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蝕・イクリプス  作者: 観月
Trap
26/59

潜入・2

 建物内に入ると、そこはロビーか待合室のような場所になっていた。奥へと続いていく廊下は真っ暗で、闇の中へと溶けていくように見えた。

 そうっと足を進めていくと、その先に階段をみつける。

 この建物にはどうやら地下もあるらしくて、階段は上だけでなく下にも伸びていた。

 ザァァァーー、と聞こえている雨音の中から、カタン、という物音が聞こえて、秀一ははっと振り返った。

 振り返った先では、侵入してきた待合室がうっすらとした明かりの中で浮かび上がって見えた。動くものは見当たらない。

 埃っぽさが鼻をくすぐる、非常灯すら灯らぬ廊下。

 闇の底に立っているような気持ちになってくる。

 耳を澄ませるが、物音はもう聞こえない。空耳なわけはないのだと思うのだが……。

 は、は、は、は、

 今聞こえるのは自分自身の呼吸音だ。ずうっと鳴り止まぬ雨音は、すでに意識の外にある。

 ここまで走り通しだったから、多少息があがっている。

 呼吸を落ち着けようと、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 暗闇も静けさも、秀一にとっては恐怖ではない。周囲の気配を探ることに集中してしまえば、迷いも恐怖もしだいに消えていった。本能に飲み込まれない程度に、自分の感情を殺す。

 カタン。

 ――上!

 今一度聞こえた物音に、秀一は階段を駆け上がった。

 踊り場でくるりと方向転換したところで、二匹の獣が、上階から駆け下りて来るのを、視界の隅に捉える。 

 ザリ……。

 埃の積もった床材を蹴り、秀一は跳んだ。

 初めに襲いかかってきた一体の獣を躱してその背後に回り込むと、階下に蹴落とす。

 現れた二体の魔物は、鬼と呼ばれるたぐいのものだろうか。それもかなり格下の、邪鬼だの、悪鬼だのと呼ばれる類の子鬼のようだ。

 体格は、秀一より一回り小さい。

 筋肉質な体つきではあるが、不自然なほど前かがみにで、それなのに腹が出ている。腕が長く、その動きは人というよりは、猿といったたぐいの獣を連想させた。

 一体を階下に突き落としたところで、秀一は背中に衝撃を受けた。


「ぐっ……!」


 背中の皮膚が裂けたかもしれない。

 秀一が床に転がりながら襲ってきたもう一体から距離をとった。


 はっ、はっ、はっ、はっ……


 踊り場には、秀一と鬼の呼吸音が絡まり合いながら反射している。

 その場には、生臭い匂いが広がっていた。

 秀一は痛みをこらえて起き上がると、敵めがけてふたたび跳ぶ。動き出してしまえば、痛みを忘れることが出来た。

 鬼の繰り出す腕の下をかいくぐり、トン、と壁を蹴ると鬼の肩に跳び乗る。そのまま腕を鬼の首に回し、力を込める。

 ゴキン!

 という音とともに、嫌な感触が腕に伝わり、鬼の体から力が抜けていった。

 秀一は鬼の首から腕を外すと、再び上階への歩みを再開した。

 二階を何事もなく通り過ぎ、三階にたどり着いた途端、一斉に何かが羽ばたく音が聞こえて、秀一は天井へと目を向けた。廊下の奥から、無数の黒くそこそこ大きな鳥が、秀一をめがけて飛び掛かってくる。秀一は思わず頭を両腕でかばった。

 ギャア、ギャア、という鳴き声と、バサバサという羽音に包まれる。

 間断なく嘴でつつかれ、身体を小さくして耐えた。腕の間から、覗き見ると、幾羽もの黒い鳥――おそらく烏が、秀一に群がっているらしかった。


「ちっくしょ……ちょこまかと……うぅぅぅおりゃぁぁ!」


 気合を入れると、秀一は目の前の鳥の足をむんずと掴む。掴んだ足が三本あることにほんの少しぎょっとしたが、そんなことに気を取られている暇はない。


 ギャーーッ!


 と、鋭い鳴き声が上がるのも意に介さずに、秀一はその足を持ったまま振り回し、周囲の鳥を追い払った。

 振り回した鳥にぶつかり、羽ばたきを止め落下した鳥の中から、もう一羽を空いていた方の手にも掴み、両腕を闇雲に振り回した。

 手応えを感じなくなり、動きを止める。

 天井を埋め尽くすようだった黒い鳥が目の前で一つに集まろうとしていた。黒っぽい影のようだったものが、ぎゅっとその存在を濃くして、その影の中に無数の烏が吸い込まれていく。今までの乱闘の名残か、周囲には黒い羽がふわふわと舞っていた。

 暗闇の中のことだ。

 普通の人間だったら、この光景を目撃することは出来なかっただろう。

 けれども秀一の瞳は、睨みつけるように目の前の変化をじいっと見つめていた。

 まとまった黒い鳥は今ではもう、人の形になろうとしている。

 黒いスーツを纏った男が、ポケットに右手を軽く突っ込んですうっと立っていた。

 長い髪を後ろにゆるく一つに束ねているらしい。はらりと一筋の髪が白磁の頬に落ちかかる。薄い唇がゆっくりと開いた。

 どこか大人の男の色香のようなものを漂わせたその男は、確かに美しかったが、その瞳には、ただならぬ気配がチラチラと見え隠れしている。


「飛んで火に入るなんとやら……だね。大神秀一」


 地の底から聞こえてきたのではないか。そう思わせるような低い声だ。

 秀一は手にしていた鳥を、力いっぱい男に向けて投げつけてみた。

 男はそこに立ったまま、手をポケットから出すこともなければ瞬きすらしなかった。

 投げつけた黒い二羽の鳥は、男にぶつかると思った途端に、当の男の中に音もなく、吸い込まれるように消えていった。


 くすっ。


 男が笑った。きれいな笑だったが、秀一にはどこか歪んで見えた。


「信乃は……どこだよ」

「お姫様を手に入れるためには、戦って、勝たなければね」


 男の姿が、また崩れていく。


 バサバサーーーッ!


「くそっ!」


 男の姿が崩れ、分裂し、生まれた無数の黒い羽が、再び天井を埋め尽くしていった。


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