決意・3
「ほうほうほう、若いとはいいことだねえ」
「ちょいと爺さん、のぞき見なんかするんじゃないよ」
「だって、この人たちが僕らの部屋に入ってきたんじゃないか」
「そっとしといてあげなさいよ!」
「そんなこと言って、お前さんが一番興味深げに眺めとったではないか……」
部屋の奥から、複数の声が聞こえてきて、秀一は飛び上がった。
信乃を背中にかばうようにして、一歩踏み出す。
すると、部屋の奥、所狭しと並べられた品々の間から、ひょこひょこひょこひょこと、妙ちくりんな者たちが姿を現した。
「な……なんだ?」
興味津々といった様子で、物陰からのぞいていた者たちは、わらわらとこちらへ近づいてくる。
敵意は感じられなかったが、結構な人(?)数でこちらに押し寄せてきたから、秀一は幾分腰を落とし、威嚇のために構えてみせた。
そんな秀一の肩に、信乃は手を置き首を振る。
「秀一、大丈夫だよ。やあ、皆……。起こしちゃった? ごめんね」
少しかがみこむようにして、信乃はこの妙ちくりんな者たちに向かって語りかけた。
「え……知り合いなのか?」
「うん。彼らはこの部屋の主たちだよ」
秀一は目の前に集まってきた者たちへ、再び目を向けた。
金髪にフリフリのドレスを着た女の子もいれば、壺に手と足が生えただけのようなモノもいる。イノシシやら熊もいるが、それは本物のイノシシや熊ではなく、どう見ても木彫りの置物である。その木彫りの置物が動いて、話す。十二単を着た小さな小さな女の子もいるが、顔は引目鉤鼻のしょうゆ顔で、まったく表情は読めない。金や銀の鈴が、奥の方からリンリンと音を立てて転がり出してくる。
「主?」
あっけにとられる秀一の前に、朱色の花模様がびっしりと浮かぶ艶やかな着物に身を包んだ女が進み出た。
「そう、あたしらは、この部屋に住む付喪神だよ。あちこちで忘れられ、打ち捨てられていたあたしらを、この学園の園長の勝治の奴が、集めてここに置いているのさ。あたしは齢三百年になる焼き物の壺なんだけどね。そうさね、伊万里とでも呼んでおくれ。最近ようやく人間としての姿を手に入れたのさ。付喪神になったばかりは、ほら、そこの鈴みたいにさ、姿も変えられなくて、転がるしか能がないんだよ」
伊万里のはだけた着物の裾からは真っ白な足がのぞいていて、周辺を鈴たちがリンリンと飛び跳ねていた。
「ところで信乃」
今度は金髪ツインテールの美少女が進み出た。
「あなた、入学式の後片付けがあるんじゃなくて?」
金髪美少女の口からは流暢な日本語が流れる。
「あ!」
信乃が勢いよく体を起こした。
「マリエル、ありがとう! みんなも、騒がしちゃってゴメンね。今度街へ降りたら、大野屋のたい焼き買ってくるよ」
信乃は集まってきた付喪神にちらりと一瞥をくれると、ガラガラと勢いよく戸を開けて、走り出した。
「待てよ! 俺も行く!」
慌てて信乃を追いかける秀一の背後から「我も! 我も!」「おい、儂も忘れるな!」「あんこ!」「クリームじゃ!」という、かしましい声が聞こえてくる。
「ちゃんと、みんなの分買ってくる!」
廊下で一度止まり、振り返って信乃が叫んだ途端、あたりはしいんと静かになった。
秀一は信乃に追いつき、暫く並んで走ったが、少し走る速度を早める。
あっという間に信乃を追い越し、振り返ると、後ろ向きに走りながら信乃の手を取った。
ぐい、と手を引き、つんのめる信乃をすくい上げる。
「え!? ちょっと……秀一!」
そのまま抱えあげて、更にスピードを上げた。
人の気配のなくなった校舎の中、信乃を抱えて全力疾走する。
ふと、はじめてであった日を思い出す。
異界から逃れようと、信乃を抱き上げて、赤樫の巨木に向かって必死で走った。
信乃を抱いたまま、階段を大きく跳躍して一気に降り、廊下の一番端の講堂へと続く渡り廊下にたどり着いたところで立ち止まると、ようやく信乃を下ろした。
渡り廊下の両脇には、桜の木が植えられていて、少し傾き始めた日差しは暖かく、ぷっくりと膨らんだ蕾は枝先をほんのり朱色に染めている。
二人は校舎側の出入り口に並んで立っていた。
「秀一。私はね、秀一がそばに居てくれると思ったら、ホッとするんだ」
信乃は桜の枝の向こうに広がる水色の空を見上げていた。
「満月の晩は、あの明るい光に照らされてると……異界が迫ってくるようで怖いんだ。でも、秀一がいてくれるから、そうして月の影を遮ってくれるから、私は安心する」
「……」
秀一にとって月とは、制御することさえできれば、頼もしい力の源だ。月が隠れることは、自分の力が欠けていくようで、実はあまり好きではない。
ならば。
「満月の晩は、いつもそばにいます」
信乃は、くりっと目を大きく開いた。
「それは……ありがたい。でも、女子寮は男子禁制だよ」
「そんなの……どうとでもなります……」
秀一の答を聞いた信乃は「君、やっぱり変わってないよ」と言ってすりと笑う。
「さあ、行きましょう。片付けが終わってしまいます」
振り向いて信乃に声を掛けるが、信乃はちょっと首を傾げ、秀一を見上げたまま動こうとしない。
「ねえ、どうして敬語なんだい?」
聞かれれば、とたんに恥ずかしい気がしてきて
「けじめです。気持ちの問題です!」
と、多少乱暴に答えた。
「信乃だって、いつから自分のこと私って言うようになったんです?」
反撃をすると、見る間に信乃の頬がピンク色に染まった。
「しゅ……秀一が女の子でも友達だからなって言ったじゃないか……それに、秀一が頑張ってるんだって聞いてだな……わ、私だって少しは女の子らしくとかだな……あ!」
話している途中でぱちりと瞬きをした信乃の視線は、上を見上げたまま止まっていた。
なんだか話をはぐらかされたような気もしたが、信乃の視線が気になって、秀一も振り返ってみる。
信乃の右手の人差指が、天に向かって伸びた。指の先には、真っ赤に膨らむ桜の蕾が揺れている。
「あ……」
その中の一輪が、ふわりと綻びこちらを見下ろしている。
「おー! 信乃! 遅かったじゃないか!」
講堂の中から大きな呼び声が聞こえた。
「ごめん! 人に会ってたんだ! 今いくよ!」
講堂の方へ身を乗り出すようにして、信乃も大きな声を返した。
「秀一! まずは入学式の後片付け、手伝ってくれ」
「了解です」
二人は講堂へと続く渡り廊下を走り出す。
ガタン、コトン、ガコン!
足元のすのこが賑やかに鳴り響く。
学校の敷地内に並ぶ桜の木をよく見れば、あたたかな春の風を受けて、あちこちで淡いピンク色の花が開花しはじめていた。
山々の纏う木々にはぽやぽやとした新緑が芽吹き、講堂からは作業をする学生の賑やかな声が聞こえている。
私立九十九学園。
若い妖たちの集うこの学園にも、春が訪れようとしているのだった。
了




