内覧会・2
信乃の声に反応し、その場にいた全員の視線が上を見上げた。誰のものかはわからなかったが「おお」と言うかすかな感嘆の声が、真新しい校舎に響いた。
ここにいる全員が、安倍信乃のスカート姿というものをはじめてみたのである。
信乃は、しんとしたその場の雰囲気にたじろいだのか、歩みを止める。
「な……なんだよ」
と言いながら、気圧されたように、少し上体を後ろに反らした。何しろそこにいた全員の視線が、今や信乃の上にじいっと注がれていたのだ。
「あ……いや……」
と声を上げたのは秀就だ。なんとか取り繕うとしたらしいが、続く言葉が出てこないようだった。
固まったその場の雰囲気から真っ先に抜け出したのは、露であった。
「まあ、信乃さんすごくお似合いです!」
手をたたきながら、飛び上がらんばかりの勢いで、満面に笑みを浮かべている。
露と信乃はずいぶんと年の差はあるのだが、何度も信乃が大神の家に遊びに来る間に、かなり親しくなっている。
「でも制服って、まだ販売が始まってなかったんじゃありませんか?」
「ああ、女生徒向けの制服のモデルというものを頼まれたので、一足先に手に入れたのだ。すかーと、というものは足がスースーするな。今の時期はいいが、冬になったら、この下にズボンの着用は許されるのだろうか?」
露に答えながら、信乃はトントンと階段を降りてくる。
一段降りる度に制服のひだが揺れた。
そこから伸びるほっそりとした足を、今までみたことがなかったわけではない。短パンを履くことも多かったから、信乃の生足なんて、別に見慣れているはずだ。
なのに、スカートのヒダからそれが伸びていると言うだけで、なんだか別のもののように秀一には思えて、なかなかそこから目が離せないような、それでいて見てはいけない物を見てしまったような気分になっていた。
「ああ、本当に似合うぞ信乃ちゃん!」
次いで正気を取り戻した高志が言うと、翔も頷いている。
「確かに。制服というものも、なかなか良いものだな」
秀就の表情にも、笑顔が戻っていた。
「本当、私も一度着てみたかったわぁ!」
露はついに階段下まで降りてきた信乃の制服に手をかけ、じっくりと見分していた。セーラーカラーをめくってスカーフがどうなっているのかを見てみたり、制服の生地を揉んで手触りを確かめたりしている。
秀一は気恥ずかしさが先に立ってしまい、結局一言も信乃に声をかけることはできなかった。
「信乃ちゃん、お父さんはどこだい?」
高志が問いかける。
信乃は高志に、泰造は早めに学園に入り、学食の試食会の準備の手伝いに入っていると告げた。
「いや、それじゃあ私たちも手伝いに行かないといけないな」
大人三人は、少しあわてたように校舎内へと入っていく。
「お前たちは、自由に見学していなさい。試食の時間になったら学食にくるんだぞ!」
と最後に振り返りながら言ったのは高志だ。早足で去っていく大人たちに、子どもたちは並んで手を振った。
大人三人の後ろ姿が小さくなっていく。
「秀一、お前何かあったのか?」
胸の前で左右に手を振りながら、信乃が言った。
秀一の両隣に立つ翔と信乃は前を向いたままだったが、彼らの注意が自分に向けられていることを、秀一は痛いほどに感じていた。
◇
所々に筋のような雲が伸びる青い空。秋だというのに、太陽の光は、突き刺さるように降り注いでいる。
秀一と翔と信乃の三人は、陽の光を避け、校庭の隅の鉄棒と呼ばれる器具の周辺で会話をしていた。
鉄棒とフェンスの間には桜の木が植えられていて、ちょうどよい影を落としてくれている。
秀一は鉄棒の下で腰を下ろし、翔は鉄棒により掛かるようにして腕組みをしている。信乃は鉄棒を握りしめ、押したり引いたりしながらその感触を確かめていた。
