7.鬼姫、襲来2
「もう‥‥それよりお母様、お仕事は大丈夫なの?」
「ああ、ディアナが優秀なおかげでね。あたしの仕事なんてすぐなくなっちゃったよ」
ディアナとは、元ガルネンブルク国王女であり、現西ガルネンブルク国女王を務める少女のことだ。エルフリーデがルチルを明け渡したのは、次に女王に据えられるのが彼女だったからという要因が大きな部分を占めている。
ディアナは弱冠16歳にして、ミリと同様かそれ以上に幼さを感じさせない知力と胆力を持ち合わせている。エルフリーデが全幅の信頼を寄せるほど、ディアナの王としての能力は卓越していた。
元女王という身分もあるせいでクラウほどの自由は許されていないものの、こうしてガルネンブルク本国を抜けて西ガルネンブルクに遊びに来られる程度には、エルフリーデにも勝手が許されている。この懐の広さこそが、ガルネンブルクが繁栄を続けられる理由の1つなのかもしれない。
ちなみにエルフリーデは現在、ガルネンブルク騎士団長を務めている。
クラウとエルフリーデは国内に留まらず、かなりの広範囲にその名を知らしめるほどの実力者である。ルチル国内で上級魔法を扱えるもう1人というのは、他ならぬエルフリーデであった。
常に並び称される2人だが、実を言うと単純な実力だけで言うなら、現在クラウはエルフリーデに勝っている。
しかし軍を率いさせた時こそ、エルフリーデは真の実力を発揮するのである。
クラウが一騎当千の力を誇っているとするなら、エルフリーデの力は千騎当億。一対一なら負けることはないが、軍対軍の戦いになると恐らくクラウに勝ち目はない。
軍神と呼ばれるエルフリーデを置いて他に、騎士団長に適任な人間などいない。当然と言えば当然の、継続しての配役であった。
「あの子のおかげで時間ができたからね、久し振りにミリに会いたくなってさ。というかこれ以上ミリに会えないとおかしくなっちゃいそうだったからねー、でへへ」
「最初っから頭おかしいじゃあイテテテテテテ」
ミリにほっぺたを引っ張られた。エルフリーデがアホみたいな顔でほくそ笑んでいた。腹立つけど、ミリに引っ張られるのはご褒美だ。にやにやしちゃうのも仕方ないね。
「ミリ、大変なことや困ってることはないかい? クラウスに変なことされてないかい?」
「大丈夫だよ。変なことも‥‥‥‥さ、されて、‥‥ない、よ‥‥?」
「てめえこのクサレ悪魔!」
「ちょ、待ってくれこればかりは本当に心当たりがないぞ!」
急に態度を怪しくするミリに、クラウはわりと本気で慌てた声を上げる。だって舐めたり吸ったりしかしてないのに!
「もうっ、すぐケンカしないでってば! ないない、されてないから。私もクラウに色々してるから、大丈夫っ」
「ああー! あたしのミリが汚染されていくーッ!」
うむ、確かに抱き締められたりくすぐられたりしてるからな。あ、さっきミリが言葉に詰まったのはそれのせいか。よし、今度からは脇腹をくすぐる代わりに舐めることにしよう。
エルフリーデは頭を抱えてオーヨヨヨヨヨヨヨヨと絶望の涙を流しながらミリに抱きついている。くそ、絶対ミリにくっつきたいだけだろ。ほら、ミリがよしよししたら途端にでれでれし始めやがった。
「ところでミリ、今の生活には満足してるかい?」
「うんっ、だってクラウとずっと一緒にいられるから!」
「「あーっ、もう可愛いなあチクショー!」」
聖女の微笑みに、最強の名を持つ2人は同時に心からの叫びをあげた。そして舌打ちと共に睨みあい、エルフリーデは優しくミリの頭を撫でる。撫でる。撫でる。‥‥あの野郎。
「ま、しんどくなったらいつでも言いな。今の城にもミリができる仕事はいくらでもあるし、それを望んでる人も多いからね」
「‥‥うん」
エルフリーデの言葉に、ミリは少しだけ複雑な表情を浮かべていた。それを見てエルフリーデはなぜか満足そうに笑い、しかしそれ以上の反応を示すことはなく、クラウに流す視線を送る。
「ミリが城に戻るなら、クラウスも騎士に戻るんだろ? そうすりゃ、てめぇに憧れてる勘違い野郎共と、何よりディアナが喜ぶだろうよ」
