color's 第2話
第2話 放課後の光
放課後、反省文を持って図書室から出た。
時間を確認すると、16時30分を回ったところだった。俺は部活動に入っていないから、この時間まで残ることは無かったので、誰もいない廊下は新鮮だった。
図書室から職員室への移動中、ふと外を見ると、空が茜色に変わり始めていた。今日は俺の気持ちとは裏腹に空は快晴だったから、普通の人は夕焼けが綺麗に見えるだろうなと思った。けれど俺には、黒いモヤがかかったように少し薄暗い空に見えた。
今日は本当に最悪な日だった。間違いなく、高校入学してから一番最悪だった日だ。
同じクラスの人に、顔も名前も存在さえも忘れ去られていて、授業中に廊下に出たことで反省文5枚書かされるなんて…。
なぜ反省文を書かさせられたかというと、廊下に出たことにより、日本史の平常点を20点も減すというふうに言われたからだ。ちなみに平常点とは試験の点数関係なしに、授業中の態度や提出物などが関係してくるもので、普通に生活していれば減ることのない点数なのである。
そしてこの平常点は、定期考査の点数から引かれるらしい。つまり、今度の中間テストで100点取ったとしても、80点扱いされてしまうのだ。それにこの学校はそれなりの進学校で、この学校に入ってからまだテストがないので難易度もわからない。だからこの20点はとても重要になるのだ。俺はその20点分を無下にはできないと思ったので、先生に謝罪をしに行ったら、
「ほれ、反省文。1枚4点分な」
と言われて原稿用紙を5枚渡された。あのグラサンヤンキー教師、いつかなにかしてやる。
そうこう考えているうちに職員室につき、復讐を誓った相手に反省文を提出し、帰宅しようとした。しかし俺はあることに気づいてため息をついた。
「はぁ…バック教室においてあるんだった」
この学校は4階建てで、俺の教室と図書室は4階にあって、職員室は2階にある。つまり、無駄に階段を往復しなくてはいけない。最悪な日ってのは嫌な事が立て続けに起きるもんなんだな、まあ今回のも100%俺が悪いんだけど。
さっきまで降りていた階段を今度は上り始める。その景色はさっきより少し暗く感じた。それはきっと、外が暗くなったのではなく、俺の気持ちがさらに暗くなってきたからだと思った。
この学校に入学してから一ヶ月、何一つとして楽しい時間なんてなかった。なのに今日のように悪い事はたくさん起きる。何故なのだろうか。昔はこんなふうじゃなかったのに…。
そうこう考えていると、俺の視界はさらに暗くなっていった。この色のない世界に、ただ1人取り残されたような孤独感に襲われた。俺の居場所はどこにもない、そう言われているようで、怖くて、辛くて、寂しくて、早く逃げたかった。
しかし次の瞬間、その黒い何かや孤独感は窓から吹き込む風に押し上げられ、俺の前から姿を消し、俺の目にたくさんの光が差し込んできた。それは、かつて経験したことのないような眩しさで、俺の視界が遮られた。それでもその光の正体が気になった俺は、渾身の力を振り絞って瞼を上げた。
そこに広がっていた景色は、とても神聖なものに見えた。
風になびくカーテンと長い黒髪。それを照明でも立てられるかのように、強調的にその人を夕日が照らしている。その後ろ姿を見た人は、きっと皆美しいというだろう、いや言うに違いない。その人は同じクラス内で唯一俺の存在を認識していてくれた人。
ーー川井結衣だった。
そして、その神聖さゆえ、今なぜここに来たのか理由も忘れ、俺はただ、その後ろ姿に見とれていた。すると、川井さんは後ろに何かを感じたのか、ふと後ろを振り返り、俺と目が合った。
「あれ?西野くん?どうしたの、そんなところに突っ立って」
そう声をかけてきたが、入れは未だに体が固まったままだった。
「おーい、聞いてる?西野くーん?」
こう声をかけられると、俺はやっと我に戻って
「え、あ、うん。聞いてる聞いてる」
「えー、本当かなー。なんか口開けたまま突っ立ってたし」
「いや、それはただ、その、見とれてたっていうか、あまりに綺麗だったから身動きがとれなかったというか」
って何言ってんだ俺!?
「え?見とれてた?」
「あ、いやそれはどうでもいいんだ。そんなことより川井さんは何やってるの?」
この切り返しはちょっと苦しいかな?
