てると、アンヘリカの頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「心配いらん。ルードは私の分身。お前をここまで連れてきたのも、このルードだぞ。よく見てみろ、恐いことなど何もない。」
アンヘリカは、ルードと呼ばれたその生き物をもう一度見た。その生き物も、二つの頭をこちらに向けてアンヘリカを見ている。その目は本能にのみ支配された獣のものではなく、理性が満ちていた。あくまで暖かく、穏やかな目。しかし、その姿が恐ろしいことには変わりなく、感覚ではこの生き物が危険なものではないと分かっても、やはり恐々と見やることしか出来ない。
すると、その生き物は更に近くに寄ってきて、二つの首をアンヘリカに伸ばしてきた。思わず身を硬くしたアンヘリカの頭の中に、またあの声が響く。闇の中で聞こえていたあの声。
『心配するな。お前を取って食うようなことはしない。』
それは、暖かさと強さを併せ持った女性の声で、不思議と気持ちを落ち着ける力があった。アンヘリカは闇の中で触れたルードの感触を思い出す。さっきその背に乗っていたときも、その柔らかさと暖かさで気持ちが安らいだのだった。それを思い出すと、少し落ち着いた。落ち着くと同時に、色々なことが気になってきた。
アンヘリカは好奇心一杯の目で、目の前に立つ人を見上げる。その人は、アンヘリカの胸に下がる石と同じ、いや、それ以上に暖かく力強い輝きの宿る紫の瞳で、アンヘリカを見て笑っていた。
「・・・右目、どうしたの?」
「ん?これか?」
その人は右側の長い前髪を掻きあげた。現れた右目は、傷がついていて濁っている。
「どうしたの?」
「ちょっとな、昔、傷つけてしまったんだ。」
ぱらり、と掻きあげた髪を下ろして、その人は少し目を伏せた。
「ふうん、もったいないなあ。せっかくきれいな目なのに。」
心底残念そうに言うアンヘリカを見て、その人は可笑しそうに笑った。そして、アンヘリカの肩に手を置いて、ゆっくりと歩き出す。
闇に目が慣れてくると、ここが、やや紫がかった黒い石で出来た広間なのが分かった。床も、何本も立っている太い柱も、よく磨かれてつるつるしているのがわかる。背の高い天井から床の近くまで、濃い紫色の布が何枚もカーテンのように下げられていて、それが金と紫を交互に束ねた太い紐で柱に括りつけられていた。二人は、ゆったりと幾重にも重なったカーテンを潜り抜けて、広間から幅の広い廊下へと出た。
「お前は面白い子だな。名はなんという?」
「アンヘリカよ。みんなはリカって呼んでるけど。」
「アンヘリカ、か・・・。アンヘリカ、この石の意味を知っているか?」
「意味・・・?」
唐突な質問に、アンヘリカは軽く首を傾げた。
「テレサばあちゃんは、お守りだって言ってた。暗いのがこわくなくなるお守りだって。」
紫の瞳の人は、笑みを浮かべたまますっと目を細め、少しだけ言葉を切った。
「闇が恐いか、アンヘリカ?」
「暗いところには恐いマモノがいっっぱいいて、暗くなっても外にいる子供を食べるんだって、ロペス兄ちゃんがよく言ってる。」
それを聞いて紫の瞳の人はクッと笑い出し、しばらくは堪えていたようだったが、やがて声を上げて笑い出した。アンヘリカはなぜそんなに笑われたのか分からず、きょとんとしている。
「そうか、魔物か。闇に住まう魔物が恐いか。」
その人がまだクツクツ笑っているのを、アンヘリカは不思議そうな顔で見ていた。するとその人は、笑いながら謎めいたことを言い出した。
「闇に魔物などいない。いるとしたら、それは闇を見る者の心の中だ。」
「・・・・え?」