エルフリーデの言葉に、クラウはやや苦い表情で「ミリ次第だよ」とだけ返す。クラウの表情を見て、エルフリーデは満足そうに笑っていた。くそ、性悪女め。
「そういえば、お父様はどうしてるの?」
「ああ、まだ城で自分の仕事やってるよ。アヒムはちょっと要領悪いからさ」
お父様、とは元国王アヒムのことである。現在は城で情報の管理等の仕事をしているらしい。元々エルフリーデの指示の下で似たような仕事をしていたらしいので、やっていることは大して変わっていないようだ。
アヒムはエルフリーデと違って物静かな人格者なのだが、なぜかエルフリーデをいたく愛しており、今でも夫婦仲はずいぶんと良いようだ。
ちなみにアヒムは決して要領が悪いわけではなく、エルフリーデが器用すぎるだけだ。そんなことも分からないようでは、やはりこの女はカスと言わざミリに睨まれた。勘が鋭いようで可愛い。
「そっか、残念。じゃあ今度は私がお城に行こうかな。ディアナちゃんともお話したいし」
「ああ、そうしなよ。というかすぐ来なよ。こんな変態見捨てて今すぐ帰っておいで。そして二度と会わないのが一番‥‥ああミリ、そんな険しい眼で見ないでくれよ。ドキドキしてくるじゃないか」
「くっ‥‥エルフリーデ、腹立たしいがその気持ちはよく分かるぜ‥‥」
ミリに睨まれ、頬を紅潮させて息を荒くするエルフリーデ。しかしそれはごく自然な現象であり、おかしなところなど何ひとつ無い。おかしところといえばエルフリーデの頭の中くらいだ。
「あれっ、エルフリーデ様!」
と、かけられた声に振り向けば、そこには大きな麻袋を抱えた通りすがりのイルマの姿があった。エルフリーデの存在に気づき、明るい笑顔を浮かべてこちらへとやってくる。
「こんにちは。今日はどうされたんですか? ミーリア様に会いにいらっしゃったのですか?」
「ああ、そうだよ。ミリが変態におかしなことされていないか心配だったからね」
「あはは‥‥。お2人とも、とても仲良くなさってますよ?」
エルフリーデの言葉に、イルマは気遣わしい笑顔を浮かべる。ギリギリと歯を食いしばって鬼の形相(普段からか)で振り向こうとするエルフリーデの髪を、イルマがキラキラとした瞳で見つめていた。
「ああ‥‥エルフリーデ様、相変わらず麦穂のように美しいその御髪、とても羨ましいです」
イルマはエルフリーデを見上げてうっとりとした声を漏らす。誠に遺憾ながら、国民の大半はエルフリーデに洗脳され、腐れ鬼姫を素敵な人物だと勘違いしてしまっているようだ。
「あん? ああ、何回頭から血ぃ浴びたかも分かんないけどね。羨ましがらなくても、イルマだって十分綺麗じゃないか」
「そ、そんなことはありませんよっ。エルフリーデ様に比べたらわたしなんて‥‥」
「卑下しなくったっていいだろ。それに髪だけじゃなくて、あんたは全部ひっくるめて魅力的だと思うよ。ま、ミリには負けるけどね」
にかっ、と悪戯っぽい笑みを浮かべるエルフリーデに、イルマは恥ずかしそうに頬を染めながらも笑顔を浮かべてぺこぺこと頭を下げる。
「ホントはこの髪もミリに遺伝して、お揃いになりたかったんだけどね。残念ながら髪はアヒムのほうが行っちまった。ま、瞳の色だけでも満足さ。あたしに似て、ミリのは綺麗な眼だろ?」
「ハッ、ミリのほうが数億倍綺麗に決まってんだろ」
「けっ、てめぇに言われんのは腹立たしいが、それは認めてやるよ」
ミリが世界一可愛いという部分に関しては、2人の間に軋轢は生じない。
「ところでイルマ、最近はどんな感じだい? 変わったことや困ったことはないかい?」
エルフリーデの気遣う言葉に、イルマは笑顔で首を振る。
「いえ、今まで通り不自由なく暮らせていますよ。先日もクラウス様に開墾を手伝っていただいて、とても助かりました」
「‥‥少しでも大変だと思ったら、すぐに言うんだよ。ディアナにでも言ってくれりゃ、いつでも駆けつけるよ。ルチルを譲らなくちゃいけなくなったのは、あんたらがそうやってバカみたいに優しいからなんだからさ」
