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俺はそれを天才と呼んだ

作者: 黒猫

 

 自分よりも年下の店長から、チーズを貰った。知り合いから貰った、輸入品のチーズだという話だった。いつも頑張って働いてくれているお前に、と笑う顔を見ながら、俺は以前、店長がチーズが食べられないと言っていたことを思い出した。


 店長が帰った後、一人で店内を清掃してから帰った。日付は変わる寸前で、でも何ら特別なことではない。特別なのは、チーズを右手に持っている事だけだった。

 肩を組んで笑う酔っ払ったサラリーマンの群れを見ながら、手に下げた袋からチーズを取り出した。きっとこれが、働き始めてから一度も払われていない残業代なのだろう。そう思いながら囓ったチーズの味に、どこか懐かしさを覚えた。

 考える間も無く、記憶が蘇る。今も褪せる事なく残っていたそれは、俺が今も目を背け続けている挫折の記憶だった。


 俺は天才ではない。

 ただの秀才だ。

 そんな言葉が、頭の中に響く。


 天才という存在が、物語の中だけのものではないと知ったあの日の記憶と一緒に噛み締めたチーズは、今も変わらずただ苦かった。






 俺は天才だ。

 そんな根拠のない自信が、物心ついた時から漠然とあった。


 確かに俺は優秀だった。一を聞けば五は理解したし、努力をしなくても首席以外の成績を取ったことはなかった。

 天才だと勘違いするだけの素質が、俺には間違いなくあった。


 自分だけではなく周りの人間からも称賛されていく中で、でも頭の冷静な部分は理解していた。自分の学校が全国的に見てたいしたことがないことも、自分は優秀という部類から抜け出せる人間ではないことも。

 それでも、理屈のない全能感は抜けなかった。自分よりも明らかに頭がいい人間と出会わなかったからか、周りの人間が意味もあやふやなままに俺を天才と呼んだからか、生来の気質か、それともその全てが原因か。

 分からない。ただ、その全能感は、一浪して大学に入った後も続いた。俺は優秀だったのかもしれないが、一度大学に落ちても、本気で努力しなかったから、なんて言い訳をしてしまうくらいには愚かだった。




 俺が進学した大学は日本でも有数の難関校で、周りにいるのは優秀な人間ばかりだった。

 入学してから知り合った人間の中には俺よりも上位の学校から進学してきた人間もいたし、入試の成績が俺よりも上の人間もいた。もっと言えばそんな人間の方が多い程だったが……その中に、天才はいなかった。


 俺は、天才を求めていた。

 自分がそれになれないと何処かで分かっていたからこそ、そんな人間に憧れていた。たった一言言葉を交わすだけで分かるような、そんな圧倒的な天才と出逢いたかった。

 天才と一緒に過ごして、超える事は出来ないと知りながらも努力を続けるような、そんな人間に、なりたかった。


 でも、そんな夢とは呼べないような願いを叶えるには、俺はきっと中途半端すぎたのだろう。

 大学二年の春。心から天才だと感じる人間と実際に出会って、俺はそんな夢物語を描き続けることはできなかった。




 二年に上がって初の講義を受けに行った教室の中で、そいつは明らかに異質だった。色褪せたシャツを着ながら気怠げな雰囲気を漂わせていたそいつは、やけに俺の目を惹いた。明らかに自分とは違う人間なのだと、理屈を超えて確信させる何かを持っていた。

 待ち望んでいた天才かもしれない存在を前にして俺が感じたのは、しかし言葉にならない悪寒だった。


 結局、俺が初めてそいつと話したのはそれから二週間後、授業の一環として行われた、ディベートの中でのことだ。

 五分。俺が、そいつを天才だと認めるまでにかかった時間だ。数える程の言葉を交わしただけで、着眼点も、頭の回転の速さも、思考の深さも、決して超える事は出来ないのだと分かった。