「目に見える闇よりも、人の心に潜む闇のほうが恐ろしい。目に見える魔物より、心が生み出す魔物のほうが性質が悪い。人が生み出す歪んだ闇は、我々の領域ではないからな。」
いつの間にかその人の顔から笑みが消えていた。アンヘリカに話しているというより、独り言に近い。まるで呪文のようなその言葉に、アンヘリカが眉を寄せて首を傾げているのに気付いて、その人はまた暖かい笑みを見せた。
「闇の中に魔物がいると思うなら、それは幻影だということだ。無闇に恐れなければ、闇の中の幻影など消えてしまうさ。」
「げんえい?」
「実際にはいないのに、いるように感じるもののことだ。」
「暗いとこにいるもの?」
「そうだな・・・暗いところにいることのほうが多い。」
「マモノじゃないの?」
「魔物などいない。」
「こわくない?」
その人は、含み笑いを漏らす。
「恐いと思えば恐い。恐いと思わなければ、恐くない。全て、お前の心次第さ。」
アンヘリカは眉を顰めた。
「よく分かんない。」
その人は、ふふ、と軽く笑った。
「アンヘリカ、ここを、怖いと思うか?」
アンヘリカは自分が今いる所を見回した。この廊下も、最初の広間と同じように、よく磨き上げられた黒い石のようなもので出来ていて、所々に金の飾りがついていたり、紫の布が下がっていたり、淡い光が灯っていたりする。全体的に暗く、程良い暖かさで心地良い。いつものアンヘリカならきっと恐がるはずの暗さなのに、なぜか恐怖を感じない。それどころか、母親に抱かれている時のような安心感があった。アンヘリカは首を横に振ると、隣を歩く人を見上げた。
「ここは幻夢宮。闇の精霊が集う処。ここには本当の闇がある。闇とは本来、光の中の騒がしさを静め、安らぎと静寂を与えるものだ。なあ、アンヘリカ、闇が無かったらどうなる?」
闇が無かったら。アンヘリカの苦手な暗闇が無いということは、魔物を恐れることも無いということだ。しかし、アンヘリカは眉根を寄せて考え込む。そして、すぐにまた顔をあげた。
「それって、夜がないってこと?」
「そういうことになるな。」
「そんなの、おかしいよ。夜がなかったら、いつねるの?人間は、昼間ははたらいて夜はねるもんだって、パパが言ってるよ。昼間仕事をしないでねてばかりいるのは、なまけ者だって。夜がなかったら、ずーーっと仕事してなきゃいけないじゃない。」
その人はまた、くすくすと笑う。
「そうだな。昼の生き物は、夜が無ければ休むことは出来ない。夜の生き物は夜が無ければ目覚めることは出来ない。そういうものだな。」
この人の声は、低すぎもせず高すぎもせず、耳に心地良く響く。暖かいベッドに横になりながら聞いていたら、すぐにでも安らかな眠りに落ちていけそうだった。
「だがな、それだけではないのだよ。闇がある意味というのはな・・・。見ろ、アンヘリカ。」
少し広まった空間のある部屋につくと、その人は立ち止まり、頭上を指し示す。アンヘリカは上を見上げて、くりくりした大きな目を、さらに大きく見開いた。
「うわあ・・・・」
そこには、満天の星空が広がっていた。黒と紺と紫が織り交ざった夜の空に、明るさも大きさも様々な銀色の光が輝いていて、それはまさに宝石箱と表現するにふさわしい美しさだった。空の一角には、白っぽい半月が柔らかな光を振りまいている。
「きれい・・・・・・」
「星は、夜空にしか現れぬ。月も夜空でこそその美しさを現す。昼の強い光の中では隠されてしまうあの星の光は、闇があるから生きるのだ。光の中でしか見えないものもあれば、闇の中で初めて見えるものもある。・・・・アンヘリカ」
目を輝かせて星空を見上げていたアンヘリカは、呼びかけられて隣に立つ人を見たが、その人は上を見上げたままで言葉を続けた。
