切り札
大将軍ウォーグバダンは視線をフォルスへと移す。
(彼は彼女たちの纏め役。彼もまた、これほどの? いや、彼は魔王シャーレと勇者レムに勝った男。彼女たち以上の実力を兼ね備えているというのか? 雰囲気からそういったものは感じないが……)
再び視線を少女たちへ戻す。
その中でアスカが高らかに勝利宣言を放つ。
「ワシらの圧勝じゃな! しっかし、雑っ魚いの~。これが魔族の実力者たちか? のう、シャーレ?」
「残念ながら」
「選手層が薄いの~。しかも、フィナクルとやらの力を借りてこの程度。シャーレの苦労がしのばれるのぅ。プ~クスクスクス」
アスカは瞳を三日月の形にして、四騎士たちを小馬鹿にして笑う。
肉の焼き焦げた匂いに包まれるドキュノンはこの侮辱に耐えきれず、奥歯から血を流すほど強く噛みしめてアスカを睨みつけた。
「このガキ! ぶち殺してやる!」
「ほほ~、あれだけぼろ負けしても威勢が良いの~。なかなかの根性者じゃ。褒めてやろう。よしよしじゃ」
「うぐぐぐぐ、がぁぁあぁああぁぁ!」
アスカの煽りに神経を逆なでされ、痛みを忘れて雄叫びを上げるドキュノン。
これにシャーレが苦言を呈する。
「やめなさい。裏切り者とはいえ、かつての部下を悪し様に言われるのはあまり良い気分じゃない」
「おっと、そうじゃったな。少々、言葉が過ぎた。すまぬの、ドキュノンとやら」
アスカは手を縦にして微笑みとともに謝罪を述べた。
別に悪気はないが、これもまたドキュノンにとって屈辱。
彼は銀髪を掻きむしり、つめ先を血に染める。
「くそがくそがくそがくそがぁぁっぁ! はぁはぁ、はぁはぁ……こんなところで退けねぇ。ルフォライグから役目をぶんどって、今回の作戦をフィナクル様に任せてもらったってのによ。悔しいが、こうなったら……」
彼は命を授けられた時のことを思い起こす。
フィナクルを前にして片膝を床につき頭を垂れるドキュノン。
フィナクルは厳かな声を漏らし、嫋やかな御手を伸ばす。
『貴様たちの活躍に期待する。だが、万一勇者が戻ってくるようなことがあれば苦労しよう。故に、これを預けておこう』
過去の記憶は今の思考へと返り、ドキュノンはぼそぼそと呟く。
「俺たちだけできっちり完遂する予定だったのによ……フィナクル様の力に頼っちまうことになった。クク、まぁいい! シャーレぇぇえぇぇ! 蹂躙だとかほざいてやがったよな! だがな、こんなもん蹂躙でもなんでもねぇ! てめぇに本物の蹂躙ってやつを見せてやんよ!!」
ドキュノンは懐から黒い六角の形をした水晶を取り出した。
それを目にしたシャーレが目を見開きすぐさま風の刃を飛ばす。
「あれは!? 間に合え!」
「ぐはっ! へへ、おせえよ」
風の刃は水晶を手にしたドキュノンの腕を切り落とした。
腕は宙を舞い、草原へぼたりと落ちる。
腕の先には、五本の指でしっかりと握り締められた黒色の水晶。
その水晶が地面に触れると同時に眩い光を放つ。
放たれた光は天へ伸びて、何かの絵を描く。
それは平面ではなく立体的な三角と四角を幾重にも重ねた巨大な幾何学模様。
その模様の正体をラプユスが口にして、シャーレが中身を答える。
「あれは……召喚魔法陣?」
「ええ、当たり。そして、呼び出されたのは――古代龍!」
シャーレの呼び声に応えるかの如く、巨大な咆哮が戦場を貫いた。
「グァアァァァァァァアァァアアアァ!」
刃と怒号が飛び交う戦場はしばし舞を忘れ、皆が空を見上げる。
巨大な召喚魔法陣から真っ黒な足が見えた。
足には鉄よりも固いうろこが張り付いており、大樹よりも太い。
続く胴も黒に染まり、いかなる刃であろうと傷つけることのできぬ分厚き肉塊が露わとなる。
ゆらりと降りてくる黒の肉は……頭部を見せる。
漆黒の顔にギラリと輝く黄金の瞳。百の命を一度に食らうことのできる巨大な口。
それは大空にとどまり、鋭い乱杭歯を覗かせた。
そして、地上を見下ろして、再び咆哮する。
「ガァァァァッァァッァァァァアァ!」
雄叫びは戦場にいる者たちの心を恐怖で縛る。
