君のため。
次の日、朝になってそういえばあゆみたちはどうしていたのだろうと気になったのと、昨日の報告、今後の作戦を実行するために隣のあゆみの部屋の前に来ていた。
俺の最後の作戦を行うためにはあゆみの力がどうしても必要だ。昨夜にあゆみと話していて思ったことは情報通というのはただやたらと事情聴取するわけではなく、情報の相互交換をする、つまり人脈が大切なわけだ。
俺にはその作戦を実行する上で必要な相手との人脈はない。
話に夢中で連絡をし忘れた上に、あいつらが遠慮してなのかまったくスマートフォンがならないため、どうしていたのかすらわからない。
インターフォンを押すと、あゆみではなく翠がでる。
「壮馬、どうだった?」
「うまくいったと言えばうまくいったし、うまくいかなかったといえばうまくいかなかった。ところであゆみは?」
翠はその質問に答える前に、入るように促してくる。
居間には一つの布団があり、翠があゆみの家に泊まっていたことを教えてくる。同じ寮にいるんだから、わざわざ泊まらなくても……。
そして、俺は寝室にいるあゆみの顔を見に行く。
だが、あゆみの顔には白い布がかけられている。よくドラマなどにある家族の遺体と面会するときにそうされているかのように。
「え、あゆみ、いつの間に、死んだんだ……」
「実はね、昨日明坂さんが現れたときにあゆみも見つからかないように隠れたんだそのときに頭を打ってね……」
翠はニコニコと笑いながらサイコパスのような表情をしてそう説明してくれる。
「そうか、馬鹿が余計に馬鹿になったのか。そろそろ不謹慎だから、やめなさい」
そのとき、その白い布はごほごほっという咳によって宙に舞う。
「高峰には悪いが、俺も風邪をひくから馬鹿じゃないらしい」
「風邪? お前、もしかして、俺の監視をしてて風邪ひいたのか?」
「まぁ、そうともいう……」
なんとまぁ、俺が悪いと言いたいところだが、こんな無茶な計画を提案してきた自業自得でもあろう。なにせ俺はぴんぴんしてる。あれ、これってむしろ俺が馬鹿っていうことになるのか?
「何か買ってくるか?」
「いや、少しだるいだけで、大丈夫だ。それで、昨日の結果報告か?」
「まぁ、それもそうだが、あゆみに一つ頼みたいことがあってな。翠には言ったが、うまくいったと言えば言ったし、言ってないと言えば言ってない。少なくとも冬菜の真意は聞けた」
「なら、まぁ風邪をひいてまでやってよかったとも言えるな」
そうだな、これで結局何も成果が得られなければあゆみの風邪の引き損だ。
やはり、あゆみにも感謝をしなくてはならない。
「それで、頼みってなんだ? 体を動かすものでなければ、なんでも聞くぞ」
「俺が知りたいのは学校の音楽室以外で防音設備のあるところだ。音楽室はさすがに吹奏楽部とかが使ってるだろ? ちょっと久々に歌を歌おうと思うんだが、他の誰にも邪魔はされたくないんだ。だから、音の響かないところでやりたい」
「なるほど。それなら軽音部に頼めばいいんじゃないか? 軽音部は練習場所が確保できないからって、学校に交渉して広い部室をあてがってもらった上にそこを自作で防音室にしてるはずだぞ」
軽音部か。
「軽音部と言えばこの間の子だね、えっと」
「古賀さんな。古賀さんの連絡先なら俺知ってるぞ」
「は? なんで?」
あゆみは俺に対してニヤリとする。これが純粋なる美への渇望か。
いくらなんでもあゆみは何でも知りすぎていて、もしこれが小説であるならご都合展開をいくらでも生産してしまう害悪なキャラだ。すごい。
「お前がこの前、古賀さんを振った時に唾をつけておいたんだ。俺と友達になれば、高峰とまたお話しできるかもしれないぞ、ってな」
「翠、こいつ、くそだな」
「あぁ、そんな脅しで可愛い子に近づこうなんて……」
「えぇ、ひどくない?! 俺のおかげで、裏でこそこそ古賀さんと繋がれるんだぞ?! 壮馬の話を聞くに、あまり誰かに知られたくないんだろ」
その通りだ。だから、あゆみにものを頼むし、そもそも自分の持っていた人脈がうまく活用できるとは思いもよらなかったわけだし。
しかし、古賀さんか。人の好意に漬け込むようでなんだか申し訳ないが、本人も機会があれば軽音部に顔を出してほしいと言っていたし、まぁいいのだろうか。
