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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

亡国の令嬢と魔剣の傭兵

作者: 楽市

 謁見の間に来てみれば、そこにはもう、誰もいなかった。


 白い壁、白い天井、共に絢爛な装飾が施されて、いかにもお金がかかってる。

 白い床に敷かれた赤いカーペットは、玉座まで伸びている。


「……もうみんな逃げた、か」


 私、魔法王国エクリシアの侯爵令嬢マレーネは、低くそう呟いた。

 それなのに、声はやけにはっきりと場に響いた。


 驚いた。

 誰もいないと、ここはこんなにも静寂に冒されるのか。

 いつもは常に多人数いて、派手で賑やかなイメージしかなかったけど。


 だがもう、ここに人が戻ってくることはないだろう。

 きっと、私がこの謁見の間を訪れる、最後のエクリシア王国貴族だと思う。


「やっぱり、結構大きいのね、玉座って」


 王権の象徴たる玉座の前まで来て、私はそんなことをひとりごちる。

 あの、丸々と肥え太った国王陛下が座る椅子だから、特注に決まってるか。


 それにしても、ケバい。

 何というか、無駄にキラキラしてて装飾も過剰で、端的に言えば悪趣味だ。


 大きくて派手なばかりで、実用性は疑わしい。

 こんなモノが千年の歴史を誇る我が魔法王国の王権の象徴なのだという。


 何と、お似合いなことだろうか。


 まさに、馬鹿貴族の本場たるエクリシア王国を象徴するに相応しい玉座だ。

 それに座る者がもういないという事実も、実に皮肉が効いている。


 そう、ここはこれから廃墟と化す場所。

 大陸最古の魔法王国エクリシアは、本日をもって滅亡することになる。

 いや、国王も王太子も逃げたのだから、もう亡びたも同然か。


 戦争に敗れた結果、と言葉で表すのは簡単だ。

 しかし、ただの戦争で十カ国連合軍に王都まで攻め寄せられるワケがない。


 これは、ただの戦争じゃなかった。絶滅戦争だった。

 そうなった理由は簡単で、要は、エクリシアが敵を作りすぎただけだ。


 何せ、ここ百年前後のエクリシアを表す二つ名が酷い。

 魔法王国と呼ばれたのは昔のこと、今は「馬鹿貴族の本場」と呼ばれている。


 エクリシアは確かに、先史魔法文明の技術と血脈を唯一継承する国だ。

 その威光によって、建国以来五百年も大陸の盟主であり続けたのはすごいけど。


 でも、ピークはそこで、あとは没落の一途。

 魔法技術にしたって、数百年前にはもう他国に完全に追いつかれていたのに。


 技術が発展するのは、そこに必要性が見出されるからだ。

 エクリシアの停滞した技術体系を見れば、それが実感できてしまう。


 完成は停止と同義。先史文明の残滓など、もはや文字通り過去の遺物。

 今や、魔法王国エクリシアは大陸でも随一の魔法技術後進国となり果てていた。


 なのに、エクリシアの貴族はソレを認めようとしなかった。

 いや、そもそも彼らにとって他国の人間は人にカテゴリーされていなかった。


 この国の貴族は、自国の庶民や他国の人間を「蛮人」と呼ぶ。

 そして自分達のことは「人間」、または「貴人」と称し、それ以外を見下す。


 この事実一つだけでも、彼らがいかに実情に対し盲目であったかがわかる。

 国を挙げてそんな調子だったから、当然、周りは敵ばかりだ。

 そして、ちょっとした事件をきっかけに、周辺国が積年の怒りを爆発させた。


 それからは、もう、あっという間だ。


 あれよあれよという間に次々に参戦国が増えて、気がつけば一対十。

