白いキャンバスに思いをはせて。
雪野冬菜を連れて走り出したはいいが、そこまでがっつり運動をしてきたわけじゃない俺は結局校門前で止まってしまう。俺も雪野冬菜も息を弾ませながら、一度立ち止まる。
「こんなんで、息切らすとかださいな、ははは」
「いえ、私も運動不足かもう足がパンパンです」
なんだかんだで雪野冬菜もクスクスと笑いながらそう言ってくる。
とりあえず、何も考えずに連れ出してみたが、どうしよう。どこへ行こう。いや、ひとまず俺は今日一日、雪野冬菜と会話をしてみようと思う。
門限ぎりぎりになるかまではわからないが、ゆっくり話して、門限を過ぎてしまうと困ることになるかもしれない。し、そもそも雪野冬菜も寮生の可能性があるわけだし、とりあえずそれを訪ねてみよう。
「雪野さんって、寮生?」
「はい、そうですけど。どうかしましたか?」
「門限までには帰るつもりだけど、もしゆっくり話してて門限過ぎたら困るから、もしそうなら外出届出しておこうかなと思ってさ」
俺がそういうと、雪野冬菜は少し考えているのか、まだ完全には整っていない呼吸をしながら、言葉を出せずにいた。だが、意を決したのか、一度深呼吸をしたと思ったら、ポケットからスマートフォンを出し、誰かに連絡を入れているようだった。
「友人に外出届出してもらうように頼みました。なので、もし高峰さんがゆっくり話したいというのでしたら、付き合ってみたいと思います」
「そうか、じゃあ、俺も友達に言って出してもらうかな。あと、雪野さん、俺のことは呼びつけにしたりしてもいいからな」
あまりさん付けで呼ばれることもないので、なんだかむず痒い。女子なら、さん付けで呼ばれることも多いだろうから抵抗はないのだろうが。
「わかりました。でも、どうしましょう。私、その、あんまり男の子と話すこともないので、どうすればいいのかわからないです」
まったく表情も見えないくせに、明らかに恥ずかしがっているのがわかる。雪野冬菜はそもそも誰かと話している姿もあゆみにほとんど目撃されていないくらいなのだから、男子への免疫もあまりないのかもしれない。というか、そう考えると、俺はかなりやばいことをしているんじゃないだろうか。まぁ、今はそれを考えても仕方がない。
「そうだな、じゃあ、これから親交を深めるということで、下の名前で呼んでみてくれないか?」
俺も少し恥ずかしいような気持ちが隠せず、笑ってごまかしながらそういった。
「わ、わかりました……。そ、壮馬、君」
「よ、よし。けど、なんだか恥ずかしい気もするな、ははは」
「私だけ呼ぶのに恥ずかしい気持ちになるのはフェアじゃないです。そ、壮馬君も私のことは下の名前で呼んでください」
「は、雪野さんって意外と大胆なんだな……。わかった、じゃあ、俺も君のことは冬菜って呼ぶことにする」
本当に男とあまり話したことがないのが本当なのかわからないくらいに雪野冬菜、もとい冬菜は大胆すぎるほどに大胆だった。
「じゃあ、壮馬君、行きましょう。どこに連れて行ってくださるんですか?」
さて、そうだな。どうしよう。特に俺もどこか行く宛てがあって連れ出したわけではないのだ。5限の授業が終わり、放課後後輩からの告白や佐藤たちと話してと、現在は15時すぎだ。外出届を出したとしても、遠出できるほどの時間もないだろうし……。
落ち着いてカフェで話すのもありだが、俺は何かを考えたりするときは歩くことが多い。ともすれば、散歩できるようなところがいいだろうか。冬菜次第ではあるが。
「冬菜は公園を歩いたりするのって好きか?」
と聞くと、再三にいうが表情も髪に隠れてよく見えないので、表情だけで彼女の気持ちを推し量ることができない。沙由菜みたいにすぐ顔にでるやつと違って、なかなかにやりにくい。
「あんまり公園を散歩することがないので、好きかどうかまでは……」
冬菜は俺の質問に対してそう答える。
それもそうか、普通の高校生、特に女子高生が公園を散歩するなんてじじくさいことをするとは思えない。するとするなら、犬の散歩とか……。あ、そうだ。思いついた。
「冬菜動物は好きか?」
「えっと……、可愛いですよね」
「よし、じゃあ決まりだ。動物園に行こう」
俺らが住む街には高級住宅エリアでの辺りに動物園や少し離れるが高台に上る夜景のきれいな公園などある。夜景のきれいな公園は誰かさんが、いやごまかす必要もなく過去に小春に連れられて行ったきりだが、小春はその公園の夜景を見ながら、心の距離を縮めるのには夜景が一番と言っていた。それにあやかって動物園で少し時間をつぶし、そのエリアにあるレストランで食事をし、夜景を見て帰ってくる。普通に普通な素敵なデートプランって奴だろう。