俺は古賀さんのメールアドレスを入手し、すぐに古賀さんに連絡をする。
この間の件があったのに、図々しく頼みごとをしてすまない、という言葉を添えて、軽音部の部室を金曜日に借りることが出来ないか、と連絡を入れておいた。
「ありがとな、あゆみ。またあの変な空間でケーキセット奢ってやる」
「次はチェキもだな」
一体そのチェキがいくらするのかはまったくわからないが、まぁいいだろう。
それくらいのことをしなければ、あゆみにも申し訳ない。
「え、変な空間ってなに?」
「翠、お前は知らない方がいい世界だ……」
とだけ言い残し、俺は自分の部屋に戻った。
部屋に戻り、俺は沙由菜が来る前に準備をする必要があった。
居間にある埃の被ったエレキギターには用はない。俺は俺の寝室にある思い出深いアコースティックギターのメンテナンスをする必要があった。弦はゆるみ、まともな音を出していない。弦自体は切れていないので、被った埃を落とし、チューニングをしなくてはならない。
俺は自室のベッドに座り、5弦のペグを回す。
このアコースティックギターもバンドメンバー、ギター担当の智也が俺の才能を見出した時に譲り受けたものだ。人から譲ってもらった癖に俺は全然大事に扱わず、なにをしているんだろうな、という気持ちにすらなる。
沙由菜がこの部屋で俺に言ったことを思い出す。自分の居場所や俺のことを好きでいてくれるファンを捨てるなんて馬鹿だ、というようなことを言っていた。確かに、俺はバンドメンバーのことを捨ててここに来た。俺の都合で俺の自分勝手で大切なものを捨てた。
きっと、もう二度と話もしてくれないだろう。
沙由菜も行動の原理自体は俺と同じではないが、冬菜と母親ではなく父を選ぶことで自分の居場所をなくしてしかも、嫌われたからこそ、こんな意見を俺にぶつけたんだろう。
今になって、やっと何が大切かを理解して、こうしてまたギターを手に取って、あの時の感情が少し滲む。
もし、俺がまたバンド活動を再開したいと自分勝手を言い出したらあいつらはどう思うだろう。でも、今ならたった一人にではなく様々な人へ俺の気持ちを伝えていける気がする。
そうなのだとしたら、沙由菜や冬菜のように悩みを抱えている人を助けられるのかもしれない。もちろん、俺の世界とは遠く離れた世界の人を救うなんて冬菜を救うことよりよっぽどおこがましいことだろう。
この手の近くにあるものだけを守れればいい。けど、そうやって発信していって、他の誰かの力になれるのなら、それはそれでいいことなのかもしれない、な。
と。俺はそんな荒唐無稽な考え事をしながらギターのチューニングを終える。
そのとき、タイミングを見計らったかのように、古賀さんからの返信が返ってきた。
かわいらしく、あわわわ、高峰先輩! と文章は始まる。
部長に電話して、条件を飲むなら次の金曜日に使ってもいいというような旨の話をいただけたと書いてある。
「は? なんじゃこりゃ」
だが、俺はこの条件を飲んででも、やらねばならないことがある。
俺は古賀さんにわかったとだけ送り、あとは沙由菜の到着を待ちながら自分の指がまだギターを弾けるのかを確認するために、ベッドに腰を掛けたまま、弦をはじく。
意外にも身体は忘れていないのかスルスルとギターを弾けてしまう。
弦の弾ける振動がアコースティックギターの空洞の内部で共鳴しあい、音となり響く。
日曜の昼過ぎに寮にいるやつはあまりいない。ある程度大きい声を出しても大丈夫だろう。
しばらく、そうやって、俺は自分たちで作った楽曲を少しずつ歌う。
あの日の感情までも少しずつ蘇るが、不思議と悲しくはならず、心が温かくなる。
久々に歌を歌うとこんなにも気持ちいいのか……。
俺は時間など忘れてひたすら音との対話を楽しんでいる。和音の音のふくよかな重なりがメロディに厚みを生む。
それに声が重なることで、共鳴しあい、二つの異なる音が一つのハーモニーを生む。
そんな心地よい音だけを集めた空間に、だが、一つの不協和音が俺の耳に届く。
俺は演奏をやめて、音のする方に顔を向けると、沙由菜があわあわしたような顔でそこに立っていた。え、不法侵入……。
「ちょ、ちょちょと、どういうこと?! なんでそーま歌ってるの?!」
鍵でもかけ忘れたか?
