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蝕・イクリプス  作者: 観月
Reunion
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決意・2

 秀一が信乃の背中を押すように歩き始めたはずなのに、いつの間にか信乃のほうが秀一の手を引くようにして歩いていた。

 九十九学園高等科の校舎には、東側と西側の二箇所に階段がある。無言でどんどん歩く信乃は、西階段も通り過ぎようとしていた。


「西階段より先は、生徒は立入禁止じゃないんですか?」


 歩みを緩めて秀一は問いかけたが、信乃に立ち止まる様子はない。

 指先だけで繋がれた手は、立ち止まればすぐに解けてしまいそうで、秀一は引かれるままに信乃の後に続いて西階段の先の学生の立ち入り禁止エリアに入っていく。

 信乃の歩みに迷いは無いようで、校舎三階の一番西の隅までまっすぐにやってくると、ようやくそこで立ち止まった。

 廊下の一番奥まったところにある小さな引き戸を開けて、部屋の中へと入っていく。

 クラス名を表示するプレートには何も書かれていない。

 そこは一般の教室の半分程度しかない広さの部屋で、入り口には靴脱場があり、その奥はなんと和室になっていた。畳の上には古い茶箪笥やら、屏風やら、巻物、小箱……そんな物たちが所狭しと置かれている部屋だった。

 つないでいた手がそっと離れて、くるりと信乃が振り返る。

 ギュッと引き結ばれた小さな口。ほんのりと赤くなった鼻の頭。こちらを見上げる瞳は、うるうると涙の膜ができている。

 なのに。そんな、今にも泣き出しそうな顔をしながら、信乃は睨むようにして秀一を見上げていた。


「うわ……」


 泣くな!

 そう言おうとしたのだが、かあっと顔が火照りだすし、どうして信乃が泣きそうになっているのかもわからないしで、秀一は気ばかり焦ってしまう。

 おもわず手を伸ばして信乃の頬に触れた。途端に、それまで堪えていたらしい雫がつうっと一筋二筋こぼれだし、秀一をますます慌てさせた。


「すいません」


 こうなったら、もうあとは謝るしかないではないか。

 冷や汗を流しながら、伸ばした両手で信乃の頭を抱え込んだ。


「すいません。……すいません。もう、独りにしたりしませんから……。泣かないで……」


 そう必死で謝ったのに、腕の中でひくっとしゃくりあげた信乃が、どんっと突き放すように秀一の胸を押した。

 そのまま一歩下がって秀一から距離を取る。

 流れた涙をセーラー服の袖でゴシゴシと拭うと、ますます厳しい顔で秀一を睨んできた。


「だけど秀一は……私のことが……面倒になったんじゃ……ないのか?」


 絞り出すように、信乃が言った。


「面倒……?」

「守護者になってくれるって、その言葉を信じようとしたけど……でも……。私といたら、またいつ襲われるのかもわからない。異界に渡るかも知れない。きっと、嫌なものをたくさん見なくちゃいけなくなるんだ。だから距離を起きたかったのかもしれないって……そんな風な考えが、何度も浮かんでくるんだ……」


 涙につかえながら、そんな事を言う。

 秀一が信乃の側を離れたのは、自分の無力さを痛いほどに感じたからだ。自分は強いと自惚れていた気持ちが、木っ端微塵になったからだ。信乃を護りたい。だけど、それまでの自分ではそれがかなわないと悟ったからだ。

 だから、力を蓄える時間が欲しかったのだ。

 本当に、それだけのことだ。信乃のことを面倒だなどとは、微塵も思ったことがなかった。

 あまりに想像外の言葉に、はじめは信乃が何を言っているのかわからなかったが、次第にその意味を理解する。

 

「俺を……俺を誰だと思ってるんですか……」


 怒り、ではないのだろうが、それと似た感情がふつふつと湧いてきて、信乃の瞳を覗き込み、睨み返した。


「……な……?」


 秀一の勢いにたじろいだ信乃が、一歩後ろに下がろうとしたが、靴脱場のフローリングと畳との境目の段差につっかかり、そのままよろけて後ろに倒れそうになった。


「……っぶない!」


 秀一は後ろ向きに倒れていこうとする信乃に手を伸ばした。

 引き寄せて、両手いっぱいで信乃を抱きしめると、ふわりと懐かしい香りが鼻腔の奥に広がった。

 少年時代の、あの夏の日の出会い。友人として過ごした日々。そして信乃を奪われ、己の小ささを知った日。

 次々に信乃との思い出が浮かんでは消えていく。


「しゅ……いち」


 秀一の胸に顔を埋めた信乃から、くぐもった声が聞こえた。


「この二年間、俺が何もしてなかったとでも思いますか? あんたとの約束を果たすために、あんたの側にいて、あんたを守り抜く力を手に入れたくて……俺がどれだけ努力したと……」


 そこまで言って、秀一は口をつぐんだ。

 どれだけ努力しても追いつかない。それはわかっている。それでも、ただ傲慢だった自分から抜け出したくて、自分を律し続ける日々だった。力だけではなく、あらゆる面において自分を高めようと努力した。

 もちろん、その努力をひけらかすような恥ずかしいことをしたことはない。ない、はずなのに……信乃に会った途端この体たらくだ。


 ――何なんだ、今のセリフは!


 恥ずかしさのあまり、自分の頭をかち割りたい衝動に駆られる。


「私の側に……いるか?」


 秀一が恥ずかしさにのたうっていると、腕の中にいる信乃の声が聞こえた。

 秀一にとって、信乃のそばで彼女を守るというのは、いちいち口に出すまでもないほどに、当たり前のことである。そのための二年間だ。


「います!」


 半ばやけくそのように、答える。


「これからずっとか?」

「ずっとです!」

「許さないからな、こんどこそ、約束を破ったりしたら、絶対絶対……」


 秀一の学生服を小さく握りしめながら、信乃はまた涙をこぼしていた。

 信乃の髪に、信乃の頬に、信乃の唇に、秀一はそうっと触れた。

 信乃は抵抗をしなかったから、秀一は信乃の輪郭を確かめるように、信乃の小さな頭部を抱きしめながら、頭を擦り付けていた。

 ふいに、唇が信乃の頬に当たる。

 思いがけない感触に驚いて、少し顔を離して信乃を見つめた。

 信乃の濡れたまつげが、瞬きを繰り返し、真っ黒で大きな瞳がその下から顔を出す。


「信乃」

「……なんだ」


 まつげとまつげが触れ合うのではないかというような距離だった。


「俺は、死ぬまでそばにいる。護る。二度と離れるつもりはない」

「秀一……君を、私の第一守護者に……。その代り……私は、私の全部を君にあげる。全部だ、私は君のものだ」

「俺は、信乃のものだ」


 吐息が触れる。そしてそれは、お互いの唇の感触へと変わっていった。

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