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砂霊(さりょう)(3)


 青い光の粒子が、青白い大気の中を流れていく。地平線に至るまで視界を遮る物のない台地は暗く沈み、ようやく白んできた空には幾分の濁りが消えず漂っている。その中で唯一澄んだ空気を纏う風王は、地上が良く見渡せる位置を保ちながら感覚の枝を周囲に張り巡らせていた。

 次第に弱々しい光が世界に満ちてきて、地上の様子が明らかになる。小高い山が連なり、視界の半分以上は遠くまで良く見渡せる平野が続いている。地上の色にはほとんど変化がなく、山も平野も一面の黄色で、山の一部は岩が剥き出しになっていた。見える限り砂と岩の台地。申し訳程度に点在する集落とその周りにだけ疎らに見える木の緑。

 近くの岩場に降り立つと、見た目より脆くなっていた岩場は、風王の操る風を受けて一部が崩れた。それをちらりとだけ見遣って、すぐに視線を眼下の平野に移す。一面の砂漠にほとんど変化はないが、それでも夜が明けると共に集落の周囲では動きがある。人と僅かばかりの動物の姿が見え、幾つかの影は集落から離れてゆっくりと進み始める。

 澄んだ青の瞳でそれらをしばらく眺め、それから目を閉じて意識を集中させた。消えることなく感じる違和感。視覚を封じてみるとそれは更にはっきりしてくる。集落があり、生き物が住み、植物があるということは、水場がそこにあるということだ。更には、点在する集落を結ぶ水の流れが、地表にはなくとも地下にはあるはずだ。だが、拾える限り、気配はない。精霊王である彼女が、どんなに小さくとも同じ精霊の気配を取りこぼすことはない。アイシャの町から一晩飛べるだけ遠くまで来てみたが、どこも同じだった。

 ゆっくりと目を開き、黄ばんだ世界を見つめる。一つの考えが、確信になりつつあった。おそらくここには、あるべきものが既にない。




 ぼんやりと明かりが灯っている。淡く、儚く、今にも消えそうに揺らいでいる。ゆったりと静かに、何かを語りかけてくる声。けれどそれは弱々しくくぐもって、何を言っているのかは聞き取れない。


 急に腹の上に重石がのった感覚がして、くすくす笑う声が耳に入った。目を開けると、カイがお腹に乗っているのが見える。

「・・・お前なあ・・・もう少しましな起こし方出来ないのかよ。」

 祐二が呻いていると、カイは笑いながら飛び降りて部屋を出て行った。部屋の中を見ると、風王の姿はなく、祐二一人だった。昨日、戻って来た時はいたのだが、眠り込む時にはもう姿が見えなくなっていたのだ。

 ゆっくりと体を起こすと、腕や足がぎしぎし痛む。ハシュラムに付き合ったおかげで、すっかり筋肉痛になってしまった。ハシュラムが思っていた通り、台地の上で発見したことを伝えても、アイシャは相手にしないで呆れ返っていた。あんたまで何を真に受けてんの、と祐二までが小突かれたのだ。カイだけは目を輝かせて聞いていたが、昔話でも聞いているような感じだった。

 下に降りて朝食をとると、アイシャが笑顔で籠一杯の布地を差し出した。訳も分からず受け取って説明を求めるようにアイシャを見ると、それを市で売る手伝いを言いつけてきたのだ。祐二は、アイシャは彼らを親切で泊めたのではなくて、仕事を手伝わせる為に泊めたのではないだろうかと疑いたくなったが、無料で食事と寝床を与えてもらって何もしないというのもずうずうしい話かも知れないと思い直し、大人しく後に従ったのだった。ついでに、風王は上手く逃げたな、ということも、考えずにはいられなかった。




 城壁の上から眺める町には、人の姿が絶えることはない。所々とはいえ高い木が生え、水路が張り巡らされて井戸の水は涸れず流れ、家々の間を子供たちが歓声をあげて走りまわり、おしゃべりの好きな女達の笑い声が響く。何も生えずに乾いた砂が降り積もる外とは大きな違いだ。分厚い城壁は、外からのどんな攻撃にも耐えられそうだったが、長らくそういう目的で使われたことがないのか、見回りをする人間の姿もなく、その気になればいつまででもそこに座っていられた。 