 過去の栄光に縋るだけのこの国が勝つ道理なんて、最初からあるワケなかった。


 だというのに、貴族達は開戦してもなお、宮廷での権力闘争に明け暮れた。

 すでに火が迫っている足元が、それでも盤石なのだと、信じて疑わなかった。


 本当に、バカばっかりだ。

 時代遅れの装備しか持っていない軍を、どうして大陸最強と信じられるのか。


 数でも質でも、エクリシアの軍は他国に及ぶべくもない。

 この戦争の敗北は、開戦の号砲が轟く前から決まっていたということだ。


 そして、貴族達は泡を食うようにして逃げ出した。

 最初に国王が逃げた。王太子がそれに続いた。次に宰相が逃げた。


 逃げ切れるとでも思っているのだろうか。

 ほぼ間違いなく、全員捕縛されて、果ては刑場の露と消えるだろう。


 ああ、結局はこれまで好きにやってきたツケが回ってきたということだ。

 馬鹿貴族の本場が、その名の通りだったから亡びるだけ。


 これは単に、そういう話だ。

 そして私も例に漏れない。私もまた、他の連中と同じくこの国の馬鹿貴族だ。


 知った風なことを言っているが、こんな風に思い始めたのもつい先日のこと。

 それまでは、他と同じく過去の栄光に誇りを抱く、馬鹿貴族の一人だった。


 それでも、祖国の現状を俯瞰できるのは、とある友人のおかげだ。

 もう十年も前に、一週間だけ一緒に過ごした異国の傭兵の子、レナ。


 蒼い髪を長く伸ばして、顔の半分が隠れちゃってる、可愛い子。

 私と同い年ながら、随分と背が低かったのを覚えている。

 侯爵である父の知り合いの傭兵の子で、大陸中の戦場を巡っているのだという。


 たった一週間だけだったけど、彼女とは何かとウマが合って、仲良くなった。

 可愛いけど、基本的なことは何も知らず、頭は悪かった。


 女の子なのに、自分のことを僕って言ったりする、おかしな子。

 生まれてずっと旅をしているらしく、教育を受ける機会がなかったらしい。


 それでも、大陸中を巡った彼女は、私の知らないことをたくさん知っていた。

 そして、彼女から色々と話を聞いて、私は異国に興味を持った。

 こうして今、祖国の滅亡を割り切れているのも、そうした経験があったからだ。


 お礼に、私は彼女に字の書き方を教えてあげた。たった一週間だけど。

 ああ、レナは今、どうしているだろうか。

 彼女の父親は有名な傭兵らしいが、幼い私はそれに興味を持てなかった。


 名前くらい聞いておけば、もしかしたらまだ繋がりを保てていたかも。

 でも、それもやっぱり過去の話でしかない。


 傭兵は厳しい業界だと聞く。でも、レナが死んだとは思いたくなかった。

 彼女はきっと、どこかで生きている。そう信じたい。

 私は自分の胸元に左手を置いて、少しの間、かつての思い出に浸ろうとした。


 遠くに響く轟音が聞こえてきたのは、そのときのこと。

 どうやら、事態は私に昔を懐かしがることさえ許してくれないらしい。


「……ここまでね」


 私は呟くと、右手に持った酒瓶を玉座のひじ掛けの上に乗せる。

 コルクはすでに抜いて、ガラスの瓶の中には血のように赤いワインが揺れている。


 指に挟んでいたグラスを手に持ち直し、私は左手に持った瓶の中身を注ぐ。

 トクトクと、ワインが注がれる音が耳に心地いい。

 だが、それは私にとって最期に聞く音かもしれない。そう思うと背筋が冷えた。


 どこに逃げても、私の末路は変わらない。

 十もの国が、全力をもってエクリシアを叩き潰しに来ているのだ。

 侯爵令嬢という立場を持つ私が生き永らえる未来など、どう考えてもあり得ない。


