駆引・1
天井に埋め込まれたLEDライトが、室内を仄かに照らし出していた。
それほど広くはない部屋。八畳ほどだろうか、タイル張りの床と壁はねずみ色だ。
ライトの真下はそこそこ明るいが、部屋の隅々まで照らし出すほどの光量は無いようで、タイルの色とあいまって全体的に仄暗い印象の部屋だった。
まるで、洞窟の中にいるみたいだ……。
次第にはっきりとしてくる意識の中で、信乃はぼんやりと思った。
体がだるい。
足音が近づいてきて、そちらに顔を向けようと思った矢先に、一人の少年の顔がぬっと視界の中に現れた。
「目が覚めた?」
近づいてきた少年は、声をかけながらベットの脇においてあった椅子に、腰を掛けた。
どうやら信乃は、この薄暗い部屋の中央に設置されてたベットの上に、寝かされているらしい。
ゆっくりと首を巡らせ、少年の姿や表情をじいっと眺めた。
「信乃ちゃん。身体痛くない?」
昔からの知り合いででもあるかのように気さくに話しかけてきた少年を、けれども信乃は知らない。だから、聞いた。
「君、誰?」
隣りに座る少年の胸の高さがちょうど信乃の目線の高さだった。
少年は前かがみになり、信乃の顔の前に己の顔を突きつけてきた。
「僕は、八尋弓弦」
顔と顔の間の距離は三十センチほどしか離れていないだろうか。やけに近い。が、嫌悪感はなかった。記憶をいくら攫っても、この少年とは初対面なはずなのに、なぜだか近親感を覚えるのだ。
「似てるでしょう? 僕たち」
そんな気持ちを察したかのようなような弓弦の声に、信乃はコクリと頷いた。
そう、この弓弦という少年は、姿形が信乃とよく似ている。信乃は十三歳の女子としては小柄な方だから、八尋弓弦は、もし同じくらいの年齢だとすると、男子としては極めて小柄なはずだ。年下ということも考えられるが、こうして目の前にいる少年からは、幼さの欠片も感じられなかった。
よく似ているが、自分と弓弦では目の印象が違うかもしれないと信乃は思った。
奥二重のためにパッチリとした目というわけではないが、黒目がちな大きな瞳の信乃に対し、弓弦の黒目はかなり小さい。小さい上に上の方に寄っていて、いわゆる三白眼と呼ばれる相貌だ。
それと、信乃にはないものが一つ。
薄い唇の右側……向かって左側の下のあたりに小さなほくろが一つ。
「それにね、僕たち誕生日も一日違いで凄く近いんだよ。とても他人とは思えなくない? 君と僕は表と裏。二人で一って感じ?」
そう言ってニコリと笑うと、弓弦の印象は多少柔らかくなった。だが、話している内容はかなり気色が悪い。
弓弦と会話をしながら、信乃は少しずつ周囲の様子を探っていった。
自分の左手には、ドアがある。足元の方にも一つ。窓が見当たらないかわりに、視線を巡らせていくと、右側には大きな鏡が見えた。ブラックミラーとでもいうのだろう。この部屋を暗く映し出している。
信乃はふと、その黒っぽい鏡の脇に、一人、男が立っているのに気がついた。
全身黒尽くめで気配すら感じさせずに壁際に控えていたために、今まで気づかなかったのだ。
大きいけれど、引き締まった体つきといい、微動だにせずまっすぐに立つ姿勢といい、只者ではないように思える。弓弦のボディガードなのかもしれない。穏やかな顔立ちだけれど、左の頬にある傷跡が、その穏やかさを殺してしまっていた。
周囲を確認し終えた信乃が起き上がろうとすると、ジャラジャラという金属音が聞こえ、ずっしりと首に重みを感じる。そっと触れてみると、首には硬くて太い首輪のようなものがはめられていて、そこから鎖が伸びていた。
「ゴメンね。君を逃がすわけにはいかないんだ。暴れると傷ついちゃうから大人しくしててね。鎖には余裕があるから、この部屋の中は自由に歩けるし、おトイレもほら、そこにあるからね」
信乃は眉をひそめてみせた。普段から、あまり表情をつくることは得意ではないし、自分では確認することはできないが、成功していれば不機嫌そうな顔に見えるだろう。
「こんなのしてたら、扉が閉まらないんじゃないか?」
トイレを睨みながら信乃の発した質問に、弓弦が小さくぷっと吹き出した。
「信乃ちゃん、いい度胸だね。そこは我慢しなよ」
ふん、と信乃は鼻で返事をすると、ベットを降りてトイレに向かった。首が重くて、すごく歩きにくかった。
「え? いまするの?」
多少あわてたような声を出した弓弦に、信乃はちらりと振り返って一瞥をくれると「する」と短く答え、再びトイレに向かって歩き出す。
「ちょ……ちょっとまってよ……って、ま、いっか」
なにが待ってで、なにがいいのかわからなかったが、弓弦は一人で慌てて一人で納得したらしい。
信乃は、トイレに入ると周囲に視線を走らせた。
個室の中は、洋式のトイレが一つあるだけで、それ以外にはほとんどなにもない。小さな棚に予備のトイレットペーパーが一つと、ウエットシートが置かれている。手洗い場もなければ芳香剤も掃除道具も見当たらなかった。予想はしていたが、窓もない。
とにかく背に腹は代えられない。
トイレの入口が少しばかり開いていようが信乃は気にしないことにした。まあ、排泄なんて言うのは一種の生理現象なわけで、妖であれ、口からモノを入れれば、出てくるのは当然である。特に信乃や秀一たちの種族は、かなり現実世界に近いところに存在している。
弓弦がどういった種族なのか知らないが、恥ずかしがることもないと、判断した。
信乃はヒダヒダのスカートを持ち上げて洋式のトイレに座ると、さっさと用を済ませた。
ちょっとスッキリとした。幾分気分も上向きになる。
だが、トイレから出ると、見たことのない中年の男が、いわゆる苦虫を噛み潰したような……顔をして、立っていたのだった。