 風王は澄んだ瞳で空を見上げた。青いはずの空が地上の砂に染まったかのように黄色く霞み、砂漠を照らすにしては弱々しい太陽が輝いている。この数日、世界を飛び回って様子を見てきたが、どこも似たような状況だった。世界は砂で覆われ、水も木もほとんどなく、点々と散らばる水場の近く以外は人の姿も獣の姿もない。


 城壁から降りて町の中を歩く間も、風王は町の賑わいに冷めた目を向けていた。市に来ると、人の数も喧騒の大きさも格段に増し、まるで喧嘩をしているような掛け合いがあちらこちらで見受けられる。

 その一角に、祐二の姿があった。祐二は発掘から戻って以来、ずっとアイシャの商売を手伝わされていたが、一度要領を覚えてからは、自分でも楽しんでいるように客との会話で声を張り上げていた。案外向いているのかもしれない、と自分で言って笑っていたくらいだ。元から元気な看板娘だったアイシャといいコンビで、周りに店を構えている人達の間にも、すっかり溶け込んで馴染んでいた。祐二の隣にはハシュラムの姿も見える。こちらもアイシャに急き立てられて手伝いに加えられたのだが、考古学以外の面では全く積極性を発揮しない彼は、手にした壺や水差しをおずおずと差し出しては無視されたり、いいように値切られたりしている。祐二を発掘に誘ったときの強引さはどこに行ったのかと呆れるくらいの気弱さだ。


 風王は、人ごみの中からじっと祐二の様子を見つめていた。

―――祐二は気付いているのだろうか。

 人ごみに佇む風王に気付いた祐二が大きく手を振る。祐二はどんな多くの人の中からでも風王を見つけ出す。精霊を見分けられるからこそ出来ることだ。それなのに、まだ気付いてはいないのだろうか。





 まただ。

 閉めたままの木戸から漏れてくる日の光に朝を感じながら、祐二は眉を顰めた。

 ぼんやりとした光。囁くような声。何度となく見た夢だったが、それは次第に鮮明さを増して来ていた。

 光は初め、黄色だったり緑だったり、ときに二つ以上の色が渦や斑に混ざっていたりした。やがてそれは輪郭を持ち始め、ぼんやりではあるが、木の影だったり、青い空に浮かぶ雲のようであったり、一面に広がる野原や畑のようであったりするようになった。

 囁き声は落ち着いた女性のような声で、何かを訴えたがっているように思えたが、何が言いたいのかは判然とせず、ただ哀しみや切なさを感じ取れる程度であった。

(そういえば、ここに来てからだったな。この夢を見るようになったのは。一体、誰なんだろう・・・)




 祐二が最初に疑問を抱いたのは、涸れた井戸を見た時だった。前日見た時は、他の井戸と変わらずに水で満たされていたのに、次の日には、まるでずっと前からそうであったかのように罅割れて、乾いた石の隙間に雑草が芽を出していた。アイシャに「この井戸昨日まで水出てなかったか?」と聞いてみても、「何言ってるのさ。これは前から涸れてたよ。」と当たり前のように返されて、勘違いだったのだろうかと思いながらも引っかかるものを感じていた。

 ところが更に次の日に見ると、その井戸はまた豊かに水を湛えていたのだ。「絶対昨日は涸れてたよな。」と同意を求めたのに、アイシャは「何言ってるの。涸れた井戸に水があるわけないだろ。」と笑い飛ばした。祐二は、今度こそ、おかしいとはっきり感じた。


 同じようなことはその後も何度か続いたが、その対象は、他の水路だったり、ボロだと思っていたのが一夜で綺麗になっていた家だったり、逆に一夜で廃墟になった建物だったりした。疑いだすと初めて見えてくることがあるもので、町の中のどこかが毎日変化していた。それも、月日が経つと共に起こる仕方のない変化ではなく、あり得ないと思える類の変化だった。そしてそれに対するアイシャの感想は、常に、前からそうだった、というものだったのだ。アイシャだけでなく、カイも、ハシュラムでさえ、祐二がおかしなことを言っているという反応をした。

