第8話 罠より団子
「ねえ、君」
「はっはい?」
4月も後半に差し掛かった木曜日の放課後、私は1人の女生徒に呼びかけられた。今までの勧誘の嵐のこともあって、まだ人とうまく接することができず、そのため友達もいなかった私は、急にかけられた声に変な声をあげてしまう。
振り返るとそこには、ボブカットの黒髪に切れ長の目をした背の高い女性。私より高いということは、170センチ後半はあると思う。制服ではなく体操着だったら、美青年だと思っていただろう。ニーソに包まれた細く長い脚が羨ましい。
「すまない。とてもきれいだからつい、ね。新入生かな?」
「ええ。はい、そうです」
彼女の胸のリボンを見る。この学校の制服は、今年は1年生が赤、2年生は青、3年生は緑色のリボンに分けられている。青色ということは、ひとつ上の先輩なのだろう。綺麗、なんて言われたけど、それは彼女のためにある言葉のはずだ。
「君の髪は、金髪でいいのかな?」
「はい、母がイギリス人で」
「そうか。いきなり不躾な質問をしてすまない。はじめてみるんだ。金というより白金に近い、プラチナブロンドというやつだろうか。少しいいかい?」
返事を待たずに先輩は顔を近づけ、私の髪を見つめる。どうしよう。緊張する。初日にたくさんの同級生にみられていたときよりもはるかに。
「目もとてもきれいな碧い瞳をしている。過去にも、同級生にハーフやクォーターの子がいたことがあったが、こうして見惚れてしまったのは君がはじめてだ」
先輩の左手のひとさし指の腹が、そっと私のあごに触れる。体から力がすべて抜けて、固まってしまった状態。立っていられるのが不思議なくらいに、今の私は何もできない。顔を近づけて瞳を覗かれる。先輩の瞳も黒く、黒く、とても美しい。やさしい、どこか安心できる美しさ。
私の顎から指を離して、先輩は私の頭の上に手を置いた。白く長い指の手にゆっくりと撫でられる。こんなふうに撫でられたのは、はじめてではないだろうか。多分、パパにもママにもされたことはないと思う。それを、初対面の名前も知らない先輩に。それなのに、全然悪い気がしない。もっとして欲しいとさえ思えてくる。すごく、甘えたくなる。
「望月団子」
「ヘフ・・・・・・・はい?」
「私の名前だ。君の名前、ききたいな。いいかな」
団子さん。かわいらしい響き。どこかで聞いたことがあるような。すごく綺麗な先輩とは少し不釣り合いなはずなのに、そのギャップがまた先輩の魅力を引き立たせる。
「私・・・・・近藤・シャーロット・和姫です」
「カズキ?」
「ええ、はい・・・・・。えっと、男の子っぽいですけど、すみません」
「別に謝る必要なんてない。いい名前じゃないか。どういう字を書くのかな」
質問に答えようとしたら手で制された。先輩は、胸ポケットから、綺麗に折りたたまれた紙とペンを取り出す。出された紙に、私は漢字とローマ字で自分の名前を書いた。
「なるほど。“和”の“姫”と書いてカズキか。やはり君に似合っているよ。生まれは日本なんだっけ?」
「え?あ、はい、生まれは富士なんです。日本よりドイツの方が過ごした時間は長いんですけど」
「そうか。でも、これからの高校生活の3年間、いや、この先もずっと君は日本で生きていくのだろう?向こうの生活がどうだったかはわからないが、日本もきっと楽しいよ。これからもよろしく」
「あ、ありがとうございます。・・・・・はい、よろしくおねがいします!」
出された先輩の手を握る。やっぱり白くて大きい綺麗な手。先輩も私の手を握りしめると、女性でも本気で惚れてしまいそうな笑顔を私に向けた。
「んじゃ、行こっか。みんな待ってる」
「はい!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
私はこの時すっかりと忘れていた。今週からはじまった、変態からのつきまといを。