第7話 近藤・シャーロット・和姫の憂鬱
私、近藤・シャーロット・和姫は、帰国子女である。日本人の父とイギリス人の母の間に生まれた、今月入学したばかりの高校生だ。生まれは日本だけど、パパとおじいちゃんの仲が悪かったため、日本に帰ることは年に数回程度で、中学生までのほとんどの時間を、父が働くドイツのベルリンで育った。おばあちゃんは、たまにしか帰ってこられない私やママに、本当に優しくしてくれた。おじいちゃんも、ぶっきらぼうではあったけれど、私が日本に帰ってくると、遊んでくれたりお祭りに連れて行ってくれたりした。私は、2人が今でも大好きだ。
おじいちゃんの訃報が届いたのは、昨年の7月のことだった。大好きなおじいちゃんの唯一嫌いだったところ、たばこが一番の原因なのだろう。後から聞いた話では、おじいちゃんは肺ガンを患っていて、手術で肺の半分近くを切除していたらしい。
帰るといつも元気だったおじいちゃん。ご飯にもおかずにも時にはお味噌汁にまで塩をかけて食べて、おばあちゃんにバレて、怒られていたおじいちゃん。お祭りに行ったとき、買ってくれたじゃがバターに、アホみたいにたくさんの量の塩コショウをかけて、私を泣かせたおじいちゃん。私が頼んだものを、いつもはじめに一口食べてから渡してきたおじいちゃん・・・・・。あら?なんだかほとんど悪口みたいになっているのだけど。私って案外、おじいちゃんとの良い思い出もってないわね。これが思い出補正とかいうやつなのかしら。
私が進学先に日本の高校を選んだ理由のひとつは、そこにある。優しいおばあちゃんを、1人にさせてはおけなかった。おじいちゃんのためにも、ね。
もともと、いつかは日本に帰るとパパは言っていた。若い時に両親を亡くしたママも、それを望んでいた。私は、仕事で帰ってこられないパパと、パパが心配なママより先に、そのいつかを実現する、という、ただそれだけのことだ。ベルリンでの生活が嫌いだったわけではないけれども、私は日本に行きたかった。なんでかはわからないのだけど。
パパもママも、日本の高校に通うという私を許してくれた。おばあちゃんも、はじめは心配していたけれど、最後は喜んでくれた。多分、私の人生で1、2を争う重大な決断だったと思うけれど、特に迷うこともなく、決心できた。おじいちゃんが、天国から後押ししてくれた、なんて考えるのは、都合がいいのかしらね。
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決心に時間はかからなかったが、高校入学の初日は本当に緊張した。
原則として、髪を染めることを禁止されているこの学校で、黒髪の同級生たちに囲まれる中で、空気を読まずに光ってしまう金髪の私は、嫌でも目立つ。
先生には、染めても良いといわれたが、私は染めなかった。ドイツの学校で、同じ金髪の友人が栗色に染めた時、はじめは可愛いと思い、私もしてみようかと思ったが、しばらくたって脱色してくると・・・・・・・うん、まあ、そういうこと。その友人曰く地獄だそうよ。
きっと私も、この髪を黒染めしたら最後、二度と今ある幸せには、戻ってこられないだろう。まあ、ママ譲りの、このプラチナブロンドの髪は、むこうでも珍しく、良く褒められていたので、小さいころからの私の自慢である。おばあちゃんにも、綺麗だとよく言われるので、本気で染めようと思ったことは一度もない。
そういうわけで、自分の選択に後悔はないのだけれど、教室でのいたたまれない感覚は、どうすることもできないのよね。ママには、まだ日本人は、外国人との間に一線を引いている、といわれていた。生まれや国籍は日本でも、見た目は完全に外国人な私は、その言葉に覚悟はしていた。私が、自意識過剰なだけかもしれない。それでも、しんどい。私はこれからはじまる高校生活に、早くも不安を抱いていた。
そんなことを考えていた、初日の放課後のことだった。1人の女生徒が話しかけてきた。同じ新入生ではなく、2年生の先輩。HRが終わった後、教室を出て、そのまま帰宅しようとしたときのことだった。
そこからは、少し前の孤独な不安を抱えた私はどこへやら、たくさんの女生徒で、私の周りはてんやわんやだった。
同級生からも先輩からも質問攻めにされた。容姿を恥ずかしいくらいに褒めちぎられた。遠くから私の写真をパシャパシャと撮る生徒もいた。でも一番多かったのは、部活動の勧誘。パパに勧められて特に調べないまま受験したため知らなかったのだけど、この学校は、部活やサークル活動が盛んみたいで、田舎の山のそばの高校ながら、その数は、末端のものまで含めて60近くもあるそうだ。
ベルリンの学校に通っていたころ、私は特に部活動には入っていなかった。学校が終わると家に帰り、パソコンや本を使い“日本語の勉強”をしていた。高校に入ってからも部活動には入ろうと思ってはいなかった。そもそも、おばあちゃんを1人にしないためにこっちに来たのだから、学校が終わったら早く帰って家の手伝いをしたかった。
だからきっと、「ごめんなさい。部活は事情があってできません」そう断るべきだったのだろう。けれども、私は、不安や緊張を抱えていたこともあって、そうできなかった。学校の色々なコミュニティーから声をかけてもらえることが、本当にうれしかったから。彼女たちが差し出すチラシはすべて受け取り、彼女たちの説明はときどき言葉の端々をオウム返ししながら最後まですべて聞き、ミニゲームや生演奏や過去の大会のビデオ鑑賞など、お茶やお菓子を貰いながら、見たり体験したりさせてもらった。どれも新鮮で楽しかった。
しかし、それも毎日、何度も同じような内容が続くと困ってしまう。はじめにしっかりと断らなかった私が悪い。おさまりがつかなくなっていた。
次の週には先輩方からだけではなく、すでに入る部活を決めた同級生からも勧誘を受けた。先輩方の誘いはもちろん、同級生の誘いは特に断りづらかった。今年1年間だけではない。これからの3年間の高校生活、もしかしたら、その先まで一生の付き合いになるかもしれないのだから。
朝の授業開始前の時間から、休み時間や放課後まで、先週よりも精神的にくるハードな勧誘を受けた。そのため、週の後半は、休み時間になるとすぐにトイレへ行き時間をつぶし、お昼はクラスメイトの勧誘つきのランチの誘いを断り、誰もいない空き教室や屋上の隅などで、1人で食べた(なんとかトイレで食べるのだけは思いとどまったわよ?)。
勇気を出して断っても何度も勧誘してくる同級生たちに、私の身体に半分流れている日本人の血が罪悪感を騒ぎはじめて終わった週の翌週、つまり、今週の月曜日、あれだけあった勧誘がピタッと終わった。先輩からも、同級生からも、どこからも勧誘が来なくなった。
何か悪いことしちゃったかしら?嫌な思いをさせてしまったかしら?
少し心配になって、自分からクラスメイト何人かに声をかけてみたのだけど、特に何ともなく、どこか嬉しそうに話をしてくれた。ランチにも誘ってくれて、勧誘のない、先週までは言ってなかった部活動への愚痴を面白おかしく話してくれた。
どうして突然こうなったのかはわからない。まるで、裏で誰かが糸を引いているかのようにピタッと止まった勧誘に少し違和感を覚えながら、けれども、先週とは打って変わってこれからの高校生活に光が見えはじめたその週に、私は“彼女たち”と出会った。