 天才という言葉の意味を、才能という言葉の意味を、知った。 


 初めて心から感じた敗北の味は、筆舌に尽くしがたい苦さを持っていた。


 俺の心は折れた。あっさりと、一周回って笑えるくらいに完全に折れた。

 そこから立ち直って、そいつに追いつこうともがける程俺は強くなかった。それから意図せず同じゼミに入って、頻繁に話をするようになってもそれは変わらなかった。

 膨らむ一方の劣等感だけが、絶えず胸の中にあった。




 ゼミに入って半年もしない秋。俺はそいつと屋上で向かい合っていた。秋のくせにやけに肌寒い、厚い雲が空を覆う日だった。


 二人きりでいると、胸の奥で濁った炎がちらついているのがありありと分かった。これ以上の劣等感を抱え続けることも、そいつを越えようと無駄な努力をする事も、どちらも俺には出来そうになかった。


 肌寒さすら消える情動に任せて、俺は言った。起業する、と。


 元々起業するという目標はあったのだが、そいつと出会った事でそれが早まったのは間違いなかった。計画が杜撰な事も、人材も集まっていない事も、知識が足りないこともわかっていた。でも、それよりも、成功してそいつよりも上に立ちたいという思いの方が強かった。


 恋は盲目、という言葉がある。きっとあの時の俺も、そいつ以外目に入っていなかった。

 自分に足りない部分が分かっていても、それを埋めようとする行為を無駄なものだと努力する前から決めつけた。この分野では勝てないと逃げて、他の分野で少しでも上に立とうと踠いた。失敗した際の自分を考えずに、何時ぞやのような全能感に縋って、成功以外の未来を見ないようにしていた。


 その時の俺の感情は、きっと恋と呼べるほど綺麗なものではなかった。ただただ醜かった。


 少しの沈黙の後、そいつは言った。大学はどうするのか、と。


 俺は答えた。やめる、と。


 大学を卒業することが将来の保険になる事は勿論分かっていた。でも、その選択肢は俺には選べなかった。


 そうか、と。心なしか残念な声が響いて、目の前にチーズが差し出された。

 それはそいつが好んで食べていたもので、でもその日まで誰にも分けている姿を見た事がなかったものでもあった。


 何も言わずに受け取ったそのチーズを、何故かこみ上げる涙を必死に堪えながら囓った。


 どこまでも苦いその味は、確かに敗北の味だった。最初で最後の、挫折の味だった。


 それを噛み締めて、俺は漸く現実を認める事ができた気がした。


 俺は天才ではない。

 ただの秀才だ、と。




 それから直ぐ予定調和のように会社は潰れて、俺に残ったのは高卒の学歴と、一人で返すには大き過ぎる借金だけだった。ただ勇気がなかっただけで、俺は自ら死ぬことを選べないまま生き続けた。

 バイトをいくつも掛け持ちする生活。その中で、何度かそいつを見かけた事があった。

 向こうも俺に気付いていたことは間違いない。でも、一度も俺に話しかけてくることはなかった。


 俺は結局、最後までそいつの目を見る事は出来なかった。





 胸に燻っていた炎の赴くままに、近くのコンビニまで走った。

 袋いっぱいの酒と摘みを抱えた俺は、近くの公園のベンチに座り込んだ。酒を煽り、摘みを噛み締めて、そしてチーズを齧る。明日朝が早いことも、終電の時間も、何も考えずにただ貪り続けた。