 なら、やることは決まっている。

 別に今さら他国の人間を蛮人だなんていうつもりはない。

 けれど、だからって自分の生死を他人に委ねるつもりだってない。


 自分の命の決着は、自分の手でつける。

 そのために用意した赤ワインだ。

 わざわざ玉座の間に来たのは、単なる稚気以外の何物でもないけど。


 思いながら、私は玉座に腰を下ろす。

 そうして見えた景色は、別に、大したものではなかった。

 こんな場所を巡って、父は、私は、他の貴族は、馬鹿な駆け引きを繰り返したのか。


 ああ、本当に、エクリシアは亡びるべくして亡ぶんだなぁ。

 初めて玉座に座った私が得た感想が、それだった。

 最後に深いため息をついて、私はひじ掛けに置いたままのワイングラスをとる。


 一口飲めば、それで終わる。


 敵兵に捕らえられて凌辱されることもなく、綺麗なままの最期を遂げられる。

 今の私にとって、それは最善の選択であるはずだった。


 しかし、やはりいざ飲もうとすると、手が動かない。

 死を覚悟したつもりでも、恐怖はそれを容易く超えて、体の動きを縛る。

 だが私は、このときすぐにでもワインを煽るべきだったのだ。


「お、何だよ、人がいるじゃねぇか!」


 いきなりの、何者かの声。

 驚いた私の手からワイングラスが落ちて、床の上に砕けた。


「あ……」

「ンン? 何だよ、玉座の間で酒盛りか? この土壇場に? キハハハハハ!」


 現れた男の一人が、肩に長剣を担いで私を笑う。


「オイ、兄貴、この女、とんでもねぇ別嬪だぜ?」


 もう一人の、大柄な男の方が私を見ていやらしく笑い、鼻の穴を広げた。

 荒い息遣いがこっちにまで伝わってきて、嫌悪感を掻き立てる。


 太った大柄の男に、長剣を携えた禿頭の男。

 一応、二人共その肩には十カ国連合軍の紋章が入った肩当てをつけている。

 しかし、私にはわかった。この二人は正規の兵士ではない。傭兵だ。


 戦場を転々とする傭兵が纏う空気は、兵士とは明らかに違う。

 兵士よりも粗野で、荒々しくて、それでいて鋭く研ぎ澄まされている。

 私はレナの父を通じて、その雰囲気を見知っていた。


「傭兵が、こんな場所まで何の用かしら?」


 玉座から立って、私はこっちを値踏みするような目で見てくる二人に尋ねた。


「何って、漁りに来たに決まってるだろ。お宝をよ」

「……そう。宝物庫はあっちよ」


 答えた禿頭の傭兵に、私は宝物庫がある方向を指さして、そう続けた。

 そして内心に、早く立ち去ってくれと強く願った。怖い。今にも足が震えそうだ。


 彼らが私を見る目に含むもの。

 それが容易に見て取れて、おぞましさに私の全身は総毛立っていた。


「ヘヘ……」

「キハ、ハハハ」


 男二人が笑って、私の方へと歩み寄ってくる。


「どうしたの? 宝物庫はあっちよ?」


 連中の考えていることを理解しながらも、私は宝物庫の方をさして重ねて言う。

 そんなのは無駄な行動でしかないと、重々承知しつつも。


「宝なんて、あとで幾らでも漁れるだろ。なぁ?」

「おう、そうだな、兄貴」


 二人が、さらに近寄ってくる。

 私は逃れようにも、背後には玉座があって、ダメ、逃げられない。


「こんなところにあんたみたいな上玉がいるんだ。やることなんて、一つだろ」


 禿頭の男が、そう言って舌なめずりをした。

 それが汚らわしく感じられて、私は顔を青ざめさせた。


「どうした、魔法王国の貴族さんよ、魔法でも使ったらどうだい?」

「お、使えるのか? 魔法、使えるのか、このガキ」

「馬鹿野郎、使えるかよ。こいつはエクリシアの馬鹿貴族だぞ」


