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蝕・イクリプス  作者: 観月
Trap
23/59

湧雲・2

 スキンヘッドの男を護るように立ちふさがった狗神は、翔の呼び出した雷鬼の倍……もしかするとそれ以上になるのではないかという大きさだった。

 引き締まった筋肉、スレンダーなボディ。

 ピンと立ち上がった耳は、生まれてすぐに手術を受けたことを示している。狗神となる前は、ヨーロピアンタイプの優秀なドーベルマンだったに違いない。

 一般家庭で飼われるのは、アメリカンタイプのドーベルマンが主流で、ヨールピアンタイプに比べれば体格が小さくなる。眼の前に立ちふさがるのは圧倒されるほどの立派な体格のドーベルマンだ。

 今は釣り上がった目に狂気をみなぎらせ、歯をむき出して翔を威嚇している。

 その牙の先からも、血がときおり滴っている。

 翔は思わず唇を噛み締めた。

 ギリッ……という音が頭に響いて、口の中に血の味が広がる。


「秀一がいなくてよかったな……。いたら、お前なんか、間違いなく八つ裂きにされてたろうからな!」


 翔の言葉を、スキンヘッドの小男は、ただ笑って受け流した。

 翔の心の中で怒りが膨れ上がり、男めがけて一直線に走り出す。


「行け、狗神」

 

 走る翔を狗神が狙ったが、その牙も爪も、翔に届くことはなかった。

 翔の動きが早かったことも理由のひとつではあるが、狗神が翔に飛びかかるより早く、雷鬼が体当りしたのだ。

 その間に、狗神と一緒に翔に躍りかかってきた大柄な男を、翔は渾身の蹴りで大地に沈めた。男は転がりうめいていたが、意識を失うほどのダメージは与えられなかったらしい。だが、暫くの間は手を出してこれないだろう。残るはスキンヘッドの男と、雷鬼を使いの女。


「雷鬼! 狗神は放っておけ! スキンヘッドの男だ!」


 狗神はただの使い魔だ。あの男を殺せば、狗神も開放される。

 翔は男の胸ぐらに掴みかかったが、紙一重のところで逃げられてしまう。

 男の動作はのらりくらりとしているようで、思った以上に早い。

 ゆらりと揺れたかと思うと、すでに手の届かない場所へ移動している。

 翔の手から逃れた男に、こんどは雷鬼が飛びかかった。

 だが、男と雷鬼の間には、狗神はすばやく立ちふさがる。


 バキバキバキ……ッ。


 派手な音を立てて、跳ね飛ばされたのは雷鬼の方だった。


「雷鬼っ!」


 翔の呼びかけに応じ、雷鬼は飛ばされながらも体制を立て直し、飛ぶようにして翔の元へ戻ってくる。

 そこへ再び狗神からの攻撃が繰り出される。

 数度の攻防。

 翔に向かって牙をむく狗神を、翔は顔の前に腕を振りかざして避けようとした。

 しかし、狗神が翔に食らいつくよりも早く雷鬼が向かっていく。翔の目の前で雷鬼と狗神がひとかたまりになり、お互いの首元に牙を突き立てようと、激しい戦いを繰り広げていた。

 スキンヘッドの男を倒せば、狗神も消える。だが、スキンヘッドの男を倒そうとすれば狗神が向かってくる。軽くいなすには、狗神の戦闘能力が高すぎる。


 ――まずは狗神を除かなくてはならないのか?


「雷鬼! 避けろ」


 翔の指示で雷鬼が狗神の上から飛び退ると、翔は間髪をいれずに狗神に掴みかかった。不意を疲れた狗神は反応が送れたのだろう、翔の左手が狗神の喉を押さえることに成功する。

 右手を大きく振り上げた。

 そのまま振り下ろせば、狗神の顔を潰すことができただろう。


 きゅー……う……ん。


 しかしその時、小さく狗神の喉が鳴ったのだ。

 一瞬だった。

 はっ、と翔の動きが止まった。

 それとほぼ同時だった。


「ぐ……わあああぁあぁ……つっ!」


 翔は自分が叫んでいることにも気が付かなかった。

 腕の痛みに思考がストップする。

 振り上げた右腕に狗神が腕に食らいついていた。翔の一瞬の隙きを逃さなかったのだ。食らいついたまま、腕を引きちぎろうと頭を振る。

 翔はとめどない悲鳴を上げていた。


 ――食い千切られる!


 そう思った時、ふっと、腕が狗神の口から開放された。


 それでもまだ続く痛みに震え、すぐに周囲の様子を確認することはできなかった。

 狗神に噛みつかれていた方の手を抱きかかえるようにして、ようやくあたりを見回す。 

 狗神は、翔の目の前で、目と口を大きく開いて動かなくなっていた。

 見開かれた目の奥には、大きな空洞が広がっているように虚ろだ。先程まで轟々と燃えていた恨みや怒りの感情も、その瞳の中からはふっつりと消え去っている。

 何が起こったのか、翔の頭の中がしばらく混乱していたが、気づくと、雷鬼があのスキンヘッドの小男の喉元にがっぷりと牙をたてていた。

 倒れ込んだ男は白目をむいている。

 雷鬼の牙の食い込んだ皮膚の周囲は黒くなり、そこから異臭と煙が上がっていた。

 ビクンと痙攣した男から力が抜けていく。

 しん、と男が動かなくなると、雷鬼はゆっくりと牙を抜いた。

 狗神の影が薄くなっていく。そして、まるではじめから何もなかったかのように、狗神の存在そのものが霧散していった。

 こんなモノになっても、生きていたといえるのなら、それは狗神の死だったのかもしれない。

 


「あははははははは! ふふっ……! はは、はははははは!」


 ぽつりぽつりと降りはじめた雨の中、しんとした林の中で、黒の雷鬼を呼び出した女のけたたましい笑い声がだけが響いていた。

 翔は六人いた敵のうち、四人までは倒したことになる。一人はようやく這うように体を起こしたところだ。

 けれども……。

 最後に残った女。おそらくはこの女が一番、強いだろう。


「やるじゃないか天羽翔! でも甘い……甘いねえ」


 女の顔には、喜色とも言えるような表情がうかんでいた。一体今の状況の何が楽しいのか。翔には理解し難いものがある。


「あの時どうして拳を振り下ろさなかった? 狗神はねえ。殺してやることでしか開放してやれないんだよ。自分の手を汚したくなかったのかい? それとも、同情したか? バカだねえ。アイツを殺せば、狗神を殺したこととおんなじなんだよ……」


 ビーーッと布の割ける音がして、女の着ていた黒いシャツの袖が裂け、一つの肩から四本。計八本の腕がニョキリニョキリと生えだした。しかも、腕の先はそれぞれがトゲトゲとした茨の鞭のような形状になっている。

 着ていた服はすっかり裂け、上半身には、大きな白い乳房が顕になっていた。

 翔は負傷した腕を抑えながら、変化していく女を、呆然と眺めていた。

 きれいな筋肉に覆われた女の体は、どこか幻想的な絵画のようだった。

 そして……。 

 ヒュン!

 女のいばらの腕が空気を切り裂き、ピシリ! と地面が音を立てた。

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