 自分が酒に弱いことは、頬を流れる滴の良い理由になった。


 浴びる程の酒を飲んで、座っていても視界が回るほど深く酔った。これまでの人生の中でも、これからの人生の中でも、きっとこれ以上深く酔う事はないと思った。

 近くのトイレへと行く気力も理性もないまま、這い蹲るようにして公園の真ん中で吐いた。吐く最中に余計に酔いが回ったのか、直ぐに体を支える事も出来なくなった。

 吐瀉物に浸かりながら仰向けになって見た月は、吐き気がする程に綺麗だった。




 空が白んで、月がゆっくりとその形を忘れるまで空を見ていた。地面に手をついて立ち上がると視界は思いの外安定していて、胸に残っていた炎は吐瀉物と一緒に消えていた。

 後には、不思議な充実感だけが残った。今日なら死ねる、と他人事のように感じた。


 何も考えずに駅へ向かって歩いた。駅で投身自殺をしても迷惑のかかる家族は既にあらかた死んでいたし、そもそもそんなことを考える余裕もなかった。

 ただ熱に浮かされたように、俺は歩みを進めた。すれ違う人の蔑みの目も、気にならなかった。


 始発が到着するというアナウンスが鳴り響くホームには、疎に人がいた。自分の近くに寄る人間は居なかった。それもまた、好都合だった。

 夢遊病患者のような足取りで、線路へと向かう。右手に微かに見える電車が少しずつ大きくなるのを横目に、俺は線路へと飛び込んだ。




 ドン、と音がして、気が付くと俺は路地裏に立っていた。どうやら、さっきの音はゴミ箱を蹴飛ばした音のようだった。

 光は遮られていて、酷く薄暗い場所だった。

 目の前には、薄汚れた看板があった。才能の棲み家、と書かれたその看板を見て、それが店なのだと理解した。

 そのまま誘われる(いざなわれる)ように扉を開いて、俺は中へと入った。


 店は酷く狭く、大して大柄でもない俺一人入るので精一杯の広さだった。周りには黒で塗られた壁だけがあって、そして目の前には一人の老婆がいた。


 明らかに焦点の合っていない目で、でもしっかりと俺を見据えながら、老婆がゆっくりと口を開いた。

 才能を売ってやろう。お代はお主の寿命じゃ、と。


 酷くしゃがれたその声に、俺はただ頷いた。何年寿命をもっていかれるのか知る由もなかったが、今後六十年続く無為な人生よりも、三日間だけの天才を生きたいと思った。


 老婆が笑って、答えた。

 今から一年後にお主は死ぬ。それまでお主は仮初の才能の中を生きるが良い、と。


 そして意識は消えた。




 目を開けて一番最初に見えたのは、見慣れた天井だった。上半身だけを起こして、そこが自分の借りているアパートの一室であることを確認した。

 背中から漂う吐瀉物の匂いだけが、昨夜の出来事が現実だと示していた。少なくとも、酒を飲んだ事は。


 頭痛の残る頭で、徐に電話をかけた。無意識に携帯に打ち込んだ番号は、職場の店長のものだった。

 電話が繋がる音がして、俺は開口一番に言った。


 やめます、と。


 返事を聞かずに電話を切って、そのまま携帯の電源も切った。薄給の中貯めた子供の小遣い程度の貯金では、仕事を辞めて食い繋いでいけるのは一ヶ月が精々だったが、不思議と不安はなかった。

 いつか感じたものよりも遥かに大きな全能感が、身体中に満ちていた。それこそがあの夜が夢では無かった事の証明のように思った。




 申し訳程度の身なりを整えて、俺は近場の図書館へと走った。開放されているパソコンの前の椅子に座り込んで、俺はそいつの名前を検索した。

 求めていたものは直ぐに見つかった。そいつは今、生まれ故郷の海外の大学で準教授をしているのだという。一緒に出てきた顔写真は、消えた筈の胸の炎が荒れるほどに、在学当時の面影をはっきりと残していた。




 それからは寝食を忘れて研究に没頭した。在学中に形にする事ができなかった理論の完成形が、既に頭の中にあった。一ヶ月で、それが凡人にでも理解ができるように文章を考えた。

 金はそのついでに稼いだ。老婆の言っていた才能はどうやら特定の分野に対するものだけではなく、何をやっても以前の俺なら望むべくもないような結果を残す事ができた。

 だが、俺はあえて一つの分野に固執した。理由はただ一つ。あいつに勝ちたいと思ったからだ。

 寿命を糧に再び燃えた胸の炎が、その生き方以外認めなかった。




 完成した論文をいくつかの雑誌に送りつけて、ただ結果を待った。失敗はないという根拠のない確信があっても、それでも不安だった。

 一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、三ヶ月が経った。限りある寿命を無為に使うことよりも、寿命を犠牲にしてもそいつに届かないことの方が恐ろしかった。