 一瞬警戒を見せた大男を、禿頭の傭兵が笑う。

 だが、悔しいかな、彼の言う通りだ。エクリシアの貴族に、魔法の使い手はいない。


 血統と駆け引きばかりを重視して、この国の貴族は保つべき中身を失った。

 馬鹿貴族と蔑まれても、それを言い返せない。ただの事実だから。


「…………くっ!」

「――チッ、このアマ!」

「きゃあッ!」


 舌を噛もうとしたら、思い切り殴られた。

 熱い痛みが頬に走って、吹き飛ばされた私の体が床に転がる。


 耳の奥にキィンという音が響いて、意識がグラついた。

 口の中が鉄臭さでいっぱいになった。


 痛いよ。怖いよ。気持ち悪いよ。

 襲い来る恐怖に身が強張り、涙が零れそうになる。


「このクソアマが! おい、押さえつけろ!」

「ヘヘヘヘ、あいよぉ~」


 立ち上がれないでいる私を、大男が上からのしかかるようにして組み敷いてきた。

 両手がしっかりと掴まれ、ほとんど身動きが取れなくなってしまう。


 間近に迫った大男からは、獣じみた匂いがした。

 下種な笑みをこちらに向けて、男は「はっ、はっ」と犬のように息を荒げる。


「いや、いや! いやぁ! どいて、やめてよ!」


 私は必死にもがくが、大男は全然動かない。動いてくれない。

 禿頭の男が舌を打って、もがく私を見下ろす。


「ったく、これから楽しませてやろうってのに。……ん?」


 そして彼は、何かに気づいたように軽く頭を下げた。


「何だこりゃ、手紙、か?」


 ギクリとした。

 恐る恐る視線を下げれば、私の懐から、古びた封筒が顔を出していた。


 殴られたときか、それとも大男をどかそうともがいたときか。

 いずれかはわからないが、私が大切にしまっていたそれが、外に出ていた。


「フン、何だァ? 恋文か何かか?」


 禿頭の男が、私の胸元から封筒をつまみ上げる。


「やめて、返して! お願い!」


 私は零れる涙にも気づかずに、男に向かって叫んだ。

 しかし、そんな私の反応を見て、禿頭の男は逆に面白がって笑った。


「そんな大事なモンか、これ。なぁ、オイ?」


 男は私が見ている前で封筒を開き、中の手紙を取り出す。


「何だ、きたねぇ字だな。……あ~、何々?」

「返して、返してよ! 私のよ、その手紙は、私の大事なものなの!」


 どれだけ叫んでも、大男の重みのせいで私は全く動けない。

 そして禿頭の男はニヤニヤ笑いながら、あろうことか手紙を読み始める。


「すきだよ、まれーね。しょうらい、けっこんしてほしい、だァ~?」


 禿頭の男がそこまで読み上げ「ギャハハ」と笑い飛ばした。

 ああ、ああ、やめて。もうやめて。

 お願いだから、私の最後の宝物をそんな汚い笑いでよごさないで!


 手紙は、レナからのもの。

 別れ際に彼女が私に書いて送ってくれたものだった。


 私が教えてあげた文字で書いた、彼女の初めてのお手紙。

 たった一人の、私の本当の友達からもらった、私の最高の宝物。


 侯爵家の娘に生まれて、私には友人なんて一人もいなかった。

 年上も、年下も、同年代も、全員蹴落とし合うだけの敵同士でしかなかった。


 エクリシアの貴族社会で、まともな人間関係なんて築けるワケない。

 そんな中で、私は奇跡的にレナに出会えた。

 彼女の存在が、彼女がくれた手紙が、どれだけ私の心の助けになっていたことか。


 女性同士は結婚できない。

 なんてことすらわからないようなおバカさんだけど、そこがまたいとおしい。


 せめて、彼女のくれた思い出を胸に、この世を去りたかった。

 たったそれだけのことなのに、どうして叶わないの。何で邪魔をするの!?


