表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

砂霊(さりょう)(1)

「瑠璃の鳥」の三年後のお話です。大学生になった裕二は、ある日、異世界に迷い込みます。でもそこは、どこか変で・・・

25000字、50分ほど

 一体どれだけの月日が経ったのだろう。こうして無為の中で時を過ごすようになってから・・・。

 かつての私は多くの喜びに満ちていた。子供達の笑顔。命の光。輝ける日々。

 今やその全ては去り、手足は萎え、眼は曇り、わずかに残された命さえも消えゆこうとしている。

 私はこのまま消えてしまうのだろうか。全てを失い、誰の記憶にも残されず・・・?

 もう一度・・・もう一度、あの輝きを・・・あの日々を・・・




「・・・一体ここは、どこだ・・・?」

 目の前に広がるのは一面の砂漠。視界の隅から隅まで、地平線に至るまで全く変化することのない黄色の世界。心なしか、空まで黄色く煙って見える。


 武野祐二は呆然と座り込んでいた。ついさっきまで、彼は東京のど真ん中にいた。砂漠とは何の関係もない雑踏の中を歩いていたはずなのだ。

 切っ掛けはおそらく、黄灰色の猫だ。どこからともなく飛び出して来て、祐二の目の前を横切っていった猫。すぐに横手の路地に入ってしまったが、一瞬目が合ったのが気になって路地を覗き込んでみると、猫も振り返って祐二を見ていた。

 すらりとしたしなやかな体つきをしているが、毛並みはあまり良くない。野良猫だろうか。

 少しだけ躊躇って、そっと路地に踏み込んでみたが、猫は逃げようともせずにじっと祐二を見上げている。さらに近づいて見ても、やっぱり逃げない。もう少しで手が届きそうだと思った時、突然眩暈がして世界が反転し、気がついたらこうして砂の上に座り込んでいた。

 何が起きたのか理解できず、再び祐二は呟いた。

「一体ここは・・・・どこなんだ?」

 答えが返ってくることなど期待していなかったが、そうとしか言いようがなかったのだ。


「砂漠だな。」

 透明な声が後ろから降ってきた。あまり驚かなかったのは、それが聞き覚えのあるものだったからだ。首だけ曲げて振り向くと、青い光を纏った人影が宙に浮いていた。ガラスを想起させるような、透き通るように白い肌と華奢な体つき。彫像のように整った顔立ち。腰まである薄い青の髪と、同色の瞳。横に長く伸びる尖った耳。思った通りだ。

 何も言わずにボンヤリと見ている祐二を見下ろして、相変わらずにこりともせずにその人影は口を開いた。

「どうした。私を忘れたのか?」

 硬い感じのする透明な声も相変わらずだ。祐二はニッと笑った。

「まさか。」

 ようやく腰を上げて砂を払うと、その人に向き合う。


 忘れるはずがない。祐二が初めて彼女に会ったのは、もう随分前、小学校に上がる前のことだった。幼かった祐二に、彼女は一つの約束をした。数年後、成長してもなお彼女を見ることが出来たら、ある力を与えるという約束だ。幼い頃に見ることが出来ても、成長すると見なくなる者が多いからなのだが、十数年後、高校三年になった祐二の前に、再びその人は現れた。

 もちろん彼女は人ではない。風の精霊、それも、一族を統べる王だった。風王は約束どおり、祐二に力を与えた。人間がとうに失くしてしまったもの、風霊と自由に交信する力を。

 それが、三年前のことだ。

「久しぶりだな。あれからあんた、ちっとも姿を見せないんだ。」

「精霊王がそう簡単に人の前に現れるものではない。」

 風王は、ふわり、と髪をなびかせ、青い光の粒子と共に地面に降り立った。

「そうらしいな。風霊達もそう言ってたよ。」

 親しげな笑みを見せる祐二に対して、風王は全く興味がないかのように軽く視線を走らせるだけで、微笑みすらしない。だからといって祐二が気を悪くすることはなかった。風霊達から、そういうものだと聞いていたからだ。冷静沈着で怜悧、情に薄いわけではないが感情に乏しく、特に人間に対しては滅多に笑みを見せない。風王はそういう者なのだと。