まぁ、それはどうでもいい。俺はギターをギターラックに乗せ、
「それはだな」
と俺が説明するまえに、沙由菜が俺の方に駆け寄ってきて、いきなり俺にダイブしてくる。
不正タックルか、と思うくらいの勢いで俺は自分のベッドに倒れこむ。
そして、同時に沙由菜の体温が俺の身体に伝わってくる。って、なんだこれ押し倒されたぞ、俺。
「よかった、よかった……」
と沙由菜はつぶやいている。
それほどに、沙由菜は俺が音楽をやめたことを心配してくれていた、ということの現れだろうか。
「あの、とりあえず離れてくれ。さすがに、恥ずかしいし」
「あぁ、ごめんね」
沙由菜は俺の言葉を受け入れ、すぐに離れる。
沙由菜を机の椅子に座らせ、俺は今日の本題の一つを話すことにした。
「なんだ、その。お前には先に言っておく。俺は前に進むことにした。だからと言ってお前らにもすぐに前に進めとは言わない。それでも、お前に聞いてほしい言葉がある。次の金曜日軽音部の部室に来てほしい」
沙由菜は俺の目をしっかりと見据え、頷いた。
もしかしたら、もう俺が言うまでもなく沙由菜は俺の行動をきっかけに変わりつつあるのかもしれない。そんなような強い意志が目の輝きから感じる。
「わかった、約束する。それで、その話をするためだけに呼んだわけじゃないよね?」
「あぁ、沙由菜に今までのお礼に一曲プレゼントしようと思う。何がいい、なんでもいいぞ?」
沙由菜は少し思案したような顔をしながら、思いついたようにその一曲を俺に告げる。
「じゃあ、『たったひとつ』をリクエストしようかな?」
「それ、一番俺恥ずかしいやつなんだが……」
「なんでもいいっていったじゃん。私、その曲が一番好き」
仕方ない。その曲は、歌詞を上げたときにお前、もはや告白じゃねぇかと作曲をした智也に突っ込まれたが、でもその曲からはこの歌詞が思い浮かんだんだからしょうがないと俺は反論した曲だ。
「じゃあ、行くぞ」
俺は思い切り息を吸い込み、ギターも合わせて弾き始める。
その歌は特に奇をてらったような歌詞ではない。例えば明日が来ないとして、今日は何をしようかと提案する。昔の自分だったら、何もしなかったかもしれない。じゃあ君は何をしたいかと問いかける。たったひとつだけ選ぶとして何を選ぶのか。なんでもいい、大切なものを選べばいい。僕は君を選ぶ。だから、もし君も僕を選ぶならずっと一緒にいよう、そんな感じの歌詞だ。
今の俺なら何を選ぶのだろう。たったひとつだけ選ぶとしたら。
難しい。今思えば、この歌詞は大切な人の中でも優劣をつけさせる卑劣な歌詞な気もしてきた。たしかに、君に対してはものすごく刺さるんだろうが。
俺は微妙な気持ちになりながら、最後まで歌いきる。
沙由菜の方に目を向けると、沙由菜はものすごい涙の洪水を作っている。
そして、拍手をしてくれる。
「いや、お前泣きすぎだろ」
「かんどうじた。やっぱりこの曲いいわね、好き」
「そんなにか?」
「だって、たった一つしか選べないのに私を選んでくれるんだって思ったら泣けてくるぅ。それに、この曲は私に勇気をくれたんだよ。家族もそうだけど、そのときはとにかく冬菜と一緒にいたいって思ってた。でも、それが出来なくて辛かった。そんな時にこの曲を聞いて、よくよく考えれば、大切なものって意外とたくさんあって、もし明日死ぬとして、冬菜と一緒にいることを選べないのだとしても、他にも大切なものがあるから、冬菜を選べないことで悲観しすぎなくてもいいんだって思えた。私には佳乃たちもいてくれてる、それにそーまとの思い出もある。だから、今は今を受け入れて悲観しすぎないでいようって思えた。それに、最後もいいよね。たったひとつだけしか選ばない一緒にいることを選んでるくせに手をつなぎたいとか抱きしめたいとかキスをしたいとか欲張ってさ」
「ぐぬぬ、恥ずかしい」
だが、確かにそうなのかもしれない。沙由菜は今を受け入れて、前に進めていないが、今を受け入れるということ自体は過去をかみ砕き、現状に向き合うということだ。
沙由菜が俺の曲から受け取ったメッセージは俺の言いたいメッセージとは異なるものだが、そういう解釈だってあってもいい。
「うん、すごくよかった。ありがとう、そーま」
「いや、俺の方こそ、本当にいつも世話になりっぱなしだしな」
もし、そうなのだとしたら、俺は最後の曲、『誰のためでもないラブソング』こそがその解釈の違いによっては別の意味に変わるかもしれない。小春のために歌ったラブソングを俺は誰に歌っていいかわからなくて『誰のためでもないラブソング』にした。だが、解釈のしようによっては、誰に歌っていいかわからないのではなく、それは誰にでも響くラブソングなのかもしれない。
もちろん、他人頼みではなく、解釈の違いが生まれないように俺がその歌詞を変えて誰にでも響くという意味での『誰のためでもないラブソング』に作り変える必要があるだろうが。
まだ時間はある。練習だけに時間を割く必要もなさそうだ。まだ、俺の指は覚えてくれている。
小春のために歌ったラブソングを『誰のためでもないラブソング』として、だが今は沙由菜と冬菜のために歌う。




