プロローグ がくてつっ!
ガパボコガパボコと大きな音を響かせて扉が閉まり、ガタゴトガタゴトとたった一両しかない電車がゆっくりと前へ進みだす。乗客は、私たちと年配の女性2人だけ。人の少ない車内は少しの声でもよく響く。私はすぐに声が大きくなってしまうから注意して、雪菜ちゃんと今日見た映画を振り返っていた。
「今日の映画、面白かったですね。初めは子供向けの映画なのかな、なんて思っていたけれども、最後はホロッと泣いちゃったな。日本のアニメ映画の魅力を改めて実感しました」
「だね。私も少し泣いちゃった。途中で小学生の女の子たちがおっぱい触りあっていたときはびっくりしたけど、最初から最後までハッピーなままの映画ってすごく新鮮だったな」
日曜日の午後、私たちは、団子ちゃんに誘われて沼津まで映画を観に行った。今はその帰りの途中。越原駅で岳楠鉄道に乗り換えて、本越原駅まで向かう車内。
「団子さんのおかげで今日は得した気分です。先に帰ってきちゃったけれどもよかったのかな」
「大丈夫だよ。多分もちこちゃんはまだ用事が残ってると思うし」
もちこちゃんこと望月団子ちゃんに、一昨日の“作戦会議”のあと、入場者プレゼントと引き換えで映画の代金を半額出すから、と誘われて、今日は久しぶりの映画鑑賞となった。昨日から公開された映画のはずなのだけれど、ちらっと見えたもちこちゃんのお財布には、映画の半券数枚と未使用の券が数枚入っていた。以前、同じ映画の前売り券を確か7~8枚は買っていたから、恐らくまだまだ同じ映画を観ていく予定なのだろう。明日は平日で学校もあるし、多分見続けても今日までだと思う。明日から“作戦”のはずだけれども・・・・・大丈夫かな?
「また観に行きたいです。ユウさんとこうして映画に行くのも久しぶりですよね。あまり映画は好きじゃないのかな?」
「そんなことはないんだけれどね。昔に比べれば」
雪菜ちゃんの質問で、苦い過去を思い出してしまった。その昔、スズちゃんと観に行った某アニメ映画のキャラクターに恐れおののき泣いてしまって以来、映画館で映画を観る機会は少なくなった。あのときは大きなスクリーンと大きな音もあいまって、小さな私の心の許容範囲を超えてしまっただけだったが、今でもあまり行かないのは、映画の音以上に大きな声で泣いてしまった幼いころの自分に対する恥ずかしさがしこりとして残っているからである。ジ〇リのキャラってたまに変な怖いキャラ出てくるよね。
「小さいころ大きな画面と音が怖くて泣いちゃったときがあってね。今はそんなこともないんだけど」
「ふふふ。ユウさんでも怖くて泣いてしまうなんてことがあるのですね。ユウさんの泣き声の方が映画の音より大きそう」
「アハハ・・・ひどいなあ。まあ、その通りなんだけどね。昔のことだから」
車両前方の車窓からは、その線路の遥か先にそびえる富士山の堂々とした姿を見ることができる。日本一の霊峰は、そろそろ明るいオレンジ色を帯びはじめてきていた。岳鉄の乗客はいつにもまして少ない。越原駅を出た次の駅は、乗り降りする人もいないまま出発した。休日なのに、いや、休日だから、といった方が正しいのか、それともこの時間だからなのか、岳鉄の乗客はいつにもまして少ない。遠ざかっていく無人駅に少しさびしさを覚える。
そんな感傷に浸っていると、ふと、隣に座っていた雪菜ちゃんが体ごとこちらを向いて、私の顔へ両手を伸ばしてきた。特に驚くこともなく、私もすんなり受け入れる。白くて暖かな彼女の両手が私の両耳を包み込んだ。少しくすぐったい。ほぼ同時に私も両手を伸ばし、彼女の両耳をふさいでいた。この息ぴったりのコンビネーションは、私たち2人が長い付き合いの親友同士であることの証。そして―――――
次の瞬間、キィーンと高く大きい軋んだような音が車両中に鳴り響いた。
趣のある車両を長年使い続けているこの岳鉄は、時たまこんな音を出す。1両だけの車両の中には、これがまたよく響くのだ。この街で生まれ育ち、何年もこの電車に乗り続けている私たちは、地震を察知するワンちゃんやネコちゃんたちのごとく、この音が鳴る瞬間をなんとなく予測できるようになってしまった。
そんな無駄な予知能力と、予想通りに鳴った音と、二人同時に少し恥ずかしいことをしてしまったことへの照れくささから、二人してクスクスと吹き出してしまう。暖かな雪菜ちゃんの手が離れた後でも、まだ少し頬は熱いまま。
照れくさいことをしていた私たちを、ほほえましそうに見ていたおばあちゃんたちに軽く会釈をし、再び窓の外に目を向けた。雪菜ちゃんも私の目線の先を追う。
「明日は平日、学校だね。高校生活はどうでしょう?」
「はは、どうでしょうって言ってもまだひと月も経っていないからなー。いまだに、実感がわかないや」
「ふふふ。ユウさんらしいですね。でも少し遅くないかな?」
「あはは、なんだかあまり変わったような気がしなくて」
高校に入学して約半月。確かに授業の内容は難しくなった(気がする)。先生に対しても敬語を使う機会が多くなった(気がするパート2)。でも、あまり実感がわかない。4月になってからの新生活は、朝起きて学校に行って勉強して、友達と話して、部活(?)で遊んで、休日もこうして雪菜ちゃんやもちこちゃんと遊んだり松下のおばちゃんのところに行ったり。考えてみると、小・中・高と生活が変わっていないような気もしてくる。まあ、そう変わるものでもないのかな。