「ところで、あんたどうしてここにいるんだ?ここ、どこか知ってるか?」

 真面目な顔に戻って訊ねる祐二に、風王は素っ気無く答えた。

「お前の世界とは、別の世界だ。」

「・・・」

 答えになっているような、いないような、である。困っていると、風王は後ろを振り返って地平線を指差した。

「町があるようだ。行ってみるか?」

 風王の指し示す方向を見てみると、そう遠くない所に城壁らしきものが見える。周囲の砂と同化して見えなかったが、気がついてみると今まで気づかないでいたのが不思議なくらいはっきりとしている。よく見ると、全く変化がないように見えた景色の中にも、道のような筋があり、人や家畜の影が動いているのが分かる。

「そ・・・だな。・・・行ってみるか。」




「意外と近かったなあ。」

 城壁の入口に辿り着いた祐二は、壁を撫でたり軽く叩いてみたりした。固い石の壁は、外からは砂が吹き付けて黄色く見えたが、中に入ってみると白かった。

 門を潜り抜けて町に入ると、途端に雑踏の喧騒が二人を包む。髪の色も目の色も様々な人々が行き交い、談笑したり、品物を挟んで何か大声で言い合ったりしている。体格も服装も様々で、色々な国の人間が集まっていることを推測させる。

「へえ・・・結構賑わってるんだなあ。」

 物珍しげに周囲を見回している祐二の後ろで、風王は冷静な眼差しを通りに向けている。いつの間にか白い布を頭に巻いて、長い耳を隠している。精霊の姿は普通人間には見えないものだが、中には祐二のように見える者もいる。面倒な騒ぎは困るのだ。

 町の中には水路が流れ、背の高い木が所々に見え、あちらこちらに鮮やかな色の花が飾られている。白い石造りの建物や赤茶色の日干しレンガで作られた建物が建ち並び、それらの色が違和感なくおさまって、美しい調和を見せていた。

「おわっ!」

 何かが思いきり腰の辺りにぶつかってきて、祐二はバランスを崩して地面にひっくり返った。

「いっ・・・・・」

「いってえな!離せ!離せよ!」

 祐二が起き上がるより前に、子供が喚き散らす声が聞こえた。痛いのは俺だ、と思いながら顔をあげると、十歳位の男の子が風王に片手を捕まれてじたばたしていた。全く、あの華奢な体のどこにそんな力があるんだか。あれだけ暴れている子供を苦もなく片手で抑えているんだから。腰を擦りながら立ち上がって、ふと、あることに気付く。

(・・・つーか、姿見せてる?・・・見えてるよな、ここにいる奴全員。)

 精霊の姿が大抵の人間には見えないものだということは、祐二の中ではもう常識になっている。しかしその場に居合わせた野次馬たちは、間違いなく風王に視線を向けていた。人に姿を変えるか、意識して姿を見せようとでもしない限り、そのようなことはないはずなのだが。

 首を傾げている祐二に、風王が何かを投げて寄越した。見覚えのある黒い長方形の物体。

「・・・ああっ!これ俺の財布!・・・ええ!?い・・・いつの間にっ!」

「ちっくしょう!離せ!離せったら!」

 盛んに喚いて暴れる子供を見て、ようやく事の次第を理解した祐二の胸に、じわじわと怒りが沸き上がってくる。

「お前か!俺の財布盗りやがったのは!」

「うるせえ!ボヤボヤしている方が悪いんだ!」

「何だとっ!」

 全く悪びれる様子のない子供に、更に怒りが込み上げてきたところに、風王の冷めた声が水を差した。

「あの財布を()っても意味はないぞ。あの中に入っている金は、ここでは役に立たないからな。」

「・・・・・いや、そういう問題じゃないだろ。」

 毒気を削がれて気が抜けたところへ、突然横から割って入った大声に、思わず財布を取り落としそうになる。

「カイ!!!」

 一瞬子供の動きが固まり、表情が強張ったかと思うと、更に激しく暴れだした。が、風王は眉一つ変えない。

「は~~な~~せえ~~~~!!」

「そこの人!その子離さないで!」

 そう言うと大声の主はつかつかと人ごみから歩み出てきた。若い女性だ。祐二よりも若いかもしれない。癖のある黒い髪を後ろで高く纏めて白っぽい薄布で覆い、質素な髪飾りをつけている。服装は女性らしいしなやかな線が目立つが、きりっとした目元といい表情といい、気の強さが良く現れている。その女性は腕に抱えていた籠を無言で祐二に押し付けると、大股で風王に捕まれている子供に近づいていった。