「ガキだな……」
普段口数の少ない翔の一言が、秀一の心にぐさりと刺さる。
「そんなことはわかってるよ。でもさ、俺をガキ扱いしてんのは父さんと露の方だろ? 言ってくれれば俺だってさ!」
「気持ちよく祝福できると?」
その時、信乃が急に地面を蹴り、腕の力で鉄棒の上に身体を引き上げた。
「てか信乃! お前その格好で回る気か!」
「ああ、下に短パンは穿いてるぞ」
言うが早いか、信乃は鉄棒に腹を当てたままぐるりと一回転して、また元の位置に戻った。
「うわぁぁぁぁああ! そういう問題じゃねえ! やめろ、なんだかやめろ! 心臓に悪い!」
秀一は自分の顔が赤くなるのを感じて、手をじたばたと動かしながら大声で信乃を制した。
とん。
鉄棒から手を離し地面に着地した信乃は、不思議そうに首を横に傾げながら、慌てる秀一へ真っ直ぐな視線を向けてくる。はじめて出会った時と同じ、ガラス玉のような瞳だ。
「なぜだ」
「なぜだと!?」
そう聞かれて、答える言葉が見つからず秀一は口をパクパクとさせたが、それを見ていた翔が「そこは、秀一と同感だな」と、ひとこと言ってくれたことで、信乃は納得したようだった。
「でだ、秀一はおじさんが露にプロポーズしているところを見たと」
信乃に言われ、秀一は「ぐ」と詰まる。
「まあ、ありえない話じゃないな」
「遅いぐらいだな」
顔を見合わせて、そう感想を述べる信乃と翔の言葉に「まじか!」と、秀一は思わず声を上げた。
「気付いてなかったのか?」
「それであの反抗的な態度というわけだな」
二人に指摘され、秀一は再び「ぐ」と、喉に何かが使えたような声を上げた。
「で? 露さんはなんて答えたんだ?」
「……てない」
「てない?」
「だから……聞いてない!」
秀一の両側から、同時に「ふう」と息を吐く音が聞こえた。
「あのな、自分の親父のラブシーンなんか、見たくねえんだよ! それに、親父も露も、その後ぜんっぜん態度変わんないんだぜ? 露もいつもどおりだし、親父も普段はあんなクソ真面目っぽい顔してるしさ。俺には何の相談もねえし!」
「あれじゃないか?」
翔がぱっと顔を上げた。
「露さんがプロポーズを断った。だったら態度が変わらなくっても変じゃないだろ?」
翔にしては珍しく話に乗ってきたが、その答えは秀一の納得の行くものではなかった。
「俺だったらそんなの無理。よくわからんけど、平気な顔していられるなんて、信じられない」
「そうかもしれないが、それが大人というものじゃないのか? だいたい振られたからと露を解雇したり、態度を変えたりするような男なのか? おまえの父親は」
そうたしなめるのは、信乃だ。この二人は、まるで示し合わせたように秀一の痛いところをついてくる。
「……やめだ。こんな話。もう、面倒くせえ!」
秀一は尻を叩きながら立ち上がり、大きく伸びをした。
青い空にはオレンジ色に色づきはじめた桜の葉っぱがくっきりと浮かび上がっていて気持ちがいい。
こんな辛気臭い話をしているのなんて、もったいない。
「ちょっと、その辺探索しよう」
秀一の足はさっさと校門へと向かっていた。
「あまり遠くには行けないぞ?」
「昼までに帰れる範囲だな。それより、敷地内から出てもいいのか?」
背中に二人の声がかかる。秀一は歩みを止めずに振り返った。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。大体この山一つ、ぜーんぶ学校の持ち物なんだろ? だったら、この山の中だったら学校から出たことにならないだろ?」
翔と信乃は、お互いの顔を見つめ合い、そうしてちょっと肩をすくめると、少し走るように秀一を追いかけてきた。