「ヒハハハハハハハ、何だこりゃ、くだらねぇ!」


 禿頭の男が、下卑た笑いを発しながら、レナの手紙をクシャリと握り潰した。


「あ、ああ……、あああああああああああああああああ!」


 私は絶叫する。

 男はそんな私を見て、握り潰した手紙を床に落とし、そして上から踏みつけた。


「泣いちゃった? 泣いちゃった? 悔しい? え。おい? どうなんだよ?」

「兄貴、趣味悪~い。ヘヘ、ヘヘヘヘヘ」


 グジグジと手紙を踏み躙る禿頭の男に、私の上に乗ってる大男も笑う。

 二人の笑い声を聞きながら、私は、ただ泣いた。


「やめて、やめてぇ! もう、やめてェ――――!」

「うるせぇなぁ、こんな紙切れが何だってんだ」


 わめく私に、禿頭の男は一転してつまんなさげな顔になり、また舌を打つ。

 そして彼は私へと無造作に手を延ばそうとしてきて――、



「何してるんだ、おまえら」



 そこに聞こえてきたのは、全くの新しい声だった。


「……あん?」


 禿頭の男が、声のした方を振り向く。

 謁見の間の入り口に、一人の青年が立っていた。


 くすんだ蒼い髪を後ろで括った、精悍な顔立ちをしている青年だった。

 彼は大股に赤いカーペットを歩いて、こちらに近づいてくる。


「何だよ、ガルグさんか」


 禿頭の男が、明らかに年下の青年に対して、ガルグという名を零した。

 ガルグ、蒼い髪のガルグ。その名を聞いて私の心がまた竦む。


 聞いたことがある。

 この大陸随一の傭兵団を率いる最強の魔剣使い、ガルグ・ヴァン。


 今まで何度も戦争に参加しながら、彼の傭兵団は常勝無敗。

 ガルグ自身、数多の国から常に士官の誘いが絶えないっていう、とんでもない人。


 異国の事情に疎い私ですら、彼の話は知っている。

 やはり、エクリシアとの戦争にも参加していたワケか……。


「…………」


 噂の魔剣とおぼしき剣を腰に帯び、ガルグは無言で私達を見つめた。

 そして、深く息をつく。


「何してるんだ、おまえら」


 紡がれた言葉は、最初と同じもの。

 しかし、声色には明らかに呆れが混じっていた。


「何って、役得だよ、役得。見ろよ、いい女だろ?」


 禿頭の男が、私のあごを掴んで顔を無理矢理上向かせる。

 こちらを見下ろすガルグと目が合った。私は、涙に濡れる瞳で彼を睨む。


「……許さないわ」


 私は、言った。


「絶対に許さないわ。私は、あなた達を許さないわ!」

「キハハハハハ、いいねぇ、威勢がいい。とんだ跳ねッ返りだ!」


 私のあごを掴む禿頭の男が笑う。


「こういうの、屈服させるの、好きだぁ~」


 私の上に乗る大男が、薄汚い願望を隠そうともせず、よだれを垂らした。


「……何で、俺達を許さないんだ?」


 しかしただ一人、ガルグだけは表情を変えずに、私に向かって尋ねてくる。

 その冷静さが、ただでさえ怒りに染まっていた私の意識をさらなる灼熱で焼く。


「私の友達の手紙を、私の、大切な思い出を……! う、ッ、ゥう~……!」


 言葉にならなかった。

 悔しくて、悔しくて、狂いそうなくらいに悔しくて、私はまた、泣いた。


「ガキがめそめそと泣きやがって。ヘッヘッヘ、ま、それもそそるか?」

「おまえの汚い性癖はどうでもいい。思い出、ってのは?」


 私を嘲る禿頭の男に、ガルグは説明を求める。


「ああ、見ろよ、そこのゴミクズさ」


 言って、禿頭の男は自分が踏み躙ったレナの手紙に目を向ける。

 ガルグがそれを拾いあげて、目を落とした。


「なるほどね」