敵味方区別なく、誰もが純然たる恐怖を前にして全身を震えに包んだ。
古代龍と呼ばれた偉大なる龍は地上を這う地虫たちを見下し、瞳を王都へ向ける。
そして、世界を一飲みにせんと巨大な顎を開き、真っ黒な光を収束し始めた。
これにシャーレが言葉を見せて、アスカはラプユスの手を引っ張る。
「封じられていた召喚石を持ち出すなんて。しかも、あの古代龍を完璧に使役している……フィナクル、私が想像しているよりも手強い相手なのかも」
「そんなこと言っている場合ではないぞ! あやつは王都へ攻撃を仕掛けるつもりじゃ。あんなもんぶつけられた日には、王都の結界など紙切れ同然! ラプユス、行けるな!」
「は、はい、きゃっ――!?」
ほとんど返事を待たず、アスカはラプユスの手を握って空を飛翔し、古代龍と王都の射線上で止まった。
アスカはラプユスヘ大声をぶつける。
「ラプユス、結界を張り王都を守るぞ! ワシの力も貸す! まったく、せっかく溜め込んだ力を放出せねばならぬとは!」
「え、はい、やってみます。だけど、普通に私もお空を飛んじゃって、今もお空なのに透明な板みたいな地面がある感覚で何が何だかなんですけど?」
「浮遊魔法でおぬしを包んで一緒に空を飛び、足場は磁場をちょいといじって疑似的な地面を産み出してるだけじゃ! そんなことよりも結界! 結界じゃ!」
この間の抜けた小さき二人の姿を目にした古代龍は嘲りを顎に乗せる。
「がぁぁあぁぁぁぁあ!」
「何が、がぁぁあぁ、じゃ! 若造の分際で! ワシが本調子ならば貴様なんぞ小指で消し飛ばせるんじゃぞ!!」
「あの~、古代龍って一万年以上生きてるんですよ。それを若造扱いって……アスカさん、年いくつなんですか?」
「じゃから、乙女に年齢を聞くのはマナー違反と言っておるじゃろ! それよりも早う結界を生めい。幸い、若造めは射線を遮ったワシらに注目したようじゃ。あやつの力はまっすぐこちらに来るぞ!」
「幸いですかね、それ。とにかく、結界を張ります!」
ラプユスは手にした錫杖を両手で握り締めて前へ突き出し、モチウォンへ祝詞を捧げる。
「二つの神の一柱モチウォンよ。そなたの御手は無辺の空豁。届かざる場所なし。至らぬ場所なし。渺茫たる墻壁を越えし愛の御手を以って羸弱に惑う者たちを守り給え! 端倪の盾!」
――
ラプユスたちの前に水のような透明な液体が集い、それは灰の色を纏う盾の形を模する。
盾となった液体はさらに形を変え、盾の両側に灰の翼を生んだ。
盾と翼には大小様々なゼンマイが埋め込まれており、魔法の盾というよりも機械仕掛けの盾。
アスカはラプユスの背後から今しがた生れ出た盾を見通す。
(液体はただの水ではないな。シリコンオイルを加えてできるER流体? それに何かを混ぜておるのか? これでは魔法というより科学では……トラトスの塔の時も感じたが、この世界は魔導科学を軸に? 魔導科学――科学的価値観に魔導を融合させた技。まぁ、そういった文化圏もまれにあるが――)
ここでアスカはラプユスの力の元を見抜き、黄金の瞳をカッと見開く。
(いや、違う! これは超微細魔導粘性流体!? なんちゅー、古臭い技術じゃ! ワシがまだ概念化しておらず、一なる存在だった頃の技術じゃぞ!!)
彼女はラプユスの盾の姿を余すことなく瞳に映す。
(初期宇宙時代の主流技術とは……そうか、この世界は隔絶せし世界。外と交流がないため、かつての主流技術が残っているのか? となると、思いのほか古い世界となるな。最後にこの技術が確認されたのは五十億年ほど前。それもよりも古い世界? ふむ)
アスカは一呼吸挟み、さらに思考を深く沈めていく。
(超微細魔導粘性流体……液体に魔力を流すことで液体に含まれた超微細粒子に意味を与える技術。この技術には問題がありとっくの昔に失われたが、現宇宙の最先端技術をもってしても再現することのできる世界は数えるほどしかない超高度技術。モチウォンとレペアトなる神を呼称する存在はワシよりも古き存在なのか? はたまた超技術を再現できる天才か……ん?)