「カイ!あんた何やってんの!」

「うわあ、姉ちゃん、ごめんよ~。」

 片手を振り上げて今にもひっぱたきそうな勢いだ。今まで全く反省の色を見せなかった子供が、よほど怖いのか必死になって謝っている。一頻(ひとしき)り叱り付けると、ようやく女性は祐二に向き直った。

「悪かったね。これ、あたしの弟なんだ。まだ子供でさ。許してやってくれる?」

「え・・・ああ、うん。」

 許すも許さないも、勢いに圧倒されて怒りも覚めていたので、言われるままに頷く。女性は明るく笑って言った。

「お詫びと言っちゃ何だけどさ、うちに来ない?お茶くらいご馳走するよ。」

「え、いや別に・・・」

「そっちの人もおいでよ。こっちだよ。」

 風王にも声をかけて、祐二が別にいいと言いかけているのを聞こうともせずに、さっさと歩き出して行ってしまう。

「いや、あの・・・」

 もごもごとしている祐二の声など全く聞いていない。それどころか、隣を歩いている弟を小突きながら、

「全く馬鹿だね、スリなんて。やるんならもっと上手くやりな。」

などと言っている。

「・・・そうじゃないだろ。・・・それに・・・」

 押し付けられたままの籠に目を落として、

「・・・この荷物、俺が持ってくのか?」

ぶつぶつ言っていると、横に風王が立った。

「行くのか?行かないのか?」

「・・・行くよ。」

 諦め顔で溜息をつき、人ごみの中で姉弟を見失わないようにしながら歩き出す。

「なあ。」

 少し声を潜めて風王を見る。

「あんた、姿見せてるのか?」

「・・・今はな。」

「・・・いいのか?」

「ここの人間は髪の色も目の色も様々だ。困ることはなかろう。」

 何か問題か?と言うように、澄んだ青の瞳を向けてくる。

「・・・そんなもんなのか。」

 少し拍子抜けしている祐二の横で風王は沈黙する。本当は、町に入った時から感じていた。姿を現していないのに、見えている。しかしそれは、あり得ないことだった。精霊が人の前から姿を消すようになって以来、精霊の方から姿を見せようとでもしない限り、人が精霊を見ることはない。中には見える者もいるが、それは極僅かな例外だ。このように多くの人間に見えることなど、あり得ない。




「散らかっているけどさ。入って。適当に掛けてよ。」

 日干し煉瓦で出来た質素な建物。部屋の中は決して広くはないが、物が少ないので暮らすに不自由はないようだ。壁は、大きな壁掛け以外に飾りはなく、生活用品がほとんどを占めている。床は土が剥き出しで、固くなった地面の上に古びた絨毯が敷いてあり、その上に直に座ったり物を置いたりするようだ。部屋の中は日が遮られ、少しひんやり・・・しているのかと思ったがそうでもない。家の外と中であまり気温に差はなかった。そこで初めて気付いたことがあった。

 そもそも外が暑くなかったのはなぜだろう。

 祐二は晩秋の東京にいた。だから長袖のシャツに厚手の上着を羽織っている。なのにちっとも暑いと感じなかったのだ。

(砂漠って・・・暑いはずだよな?・・・)

 不思議に思いながら、そこら辺に転がっているクッションを拝借して腰掛け、部屋の様子を眺めていると、しばらくして奥の部屋から、湯気の立った入れ物と食べ物の載った平たい皿を持って二人が戻ってきた。陶器の器が置かれ、その中に半透明な黒っぽい液体が注がれる。仄かに甘い、独特な香りが漂って気分を落ち着かせていく。口に含んでみると、思ったほど熱くない。色や香りに比べると味は今一つハッキリせず、甘いのか苦いのか良く分からない。皿には平べったいパンの様な物が載っていた。堅パンのようで、よく噛んでいると微かに甘味を感じるが、とにかく堅い。風王は茶の注がれた器と皿の上のパンをしばらく眺めていたが、やがて手を伸ばしてそれらを齧り始めた。

