おまえたち。
沙由菜に連れられた俺は女子の聖域に今まさに足を踏み入れようとしている。男子の学生が女子寮に入ることなんて滅多にあることではない。仮にカップルがいたとしても、女子寮は基本的に三人部屋なので、彼女だけを目当てに部屋に忍び込んだところで他の二人がいる中であんなことやこんなことはできないという通念がある。
もちろん、それらの条件をすべて掻い潜り侵入を試みるやつもいるのは間違いないが。
こういうとまるで女子風呂を覗こうとしている男、のようなモノローグである。寒さにやられたのかもしれない。
沙由菜は先ほど俺が対面した無機質な厳かのかけらもない門番に通行手形を渡す。
いわく、鍵を開けただけである。
俺たちはエレベーターに乗り込み、沙由菜は5階のボタンを馴れた様な手つきでいやらしくなでまわす。いや、ボタンを押しただけだ。
エレベーターのドアが閉まると、沙由菜は、
「身体も冷えてるだろうし、先にうちに来てあったまってから行けば?」
と提案してくる。確かにその提案は確かに魅力的ではあるが、すぐにでも行動したい。
あまり長居して冬菜とすれ違うようなことが起きるとまた面倒だ。
「ってか、沙由菜たちの部屋も5階なんだな?」
「そうね」
それなら余計ご近所に住まう前髪長すぎる系女子の存在くらい知っていてもいいはずなのに。
そんなやり取りをしているうちにすぐに5階のフロアにたどり着く。
基本的なつくりは男子寮とそこまで変わらないように見える。よくある寮という大きな家があり、その中で部屋が割り当てられているような感じではなく、それこそ普通のマンションを借り上げてそのまま学生寮にしました、というノリだ。
「私たちの部屋は507号室だから、こっち。503号室はそっち。もし時間あったら、一回うちに立ち寄ってほしいんだけど、いい? 私も少しそーまに話したい事があるから」
と沙由菜は俺に告げ、自分の部屋のある方に向かっていった。
俺の返答も聞かずに沙由菜は行ってしまったが、おそらく俺の思っていた時間よりよっぽど早く事が済みそうなので、時間はたっぷりあるだろう。
俺は沙由菜がそっちと指を差した方向に向かう。そうするとすぐに503と書かれた札のある扉を見つけることが出来た。
今日の俺の1日のラスボスの部屋だ。覚悟を決めて、ドアフォンを鳴らす。
だが、返事はない。さて、どうしたものか。
聞こえるかわからないし、近所迷惑にもなる上に、下手したら通報されるかもしれないが、この扉の前から直接語り掛ける戦法で行こうか。
5階のみなさん、ごめんなさい!!
「冬菜、俺だ。直接来て申し訳ない、友達が風邪引くからっていれてくれたんだ。たのむ、話だけでもさせてくれ。いや、対面しなくてもいい、ここでもいいから、話を聞いてほしいんだ」
廊下全体に俺の声がこだまする。
静寂に包まれた廊下に人の声なんてこの上なく響くだろう。だが、もうここまでやってしまえばもはや関係ない。
「昨日は本当にすまなかった。デリカシーのないことをした。俺の家まで来て嫌なことを言わせて悪かった。一人で夜道歩かせたのも本当に申し訳ない。許してくれとは言わないが、それを謝りたいんだぁああああああああああああ」
最後はもはや語り掛けるというよりは俺は叫んでしまっていた。
きっと、今頃近所迷惑に思う何者かが警備員を召喚し、俺は冬菜と話すことなく捕まえられ、学校でも少し問題になって、停学なりなんなりの処分を受けた上に、週明けには5階の住人から噂は広まり、あの高峰壮馬がストーカー行動をしていた!! と学校中話題で持ちきりだ。
最悪な想像をしつつ、だが、やはりドアから返事はない。もはや、会ってさえくれないか。昨日、冬菜はそういっていたんだ、もう二度と近づかないでください、と。
会ってくれるはずがない。やっぱり、結局は全て俺の自己満足や独りよがりなだけで、俺がそう思っていても、冬菜がそうじゃないのなら俺の決意なんてある意味では押しつけがましいだけだ。
そう思って、顔を伏せていると、突然頭に衝撃が走る。
「い、いでぇ……」