 眠れずにいつしか時間感覚すらなくなったある日、一本の電話が届いた。

 雑誌に掲載される事が決まった、という電話だった。


 投稿から、四ヶ月近くが経っていた。




 それから俺は世界的な称賛を浴びた。俺が投稿した論文は間違いなくその分野の常識を塗り替えるほどのもので、その論文一本でその分野は百年進んだと言われた。

 テレビや新聞の取材依頼の電話は鳴り止まず、しかし俺はその全てを断った。


 そして、ある大学へと連絡を入れた。

 それは、あいつが教鞭を取る大学だった。


 その大学は一も二もなく俺の提案を受け入れ、俺はその大学へ客員教授として迎え入れられる事になった。


 俺の寿命は、残り半年を切っていた。




 久しぶりに会ったそいつは、何の蟠りもないような顔をして話しかけてきた。その反応は予想外で、俺はてっきり俺に何か皮肉の一つでもいうのだと思っていた。

 少なくとも俺は、あいつに勝って心に溜まる感情を吐き出すことを何度も夢見ていた。でも、いざそれが出来る状況になって、それでは自分が満足できないことに気づいた。

 あいつにも挫折を味合わせてやりたい。そんな感情を薪にして、胸の炎は自分すら消し去らんほどに燃え盛った。


 その炎に突き動かされて、俺は誓った。




 それから、あいつが研究している分野を徹底的に勉強した。理解に一ヶ月、応用に一ヶ月、そして更なる発想に一ヶ月。

 最初に論文を提出した時とは比べ物にならない程の時間をかけて、俺は自分の能力をさらに尖らせた。俺の寿命が尽きる間際にある発表会で、あいつが論文を提出するという話を聞いたからだった。