「あー、私はよくここで外見てるの」
あぁ、よかった、言及されないで。
「へー、何見てるの?」
「色々。好きなんだ、いろんな動きをする風景をただぼーっと見てるの。それより、西野くんこそどうしたの?こんな時間に」
「あー、俺は忘れ物を取りに」
俺は自分の席を指さして、川井さんは俺の席を見た。すると川井さんはクスッと笑った。
「え、バッグを忘れちゃったの?西野くん意外と面白いんだね」
「ア、アハハ…」
俺は教室に入って自分のバックを手に取る。川井さんの方を見ると、また外を見ていた。その景色はやはり美しかった。そして俺が教室を出ようとした時、
「ねえ、西野くん」
「何?」
「この世界って、すごく綺麗な色をしていると思わない?」
その言葉に俺はビクッとした。その言葉に俺はなんと返せばいいのかわからない。すると川井さんが手招きしながら
「西野くんもちょっと外見てみなよ」
と言った。俺はその言葉どおり外を見下ろしてみた、川井さんの隣で。
その景色はたしかに綺麗だった。しかし、それはただ表面に色が塗られているだけで、その中身に色はないように見えた。
なぜなら、この世界が綺麗なのは上っ面なだけ。この世界は本当は数え切れないほどの不条理で出来ているから。
そしてその不条理に振り回され続けて俺は世界から色が消えたからーー
だから俺は聞いてみた。
「...川井さんは、この世界は何色に見えるの?」
川井さんはこっちを見た気がしたが、俺は目を合わせなかった。その時俺の目には、なにか不潔なものが映っていたような気がしたから。
「うーん、難しい質問だねぇ」
川井さんは少し考えてから、
「その質問の意図がどうかはよくわからないけど、私には、今この景色は青に見える。今日の空みたいな綺麗な青」
もう既に日が沈み始めているので、決して今見てる景色は青くない。つまり、俺の意図を理解してくれたのだろう。
「何で?」
そう聞くと、川井さんは少し微笑みながら
「今、いろんな部活の人が目標に向かって頑張ってるでしょ?野球部なら甲子園、サッカー部なら国体とか。そうやってなにかに向かって頑張ってる人って、私は青色に見えるの」
「それは『 青春』の青ってこと?」
「まあそうなっちゃうのかなー。でもね、青春て今の私たち、高校生くらいまでにしか適用されないみたいな感じじゃん。けれどね、私は大人の人たちも、みんな青色に見えるよ。だからね、今ここから見えるのはこの学校の人たちだけだけど、今見えないところでなにかに向かって頑張ってる人が必ずいるんだろうなって。だからこの世界は青色に見えるの」
川井さんはまたこっちを見た。今度は目を合わせた。その目に映るものを確認したいと思ったから。
「西野くんには、何色に見える?」
そう聞かれるとまたビクッとなった。たしかにこの世界は青いのかもしれないと思った。青春という言葉があるように、また、空や海が青いように、この世界は青に覆われているのかもしれない。けれど俺にはまだそうは見えない。だからと言って適当な色を答えるのも、真剣に答えてくれた川井さんに失礼だ。なら、俺が答えるべきなのはーー
「俺には...」
ーー何色にも見えない。
そう答えようとして、やめた。
「俺にはわからないや」
そう答えて、窓に背を向ける。
「川井さん、ありがとうね、色々話してくれて。あと、今日ぶつかっちゃってごめんね」
そう言って俺は教室をあとにした。
帰り道、普段より遅い分夕日も低くなっていて、光が目に差し込んでくる。そしてその目を閉じる度に、さっきの教室でのことを思い出す。
ーーわからない。たしかに何色にも見えないということは何色かわからないということではあるけれど、俺は無色透明もれっきとした色であるのかもしれない。
ならなんで言わなかったのか。もしそう言えば川井さんはなにかに導いてくれたかもしれない。そうしたらこの世界の色も、自分自身の色も、蘇るのかもしれなかったのにーー
はぁ、今日は後悔することも多いな。けれど、悪い事だけの日ではなかったな。なにせ、あの川井さんとお話ができたし、放課後二人っきりにもなれたし。
気がつけば、俺の視界に黒いモヤは消えていた。あの風に吹き飛ばされたそれは、もう俺の元には帰ってこなかったようだ。