「あたし、アイシャ。こっちは弟のカイ。」

 茶の入った器を手に取ると、女性は(おもむろ)に自己紹介を始めた。ボンヤリしていた祐二は慌ててパンを飲み込んだ。

「あ、俺は祐二。こっちは・・・えと・・・」

 言い澱んでちらりと風王を見る。普段は“あんた”と呼んで全く遠慮がないように見える祐二も、名前には気を使っているのだ。名は存在を縛る。何の力もない人間や、力の弱い精霊ならば構わないが、何しろ風を統べる存在だ。そう簡単に本当の名前を教えるわけにいかない。祐二が困っているのを悟ってかどうか、風王が短く答えた。

「カザミ。」

 アイシャは名前が分かればそれで良いらしく、二人の格好や雰囲気を見ても、二人がどこから来て何をしているのかといった細かい事を訊こうとはしなかった。アイシャは思った通り、祐二より年下だった。にも拘らず圧倒されたのは、アイシャが早くに両親を亡くして以来、弟と二人で頑張ってきたせいなのだろう。

「あんた達、外国の人だろ?泊まるとこ決まってるの?」

「え・・・?」

 そんなことは全く考え付きもしなかったのだが、そういえば、どうやってここに来たのかも分からなければ帰る方法も分からない。いずれは帰れるつもりでいるが、いつになるのか分からないのだから、寝泊りする所は見つけておいた方がいい。

「いやあ・・・全然。」

「じゃ、うちに泊まりなよ。大したことは出来ないけど。」

 見も知らぬ人間に、あっけらかんとそんなことを言うアイシャは、恐いもの知らずというか肝が座っているというか、祐二は半ば呆れていたが、有難い申し出ではあった。異世界の人間である祐二には、当然この世界に知り合いなどはなく、ここで使えそうな金銭もない。無料で泊めてくれると言うならこんなに助かることはないのだ。風王が知らん顔をしているので、祐二は自分の一存で、ありがたくその勧めに従うことにしたのだった。




 夜、町を囲む城壁の上に立つ人影があった。青い光の粒子がその周りで踊っている。

 日が暮れても町は相変わらず賑やかで、この町が眠ることなどないように思われた。空は日が暮れてしばらくしてからも常に薄い光が満ちていて、完全な闇に沈むことはなく、そのために星もはっきりと見えてこない。

 空を見上げながら、風王の形の良い眉が僅かに寄せられる。

 この世界は知らない。精霊の秩序は様々な世界を支配しており、風王はその全てを知っている。しかしここは初めてだ。普段なら、初めての場所にいきなり入り込みはしない。ここにも、祐二が空間の裂け目に落ちるのが見えなければ飛び込んでくることはなかっただろう。

 この世界に来た時から感じる違和感と不快感。風を統べ、自在に操る力を持つはずの彼女が、ねっとりと絡みつく空気に阻まれて思うように扱えない。

 周りを飛び交う青い粒子が大きく波打った。青い輝きから流れ出る清浄な空気が体を持ち上げる。自らの生み出す風に乗って、静かに宙に飛び立った風王に気付く者は一人もいなかった。


 静まらぬ喧騒、消されぬ灯火。砂漠の町は、大海に浮かぶ船のように輝いていた。






 アイシャが寝室にと宛がってくれたのは二階の一室で、納戸代わりに使っている部屋らしいが、物が少ないので二人くらいは余裕で寝られる。夜になっていつの間にかいなくなっていた風王は、夜が明けて祐二が目覚めた頃には戻ってきていた。


「どうやって着るんだ、これ。」

 あんたの服動きにくそうだから、とアイシャに渡されたのは、何枚かの大きな布で、あまり服の形を成していない。自分で上手い具合に巻きつけたり羽織ったりして着るものらしいが、そんなもの、何の説明もなく一人で出来るわけがないのだ。カイに笑われながらもようやく着終えてみると、全体的にゆったりとはしているものの、腕も足もすっぽりと覆われて、服の外に出ているのは顔と手くらいしかない。

「何だ。結構厚着だな。砂漠って言っても、世界が違うと暑くないもんなんだ。」

 一人で納得していると、窓枠に腰掛けて往来を眺めていた風王がゆっくりと顔を向けてきた。

「砂漠は昼夜の気温差が激しい。夜の寒さと厳しい日の光を避けるために肌は覆い、風を通すためにゆったりした服を着るものだ。お前の世界でも砂漠に住む者は肌を曝さないものだろう。」