頭の片隅に靄掛かったものがある。
(なんじゃ、この記憶は? いかんの~、最近は情報を遮断し整理もおざなりであったため、人のように度忘れが激しくて)
靄に包まれた記憶。それに触れようとしたとき、声が邪魔をする。
「アスカさん! アスカさん! アスカさん!!」
「おお、なんじゃ!?」
「なんじゃ、じゃありませんよ! こんな時にボーっとして! 盾の準備はできましたけど、古代龍の口に集まる~なんでしょうね? 破壊光線? みたいのを防ぐのは難しいかと」
「すまぬ、戦場であったな。あれを防ぐとなるとおぬしだけでは厳しいじゃろうな。ワシも力を注ぐ。形質は違うが単純なエネルギーとして補助は可能じゃろう」
そう言って、アスカは黄金の風を纏い、ラプユスの盾に神の力である神気を注いだ。
堅牢な盾はさらに力を増し、堅強にして堅固となる。
だが――
「アスカさん、これでも……」
「わかっておる」
たとえ、アスカとラプユスの力が合わさろうとも古の龍の一撃は防げない。
龍は巨体を揺さぶり笑う。
「がはははははははぁぁあぁぁ!」
これにアスカは眉を捻じ曲げる。
「まったく、あんな若造如きに舐められるとは! じゃが、これでも初撃は受け止められる。それで十分じゃ」
「え、初撃を凌いでも、続く力の奔流に飲み込まれるのでは?」
「あの小僧の口に集約されている力、見たところ力押しするしか能のない光線のようじゃ。長く生きてあれとは情けないの~」
「その能のない光線でも……」
「な~に、今のワシでも力の流れを操れば方向くらいは変えられる」
「流れを操るって、どうやって?」
「そこはワシに任せておけ」
アスカはラプユスの両肩に手を置く。
「感覚の一部を同調し、おぬしの体を通して魔力の流れを操る。今回はしっかり学ぶが良い」
「よくわかりませんが、アスカさんのお手並みを拝見させていただきます!」
「では、ラプユスよ! 盾を前へ置け! ワシらが背後に置くは、明日を目指して今日を歩む万の命ぞ!」
「はい、如何なる暴虐であろうとも守り切って見せます! さぁ、来い! 古代龍!」
小さき者たちの挑戦状。
古き龍は顎を、天に生まれた裂け目の如く大きく開いた。
その中心に集まる黒の球体にバチバチとした電流音が迸る。
龍が頭蓋をわずかに仰け反り、次には前へ突き出すと、青の空を切り裂く黒色の線が生まれた。
線はラプユスの機械仕掛けの盾へぶつかる。
その衝撃で、ラプユスの体は後ろに押されるが、片足を一歩後ろに置き、これ以上下がることを拒絶し、もう一つの片足を前へ伸ばし踏みしめる。
「あ、あすか、さん。もたない……」
「わかっておる。すでに流れは捉えた。ホイッとな」
ラプユスの両肩に手を置いていたアスカは片手を離して、人差し指と中指を揃えて空へ向ける。
すると、黒の線は盾から逸れ、遥か大空の彼方を目標に変え、青の世界へ吸い込まれていった。
背中越しからアスカの力を感じ取ったラプユスは驚嘆に震える。
「魔力の流れ。複雑で捉えどころのない流れの要を見抜き、それを操るなんて……」
「なかなか愉快な技じゃろ。ほれ、耐衝撃姿勢の用意を。くるぞ」
「は、はい!」
ラプユスはアスカと自分を包む結界を張る。
それとほぼ同じくして、青空に巨大な閃光が走った。
龍の顎が空の彼方で爆発という名の咆哮を生んだのだ。
閃光が人々の視界を奪い、その数秒後に空から全身を押さえつける衝撃が走った。
爆発による衝撃波は戦場にいる者たちを地面へ張りつかせる。
王都の結界の一部は衝撃によって鳴動し、一部にひびが入る。
もし、この力が空ではなく王都で炸裂していれば……。
だが、それを回避した。一度目は――!
ラプユスは緑の光彩で包まれた黄金の瞳を正面に向けて、顔を歪ませる。
「アスカさん、二度目が来ます。だけど、盾を生むのはもう……」
「ふむ、ワシもせっかく溜め込んだ力がすっからかんじゃ。じゃが、時間は稼げた」
彼女は瞳を下へ落とす。
「またもや、おぬしの力を借りることになってしまったの。フォルス」




