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蝕・イクリプス  作者: 観月
Trap
25/59

潜入・1

 ほんの少し前まで、あれほど青かった空が、もう見当たらない。

 夕暮れのような薄暗さの中、雷のゴロゴロという音を耳にしながら、大神秀一は山中を走っていた。

 湧き上がった黒雲は分厚く天を覆い、ただでさえ暗い森の中は、さらに暗色を濃くしている。

 ぽつ。……ぽつ。

 降り出した雨は、だがまだそれほどの激しさはない。

 信乃の臭いは、まだはっきりと感じ取ることができた。

 それは、学園のある山の反対側の斜面の方へと向かっていく。

 この山には学園のある場所から反対側へと続く道路は整備されていない。車で反対側の斜面に向かうためには、一度麓へ下り、別ルートで登らなければいけない。

 もちろん、地元の人間が利用するための細い砂利道や、ほとんど獣道のような道なき道ならある。ただ、よほど土地勘のあるものでなくては周囲を覆い尽くす藪に紛れ、道があることすら気づかないかも知れない。

 秀一はそんな山の中を、信乃の臭いだけを頼りに、ひた走っていく。

 道など、あってもなくても彼にとっては変わらないらしい。並の人間なら方向感覚さえあっという間に失い、進むこともままならないであろう山の中を、運動神経の良い大人が平坦な道で全力疾走しても追いつかないようなスピードで駆けていた。

 腕を伸ばした木々の枝がバチバチと身体に当たり、秀一の着ていたシャツやズボンはすでにあちこちにかぎ裂きが出来ている。

 しかし、敵が車を使わずにこの山道を突っ切っていってくれたであろうことは、秀一にとっては喜ばしいことだった。車など使われては、匂いを追うことが難しくなる。

 それにしても、信乃を抱えていた頬に傷のある大きな男は、かなりの能力を持った(あやかし)に違いない。

 意識をなくした人間をひとり抱えて、秀一でも追いつくことの出来ない速さでこの山の中を駆け抜けていったのだ。大神の一族は、妖かしの中でも高位にある力の強い一族だ。おおかたの妖魔には――たとえ相手が大人であっても――能力で秀一が劣ることはまずない。

 枝をかき分け、急に現れる亀裂を飛び越え、岩を蹴り、どれだけ森の中を駆け抜けただろうか。

 唐突に途切れた藪の向こうは、アスファルトの道だった。

 

 はあ。

 はあ。

 はあ。

 はあ。


 突如として開けた場所に出て、秀一は一瞬立ち止まった。

 先程から降り出した雨は、アスファルトに黒い大きな水玉をつけていた。出来ては消える水玉も、後少しすれば真っ黒に塗りつぶされるだろう。

 はやく見つけなくては、この雨で匂いが流されてしまう。

 信乃の匂いは目の前の坂道を降りて行った方向からする。

 秀一は今まで以上のスピードで、雨に濡れた黒いアスファルトを蹴った。

 しばらく下ると、そこには大きな……廃墟があった。

 侵入が出来ないよううに、その建物の中へ続く道には、ゲートの真下に立入禁止の看板が立っている。看板とゲートの金属の柱は鎖で繋がれていて、さながらゴールテープのようだった。

 車では侵入することは出来ないだろうが、人間は簡単に出入りができそうだ。

 そのゲートの向こう、いくつかある建物の一つへと信乃の匂いが消えていく。

 見失わずに、追いかけることができた。

 秀一はほんの少し肩の力を抜いた。


 ◇


 薄暗がりの中に、その洋風な建物は黒い影のように浮かび上がっている。

 バブル期に企業の保養所として建設されたものの、完成間近でバブルが弾け、そのまま打ち捨てられた過去の遺物だ。

 もう少し町中にあったのなら、無節操な若者たちの肝試しの場にでもなったのだろうが、あまりにも山奥だったために、誰の目にも止まらないまま、ゆるゆると朽ちていこうとしている。

 秀一は侵入者を退けている鎖をまたぎ、静かにゲートをくぐり抜けた。

 気分が高揚し、人としての意識よりも、狼としての本能のほうが大きく膨れ上がっている。

 狼の姿になってしまえば、信乃の追跡もたやすいのだろうが、秀一はまだ自分自身を律し、コントロールすることができない。狼化してしまえば、人としての意識を失って、ここまで来た目的さえも忘れてしまう恐れがある。

 きちんと成人してしまえば、人間になることも、狼になることも、自分自身の意識を保ったまま自由にできるというのに……。

 秀一は自分がまだ子どもだということを、これほど歯がゆく思ったことはなかった。

 ギリツ……。

 噛み締めた奥歯が、小さな音をたてた。

 ゲートを潜った先は開けた空間になっていて、真ん中を突っ切れば建物までは近いのだが、身を隠せる場所が全くない。

 秀一は広場の周囲を取り囲む建物や、大きな木を伝って目的の建物へと向かうことにした。

 身を隠しながら少しずつ前進し、ようやく目的の建物の前までたどり着く。

 遠くから眺めたときよりも、その建物は、確実に廃墟だった。

 大きな扉にはめ込まれたガラスは砕け、ジグザグとした穴が開いている。

 秀一はその穴から、そろりと体を滑り込ませる。


 パリンッ!


 踏み砕いたガラスが大きな音をたる。秀一は思わず立ち止まり、周囲の気配を伺う。

 音は周囲に反響しながら建物の奥に広がる闇の中に静かに吸い込まれていった。

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