5.ゆうべも おたのしみでしたね
朝は早い時間に起きて農作業をして、昼の日が高い時間になってくると休憩も兼ねて家の中でいちゃいちゃ。ご飯を食べてのんびりして、夕方ごろになると作業の続きをしたり遊びに出たり。
そんな緩やかな一日が、最近の2人の毎日だ。
「そろそろ風呂入るか。湯、沸かしといて」
「うん。ちょっと待っててね」
そして夕飯の後は一緒に風呂に入るのも、毎日のこと。
こればかりは無理矢理というわけではなく、王女という身分柄、メイドに身の手入れをお願いすることも少なくなかったおかげで一般の人々に比べて恥じらいというものが少ないらしい。初めてクラウがその役を買って出た時も、存外にするりと受け入れられたので少々拍子抜けしたくらいだ。
もちろんというべきか、誰にでも見せられるものではないようだが。
もちろん、オレ以外の誰にも見せる気なんて欠片もないけどな!
クラウがタオルや着替えの準備をしている間、ミリは一足先に浴室へ向かうと、脱衣所にあるハコの中心に取りつけられた金属板に手を添えていた。
そのハコは貯水槽であり、金属板は効率よく力を伝達させるためのものだ。ミリは「変化」の魔法で水の温度を上昇させ、湯を作っていた。クラウならば即座に沸かすこともできるが、練習も兼ねて湯を沸かすのはミリの担当である。
ミリは難しい顔をしてじっと金属板に手をかざし、手の平に集中力をかき集める。元々集中力の高いミリなら、集中力などかき集めるまでもなくその辺りにごろごろ転がっているのかもしれない。
板の横には温度計が据えられており、じりじりと温度を表す水位が上昇して、少しずつ水が沸き始めているのが見て取れた。
着替えを持ってきたクラウはそれを浴室の棚に置いて、じっとミリの背中を見つめる。
「――‥‥うん、これくらいでいいかな」
やがて、温度計が40℃近くを指し示したのを見て、ミリはようやく板から手を離した。クラウは満足そうに、うむうと頷いて、ミリの頭をわしゃわしゃと掻き回した。
「ちょっとずつ、早くなってきてるな。さすが、お子様は呑み込みが早い」
ミリは「それ褒めてないでしょー」とむくれ顔で為すがままにされている。うーむ、可愛い可愛い。
そのまま一緒に風呂に入って、まず最初にクラウは丁寧にミリの髪を洗ってやる。シャワーから出る湯を浴びながら、櫛を使って時間をかけてミリの髪を梳いてゆく。
日々の手入れの賜物か生まれつきか、ミリの髪の毛は流れる水のように柔らかくて真っすぐ美しく、するするとほとんど抵抗もなく櫛の歯が上から下へと滑り落ちてゆく。
他者の世話など、騎士団の後輩にさえまともにしたことのなかったクラウだが、ミリの髪の手入れはもはや趣味のようなものだ。こうして触れているだけで気持ち良いし、ミリが身を任せてくれているという感覚は心地良い。
「クラウ、背中かゆい」
「えっ、舐めていいの?」
「ぎゃー、なんでそうなるのー。うそうそ、全然かゆくなかったー」
なんてやり取りはいつものことだけれど、ミリがそんな日常の些細なことまで、本当にクラウに任せようとしてはいないことくらい知っている。
ミリの世話をしていたメイドに聞いたところ、大抵のことは自分でこなし、あまりに何も頼まれないのでむしろ困ると言っていたくらいだ。お風呂での髪の手入れだけは、長いこともあって任せていたようだが。
ミリの洗髪が終わると、自分の髪と体を大雑把に洗う。毎日のように頭から血を浴びていたクラウの髪など、ミリの流麗さには遠く及ばない。質に見合った扱いで十分だ。というか、丁寧に整えていつも髪の毛さらさらさせている自分など、気持ち悪くて見ていられそうにない。
ものの数分で体を洗い終えると、2人で一緒に湯船に浸かる。湯船は大きめに作られているおかげで、ミリがもっと大きくなったとて十分体を伸ばせるほどの余裕がある。それでもクラウを背もたれにするように脚の間に収まるのは、ミリの定位置である。
「いやー、今日も一日労働したなー。ミリ、だいぶ今の生活にも慣れてきた?」
「うん。大変だけど、やりがいがあるよね。それにクラウがいてくれるから、頑張れるよ」
「ふへへ~、愛いヤツめー。うりうりー、ほっぺた揉みしだくぞ~」