エルフリーデはわずかに表情を曇らせて、慈しみを込めてそっとイルマの頬を撫でる。その言葉とは裏腹に、エルフリーデが全ての責任を背負い込んでいることは明白だった。
「‥‥エルフリーデ様、どうかそのようなお顔をなさらないでください。わたしたちの努力不足のせいなのですから、エルフリーデ様が責任を感じられることはありません」
「バカ野郎。国の責任も背負えないで、女王なんざやってられっか。あんたらは国の不利益の全責任をあたしに押し付ければいいんだよ。だから、ちゃんとあたしに相談しろよ」
「ありがとうございます、エルフリーデ様。けれど本当に、今は困ったことはありませんよ。クラウス様も、ミーリア様も、とてもよくしてくださいますので」
にっこりと、やはりイルマは笑顔で答える。その笑みに曇りはなく、「ならいいんだけどね」とエルフリーデも安心したような笑みを返した。
「まったく、元女王の頭が腐ってるせいでオレはこんな大変な思いしてるんだぜ。責任持って仕事全部変わってその辺のイヌ小屋で生活しやがれ」
「あたしはマトモな人間の責任しか負うつもりはないんでねえ。腐れ悪魔はミリを置いてとっとと国から出て行きやがれ」
「んだとこの‥‥っ、‥‥くそっ、ミリがめちゃくちゃ可愛い顔で睨んでるじゃねえか‥‥!」
「くっ‥‥こんな可愛い顔されちゃ、苛立つ気も失せちまうね‥‥!」
もはやミリは言葉を発することさえ無く、2匹の猛獣を鎮めてしまった。やはり、可愛いは正義。
ぎりぎりと歯を食いしばり睨みあい、をしたくともミリが可愛すぎてできない2人の間を割るように、イルマがひょこりと明るい声をかけた。
「ところでエルフリーデ様、よろしければ今晩、ご一緒にお食事などいかがですか? 実はちょうど今、奥の村からお肉をもらってきたところなんです」
奥の村、というのはここから少し離れたところにある、畜産を中心にしている村のことだ。反対にここは手前の村と呼ばれることもあり、その基準は城から見ての距離である。
ルチルの農村では「相互補助」がもはやシステムと呼べるほどに確立しており、こうして互いの村に行き来して作物と肉等の交換が行われることは日常であった。
「おっ、そりゃ嬉しい。ミリも一緒に食わせてもらっても構わないかい?」
「ええ、もちろんです。‥‥えっと、良かったらクラウス様もご一緒に」
どことなく控え目に、けれど明らかに期待を込めた声音でイルマが誘いの声をかけてくれる。
「まあ、そりゃもちr「お、やっぱイルマもこのカス野郎がイヤなんだね。わかるよ、遠慮なく言ってやりな。てめえは地面に這いつくばって土でも舐めてろ ってさ」
「んだとコラ。テメェこそ偉そうに人間様のメシなんざ食ってんじゃねえ。家畜と一緒に藁でも食ってやがれ」
「家畜をバカにするたぁ、農耕者の風上にも置けないねえ。いっぺん畑に埋まって光合成でもしてみたらどうだい」
「テメェこそ家畜のエサにでも‥‥」「クラウ、お母様」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ2人が、やはりミリのたったひと言でぴたりと口を噤んだ。
ぎゅ、ぎゅっと、クラウの腕とエルフリーデの腕を、ミリが掴んで引き寄せる。
「みんなで! じゃなきゃ私は行かないからね!」
頬を膨らませて2人を睨むミリに、クラウとエルフリーデは――――興奮した。
「ああ、オレが悪かったよミリ。お詫びにぺろぺろしてもいいか?」
「ごめんよ、あたしが悪かったよミリ。詫びにすりすりさせてくれよ」
2人の変質者、最愛の男と最愛の母に頬を頬で挟まれながら、ミリは晴れ渡る澄んだ青空と、自由を謳歌するように翼を広げている鳥を見上げながら、誓う。
――決してこんな大人にだけはならないようにしよう、と。
前回妙な区切りをしたせいで、妙なスタートになってしまいました‥‥。
うむーん、色々と思案する余地は尽きません‥‥。
なんならさらに半分に区切ってもよかったかな~‥‥