 紡がれる、短い一言。

 彼の、汚された私の思い出への感想は、それだけだった。


「どうだい、旦那。時間があるなら俺らと一緒に楽しんでくかい?」

「ヘヘヘヘヘ、早くヤろうよ、兄貴。俺、もう我慢できないよ。ヘヘ、ヘヘヘ」


 禿頭の男が私の頬を舐め、大男が私の太ももを汚い手でまさぐる。

 虫が這うような不快感。いや、やめて。息を吹きかけないで。臭い。汚い!


「なぁ、おまえら――」


 ガルグが、一つ、ため息をついた。


「ヘ、ヘヘ、何だよ、やっぱ一緒に」


 大男が彼の方を振り向いて――、刃が閃いた。


「……え?」


 私の目の前で、大男の首から上が、なくなった。

 その断面はすぐさま黒く焦げて、血の一滴も流れないまま、体は力を失った。


「は? ……な、え、えぇ?」

「どけよ」

「ご、ぐぶぁ……!?」


 目を丸くする禿頭の男の顔面に、ガルグの靴底がめり込んだ。


「おまえら、俺のオンナに手ェ出しやがって。落とし前はつけてもらうぞ」


 吹き飛んだ男に向かって告げて、彼は右手に燃え盛る魔剣を携え、踏み出す。


「グ、グェェェェ、お、おんなァ!? な、何だよそれ、ど、どういう!」

「黙れ、手紙を踏んだのは、その足か?」


 ガルグが言った次の瞬間、禿頭の男の右足が太ももから切り飛ばされた


「ひぎっ、いいいいぎゃあああああああああああああああああああ!」

「痛ェか? 痛ェよなぁ? けどマレーネが感じた痛みはその億倍なんだよ!」


 のたうち回る禿頭の男に見開いた目を向けて、ガルグはズカズカ歩み寄る。


「や、やめろ、やめてくれェ!」

「マレーネにそう言われて、おまえやめたのか? ん?」


「勘弁してくれ、旦那のオンナだなんて、し、知らなかったんだ!」

「バカだなぁ、おまえ」


 ガルグが、そこで何故か禿頭の男に向かって優しく微笑む。

 直後、その顔つきは一気に険しくなった。


「知りませんでしたで済むんなら、この国は亡びてねぇんだよ」


 そして振り下ろされた一閃が、禿頭の男を左右に両断した。

 目の前で行われた、あまりにも速やかな殺戮を、私はただただ見ているしかなかった。


「さて、と……」


 羽織っているマントで魔剣にかすかについた血を拭って、ガルグがこちらを向く。

 私はとっさに後ずさり、両手で肩を抱いて身構えた。


「あー……」


 そんな私に、ガルグは何やら戸惑いの表情を見せる。

 私は色々わからないことだらけながら、彼にまずこれを尋ねた。


「あなた、何者?」

「……まぁ、そうだよな」


「私があなたのオンナって、何? 私、あなたに会ったことなんてないのに!」

「う~……、うん。そういう反応にも、なるよなぁ」


 初対面の男性からそんな扱いを受けるなんて、侮辱にも等しい。

 私はいつでも舌を噛めるようにして、苦笑するガルグをきつく睨み上げる。


「……こうするのが手っ取り早いか」


 すると、ガルグは後ろに手を回して、括っていた髪を解く。

 思っていたよりも長い髪が下りて、彼の顔の半分を覆い隠し――、え?


「そ、その顔、え、え……?」


 そこに見えた面影に、私は言葉を失う。


「久しぶり、マレーネ。僕だよ、レナだ」


 ガルグは言った。

 レナとは思えない鍛え上げられた体躯で、完全に声変わりした低い声で。

 顔も、骨格からして男性のもので――、でも髪に隠れたその容貌には……、


「そんな、本当に? 本当に、レナなの……?」


 重なる。

 ガルグの顔に、レナの面影が、確かに重なって見える!