 おかしいと思ったのはそれだけではない。彼らの感じるもの、温度と物の味を、祐二は感じないのだ。昼の暑さも、夜の寒さも、水や湯の違いも、茶や食べ物の味も、祐二には分からなかった。冷たいはずの井戸の水も熱いはずの湯も、祐二にとっては生温かったし、何を食べても固さの違いが分かるだけであまり味がしなかったのだ。最初は、彼らの感覚が祐二よりも鋭いのだと思うことで納得していたが、町の景色に疑問を抱いてからは、それもおかしなこととして祐二の気に止まることになった。

 市からの帰りに、前日まで何もなかったはずの広場に見たこともない建物を見つけるに至っては、つい風王に耳打ちせずにはいられなかった。この日、風王は珍しく祐二達について来て、市の賑わいに負けないように声を張り上げている祐二の後ろで、じっと通りの様子を眺めていたのだ。

「この町、なんか変だと思わないか?」

 風王は僅かに視線を滑らせて祐二を見た。

「ようやく気付いたか。」

「・・・というと?」

 風王は通りを行き過ぎる人に視線を投げた。

「この町だけではない。奇妙なのは、この世界そのものだ。」

「・・・世界全部がおかしいのか?」

「どこまで行っても砂ばかり。この世界は全て砂漠で覆われている。」

「そういえばハシュラムもそんなことを言っていたような・・・でも、なんであんたがそんなこと・・・」

 知っているのかと言いかけて、口を閉ざす。そういえば、風王はここに来た日からしょっちゅう姿を消していた。風の気まぐれかと思っていたが、世界中を飛び回って様子を見ていたのだ。しかし問題はそこではない。

「砂漠ばっかりだと何が問題なんだ?」

「偏りすぎている。偏ったバランスの上では、成り立つはずがないのだ。それに、この世界には歪みを感じる。」

 風王の話は、全く言葉が足りず説明不足で、何が言いたいのか祐二にはさっぱり分からなかったが、何か考えるところがあるのは確かで、今はまだそれを言う気がないのだと判断して、それ以上のことを訊くのは控えたのだった。




 少しずつ色を入れ替えながらも消えることのない淡い光。弱々しく頼りなげに囁く声。それは下を漂っているようでもあり、上から降ってくるようでもあり、すぐ傍から聞こえたかと思えばすぐに遠のく。それでも何と言っているのかは分からず、知らない国の言葉かとも思われた。その中で、祐二は空気の中を漂っているような、波間を揺られているような、ふわふわした感覚の中にいた。

(ああ、また、あの夢か・・・)

 まどろみの中のぼんやりとした意識の中でそう意識すると同時だった。

「・・・私・・を・・・」

(え・・・?)

 祐二はゆっくりと首を振り向けた。囁き声の中に捕らえた、最初の言葉だったからだ。

(何だ・・?何が言いたいんだ?)

 囁き声はまた祐二に聞き取れなくなって夢の中を漂い、さっきの言葉は気のせいだったのかと、思ったその時だった。

「消えて・・・しまうのか・・・」

 切なく哀しみに満ちて、絞り出すような声が聞こえた。

 と同時に祐二は目を覚ましていた。最後の声が残した感情の余韻を感じながら、ゆっくりと瞬きをする。薄暗い部屋の中に、窓から赤味を増した明かりが差し込み、通りのざわめきが風に乗って届いている。もう夕方になっているらしい。そういえば今夜は夜通しの祭りがあるから昼寝をしておけと言われて、そうしていたのだった。

 薄暗い部屋の中で、不似合いに明るい気配が身じろぎをする。この部屋に腰を落ち着けている風王を見るのは、珍しいことだった。風王は端正で無表情な顔を祐二に向けていた。

「何を聞いた?」

 風王は、祐二が夢の中で聞いた声のことを知っているのだろうか。知っているのかもしれない。風王の考えることは、人には計り知れないことだから。だから祐二は、素直に答えた。