「この世界にはな、光と闇と、両方が必要なのだよ。どちらが欠けてもこの世界は成り立たない。世界の初めからあるバランスが、崩れてしまうからな。分かるか?」
その人はアンヘリカに視線を移して問うた。アンヘリカはしばらくその人の紫の瞳を見ていたが、やがて小さく頷いた。なんとなくその言葉の意味を感じとることが出来た。その人はアンヘリカの髪を優しく撫でる。
「昔は、それを知る者も多かったのだが。」
その人は一瞬遠くを見る目をしたが、すぐにアンヘリカに視線を戻し、ペンダントの石を手の平に乗せた。
「この石は、我々とお前をつなぐ、証の石だ。これを持つ者に、闇霊は無償の守護を与えるだろう。」
アンヘリカは自分が下げているその石を、まじまじと見つめた。難しい言葉はよく分からないが、その石が何か特別な力と意味を持つ物だということは分かった。
「お守り?」
アンヘリカはその人を見上げる。
「そう、お守りだ。お前がこれの持ち主にふさわしい者である限り、闇霊はお前を守る。お前の安らかな眠りも、心の平安も。」
再びルードの背に乗って去ろうとするアンヘリカに、その人は紫の瞳に暖かな光を浮かべて別れを告げた。細く引き締まった体躯。凛々しい印象を与える、引き結ばれた口。夜の闇にふさわしい漆黒の髪、そして、強い輝きを持つ紫の瞳。その人の姿は闇の道の向こうに霞んで消えた。
ルードは闇の中を走る。けれどそれは、冷たく不安を呼び起こす類のものではなく、母の胎内にいるような、安らぎをもたらす暖かいものだ。
『ここの闇は恐いか?』
また頭の中に声が響いた。強く、そして柔らかい声。それがルードの声だということを、アンヘリカはもう知っていた。
「ううん。全然こわくない。」
闇への恐れは、もうどうでもいいことになっていた。ついさっきまでは考えられなかったことだった。何が変化をもたらしたのか、自分自身でも分からなかったが、確かにアンヘリカの心は大きく変わっていた。
『幻夢宮は、どうだった?』
アンヘリカは、つい先程までいたあの空間を思い浮かべた。暗い闇に覆われているのに、全く恐怖を感じさせず、安心していられる不思議な処。それが闇の精霊の集う処、幻夢宮だということも、もうアンヘリカは分かっていた。
「なんか、不思議なとこだった。あたたかくて、静かで、気持ちよかったよ。」
そこでアンヘリカは、ふと、疑問に思ったことを口にした。
「ねえ、ルード。あの人は、だれ?」
『王のことか?』
「王?あのきれいな紫色の目の人?」
『そう、あの方は闇の精霊王、闇王だ。』
「やみおう?王様なの?じゃあ、えらい人なんだ。」
『・・・そう、偉い方なのだ。』
ルードの声は、少し可笑しがっているようにも聞こえた。
闇の道から抜けたルードが降り立ったのは、今度は本当に真っ暗闇になった林の中だった。アンヘリカは黒々とした木々と、そこから垣間見える闇空を見上げた。幻夢宮に行く前のように、闇に盲目的に恐怖を抱きはしなかったが、こう暗くては帰り道も分からない。アンヘリカは腕を抱えてブルっと震えた。昼間は強烈な太陽の光に照らされて暑いくらいのこの土地も、日が暮れれば地上の熱は奪われる一方で、肌寒い。
『おいで、アンヘリカ。』
ルードの声が響いた。ルードは横になって、アンヘリカを包み込んだ。ルードの身体は温かく、滑らかな毛並みが気持ち良い。アンヘリカは心地良い暖かさにくるまれながら、ルードの耳に手を伸ばした。
「ねえ、ルードはなあに?豹?それとも大きな猫?」
『いいや、私は猫でも豹でもないよ。私はケルベロスだ。』
ルードの紫の目は暖かかった。始めはあんなに恐ろしいと思ったのに、今はもう全然恐くない。それどころか、ルードといれば安心、という信頼感すらあった。