仮にこれを沙由菜にやったら、過去の女と来たのか、とか今だと小春と来たことを疑われて怒られそうだ。疑われるも何も真実なのだから仕方ないのだが。
「わかりました。動物園なら少し急いだ方がいいかもしれませんね」
と冬菜が言う。その通りで動物園自体は夜遅くまでやっているわけではない。特別なイベントで夜の動物園もあるのだろうが、あくまで通常営業であれば夕方すぎくらいに閉園するだろう。
「善は急げ、だ」
俺らは目的地を定めたため、駅の方へ向かうことにした。
学校から駅はそんなに遠くもなく、歩いて5分ほどでたどり着ける。電車の数自体はそこまで多くなく、6,7分に一本程度だ。乗り換えも鑑みると動物園までは30分ほどは掛かるとみてもいいだろう。
そのころには受付終了のぎりぎりの時間になるだろうし、見られる時間も少ないかもしれない。いや、まぁ、動物園自体に用事があるわけじゃないのだが。
とりあえず、冬菜のペースに合わせて歩きながら、雑談をふってみる。
「冬菜は普段から読書してるのか?」
これ自体には質問の意図はまるでない。図書委員をやっていて、本を常に携帯していて、本を読むために図書室にいたり、誰もいないところに行こうとする人物が普段から読書をしていないわけではない。はい、そうですと言わせるための質問だ。これ自体はテレビからの受け入りだが、心の距離を縮めるためには、肯定、つまりイエスを取ることが重要であるらしい。そうして、イエスを重ねていくと、どんな質問にでも答えてくれる、らしい。まるでナンパ師のモテテクみたいで少しばかり心苦しいが。
「はい、そうですね」
「だよな。童話とかも読んだりするのか?」
冬菜は『ふたりのロッテ』という童話を読んでいたから、これもイエスというだろう。
「読みますよ。私、結構雑食なんです。いろいろ読みます」
で、ここからが俺には何をイエスと言ってくれるかはわからないところだ。慎重にいかなければイエスは引き出せないかもしれない。
「へぇ、すごいな。本読むのそんなに好きなんだな?」
「はい、自分の世界だけでなく、いろんな世界があることに気付けて面白いです」
よし、なんとかなった。あのテレビでは三回以上イエスを取れば、次の質問も答えてくれるはず、とか言っていたな。もちろん相手の様子を見て、と言っていたが。
冬菜の表情は読み取るのが難しいので、なかなかわからない。ここは慎重に行くよりも大胆に行くべきだろう。冬菜を実験対象みたいにしているようで申し訳ないが、少し自分らしくもない突拍子のない質問をしてみようと思う。
「ところで冬菜、今日履いてるパンツの色って白?」
「はい、白ですけど……。って、壮馬君何聞いてくるんですか、変態さんなんですか!?」
だ、大成功だ!! 冬菜は白いパンツをはいているらしい!!
思ったより割と大きい声で突っ込まれて、冬菜の物静かなイメージとは真逆な突っ込みである。
なんというか、初恋の子を揶揄う子供の気持ちが少しわかった気がする、楽しい。
「すまんすまん、冗談だ。まさか答えるとは思ってなかったし」
冬菜は確実に真っ赤になっているような態度を取っているし、耳は露出しているため、赤くなる耳を確認することもできた。
沙由菜であれば、きっと同じ状況に立った時に顔を真っ赤にするだろうが、殴ってくるに違いない。憤怒だ。
「もう絶対壮馬君の質問に答えてあげないです……」
と、冬菜が言うと歩幅はそのままに歩くペースが速くなる。といってもやはり歩幅が小さいせいかそこまで速くない。
俺は少し歩くペースを速めて、すぐに冬菜に追いつく。
「悪かったよ! 忘れる忘れた。今のなし。冬菜のおすすめの小説教えてくれよー」
俺がそういうと、冬菜はぴたりと立ち止まる。
くっ、なんだ、やはり怒るか。このままやっぱり帰るとかいうのだろうか。いや、そうだとしても俺が悪い。
と思っていたが、返ってきた返答はまったく予想外だった。
「そうですか、減るものでもない気がするので忘れてくださるなら許します。私のおすすめの小説はですね、」
忘れる、よし。冬菜が白いパンツをはいていることを忘れる。忘れた。
そうやって、意外とすらすらと会話が続き、気まずい気持ちになることもなく冬菜のおすすめの小説を教えてもらったりしながら歩いているうちに、駅までたどり着いていた。
冬菜と話すのは意外と苦痛でもなんでもなく、むしろかなり話しやすい方だと思った。おそらく、冬菜は読書を結構していて、言葉も知っているし、話題が尽きないおかげなのかもしれない。
今日初めて隣を歩くというのに、そしてそんな俺らを目的地があるにもかかわらず、これから乗る電車がどこまでも楽しい世界へと連れ出していってくれそうな予感がした。