「えへへ~、私も仕返ししちゃうぞ~」
「おっ、生意気な小娘だ。じゃあオレはくすぐっちゃうゾ~」
「あはははははっ! もうっ、ダメだってばー! あは、あははははっ!」
ばしゃばしゃとお湯をまき散らしながら、全力でいちゃつく2人。
人の目がないと、ミリもクラウに負けず劣らずぺたぺたしてくれる。そうしている時のミリは年相応に幼く、少しばかり安心すら覚えてしまう。
この声は外にも丸聞こえらしく、以前はよく「ゆうべは おたのしみでしたね」と言われていたが、最近ではそれすら言われなくなってしまった。ゆうべだけでなく毎夜のことだからだろう。
ミリには見守るような温かい視線(と少々の同情の視線)を、クラウには呆れたような残念ような視線を送られていることに、差別意識の理不尽さを嘆かずにはいられない。みんなヒドイよね。
思う存分風呂を楽しんだ後は、リビングでもう一度ミリの髪の手入れをしてやるのもクラウの習慣だ。風呂で使っていたのとは別の櫛を使って、乾かしながら丁寧に整える。良質な櫛を使い分けたり、ちょっとした小物が充実しているのは、数少ない元王族の特権だ。他にも持ってこられる物は色々あったけれどミリが良しとしなかったので、基本的に2人の生活は質素である。
そうしてクラウに手入れを任せている間、大抵ミリは本を読んでいる。もちろん絵本などではなく、活字の本。それは単純な冒険譚や甘い恋愛物の時もあれば、経済書や哲学書、論文等を読んでいる時さえある。難しい話になれば理解が及ばない時もあるそうだが、自分の知識や理解力の浅さを客観的に知ることができるから、それはそれで良いそうだ。
この時間に限らず、ミリがそうして読書に耽っている間はちょっかいをかけるのは控え目にしている。ミリが集中したいことは分かっているし、それがミリの成長に繋がっていることもよく知っているから。
なによりそうしているミリの姿は神聖とすら言え、そんなミリの邪魔をすることは、いくらクラウといえどもできそうにはなかった。
髪を整え終えると、ミリは振り返って「ありがとう」と可愛すぎる笑顔を浮かべて、すぐに読書に戻ってしまう。
本当なら今すぐ抱き締めて体中を弄りまわしたいのだが、泣く泣く我慢して頬に唇を添えるだけに留める。そのまま安っぽいソファに寝転がって、クラウも同じように読書を開始した。戦闘狂の騎士といえど、知識は必要だ。その部分も疎かにしていないからこそ、クラウは最強の騎士でいることができるのだろう。
それからほどなくして、ぱたむと本を閉じる音が聞こえたと思ったら、ちょこちょことミリがこちらにやってきて、よいしょ、と腹の上に乗っかって来た。
「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」
なんだよこれ――――めっちゃ可愛い。
無言で見つめ合いながら、クラウは心の中で転げ回って悶絶する。構って欲しいのか、特に意味はないのか、どちらにせよ可愛いことには変わりない。
「――‥‥3時間」
ふと、クラウは熟考の末にその数字を口にする。
ミリは整えたばかりの綺麗な黒髪をさらりと揺らしながら首を傾げた。柔らかな子供の香りがふんわりと粒子のように散らばって、クラウの中の幸福指数を限界を越えて高めてくれていた。
「3時間くらいなら余裕で――このまま見つめ合っていられる」
真剣な口調でそう告げると、ミリは一瞬ぽかんとしてから、にへ、と死ぬほど可愛い笑顔を浮かべた。
「‥‥私はちょっと無理かな」
思ったより辛辣だった。
‥‥いや、見つめ合ってなんかいられない。今すぐ抱いてキスして舐めまわして! と遠まわしに言われたのだろうと前向きな判断を下すことにしよう。うん、間違いないな。
「‥‥ミリ」
ぞくぅ、とミリが危険を察知して飛び退こうとするが、クラウは当然それを許さない。がっちりとその体を掴んで、身動きを封じた。
にぃ、とクラウは怪しい笑みを浮かべ、ミリは表情を硬くして身構える。
――夜はまだ、始まったばかりだ。
お風呂回です
なにかありそうでなにもないお風呂回です
そーいう目的ではなく、一緒にお風呂に入るってシチュエーションが大好きです