何事かと思っていると、突然扉が開き、俺の頭にその扉が直撃しているのだとすぐにわかる。ということは、まさか……。
俺は何歩か後ろに下がると、扉から顔を出す冬菜が見えた。
「あの、近所迷惑なのでやめてください。普通なら警備員さんを呼ぶところなんでしょうが……」
と冷たくあしらわれているのだろうか。でも、それなら無視をしていればよかったはずだ。
二度と近づくな、と言ってきた冬菜から近づかせることには成功したみたいだ。
「少しだけ、話は伺います。今日はまだルームメイトは部活をやっているので、帰ってくるまでです。入ってください」
結果的になぜ話を聞いてくれるように思ったのかもわからないが、ひとまず俺は部屋に通された。そして、そのまま冬菜の部屋へと直行する。
沙由菜は俺を家に招待してくれることがないので、女子寮の部屋に実際に入るのは初めてだ。
冬菜の部屋に入ると、冬菜のかおりが俺の鼻をくすぐる。少し気持ち悪い物言いだが、心地よいかおりだ。
さらに、俺はまじまじと部屋の内装を見る。
かなり整理整頓が行き届いており、いくつかある本棚にはびっしりと小説やらなんやらが詰まっている。白を基調とした部屋で、正直に言えば女子の部屋という感じには見えない。
そして、机の上には写真立てが置いてあり、しかしそれは写真の面が下を向いたように倒れている。
冬菜は自分のベッドに腰を掛け、俺に床に座るように地面に指を差す。
なんというか、あんまりな対応だが、氷の女王様に謁見を許された下々の気持ちになった方が謝りやすい気分がする。
「それで、この前のことですけど……」
と冬菜が話を始めようとするが、先に俺はその声をさえぎるように
「冬菜、本当に申し訳なかった」
と謝る。
続けて、俺は先ほどドア越しにも言ったように、デリカシーのないことをしたことなどなどへの贖罪を口にするが、冬菜はそれ以上の言葉はいらないのか首を横に振る。
「一昨日の件は……、私もなかったことにはできないです。確かに、壮馬くんは的確に私が一番触れられたくないところを見てしまいました。でも、その後一人になって冷静に色々考えてみて、思いの外自分でもそこまで怒ってないと思ったんです。それからずっと考えてたんです。壮馬くんとの一日は、最初はほんの少しの気まぐれでした。でも、すごく素敵な一日だったんです。だから、なかったことにはできなくて、でも……やっぱり私……」
なにか、うちに来た時の冬菜と言っていることが違う気がするぞ。うちに来たときは全部忘れろと言っていたよな。考え直した、ということか?
とにかく、冬菜の言いたいことは冬菜も俺との関係を終わらせるのを惜しんでいると受け取ってもいいんだよな?
「ってことは、仲直りしてくれるということか?」
と俺が聞くと、冬菜はもう一度首を左右に振る。今の言葉からだとそういうニュアンスだと思っていたが。
「私は壮馬くんと一緒にいてはいけないんです。ほんの少しの気まぐれだったって言ったじゃないですか。私はあの時一回だけお礼をするついでに壮馬くんとお話ししてみたかっただけなんです。これからもずっとというわけにはいかないと思ってます」
一緒にいてはいけない、ってどういうことだろう。
別に俺と冬菜が一緒にいていけない理由はないだろうに。どんな理由でそういっているのかはわからないが、それは冬菜の自由なはずだ。
「なんでそう思った? 別に誰といることを選ぶのも冬菜自身じゃないのか?」
俺の質問に対して、冬菜はすぐには答えなかった。
何かを悩んでいるのだろうか、迷っているのだろうか。
俺は少しの間冬菜の様子を見守る。
その沈黙自体に特に気まずさを感じることはなかった。おそらく、冬菜も必死で考えているんだ。
言うべきか言わないべきか今でもまだ悩んでいる。
それからの少しの沈黙を破ったのは他でもない冬菜だった。
「……明坂さんと壮馬くんの関係を私が壊してしまうことになるからです」
そう来たか……。
いや、だが想定の範囲には収まっているようにも思う。
そもそも、沙由菜が冬菜のことを知らないのに、なぜ冬菜が沙由菜のことを知る、そして俺との関係について心配をする?
