影・3
「待たんか!」
鼓膜がキーンとするほどの大声だった。
秀就も芙蓉も灯も、睨み合うことを忘れ、そこにいた全員の目が、声を発した九鬼勝治へと向かう。
「今、種族同志で争っているときか? 我々は、手を携える時であろう? 反対派がいるのも、わかりきったこと。奴らに踊らされて、中から崩れるおつもりか?」
秀就の隣で腕組みをした九鬼は、先ほどとはうってかわり、静かな口調で問いただした。
「九鬼さんの言う通りだ。一人二人の造反者のために、我々がいちいち仲違いしてたんじゃあ、敵の思う壺だぜ」
続いて、天羽高志ののんびりとした声が、その場の空気をふっと弛緩させた。
「……そうですね。すみませんでした」
と毒気を抜かれた秀就が頭を下げ、鳴海灯も
「私も大人気なかったわ……。海のものである私がこの山奥まで来るのは、ちょっと大変なのよ。気力も、力も万全とはいかなくなるの。そのせいでカリカリしてたわ」
と肩から力を抜いた。
その表情には、柔らかさが戻ってきている。
「わたくしも、配慮が足りなかったようね」
六角芙蓉が最後に詫た。
「まったく、こんなことだから我ら妖かしの者たちは滅びに瀕しているのだ……」
九鬼がぼやき始めたところで
「すいません!」
と、それまで黙っていた安倍泰造が声を上げた。
泰造は、この部屋に集った面々の中では、一番小柄で色白で、弱々しくさえ見える男であった。彼よりも、女性である六角芙蓉や鳴海灯のほうが、よほど貫禄があるようにみえる。しかし泰造は、皆の注目にもまったくひるむ様子はなかった。
「子どもたちが心配です。秀一くんと翔くんがついていてくれるから大丈夫だとは思いますが、もし賊に狙われれば、信乃には自衛の手段がありません」
その言葉に、ざわりと場の空気が緊張を孕んだ。
「先祖返りの姫君か……!」
安倍信乃は先祖返りの力を持っている。
妖したちの間で、それは有名な話だった。
昔は、先祖返りと言われる異界へ渡る力を持ったものが、少数ではあったが、途切れることなく存在していたのだ。しかし今現在、確認されている先祖返りの能力者は、安倍信乃たった一人になってしまっていた。
異界を感知する力。異界を引き寄せる力。そこから魔物を引き出す力。
信乃はまだ、その力をコントロールできずにいるが、敵に狙われる可能性は大いにある。
その場にいた者たちが顔を見合わせた。
「様子を見てきたいのですが……」
そう言って泰造が立ち上がった時、バタバタと、新たな足音が聞こえてきた。
「し……信乃様が!」
開きっぱなしの扉から、スーツ姿の警備員がもう一人姿を現した。よほどあわてているのだろう、報告する声が上ずっている。
「どうしました!?」
すでに立ち上がっていた泰造は、長テーブルに手をついて身を乗り出した。
「異界渡りです! 大神家の敷地内の畑で……どうやら信乃様が異界渡りを! おそらく秀一様と翔様もご一緒かと思われますが、あまりに異界の気配が濃く、我々には近づくことが……」
バァアァァーーーン!
けたたましく響く破裂音。
「今度は何事だ!」
九鬼が吠え、天羽高志が椅子を蹴り倒しながら立ち上がった。高志はそのまま廊下へと走り出て行く。
秀就もすぐにそれを追うように走り出したが、部屋の出入り口で立ち止まり、一度後ろを振り返った。
「安倍さん! 子どもたちの方はあなたにお願いする! 私は天羽と裏手へ向かう!」
そう叫びながら、もう秀就は高志と並んで全力で走り出していた。
二人が大神家北側にある裏口に到着すると、そこには数名のスーツ姿の警備員がすでに集まっていた。
彼らは秀就と高志の姿を認めると、軽く会釈をしたが、すぐにまた扉の外へと注意を向けた。
あたりに立ち込める焦げ臭い匂いに秀就はわずかに眉根をよせる。
現場の指揮官らしい男が、秀就の隣にすっと近づき、現状の報告を始めた。
「駐車場に停まっているランクルの後ろに侵入者は身を隠しています。駐車場の向こうの林の中にもすでに警備員三名を配置。取り囲んだところです」
秀就が説明を受けながら細く開いた裏口のドアから駐車場の様子をうかがう。
むうっとした熱気が秀就を包むと同時に、異様な匂いが更に強くなり、彼の敏感な鼻を刺激した。
のぞいた先には、もうもうと黒煙をあげている乗用車が一台見える。
先程の爆発音の正体はこの車だったのかもしれない。
黒煙を上げる車以外にも、そこには数台の車が停まっていた。その中に一台の四輪駆動車があり、警備員たちの視線は、そこに注がれている。
「うわ、ウチの車だ……」
天羽高志がつぶやいた。
「敵は、爆発物、及び銃器を手にしています」
まるで、その報告に呼応するかのように、パン! パン! という銃声があたりに響いた。
「なるほど、で? 何人だ?」
そう問いながらも、秀就の目は、食い入るようにランクルを見つめている。その影に隠れている賊を透視しようとしているかのようだが、いくら妖しとはいえ、大神の一族にそこまでの能力はなかった。
「それが……どうやら一人のようです」
現場の指揮官は気まずげにうつむく。たった一人に翻弄されている自分たちを恥じたのだろう。
「では、一気に捉えろ。なるべくなら生け捕りに。本来の姿になれば、たった一人の射つ鉄砲玉くらい躱せるだろう」
秀就からの指示に、指揮官は「はっ!」と顔を上げると、無線で林の向こうにいる仲間に作戦を伝えた。
「大神家では、随分と人間の作った機械を取り入れているのね」
鳴海灯の声が聞こえた。灯につづき、六角芙蓉の姿も見える。
「好むと好まないにかかわらず、人間と関わり合っていると、使わないではいられなくなりますよ。私のとこなんて、旅館を営んでいるから、普段の生活は人間と一緒。まあ、使用人は人間ばかりですしねえ」
二人の背後から、ゆっくりと歩いてくる九鬼勝治の姿もあった。
その間にも、警備員たちはそれぞれが配置につて、賊襲撃のための準備を、着々と進めていた。
「では、作戦を開始する。スタンバイ……」
いよいよ侵入者の捕獲がはじまる。
全員が口をつぐんだ。
周囲の空気がきゅうっと引き締まり、緊張感が高まっていく。
秀就はすっと背筋を伸ばし、腕組みをしたまま扉の外を見つめていた。
「GO!」
その場にいた五名の警備員が消えた。