 命がもうすぐ尽きる事など気にも止めず、俺は必死に論文を書き上げた。与えられた才能を十全に用いて、どんな人間が読んでも理解できるものに仕上げた。

 発表に関するあらゆる要素を完璧に仕上げて、気付けば発表会の前日になっていた。大学側からの許可も簡単に取れて、後は発表会を待つだけだった。


 まるで永遠のように感じられる十時間を経て、俺は発表会の舞台の袖に立っていた。

 目の前ではあいつが論文を発表しているのが見える。


 俺の寿命は、一日と半日後に迫っていた。




 目の前で行われる発表は、文句無しに素晴らしいものだった。大学時代に俺がどれだけ努力をしても辿り着け無かっただろうと感じた。


 だが、残念ながら今の俺の方が、そいつより優れた才能を持っていた。


 あいつと同じ分野で、あいつと同じ研究アプローチで、あいつと同じ発表形式で、そしてあいつよりも遥かに優れた発表を俺はした。

 それがただの自惚れでない事は、鳴り止まない拍手からも明らかだった。


 その拍手の音を聞いて理由のわからない虚無感を感じた俺が舞台袖を見ると、そこから見ていた筈のあいつは知らない間にいなくなっていた。


 あいつが行く場所は、分かっていた。


 俺はあいつに、憧れてもいたのだから。




 一段一段踏みしめるように階段を登って開いた扉の先には、見晴らしの良い屋上が広がっていた。あの日と同じような、厚い雲が空を覆っていた。


 手すりに体を預けながら眼下に広がる街を眺めていたそいつの背中を叩いた。初めてまともに見たそいつの目は、赤く染まっていた。

 それを見据えながら、俺は言った。


 俺に負けた気分はどうだ、と。


 そいつは何も言わずに、ただ歯を食いしばっていた。強く握り込んだ掌から、血が滴るのが見えた。


 五分か、十分か、すくなくとも俺がそいつを天才だと認めるまでにかかった時間よりも長い間黙り込んだ後、弾かれるようにそいつは顔を上げた。

 俺を睨み付けながら、そいつは吐き捨てるように言った。


 次は負けない、と。


 俺は隣を通り過ぎるそいつに、何も言えなかった。雪が降り出して肩に積もっても、俺はそのまま立ち竦んでいた。


 いつしか空は晴れていて、丸い月が空に出ていた。手すりに背を預けて座り込んで、俺はただ月を見た、アルコールはとっていない筈なのに、俺はその月を、なぜか吐きそうな程綺麗だと思った。


 胸で燃え盛っていた筈の炎は、いつの間にか消えていた。






 俺は、ただ街を歩いていた。日本とは明らかに違う西洋の風景を見ながら、ただ歩いていた。

 いつ死ぬのか、どう死ぬのかは分からない。でも、俺の寿命は今日までだという事は確かだった。


 ふと、チーズが目に止まった。やけに立派な店舗の中にあったそれは、あの時に食べたものと同じものだった。

 一番小さなものを一つだけ買って、俺は大学の屋上へと戻った。




 高い所は空が近いから好きだとあいつが言っていたのを思い出す。見上げた空は、泣きそうになるほどの蒼に染まっていた。


 手摺りに背を預けて、空を見上げる。

 あいつを完膚なきまでに打ち負かした筈なのに、なぜか心は晴れない。その理由は、もう既にわかっていた。


 俺は、あいつよりも上に立ちたかった。あいつに負けている事が、我慢ならなかった。でもそれよりも何よりも、負けを認めてしまった自分が許せなかった。


 初めは、論文が雑誌に掲載されて、それが世界的な評価を受けて、それだけであいつは負けを認めるのだと思っていた。俺よりも下だと、認めるのだと思っていた。

 でも、それは違った。

 あいつは何食わぬ顔をして、でも確かに努力を積み重ねた。きっと俺には理解できなかっただけで、あいつは大学時代も努力していたのだろう。

 才能を得た今だから分かる。あいつは、何もせずに天才という評価を得たわけではないのだ。


 俺は、気に食わなかった。

 自分が俺より下だと認めようとしないその姿も、実際はあいつが天才ではなかったかもしれない、なんて考えてしまった自分自身も。

 だから、完膚なきまでに負かそうとした。


 あいつが自分が負けた事を認めれば、あの時俺が負けを認めてしまったのも仕方がないと思えるかもしれない。完膚なきまでに負かせる程の知識を得れば、あいつがやはり天才だったと思えるかもしれない。天才に負けたのなら仕方がないと、思えるかもしれない。

 そう、思っていた。


 でも、結果はそうならなかった。

 あいつは決して自分が負けたのだと認めようとしなかった。知識を得て見えてきたあいつのアプローチの質は、天才と呼べるほどのものではなかった。

 ただ俺は、自分の中では天才と呼べない秀才に負けただけで、でもそいつの持っているプライドは、俺のような紛い物では無かった。

 そんな、どうしようも無い現実だけが、残った。


 車の両輪だ、と思う。

 きっと、俺が思い描いていたような天才は殆ど居なくて、今この世界で天才と呼ばれているのは、俺の中ではただの秀才にすぎないのだろう。

 一を聞けば五を理解して、勉強をしなくても首席以外の成績を取らなくて、そして……誰よりも高いプライドを持つ。そんな人間が天才と呼ばれるのだ。

 そのどちらかが欠けても、きっと天才とは呼ばれない。俺の中では、秀才とすら呼ばれない。そういう事なのだろう。


 手に抱えていたチーズを取り出して、ゆっくりと齧る。


 あの日と同じようにどこまでも苦いその味は、確かに敗北の味だった。人生で二度目で最後の、挫折の味だった。


 霞む視界の中で、思う。


 俺は天才ではない。

 秀才でもない。


 俺は、ただの凡人に過ぎなかった。

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