影・2
「とにかく、初めてのことですから、やってみなければわからないというのが現状ですわね……」
六角芙蓉がそう発言したのは、本日の議題についてあらかた議論し終えた頃合いで、木綿の和服に割烹着姿の使用人が、コーヒーとお茶菓子をそれぞれの客人の前に運び、応接室の中は和やかな雰囲気となっていた。
「あとこれは、それぞれの種族で周知を徹底してもらいたいのですが、我々妖怪だの魑魅魍魎と呼ばれる種族は、人間の比ではないほど子ども……次世代の者たちが少なくなっているのが現状です。日本全国から入学者を募っても、一学年二クラスになるか、三クラスがやっとというところでしょう。学園設立に反対の者もいますしね。該当年齢の子どものいる種族は、強制とは言わないが、原則として子どもを学園に入学させてもらわないと……」
「まあ、そこが難しいところだなあ。我々の妖しの者共は、他人から強制されることを嫌う傾向がある。規則なんかも、受け付けない奴らも多いからなあ」
「横の連携が苦手ですからねえ」
「寮の整備もきちんとしてもらわないと……。我ら海の同胞たちは、棲家から通うということは不可能です。彼らが寛げるような水辺の整備も併せてお願いします」
「鳴海さん、もちろんです。陸のものも全国から集まるわけですから、全寮制になる予定ですよ。水辺についても、もともとあった沼を利用して……整備もすでに進んでます」
こうしてコーヒーをすすりながらの雑談は、きちんと議事進行される会議中よりも話が弾むようだった。
鳴海灯は、秀就の答えに頷きつつ微笑んだ。
「六角さんのところは、お子さんが三人もいらっしゃるとか」
会話は、それぞれのプライベートなことへと及んでいく。
「ええ、私の産んだ子は一人ですけどね。人間の男との間にできた子どもで、その子も人間なの。人間でも、入学はできるかしら? ああ、あとの二人は、私と同じ雪女族の子よ。血がつながってるわけではないけれど、子どもとして育てているの」
「へえ、人間のお子さんがいらっしゃるのですか」
「そうです。雪女というのは、生まれるものではありませんからね。とても寒い雪の晩に、ふとした歪みの中から自然に出現するものななんですよ。雪女から生まれるのは、不思議なことに人間だけなんです。まあ、ちょっとした能力を持っていることも多いのですけど、本人すら気づかないほどの小さな力の場合が多いですねえ」
「人間の入学枠については、今検討中です。少数ではありますが、我らに協力してくれる将来有望な人材を数名ずつ入学させることになるでしょう。将来的に増やすにしても、最初のうちは極少人数でと考えています。六角さんのところのような訳ありの息子さんは、それとは別の特別枠というのもありかもしれませんね」
答えたのは、今回の会議の議場を提供し、議長役も務める大神秀就だ。
「ああ、そのことなんだが……」
秀就の隣りに座る大きな体の九鬼勝治が茶菓子のクッキーを口に放り込みながら発言したときだった。
応接室へと近づく足音が聞こえだした。
ドドドッと、音を立てて近づく足音には、客人への配慮など微塵も感じられない。かなりあわてた様子であった。
部屋の中の者たちは動きを止めると、廊下へと注意を向けた。
バタン!
大きな音を立てて、勢いよく扉が開く。
部屋の中にいた六人は微動だにしなかったが、威圧感を持った気が、一斉に開いた扉の向こうに向かった。
六名の視線に晒された侵入者は、ビクリと肩を震わせると、思わず一歩後退する。
もしこの者が狼の姿であったのなら、耳を伏せ、尻尾を足の間に挟み、身を伏せてしまっていたことだろう。
「も……申し訳ありません。が!……何者かが我らの結界内に侵入しました!」
「なんだと!?」
秀就が立ち上がる。立ち上がった勢いで、椅子が後ろに倒れた。
「どうやら侵入者は少人数のようなのですが、今、警備の者たちが手分けをして追跡しております」
「どこの一族の者かはわかるか?」
「向こうも気配を消している様子ですので、まだはっきりとは……。ですが、大神家周辺は特に強い結界が張られております。この結界内に気配を消して忍び込むとなると、かなり格の高い種族か……もしくは……」
「同族か……」
大神秀就の瞳がぎろりと動き、開いた扉の前に立ったままの男を見た。秀就は九鬼たち客人がいる手前、同族、としか言わなかったが、結界を破ることができるとなると、同族の中でも大神家本家の内情に詳しいものに限られてくる。この家屋敷にかけられた結界には、出入りするための鍵のようなものがあるからだ。それは、大神家の中枢に近いものしか、知るはずのないものである。
「おそらくは」
部屋への入口の前で気を付けの姿勢で報告をしていた男は拳を握りしめ、下を向いた。
ざわりと、部屋の中の気が揺れた。
「ま……まあ、なんてことかしら。理事である大神様一族が一枚岩ではないというわけ?」
鳴海灯が口元を手で覆った。目を見開き、いかにも驚いたというような顔をしている。
「きちんとしていただかないと、困りますわ」
その声には、いくぶん嘲笑の色が滲んでいた。
「種族としては、まとまっている。だが、一人二人の造反者は出る。鳴海さんのところなどは、一度も顔も出さない種もいるじゃないですか」
秀就横目で睨みながら灯に応じた。
「海の中の種族を、陸の者と同じに考えないでほしいわ。こちらは陸より自由が効く分、差し迫ってはいないのよ? 私が理事として名を連ねているだけでも、ありがたいと思って欲しいものだわ」
秀就の視線を受け止めた灯の口元は微笑むように弧を描いていたが、瞳には鋭い光が灯っていた。
「あらまあ、あなたのような小者で、ありがたがれですって?」
秀就と灯のやり取りを聞いていた六角芙蓉がそう言い放つと、それまでやわらかな微笑を浮かべていた灯の表情が険しいものに変わる。大きくぱっちりとしていた目がすっと細められ、ゆらりと芙蓉を睨んだ。