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蝕・イクリプス  作者: 観月
Deadlock
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暁闇・3

 露は掃除を担当していた者を一人捕まえて、キッチンで梨花の手伝いをするように指示を出すと、自分自身は大神の結界内にある道場へと向かった。

 大神の家は、大山津見神社の裏にあり、周辺は強力な結界が常に張り巡らされている。その範囲はかなり広く、神社裏の大鳥居から、家屋敷はもちろん、裏山の一部にまで及ぶ。

 道場周辺も、結界内であり、大神家北西部に広がる木々の生い茂る林の中に位置していた。更にその背後には男岳と女岳という二つの頂を持つ霊山・多々良山があり、その山自体が、狼の一族の修練場でもあるのだった。

 こじんまりとした道場ではあるが、大神家のものなら自由に使用することができ、毎日毎日、誰かしらかが利用している。

 また、道場の周辺の林の中には小さな平屋の家が数棟点在しており、大神の一族の住まう集落になっている。

 だが今では、山を降り、人間の中に紛れ暮らす者の数のほうが多くなっていて、空き家となっている家も多いのが現状であった。


 あたりはすでに明るかったが、木立のなかに入ると霧が立ち込めていて、露の着ている木綿の着物をしっとりと濡らした。

 空気の冷たさに、指をこすり合わせてほうっと息を吹きかける。

 霧に覆われた空は、ぼうっと白く光ってみえる。

 その向こうには青空が広がっているのだろうが、今は見ることができない。今日は、良い天気になのだろう。この時期、天気の良い日ほど、朝は霧が発生しやすくなる。

 太陽は昇っているはずなのに、その場にはまだ夜の匂いが残っているようだった。

 木立の合間から小さな道場が見え始める。


「やあっ!」

「きえーーっ!」


 勇ましい掛け声が、道場の入り口の露にまで聞こえてきた。

 ガラガラと扉を開け、三和土たたきに草履を脱ぐ。

 玄関ホールから道場へ入るための入り口は開いたままになっていて、中の様子が直ぐに露の目に飛び込んできた。

 奥の二面に敷かれた畳の上では、空手の組手や柔道の乱取り、手前のフローリング部分では、竹刀や木刀を持った者たちが素振りなどを行っている。

 開いた扉の前で露は背筋を伸ばし、一礼をした。

 

「露さぁん!」


 とたんに、少し間延びした可愛らしい声が聞こえ、露は不覚にも「ひゃ!」と、変な声を立てて飛び上がってしまった。


「あ、びっくりさせちゃいましたか? すいません。おはようございまーす」


 露のすぐ左隣で、壁に背を預けて今にも飲もうとしていたかのように水筒を両手で持ち上げた少年が、ニコニコの笑顔を浮かべてこちらを見上げている。


「新太くん……」

「どうしたんですかぁ? こんな朝早くに露さんが道場に来るなんて、珍しいですねえ!」


 犬神新太。

 この少し甘えたようなしゃべり方をする、やたらに明るい笑顔の少年は、九十九学園内覧会での混乱の中、学園建設反対派から九十九学園側へ寝返ってきた少年だ。

 新太と共に、彼の父親である犬神史郎と、母親である犬神サラも、学園側の一員となった。

 彼らが狼の一族を離れた経緯は複雑で、犬神家よりも大神家に多くの関わりがあるために、今この三人は大神家預かりという処分になっている。

 特に犬神サラの立ち位置は微妙なものがある。

 今は犬神サラと名乗っているが、以前は大神サラという名前だった。

 彼女はフランスのルー・ガルーの一族から、日仏の友好のためにやってきた秀就の花嫁だったのだ。彼女と秀就はわずかな期間とはいえ夫婦であり、二人の間には秀一という子どもが生まれている。

 つまり、新太少年は秀一の異父兄弟ということになる。


 あの内覧会の行われた日。

 子どもたちは昼を過ぎても学内食堂へ姿を現さなかった。露も秀就も……天羽や安倍泰造もそれぞれに忙しかったこともあり、さして気にはしていなかった。どこかで、時間を確認することも忘れて遊んでいるのだろう。そのくらいの認識だったのだ。

 ところが、あれほど明るかった空が曇り始め、雷鳴までとどろき始める。それでも戻らない秀一たち三人に、ようやくなにかただならぬ事態が起きているのではないか? と思い始めた時、天羽翔がたった一人で学園に戻ってきた。

 そこでもたらされた情報に、学園の役員たちは、軽くパニックに陥った。

 学園建設反対派の出現。異界渡りと呼ばれる能力を持つ信乃の拉致。しかもたった一人で信乃を追いかけていったという秀一。

 その場にいた誰もが、心の奥底に、最悪な事態を予感したに違いない。すぐにも動きたいのに、情報が少なすぎて、動くに動けない。そんな中、九十九学園に現れたのが犬神サラだった。


「大神秀一の居場所、知ってます!」


 驚く秀就たちに開口一番そう言うと、自分について来いと言う。


「君のことは覚えている。サラ・ド・サヴォワだったかな?」


 落ち着いた口調で言ったのは初代校長への就任が決まっていた九鬼勝治だ。


「クキね……私もアナタ覚えてる。でも、秀一ピンチなの。昔を懐かしんでいるヒマは、ないわ」


 外国人特有の訛りはあるものの、サラの日本語は昔に比べれば格段にうまくなっていた。

 学園の役員たちは混乱の中、サラの言葉を信じるほかなかった。

 そして、駆けつけた廃墟の前で、三匹の狼と信乃を見つけたのだった。


 ◇


「新太くん、秀一さんは……」

「ああ、兄さんを探しに来たんですか!?」


 露は座ったままでいいのよとジェスチャーで伝えたのだが、新太は元気にぴょこんと立ち上がる。今年十歳になったという新太は、その年としては背が高いのだろうが、まだまだ子どもらしい体つきだ。

 

「残念です! さっきまでいたんですけど、まだ暗いうちに父さんと一緒に裏の山に行っちゃいました。しばらく帰って来ないと思います!」

「しばらく?」

「はい! テントも持っていったから、数日山ごもりですね」

「そう……なの」


 秀一に信乃のことを早く伝えたい。もしかしたら秀一も信乃の見舞いに行くといい出すのではないか? そうでなくても、ようやく目を覚ました信乃に伝言の一つくらい携えて行きたい、そう思っていた露は、平静を装いながらも、ついつい肩を落としてしまうのだった。


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