「消えてしまうのか、と。・・・私はこのまま、消えてしまうのか、と言ってた。誰かは分からない。ここに来てから、ずっと見てるけど、はっきりと聞いたのは初めてだ。」

 風王に負けず劣らず説明不足だが、彼女にはそれで充分だったようだ。

「そうか。」

と言って、何も窺わせない顔のまま、祐二から視線を外した。




 日が完全に落ちる前に、賑やかに呼びに来たカイとアイシャにくっついて、二人は広場に向かった。家に篭っていたがったハシュラムも、アイシャが強引に引っ張ってきたので、ちょっと落ちつかなさそうではあるが、一行にぴったりとくっついてきている。詳しい内容は聞きそびれたが、どうやら火の祭りであるらしい。

 町の中心になる広場には、いつの間に作ったのかと思うほど大きな祭壇が据え付けられていて、その周りを囲むように幾つも火が灯されている。特に格式ばった儀式や段取りがあるわけではないらしく、祭壇の油皿に火が灯されると、それが祭りの始まりだった。

 腹に響くような太鼓と囃し立てるような笛の合奏が始まると、自然と火を囲んだ踊りが始まる。踊りに決まった型はないようで、皆が思い思いに手を鳴らし、口笛を吹き、足を踏み鳴らし、大声で叫んだり飛び跳ねたりしている。そのうちに酒の飲み比べや喧嘩、火を飛び越える競争が始まったりして、祐二はいつの間にかその中に溶けこんで、見も知らぬ男達と肩を組んで騒いでいた。


 祐二が一息入れようと、アイシャと風王がいる広場の外れにやって来た時には、夜は大分更けていたが、子供の数が少なくなったくらいで、祭りの熱は一向に覚める気配がなかった。頬を紅潮させてやって来た祐二に、アイシャは屈託のない笑みを投げかけた。カイはアイシャの隣に座って重くなってきた瞼を閉じまいと葛藤している様子で、祐二の気配に一瞬目を覚ましたように身じろぎしたが、またすぐに首を垂れたり上げたりを繰り返し始めた。ハシュラムはすぐ近くで、ふさふさと髭を生やした中年の男性と話し込んでいた。目の輝き具合からすると、考古学関係の話らしい。風王は、祭りの熱気にも関わらず、いつもと変わらない冷めた目で広場の騒ぎを見つめていた。

 祐二はアイシャに渡された杯に入っている飲み物を一気に飲み干した。おそらくは酒だと思われるのだが、味の分からない祐二には水を飲んでいるほどの感触もない。続いて渡された食べ物も、見た目にはとても美味しそうなのだが、期待するような味は全くせず、綿でも食べているような感じで、いつもながらにがっかりさせられるのだった。

「どう?」

 祐二は肉入りパンを頬張りながら、アイシャが訊いたのは祭りの感想だろう、と考えた。

「ん・・・面白いよ。楽しい祭りだな。」

 アイシャは嬉しそうに笑った。

「でしょ?この町は年中お祭りみたいなもんだけど、火の祭りはまた特別だよ。」

「・・・だな。」

 最後の一欠片を飲み込みながら同意する。アイシャは微笑を浮かべながら、火が映えてきらきら光る眼で、踊り続ける人の輪を見つめた。

「火を見ているとさ、気分がこう、盛り上がって来るんだ。ワクワクするっていうのかな。何も考えないで、ただ楽しんでいるから、みんなの顔もすごくいい。・・いつまでも続いたらって思うよ。」

 勝気で元気で、いつも怒鳴るようにしゃべるアイシャが、いつになく静かに話すので、祐二もついしんみりしたい気分になった。賑やかな祭りの中で、或いはその後で感じることのある、あの空虚な気分だ。だがそれも長続きはしなかった。氷水のような、冷めた声が聞こえたからだ。