 私は、そっと手を伸ばし、ガルグの頬に触れた。

 すると、ガルグはその上に自分の手を重ねて言ってくる。


「レナード・ガルグ・ヴァン。僕――、いや、俺の本当の名前だよ」

「だって、そんな。あなた、女の子じゃ……」


「や~っぱり勘違いされてた。いや、昔の俺は確かに、チビだったけどさ……」

「男の子だって、どうして教えてくれなかったの?」

「それは、その、大きくなって見返してやろうかな~、って……」


 ガルグ――、いや、レナは、照れくさそうに目を逸らして、ボソボソと言った。


「でも、まさか今日まで会えなかったのは、俺にとっても誤算だったな」


 彼は軽く首をかしげたあとで、私に向かって朗らかに笑った。


「けどいいさ。こうして会えた。やっと、君に」

「レナ、レナ……!」

「ああ、俺だよ、マレーネ。君を攫いに来た、悪い傭兵のレナだ」


 私は、万感の思いでレナを抱きしめた。

 彼はそんな私を、その大きな胸と太い腕で、力強く抱きしめ返してくれる。


 十年前は、彼は小さくて、私が受け止める側だった。

 でも今はもう、私は受け止められる側。私の喜びを、彼が受け止めてくれた。


「本当はもっと早く迎えに来たかったんだけど、ごめんな。遅れた」

「ううん、いいの。間に合ってくれたよ、レナは間に合ってくれたから……」


 一歩間違えば、私は彼と再会することなく息絶えていた。

 それに、レナのことを一方的に女の子だと勘違いしてたこともそう。


 全くもって、自分の愚かさが恨めしく感じられた。

 どう他を俯瞰したところで、私もエクリシアの馬鹿貴族なのだと思い知る。


 でも、これからは違う。

 私は一人ではなくなった。隣に、レナがいてくれる。

 こんなに愚かな私でも、彼と一緒なら、少しはマシに生きられる。


「これからどうするの、レナ?」

「どうするかなー。金も溜まったし、そろそろどっかの国に仕官するかな」


 私と彼は、手を繋ぎながら玉座の間をあとにする。


「でも貴族爵からスタートだから、侯爵家ほど豊かじゃないぞ。いいか?」

「バカ言わないでよ、貴族生活なんてもううんざりなんだから……」


「おお、言うねェ、お嬢様。庶民の生活は厳しいぜぇ~?」

「いいわよ、何だってどんと来いよ。だって――」


「だって?」

「……レナが、隣にいてくれるでしょ?」


 私がちらりと見ると、レナの顔が耳まで真っ赤に染まっていた。


「マレーネさ、それはズルいでしょ……」

「だって本当だもの。私は、レナと一緒なら、何だってできるわ。何だって!」


「貴族ってそういう直球はあんまり好まれないんじゃなかったっけ!」

「私はもう貴族じゃないもの。今は、傭兵の奥さんになるただの女の子でーす!」


「クソ、俺からの手紙潰されて、めそめそ泣いてたクセに!」

「あ、レナからの手紙……」


 思い出して、また哀しみが胸の底から込み上がてきた。

 あ、だめ、視界がにじんじゃう……。


「わーッ! 待って、思い出させてごめん! だから泣かないで!?」

「だって、せっかくレナが書いてくれた……」


「また書くから、いくらでも書くから! な? な!」

「本当ォ……?」


「おう、任せろ。こう見えて、字も上手くなったぞ、俺!」

「……うん!」


 そして、私はエクリシアを去った。

 さようなら、愚かな国。さようなら、馬鹿な貴族の私。


 今日から、私は魔剣の傭兵の妻になる。

 そう決意して、私は懐にしまい込んだ思い出の手紙に手を当てた。

読んでいただきありがとうございます!

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