カレーを作りたかった
叫び声が聞こえた。
それはそれは大きな叫び声だった。
酷い声だったので、聞き分けられなかったけれど。
喉から金属の味がして、自分が叫んでいたのだと知った。
〜〜〜〜〜
死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死ななないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死ななないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死ななないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死ななないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで
〜〜〜〜〜
ーーー頭の中で無数に唱えた少年の願いは通じず、目の前の命はそこで尽き果てた。
〜〜〜〜〜
ーーー「んじゃあクソ親父、俺は学校行ってくるから、飯とかちゃんと食えよ。」
その時の少年、竜宮コハクは16歳になっていた。
「分かってるっての、ガキンチョは大人の心配している暇あったら勉強しろ、勉強。」
ベットの上から16歳の少年を煽っているのは竜宮コハクの父である。
「...ったく、その足治すまで黙ってろよ。」
「...黙る」
本当に黙ってしまった中年の両足は包帯で巻かれており、立つことすら満足にできない様子だ。
「減らず口が減りゃそれでいいんだ。よし、ネオン。保育園行こうな。お母さんに手合わせて。」
「はーい、お兄ちゃん!」
そう言って兄妹は棚に置いてある、女性の写真の前で手を合わせる。
季節は梅雨で、ちょうど兄妹の母親が死んでから4年ほどだが、3人の生活もかなり板についている様子だ。
「んじゃ行くぞ」
コハクは家を出て、5歳になったばかりの竜宮ネオンをママチャリの後ろに乗せる。
「しゅっぱーつ!早く早く〜!」
急かされてコハクは苦笑するも、ペダルに足をかけ、漕ぎ出す。
〜〜〜〜〜
ーーー毎朝、3人分の朝食と兄妹2人分のお弁当を作り、ネオンの保育園の送り迎えをし、学校では勉強ができないタイプの陰キャとして過ごす。そんな習慣を始めたのは、高校入学と同時期に2人の父がネオンを迎えに行く途中で事故に遭い、両足を骨折した事が原因である。父子家庭である竜宮一家では、基本的に父が仕事も家事も子供の世話も全て担当していたのだが、立てなくった父の代わりにコハクがそのうちの3分の2を代行せざる得ない状況なのだ。
文字に起こして他人が聞くとかなり救えない話の様だが、コハク自身今の生活にそこまで不満はないし、むしろ少し大人になれたみたいで楽しかったりするのである。
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そしてまたそんな1日が終盤に入った。
日が完全に地平線に落ちる直前に、大きな影と小さな影を載せた自転車が準高級住宅地の中でも他より少し大きい家の庭に入っていく。
「着いたよ。ほら。」
そう言ってコハクは、まだ簡単に抱き上げられるほど軽いネオンを腕から胸へと引き寄せて、そのまま地面に着地させるのを手伝う。
若干不機嫌そうに目を擦るのが本当に愛らしい。
ーーーピンポーン ・・・
一度チャイムを鳴らした後、コハクは自分のポケットから鍵を取り出し、差し込みドアを開ける。
「帰ったぞ、親父」
「クソガキめ、俺がベットから降りられないの分かっててチャイム鳴らすってどんな捻くれた根性してんだ、おん?」
「1日中ゴロゴロしながらパソコンいじってる人間には言われたかねーよ」
親子の会話はまるで男子中学生の軽口のようだ。
「大体な、俺はこれ、仕事でやってんだよ仕事で」
「はっ、女子高生とのエロい妄想してりゃ金貰えるんだから良い仕事だよな、親父は」
コハクは鼻で若干笑い、帰り道スーパーで買った食材を袋から取り出しながら言う。
「そうなんだよ、俺ってJKとのイチャイチャ描いてたら金もらえるんだよな、不思議。」
「不思議、じゃねーよ!50過ぎてJKとのラノベで子供2人養って何にも思わないのかよ!」
実は、コハクとネオンの父、竜宮リトは売れっ子のラノベ作家で、今は「女子高生とおっさんの徹夜サバゲー対決」を執筆中、これまた月間ラノベ売り上げランキング1位を取るほどの人気なのである。
「まあな、俺も自分の息子と同い年の子とのアレコレを毎日描き続けていると、思うことも無いことは無いんだが...何せ俺のラノベを心待ちにしている人たちがいるからな...」
「...はぁ」
コハクは大きなため息をついたが、いきなり仕事辞めますとか言われても困るので、分かりきっていた回答を聞いて安心した気持ちの方がおそらく強かった。しかも、コハク自身、父には隠してこそいるが、竜宮リト改めRITO先生の作品のファンなのである。(バレないように電子書籍で買っているが)
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「お兄ちゃん!早くご飯作ろうよ」
父との上手な言い回しで相手をムカつかせよう選手権は、ネオンの遮りにより中断された。
「あー、ごめんごめん。作ろっか。今日はカレーの具材買ってきたからね」
「お、香辛料系か。仕事で疲れ切った俺の体にぴったりだな」
「パンダみたいな生活してる親父の体が疲れ切ってんのか。面白いジョークだな」
「お兄ちゃん!お父さん!」
〜〜〜〜〜
父からは毎日のようにちょっかいをかけられ、11も離れた妹から呆れられた目で見られ、学校ではだるい授業と休み時間の寝たふりを5、6回繰り返す。
こんな生活を2ヶ月弱も繰り返していたら、流石のコハクでも胃がキリキリする。
「ネオン、ごめん。ご飯作る前にちょっとトイレ行ってくる」
「はーい、早くしてね」
あー、胃が痛い。
これがどう言う類いの心労なのか、ああ、もうトイレで考えよう。
リビングのドアを開け、少し通路を歩いたところでこれまた若干広く豪華なトイレに到着する。
「こんな無駄に広いと落ち着かねえんだよなあ...」
そんな独り言を呟いて、ズボンを降ろそうとしたその時だったーーーー
その4畳半ほどある小綺麗な部屋一帯に、暗闇と無数の光が煌めく、宇宙のような無限の空間が広がった。
その無限が一気にコハクの体を包みこみ、徐々に小さくなっていく。
「うわっ、え、ちょまっt」
ーーーこの言葉を最後に、少年の体は完全にその部屋から消滅した。