「偽りだ。」


 アイシャは微笑みの余韻を残しながら不思議そうに、祐二は軽い驚きを持って声の主を見つめた。透き通るような肌と瞳を炎の赤が照らし、頭に巻いた白い布から流れる長い髪が、これも炎に照らされて赤く燃え、ちょっと見ただけでは炎の精にも見えるが、瞳に宿る怜悧な輝きと、周りで踊る青の粒子が、そうではないことを告げている。風王は、冷ややかな調子で言葉を継いだ。


「全ては偽り。ただの幻だ。」


 悪意のある冷たさではなかったが、高揚した気分を静めるには充分だった。

 ふと、祐二は音が止んだことに気付いた。何気なく広場を振り返って、思わず息を飲む。太鼓も笛も止み、踊りは止まり、広場にいた人間が全員、人形のように立ち尽くして感情のない顔を風王に向けていたのだ。普段は気弱に笑っているハシュラムも、たった今まで寝ていたはずのカイさえも、無感情な目で風王を見ていた。祐二は背筋が寒くなるのを感じた。こんな目を向けられたら、自分なら耐えられずに逃げ出すに違いない。

 だが風王は、冷たいまでに冷静に、それら全てを受け止めていた。


「お前達はすでにない。過ぎた夢を見ていても、何にもならぬ。いつまで続ける気だ?」


 風王の透明な声が響き、一瞬の間をおいて、祐二は目を見張る事態を見ることになった。

 広場にいた人々が、カイも、ハシュラムも、アイシャも、それどころか広場を囲む建物までも、サラサラと砂の像のように崩れていくではないか。驚く間もなく、祐二は突然現れた大量の水に押しつぶされた。慌ててもがいていると、次の瞬間には風王と一緒に空中高くに飛ばされ、今までにないほど豊かな色彩を見せる光景を見下ろしていた。青く澄む空に筋雲が走り、鮮やかな緑と黒々と深い森を縫って走る川に、日が反射して金色に輝いている。祐二の視線はぐっと地上に近づいたり、また空高くに舞いながら、次々と通り過ぎる景色を見つめた。草原を走る獣の群れ、木を組み立てて造った村、石とレンガを積み上げた都市、激しく吹き荒れる嵐、暗い夜空に瞬く星、暑く照る太陽、大気を揺らす熱した砂漠、穏やかにたゆたう河、それらが次第に速度を速め、現れては飛び退って消えていく。自分が飛んでいるのか、景色が飛んでいるのか、やがて景色が目に止まらないほどの速さになって光の塊になり、それすら目に止まらなくなって目の前に強烈な白い光が現れた。

 と同時に動きが止まり、囁くような声が聞こえてきた。夢の中で聞き慣れたあの声だったが、今度は、何を言っているのか、はっきりと聞こえた。

 声は嘆いていた。そして悲しんでいたのだ。


――― 一体どれだけの月日が経ったのだろう。こうして無為の中で時を過ごすようになってから。かつての私は多くの喜びに満ちていた。水は豊かに、森は輝き、命が溢れ、子供達の笑顔が溢れていた・・・。今やその全ては去ってしまった。子供達は死に絶え、私は孤独な静寂のうちに時を過ごし、そして・・・僅かに残されたこの命さえも消え行こうとしている。私はこのまま消えてしまうのだろうか。全てを失い、誰の記憶にも残されず・・・消えて、しまうのだろうか・・・ ―――


 それが最後だった。気がついた時には、急に色を失って灰色がかった世界にいて、祐二は最初にここに来た時のように、乾き切って崩れやすい砂の上に、呆然と座り込んでいたのだった。

 祐二は呆気に取られてゆっくりと周りを見回した。砂の中から傾いた石の柱やレンガの壁の一部が見えて、廃墟の中にいることを示している。手の下の砂をどけていくと、さっきまで腰掛けていたはずの、広場の石段の一部が出てきた。


―――全ては幻

 風王が言ったのは、こういうことなのか。

―――おまえ達は、既にない


 そう、確かに彼らは、既になくなっていたはずのもの。砂漠の都市も、そこにいた人たちも、存在してはいなかった。この町も、台地の上の遺跡と同じように、とっくに廃墟になっていたのだ。祐二は説明を求めて、傍らに立つ風王を見上げた。