「そうなんですか?スズさんの引っ越しの時、ユウさん凄く泣いていた気がしますが・・・・・・」
雪菜ちゃんの言葉で、頭の中に彼女の暖かい笑顔が思い起こされる。
四咲涼。彼女が引越したとき、私は毎晩泣いていた。近所に住んでいた彼女は、初めてでできた親友で、幼稚園より前からの一番長い付き合いで、平日でも休みの日でもほとんどいつも一緒にいた。
「それを言ったら雪菜ちゃんも負けないくらい泣いてたよ。2人とも大泣きしちゃってスズちゃん最後まで困っていたんだから。こまちゃんいなかったら大変だったよ?ホント」
「団子さんも含めて3人です。小豆さんと同じくらい、スズさんがお姉さんに見えました」
もちこちゃんのは泣きマネだったように思えるけど。スズちゃんに抱きついてチューしようとしてたし。
「うーん。引っ越しちゃったばかりの頃は私も泣きっぱなしだったけれどね。でも、電話すれば何時間でも付き合ってくれるし、ラインもちゃんと返してくれるし、会えないのは寂しいけれど、多分私たち、そんなに変わってないと思う」
“慣れた”なんていうことはできないけれど、今でも私と雪菜ちゃんともちこちゃん、そしてりょ・・・・・スズちゃんの4人で一緒にいる、そんな感じが私はしている。
「私もそんな気がします。ゴールデンウィークはお互い忙しくて予定を立てられませんでしたが、夏か冬にはまたみんなでおでかけしたいです」
「だね。来年は春の1500円バスやるのかな」
『次は~本越原~本越原~。無人駅です。降り口は~一番前の―――――』
そんな話をしていると、商店街にある有人駅を超え、私たちの降りる駅が近づいてきた。
駅に着き、運転手さんに券を渡して電車を降りる。季節に合わせて桜の柄がラッピングされたオレンジ色の車両が遠ざかっていくのを見送り、空を見上げた。
昼間はもう暖かくなってきたが、夕方はまだ少し肌寒く感じる。服の選び方が難しい季節だ。白いワイシャツに黒のロングスカートを身につけた雪菜ちゃんは、長い黒髪を手櫛で丁寧にすきながら、おさげのように左右から首元に垂らした。あれで寒さは防げるのだろうか。ギリギリ肩につく程度の長さの私の髪では、検証のしようがない。冬は私も髪を伸ばそうかなー、なんて思うことがある。でも、長く美しい、吸い込まれそうなくらいに艶のある黒髪を持つ雪菜ちゃんを見ていると、私が伸ばすのはおこがましい気がしてきてしまう。反対に、夏は髪を短くしようかなー、なんて思うけれども、性格はともかく、ボブカットで背の高い美少年然としたもちこちゃんがいるので以下省略。どっちにしても、髪型が変わるだけで、友達からの見られ方も変わるのが女の子だ。本気で変えようとは思わないけれども。
雪菜ちゃんの黒髪に見惚れていると、駅前の桃太郎印の中華料理店の横を抜けて一台の黒塗りの車がこちらへ向かってくるのが視界の端にうつった。雪菜ちゃんの家のものだ。
「行きましょうか。今日はお家で大丈夫?」
古泉家の車は、なんていう会社のものかはわからないけれども、シートからして私でも座ってみてわかる高級車である。とても乗り心地の良い車で、いつも送ってくれるときは、数分の距離でもうっかり寝てしまいそうになる。
「ありがと。でも、今日は自転車で来てるんだ。ごめんね」
「そう?自転車1台でしたら乗せることもできますけど」
「大丈夫。今日は自転車で帰るよ。寄りたいところもあるし」
「わかりました。帰りは気をつけて、暗くなる前にね」
「うん。じゃあ、また明日、学校で」
去っていく車に手を振って見送った。角を曲がり、手を振り返す雪菜ちゃんが見えなくなったところで駐輪場(と言っても駅のものではなく近くの本屋さんのものなのだけれども)へ向かう。今日は一人での帰り道。多分、あの車に乗っていたら、いろいろと考えてしまうと思ったから。私も雪菜ちゃんも、ね。明日から“作戦”がはじまる。私たち2人は何もしないけれども、きっともちこちゃんならやり遂げてみせる。彼女が入れば、きっとこうして雪菜ちゃんと2人だけで帰るなんてことも少なくなってしまうだろう。少しさびしいけれども、それでもそれに勝る楽しみはある。私と、雪菜ちゃんとスズちゃんともちこちゃん、まああと、こまちゃんも一応含めての団子団に、もうすぐ新入団員が入る。スズちゃんの引っ越し以来、まだ少し彼女の暖かさが寂しさとなって団子団に残ってしまっている。けれどももう、その寂しい雰囲気もおしまいにする。してみせる。スズちゃんとも約束をした。きっと彼女の暖かさは、新しい一歩を踏んだ先で、私たちを包む陽だまりになってくれる。良い報告をスズちゃんにできるといいな。
さて、今日は休日。寝坊し待ち合わせに間に合うギリギリになってしまったせいで、朝から映画館の小さなファストフードしか食べていない。お腹がすいた。まだこの時間ならあそこもあいているだろう。
帰りに“ピンクのアレ”を買って帰ろうと思いながら、私は自転車のペダルをゆっくりとこぎ出した。