遠くから人の声がした気がして、アンヘリカは顔を上げた。よく耳を澄ませてみると、確かにアンヘリカを呼ぶ声だった。
「パパ達だ。」
アンヘリカは立ち上がって数歩駆け出し、大声で父親達を呼んだ。しばらくすると、懐中電灯を持ったロペスがすっ飛んできた。
「リカ!」
少し送れてホセも走ってくる。
「あ、ロペス兄ちゃん!ホセ兄ちゃん!」
「リカ!怪我ないか?恐くなかったか?」
ロペスはアンヘリカの肩をしっかりつかんで、真剣な目で顔を覗き込んでいたが、アンヘリカがニコニコ笑っているのを確認すると
「なんでい、元気じゃん。」
と言って、プイと後ろを向いてとっとと歩いて行こうとした。「なによー。」とむくれるアンヘリカの頭に、ホセが手を乗せる。
「ロペスはすごく心配していたんだぞ。血相変えて帰ってくるなり、リカがいなくなったから探しに行くって、大騒ぎだったんだ。」
「え、ホント?」
「嘘だよ!」
思わずホセを見上げるアンヘリカに、少し離れた所からロペスが答える。ホセがアンヘリカの肩に手を置いた。
「帰るぞ、リカ。」
促されるままに歩き出したアンヘリカに、ホセがいつもと同じく、少しぶっきらぼうな調子で尋ねる。
「恐くなかったか?寒くなかったか?リカ。」
「ルードがいたから平気。」
「ルード?」
「うん。」
そう言ってアンヘリカは振り返ったが、もうそこには何もいなかった。ただ、黒々とした林があるだけ。あの心地良い闇を纏った不思議な生き物は、影も形も無く消え失せていた。
「いなくなっちゃった。」
アンヘリカの視線を追って、何もいない空間に目をやっていたホセが不思議そうに尋ねる。
「ルードって誰だ?」
「え~とね、ルードはね、やみ王の分身なんだって。」
「・・・何言ってるんだ?リカ。」
面食らっているホセの様子に気づかず、アンヘリカは無邪気に話し続ける。
「それからね、けるべろすだって言ってた。」
「ケルベロス?」
「ばーか。ケルベロスってのは、地獄の番犬なんだぞ。こわ~い魔物だぞ。」
またロペスが離れたところから野次を飛ばす。
「そんなことないもん。ルードは全然こわくなかったよ!」
「恐いんだよ!ケルベロスは本物の魔物なんだからな!」
「そんなのウソだよ!ルードはやさしかったもん!」
「リカ!アンヘリカ!」
またこの兄妹の喧嘩が始まろうとした時、ようやく追いついてきた父親によって言い争いは中断された。
家に帰り着いたアンヘリカは、安堵半分、怒り半分の母親や姉達に迎えられ、いつにも増して賑やかな夕食を終えた。
昨日まで闇を恐がり、なるべく寝る直前まで明かりを灯しておこうとしていたアンヘリカが、今日は早々と明かりを消して窓から夜の空を見上げている。幻夢宮で見た星空には勝てなかったが、ここからも夜空に散りばめられた美しい星の輝きがよく見えた。イサベルは、「どういう風の吹き回し?」と本気で訝っていたが、アンヘリカは気にしなかった。
暖かく、ゆったりした時が流れる幻夢宮。床も柱もよく磨き上げられた黒だったが、それは石の様にもガラスの様にも、或いは何か硬くて軽い金属の様にも見える。所々に置かれた金の飾りが妖しい輝きを放ち、申しわけ程度に灯されている淡い光と相まって、まさに名の通り、夢と幻の中にいるような感覚を、訪れる者に与えていた。闇王はその闇の中、天井に映し出された夜空を見上げていた。
人間の少女が去ったのと入れ替わるように、闇とは異なる気配が幻夢宮に入り込んでいた。
(風か・・・)
馴染みの者の気配を気にも止めず、闇王は天を見続ける。闇王の脳裏には、先程の少女との遣り取りが思い浮かべられていた。純真無垢な子だったが、闇霊の与えた証の石を持ちながら、あの少女は闇に対して無意味な恐れを持っていた。