 淡々とした口調だが、無表情なものだから、説明してくれているだけなのか、馬鹿にされているのか分からない。何となくその視線には呆れている雰囲気があり、もごもごと言い訳をしてみるが、きっと全く聞く気はないのだ。さっさと通りに眼を戻してしまっている。

「これだから風って奴は扱いにくいんだ。」

などと小声で文句を言いながら階段を降りて、居間兼食堂に向かう。

 しかし、だ。

 ふと立ち止まり、着ている服に眼を落とす。これが砂漠用の服装だというのなら、昨日着ていた服と大差なく感じるのは、なぜなのだろう。

 家の中だからだろうか。外に出て日の光を浴びてみれば分かるだろうか。そう思って、祐二が玄関の戸に手をかけようとした瞬間、戸が勢いよく開いて誰かが飛び込んできた。危うくぶつかりそうになって、驚いて飛び退く。

 飛び込んで来たのは、祐二とそう変わらないくらいの若い男で、あまり逞しいとはいえない体格の、人の良さそうな小さい目をした奴だった。嬉しいことでもあったのか、ひどく興奮して何か喚きながら部屋中を歩き回ったり手を振り上げたり、祐二をゆさゆさと揺すったりしている。あんまり早口で捲くし立てているので、何が言いたいのかサッパリ分からないが、“すごいぞ”を連発しているのと、“遺跡”という言葉は聞き取ることが出来た。男の興奮はなかなか覚めず、しまいには祐二の両手を取ってぶんぶん振りながら、

「すごいだろ?な?すごいだろ?」

と詰め寄ってくるので、思わず

「ああ!すごいよ!すごいな。すごい・・・のか?」

と相槌を打っていると、そこではたと気がついたように動きが止まった。そして、黒丸のような小さい眼でまじまじと祐二を見つめ、

「ところで君、誰?」

とのたまったのだ。

「・・・・・・お前な。」

 こめかみが引き攣れていくのを感じながら、お前こそ誰だ、と言いかけたところでカイがやってきた。祐二の両手をしっかりと握り締めたままの若い男を見て、「あ、やっぱりだ。」と笑っている。

「知り合いか?」

と訊ねると、カイは笑いながら説明してくれた。

 それによると、そいつは隣に住んでいる自称考古学者で、名前はハシュラム・アル・クム。両親はもういなくて、一人で暮らしているらしい。遺跡の発掘やら調査で家を空けることが多く、家にいる時も古文書の解読やら研究やらで夢中になると睡眠も食事もそっちのけになるので、しょっちゅうアイシャが世話を焼いてやるのだそうだ。まあ、さっきのはしゃぎっぷりを見たら、容易に想像できることではある。

 成り行きで連れて行かれたハシュラムの家は、紙で溢れかえっていた。大して広くもない部屋という部屋に、分厚い本や地図や壊れかけた壺の類が(うずたか)く積み上げられ、その中にようやく人一人が座れる程度のスペースが空いている。部屋そのものはアイシャの家とほとんど変わらない造りだが、物が多すぎるので狭苦しくて敵わない。

(俺の部屋よりすごいな・・・)

 祐二もあまり整理をする方ではないが、ここよりはマシだ。どんなに散らかしている友人の家よりも、ハシュラムの家の散らかりようは激しかった。というより、物が多すぎて片付けようがないのだ。ハシュラムは、「そこら辺に適当にかけてよ」と無理なことを勧めてくれた上で、本の山の上に広げてあった地図を持って来て、祐二の目の前に広げて見せた。祐二の見慣れた、簡素な記号で溢れたものと違い、装飾の施された文字や、絵文字のような記号で書かれてあり、昔は彩色されてあったらしく、所々に薄汚れて色褪せた赤や黄の色が見られる。線の擦れている部分や穴の開いているところなどがあるが、大まかには何が書いてあるのか分かる。地図を斜めに横切るように、蛇行する線があって、その線に沿って不自然に大きく描いてある幾つかの建物の絵は、おそらく町だ。同じ建物はなく、それが町の違いを表しているのかもしれない。町と町を結ぶ線はきっと道なのだろう。

「これ、どこの地図だと思う?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