砂霊(さりょう)だ。」

 祐二の心を察したように風王は言ったが、その目は祐二を見てはおらず、色を失った世界を見つめていた。

「砂霊?なんだ、それ?精霊の仲間か?」

 それにしては、聞いたことがないと思った。精霊のことは風霊たちに大体聞いている。案の定、風王は否定した。

「いいや。精霊ではない。砂霊というのは、残留思念のようなものだ。この世界が最後の輝きを見せていた頃の記憶を、我々に見せたのだ。滅びゆく予感を持ちながらもそれを拒絶する、強烈な残照のような記憶を。」

「残留思念・・・」

「この世界は死にかけている。命の気配は全く感じられない。養う力を、とうに失くしてしまったのだ。精霊もここからは去っている。そのために炎は熱を失い、光と闇は混ざり合い、風は澱み、森は消え、水は涸れ、大地は何も生み出さなくなった。」

「なんで・・・」

「寿命だ。全てのものには、寿命がある。だが、この世界は、ただ消えていくことを良しとしなかった。誰かに知っていて欲しかった。それでお前を呼んだのだ。」

「俺?・・・なんでだ?」

「この世界の者は、全て死に絶えてしまったからな。他の世界から呼ぶしかなかったのだ。呼びかけに答えたのが、お前だったのだろう。」

 祐二は、灰色に沈んでいく砂の大地に目を落とした。もはや砂漠は、その黄の色さえ失っていくところだった。生気を失っていく世界の色は、どこか見覚えのあるものだった。

「・・・あの猫か。」

 街角で見つけ、路地裏に追っていった猫の色が、確かこんな感じではなかったろうか。あれが、この世界の呼び掛けだったのだろうか。

 風王が片手を翳し、周囲を舞う青い光がその強さを増して踊る。

「目的を果たして、いくらか気がすんだはずだ。お前の世界に、帰るぞ。」

「え?・・・・あ、ああ。」

 どうやら頭はまだ呆けたままでいるらしく、元の世界に帰る、と言う当然の言葉にすぐに反応出来ずにいた祐二だったが、それを理解すると慌てて立ち上がった。

 風王の光が輝きを増す毎に周囲の灰色が渦巻き、その中心に青い光が現れて、直に、青く渦巻く風の道となった。




 路地裏から街へ戻ると、祐二はゆっくりと見慣れた通りを見渡した。左手に嵌めた腕時計を見て日時を確認する。何も変わっていない。日にちも時刻も街の風景も、祐二の服装も。変わっていたのは、路地裏から猫が消えていたことくらいだ。人の流れの中に混じり、共に流れながら風王との会話を思い出す。


―――俺のいる世界も、いつかはああなるのか?

―――寿命が来ればそうなる

―――寿命って、どれくらいだ?

―――決まっているようで決まってはいない。永らえるのも、縮めるのも、住まう者による。

―――・・・俺たちは、縮めていると思うか?

―――・・・・・お前は、どう思う?


 風王は否定しなかったし、祐二も違うとは言えないと思う。

 車道と歩道を区切るように植えられた街路樹から、すっかり涸れて茶色になった葉っぱが、ひらひらと植え込みに舞い落ちる。前に刈られてからやや時間の経っている植え込みは、枝の伸び具合に差が出て凹凸になり、頭上から降ってくる枯葉を受け止めて少し汚れて見える。踏み固められた僅かな土地を与えられて生きているそれらに、自然に生えた木々のような元気がないことは祐二にも分かっている。それでも・・・祐二は立ち止まって、ほとんど葉を落として寒そうに枝を曝している木を見上げた。

 少し前に比べたら、良くなっているのではないだろうか。気にかけている人間は、増えてきているのだ。もちろん精霊にとっては全く満足できないことに違いないのだが。

「まあ、そう捨てたもんでもないさ。・・・そう思わないか?」

 どこかで風が聞いてくれることを期待して呟くと、また忙しい人々の流れの中へと、歩き出したのだった。



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