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蝕・イクリプス  作者: 観月
Trap
20/59

内覧会・4

 藪の奥で追ってきた二人を振り返り、信乃は手にした紫の実を、顔の前で揺らして見せてた。


「木立の間から見えたんだ。これ、木通(あけび)か?」

「いや、多分郁子(むべ)だな」


 答えたのは、山奥に住む翔だ。

 だが郁子むべなら秀一も知っていた。大神家の広大な庭には、木通あけびの木もあれば、も郁子むべの木もあるからだ。

 木と言っても、木通や郁子は蔓性の低木であり、それ一本で天に向かって伸びていくことはなく、周囲に木々に絡まりながら紫の実をたわわに実らせる。


「食えないのか?」


 信乃の声には、長年の付き合いがあるからこそ分かる程度の、かすかな落胆の響きが混じっていた。


「食える食える」


 秀一は信乃の手から片手の中に収まってしまいそうな小さな郁子の実を受け取ると、手でその柔らかな果肉を割ってやった。

 中からとろりとした膜に覆われた種が現れる。木通(あけび)は真っ白な胎座の中に種が埋もれているが、郁子は黄緑がかったゼリー状の胎座の中に小さな黒い種がある。その様子は、少しばかりカエルの卵を連想させた。


木通(あけび)と似たようなもんだよ」


 秀一は割った郁子(むべ)を信乃にわたしてやりながら自分自身も郁子(むべ)をもぎ取った。


「けっこうなってるんだな」


 翔も、その小さく柔らかな実に、手を伸ばしている。

 信乃は手渡された実をしばらく眺めたあと、恐る恐るゼリー状の胎座ごと、黒い種を口に含んだ。


「ん!」


 切れ長の目が大きく見開かれ、わずかに頬に赤みがさした。


「ほんのり甘いだろ?」

「んっん……ほんとら……」


 信乃の小さな口がむぐむぐと動いている。

 秀一は自分も種を口に含むと、その甘味を味わって、早々にぺっと種を吐き出した。

 信乃の方はさんざん口をもごもごさせた後にようやくぺっ、ぺっ、と種を吐き出している。


「お、美味しいけど、口が疲れるもんだな」


 郁子は種が多い。丁寧に食べようとすると時間が掛かるし、確かに相当口が疲れる。


「そんなもん、口ん中入れて、適当に味わったら吐き出すんだよ。信乃みたいにきれいに食べてたら、時間がかかってしょうがないじゃないか」

「えー、もったいないじゃないか!」


 信乃はそう言って、もう一つ郁子を力任せにもぎっている。

 ハサミでもあればよかったのだが、なかなか苦労しているようだ。爪を立てて、なんとかもぎり取ると、満足げな顔になる。

 多分、今の信乃の顔を見て、満足げな顔だと気づくものは数少ないだろう。出会ってから五年。相変わらず信乃の表情の変化は小さいが、秀一と翔は、そこからいろいろな感情を読み取れるようになっていた。出会った頃よりは、信乃のほうでも多少は表情が豊かになっているのかも知れない。

 秀一は(彼から見ると)嬉しそうに郁子の種を口に含む信乃の様子を、なんということはなく眺めていた。秀一の助言を無視し、相変わらず丁寧にむぐむぐむぐむぐとやっている。

 この五年で、秀一はもうすぐ170センチに届こうかという身長になっていた。翔は秀一よりも縦にも横にも大きく育っている。太っているというわけではなく、天羽という一族は骨格自体がゴツくてガッシリとしているのだ。

 二人と比べると、信乃は小さい。とにかく小さい。並べば頭の天辺は秀一の肩と同じくらいの高さだったから、つむじを見下ろすことができてしまうほどだ。

 今までそれほど意識したことはなかった。それなのに、今日はなぜだか、そんな信乃の小ささが気になってしかたがなかった。

 あの、ヒダヒダとしたスカートというモノがいけないのかもしれない。

 あそこから伸びる足が、あんなに華奢に見えるなんて、知らなかった。

 体格だけでなく、食べ方もぜんぜん違う。秀一や翔は郁子の種を口に含んだらすぐに吐き出してしまうのに、信乃は長い間むぐむぐと口の中で種を転がしている。吐き出される種だって、秀一たちのものは、ベチャッとまとまったままなのに、信乃の口から吐き出されたものは丁寧に舌で胎座を削ぎ取られて、パラパラっと地面に転がった。


 こん。


 軽く頭をげんこつで小突かれ、はっとして振り返ると斜め後ろに翔がいる。


「目が、やらしい」

「気配を消して近づきやがって! お前のほうがやらしいわ」


 頭を片手で抑えながら翔に食ってかかったとき、周囲の異変にはじめて気がついた。

 気配をより感じようと動きを止め、神経を集中させる。異変の漂ってくる方向を探るために、顔を左右に振ってみた。

 まず、強く感じたのは臭いだった。

 強く感じたといっても、それは熊などの野生動物が出るかもしれないからと、いつもより周囲に気を払っていたからこそ気がついたくらいの、微かな臭いだ。

 

「……血?」

「血?」

「ああ、匂わないか? 翔?」


 秀一に促され、翔は周囲を見回しながらくんくんと鼻を鳴らした。


「いや、俺は秀一ほど鼻はよくないからな……でも……確かに、なにかよくない感じがする」

「……だろ?」

「だな。実はさ、今日は朝から嫌な感じがしてたんだよな」

「早く言えよ、そういうことは」

「いや、秀一に付き合って、親父に小言を言われるくらいのものかと思ってたんだが……」


 秀一と翔はすばやく視線を交わした。


「信乃!」


 二人の様子に気づかずに郁子に手をのばしていた信乃は、秀一の呼びかけの鋭さに振り返った。

 信乃は腕の中に収穫した郁子を抱えている。


「なんだよおまえ! そんなに食うの?」


 秀一が驚いて尋ねると信乃は「食べないよ。お土産にしようと思ってさ」と答えた。


「あー、お土産……お土産ね……」


 都会育ちの信乃には珍しいものなのだろう。

 信乃には翔のような予兆を感じる力も秀一のような飛び抜けた感覚もないのだから仕方がないのだけれども、秀一は緊張感のなさに脱力する。


「どうしたんだ?」


 不思議そうに尋ねる信乃に「こっちに来い!」と、秀一は手招きした。


「なんだよ」


 首を捻りながらも、信乃は素直に二人のそばまで戻ってくる。


「血の臭がする」

「血?」

「そっちの方角だ」


 秀一は三人のいる場所より更に奥の藪の中を指で指した。

 秀一の指し示す方角には、よく見なければ気づかないほどの細い獣道が伸びていて、先に進むことができるようだ。


「獣の臭いもするから、もしかしたら動物が死んでるのかもしれないけど……。どうする? 行ってみるか?」


 秀一がたずねると、翔と信乃は一度お互いに顔を見合わせてから、こくりと一緒に頷いた。

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