(暗いのが恐くなくなるお守りとは、変わった受け渡し方をしたものだ・・・。)
この世にあるものには全て意味がある。いつの頃からだろうか、人間が闇と魔とを同一視するようになったのは。確かに闇の中で目の利かない人間にとって、不確かな闇は恐れの対象になり易いものであったのだろう。その中に幻影を見ても仕方がないとも言える。それに、後ろ暗いところのある人間は闇の中に姿を隠したがったから、尚更闇の中に潜む不確かさは脅威だったのかもしれない。人間が本当に恐れるべきは、闇の中に勝手に見る幻影ではなく、人そのものと、人の心が生み出す歪んだ闇なのだ。
闇王は苦笑する。
「必要の無いものなど、この世には無いのだがなあ。・・・昔は皆が知っていたというのに、先ごろは誤解する者が多い・・・」
「本当はそのようなこと、どうでもよいと思っているのであろうが。」
澄んだ声が響いた。闇王は口の端を軽く上げて笑い、目だけを声の主に向けた。透き通りそうなほど白い肌、華奢な身体、透明な青の瞳、整った顔立ちは無表情で、まるでガラスの人形の様である。
風の王、メディス。闇王であるサラとは、幼い頃から共に学び、共に育ち、ほぼ同時期に一族を率いる役目を引き継いだ仲だ。メディスは澄みきった瞳を周囲に向けている。
「人間のにおいがするな。」
「そう嫌うな。」
「・・・人間は、信用出来ん。」
メディスの瞳が一瞬冷たい光を放つ。サラはその様子を微かな笑みを浮かべた瞳で見やる。そしてメディスの不快に気付かなかったように話を続けた。
「新しく証の石を受け継いだ者が来たのだ。面白い子だったぞ。」
「子供か。成長すれば、どうなるかは分からぬ。大抵の人間は、成長するにつれて我々の事を忘れるものだ。」
「そう悲観するものでもないさ。現に、あの石は、もう随分と長い間受け継がれ続けているのだから。」
石を最初に与えられた人間を、サラは知らない。あの石を与えたのは、二代前の王だ。精霊にとっての二代が、人間にとってどれだけ長い時を意味するのか、想像も出来なかった。
「それにメディス、お前だって、力を与えた人間はいようが。」
「滅多にいない。」
「確かに、お前の代になってから極端に減ったな。元々風は、人間を嫌う一族ではなかったはずなのだがな。」
メディスは答えようとしないが、サラも、敢えて深く掘り下げようとはしない。
「この間、力を与えた青年はどうだ?」
「・・・あれは、特別だ。」
「聞いたぞ。珍しいことに、自分から関わったそうだな。」
からかうように言うサラを、メディスはじろりと睨む。
「面白いか?」
メディスに睨まれても、サラは全く気にしない。
「お前だって、心の底から人間が嫌いなわけではないのだ。認めろ。」
メディスは不機嫌そうに横を向く。サラはそれをくすくす笑って見ている。そこへ、頭に直接響くように声が掛けられた。
『王。』
サラは暖かな眼差しを声のほうに向ける。
「ルード、帰ったか。どうだった?」
『あの少女の家族が、あの子を探しておりました。あの子の兄が、ケルベロスは魔物だと言うのを、あの子はムキになって否定しておりましたよ。』
サラはメディスを見た。メディスは興味がないふりをしながらも、しっかり聞いている。
少女がどのような大人に成長するかは、確かに分からない。けれど、アンヘリカは大丈夫ではないかという予感を、サラは持っている。今代の風王は慎重で、成長するまでは様子を見ることにしているようだが。
サラは妹を見守る姉のような笑みを見せた。そして闇の女王は再び天を見上げる。アンヘリカも見ているはずの、この美しい星空を。