駆引・4
――助ける? だと?
「聞こえてる? 助けてあげようか? って言ってるの」
「……なぜだ?」
「なぜ? そうだなあ、君に貸しを作りたいんだよね。いい? これは大きな貸しだよ? 僕もただでは済まないもんね。きっと父さんにボッコボコにされるよ。そのかわり、いつか君は僕に力を貸してくれる。これでどう?」
「力を貸す?」
「そう、異界渡りの力があるでしょ」
信乃が返事をしないでいると、弓弦は小さく舌打ちをした。
「聞いてなかったのか? 異界渡りの力、だよ」
信乃は、首を横に振る。
「あんたも、あんたの父さんも、僕を見誤ってる。異界渡りの能力者だの、先祖返りだのと言われてるけど、僕自身に操ることができない上に、それほど大層な力じゃないんだ」
弓弦は人差し指を信乃の前に突き出して、それを横に振った。
「いやいやいや……以前、かなり大きな異界渡りを起こしたことがあるよね。何年前だったかな。大神の家でさ、学園開校に向けた話し合いのあったときだよ。たしかあのとき、信乃ちゃんは大神の家に初めて行ったんじゃなかったっけ?」
弓弦が信乃の顔を覗き込んだ。
「どうして、知ってるんだ」
「ほらほら、信乃ちゃん。表情に出すぎだよ。……どうして知ってるかって? そりゃ、あの時その場にいたからだよ。侵入者の騒ぎがあったはずなんだけどね」
弓弦の顔がにやりと歪む。
「まさか」
「ビンゴ。あの時のあれを、第一回の異界渡りとしようか。で、あの時侵入してたのが、僕とさっきまでここにいた犬神史郎。僕はあの時のことを君の力としてちゃんと父に報告してるからね」
「犬神?」
信乃はその言葉に引っかかりを覚えた。犬神家といえば大神家との関わりが深く、九十九学園設立にも関わりのある一族だ。
「そう、犬神史郎。あ、犬神家が裏切ってるわけじゃないよ。彼は一族のはぐれものだよ。僕の世話係。で、話を戻そう。僕はね、この異界渡りの力について父からの命令と自分自身の好奇心から、いろいろと調べてるんだ。君も興味があるだろう?」
その時、ドウン! と派手な音が何処かから聞こえた。
「……っと、時間がないか。とにかく、僕にも君と同じ力がある。さっきも言ったとおり、父には第一回の異界渡りは君一人の力だと報告してるけど」
「……ま、さか?」
「またもやビンゴ。はじめに異界を引き寄せたのはたしかに君だったけど、あの時その後のイニシアチブをとっていたのは、実は僕なんだ。近くにいたあの金色のどでかい化け物を呼び寄せ、現実界まで引き上げた。もちろん僕一人の力ではそんなことできないんだけどね。でね。一つの仮説なんだけど、僕と君は二人で一つなんじゃないかな?」
弓弦は、呆然としたままの信乃の返事は待たずに、話を進めた。
「君が生まれたのは一九九五年八月十一日、月齢14.5。で、僕の誕生日は同じ年の八月十二日で月齢が15.5。この力というか、異界からの干渉は月の満ち欠けに多分に影響を受けるみたいだから、まんざらでもないと思う。過去の文献でも、異界渡りの能力者は満月に生まれる事が多いって書いてあるよ。だからさ、君の力をちょっと貸してよ。僕がちゃんと後押しするからさ」
期待を込めた眼差しが、信乃を見つめている。
「秀一を、助けてくれるのか?」
「Yes」
弓弦の首がゆっくり大きく縦に振られた。
「わかった……でも……具体的にはどうしたらいいんだ? それに、どうやって秀一を助けてくれるんだ?」
何処かでまた大きな音がした。静かだった建物の中に、尋常では無いような大音量が時折鳴り響く。
――秀一!
信乃は無意識に指を組んでいた。
「まあ、協力については後日改めて。時間もないしさ。で、ここからの脱出についてだけどね……異界渡りを起こしてあげる。僕が力を貸してあげるから。絶対うまくいく! 今日十月四日はおあつらえ向きに月齢15.3の満月だよ!」
ガーン! ドン! ドン!
何かが打ち破られるような音。それに続くのは銃声だろうか。
今までになく近い。
「うーん。タイムリミットか……ごめんね信乃ちゃん。ま、なんとかなると思う。任せて任せて!」
弓弦はニヤニヤしながらつぶやくと、信乃を左手で抱き寄せた。信乃からはよく見えないが、右手には何かを握って、信乃の首に突き立てている。
「なにをす……」
信乃がみなまで言い終える前に、部屋のドアが派手な音を立てて、蹴破られた。
メコリと変形し、半分外れかけた扉の向こうに、服はビリビリとあちこち綻び、金色にも近い薄い茶色の髪は乱れ、目ばかりらんらんと輝かせた秀一が立っていた。
「秀一!」
信乃を見つけた秀一が、こちらへ一歩踏み出す。
信乃を捉える弓弦の腕に力がこもった。
「動かないで!」
「……!」
弓弦の持つ何かが信乃の首にぐいっと僅かに食い込むのを感じた。
チクリとした痛みに、信乃は思わず声を上げそうになったが、必死でこらえる。
自分の叫び声が、秀一に隙きを作ってしまうかも知れないと思ったからだ。
ピンと張り詰めた空気が流れたのは、僅かな時間だった。
荒い息遣いで、目をギラギラと光らせた秀一は、まったく躊躇を見せずに、弓弦に踊りかかったのだ。
信乃は覚悟を決めてギュッと目をつぶった。
バサバサバサバサ……ッ!
耳を覆いたくなるような羽ばたきの音が聞こえた。ハッとして目を開けると、秀一は真っ黒な鳥に群がられ、その場にしゃがみこんでいる。
「まったく……」
バサバサという羽ばたく音の中から苛立ったような声が聞こえた。
「あのまま屋上に誘い出すつもりだったのに、いきなり地下に向かうんですから……」
部屋に烏が充満している。羽ばたく烏たちのなかから、低く硬質な声が響いていた。
舞い飛ぶ烏が一つにまとまりヒトガタらしいものを作り出す。
秀一に群がっていた鳥は、次々とヒトガタに吸収されていった。黒い塊の中から頭をかばうような姿勢で転がる秀一の姿が見え始める。
「秀一!」
短く呼んで、駆け寄ろうとした信乃を、弓弦の手が更に強く抱きすくめた。