そんなの簡単だ。
沙由菜が嘘をついているからだ。
もともと、沙由菜と冬菜は知り合い以上だった。
それは冬菜の前髪おばけと揶揄されていた時期。それを止めたのが他でもない沙由菜なのだ。
知らないやつの噂をどうやって怒って止める。知ってるから止めるにきまってる。
沙由菜は絶対的に自分の正義に従順だ。いじめなんて許すはずがない。それは昔からそうだ。
じゃあ、なんで俺に冬菜との関係性を隠す必要がある?
俺が沙由菜に対して心配されないように隠し事をしたように、沙由菜にとっては沙由菜と冬菜の間にあることが俺に心配されるような隠し事なのだ。
「なるほど、わかった。いや、単刀直入に聞いてもいいんだが、二つ俺から質問してもいいか?」
と聞くと、冬菜は小さくうなずく。
「まず、この曲を聴いてほしいんだ」
俺は『誰のためでもないラブソング』をスマートフォンの音楽プレイヤーを用いて再生する。そもそも冬菜が俺を知る理由、俺は自分が二年前に流行ったロックバンドのボーカルだから誰が知っていてもおかしくない、そもそも学校では広く知られており、俺のファンだったという人が俺に告白をしてくるから、別に顔だってそこまでよくもないのに学校一の美女とか人気の子からも告白される。だから、冬菜も知っていてもおかしくないと感じた。
しかし、冬菜はその素振りがなかった。
「この曲知ってます。数年前に流行ってましたよね」
「冬菜、この曲、俺が作って歌ってるんだけど、知ってたか?」
俺のその質問に対する答えは、首を横に振ることでノーだと示す。
「全然知らなかったです。ごめんなさい」
「いや、謝ることではないんだ。俺も別に公言して回ってるわけじゃなくて、すぐにバレて学校中の大半が知ることになっただけで」
こういってしまうと失礼かもしれないが、冬菜は本とばかりつきあい、他の誰かとそこまで関わらないからこそ、俺のことをその線から知っているわけではない可能性も考えるべきだった。
したがって、冬菜が会ったこともないのに俺を知っていた理由は一つしかない。
実際に俺のことを目撃し、俺のことを観察したことがあるからだ。
何度も言うが俺は別に顔がよいわけでもなく、誰かの観察対象にされるような不審な行動もとらない。で、あるなら、俺以外の誰かを見ているときによく一緒にいる人物だから俺も同時に観察している、ということだ。つまり、沙由菜と話す俺を観察しているから、沙由菜と俺の関係を壊すわけにはいかないし、俺のことを知っていたわけだ。
ある程度考えていたことが次々にピースがはまっていく。
しかし、これまでの状況的な証拠からだけでは沙由菜と冬菜の関係は幼馴染とか親友とかそのレベルであることを否定できない。
いや、俺があの公園でみた冬菜の素顔こそが、沙由菜と冬菜が隠していたことをただの隠し事ではなく、もっと根本的に大きな問題へと変えていく。
「もう一つの質問。冬菜は一昨日の出来事をなかったことにはできないんだよな? 昨日、俺のところにきて全部忘れてくれ、って冬菜が言ったのを覚えてるか?」
そう、その後に考えが変わったのかもしれないが、これ以上の矛盾点はどこにもない。完全に意見が食い違っている。
「……昨日、私は壮馬くんの家には行っていませんよ。そもそも、壮馬くんの部屋がどこにあるのかも知りません」
「わかった。いや、そもそも話の流れを思えば、冬菜が俺とこうして会ったくれてるのは、これを俺に話してくれる気になったってことだと思うんだ。つまり、俺が見たものは見間違いとか誤認があったわけじゃない」
冬菜はうなずく。
俺がその答えを言ってもいいということだろうか。俺は一度写真立ての方を一瞥する。
聞くまでもなく、おそらくそこには答えがある。だが、俺は冬菜に直接俺の導き出した結論を伝える。
「つまり、雪野冬菜と、明坂沙由菜は双子の姉妹、だったんだな……?」




