4.魔法という力
「はぁ~、ミリのほっぺたぷにぷにしてて気持ちいいなー。唇もぽよぽよしてて可愛いなー」
さすがのミリも戸惑い気味になるほど、クラウの容赦ない愛情表現が降り注ぐ。
農家に下りて最初の頃は人前でぺたぺたするのは恥ずかしがっていたミリだったが、いつの間にか恥ずかしがりながらもそのスキンシップを受け入れるようになっていた。
これはつまり、調教済みといっても過言ではないのではないだろうか。
「つまり、身も心もオレのものだといっていいのではないだろうか」
「なにがつまりなのか分かんないよ‥‥」
おっと、思わず溢れだすミリへの愛が声に出てしまった。仕方ないね。
そんな2人に、ミラは隠す気もない残念そうな視線を送ってきている。いや、どう見てもその視線はクラウだけに注がれている気がしないでもないが、深くは考えないでおくとしよう。
「初めてお見かけした時は、クラウス様は恐ろしい方なのだと思っていましたが、ただのへんたi‥‥おっと、気さくな方だと知って驚きました」
「おいこら、何一つ言い留めれてねえじゃねえか」
これがミリだったら「言ったなぁ~、こいつぅ~」とか言いながらいちゃいちゃするんだが。
「昔はもっとマトモだったはずなんですけど、いつの間にかこんな変態に「言ったなぁ~、こいつぅ~」うひゃあああ、だからそれをやめなさーいー!」
すかさず抱きついてすりすり。今のタイミングで言うなんて、つまりこうして欲しかったってことだよね。どうして逃げようとするのかな。
と、そんな2人と呆れ顔のミラの下に、「クラウス様ー」と柔らかい声が投げかけられる。
声に振り向くと、首の後ろで1つにまとめた栗色の髪を揺らした少女が、丸い眼をぱちぱちと見開きながら幼さの抜けきらない声で畑の向こうから呼びかけてきていた。
「クラウス様、今お時間よろしいですか? 農地の開墾をお願いしたいのですが、引き受けていただけないでしょうか」
少女――イルマはぺたぺたとこちらに駆け寄ってくると、やけに近距離でクラウを見上げた。
イルマは以前から農村に住んでいた少女で、2人がココに来てからは何かと交流をはかってくれている、明るい性格の子だ。
少しばかり、必要以上にクラウとの交流を求めてくれていることに、クラウとて気づいていないわけではない。
‥‥あー、ミリが若干不服そうに見てきてる。でも、こればっかりはオレ悪くないしなあ。
イルマの頼みに、もとより断る気などないのだが、クラウは敢えて難しい表情を作ってうーむ、と唸った。
「そうだなー、報酬次第かなー」
「はい、お2人を今日の夕食にご招待させていただこうと思っているのですが、いかがでしょう」
それを聞いてクラウは途端、期待に瞳を輝かせた。
「イルマん家の、今日の夕食は?」
「山羊乳のクリームシチューです」
クラウは満足そうにニッと笑って、パチンと指をならす。使っている食材は他の家と変わらないはずなのに、イルマの家のシチューはやけに美味い。できることなら、こちらから頼みこんで食べさせてほしいくらいだ。
とはいえさすがのクラウも意味もなく食わせろと言えるほど傲岸不遜ではなく、こうして理由が生まれるのはありがたい。
「よぅし、引き受けたっ。じゃあミリ、ちょっと出てくるな」
はーい、と同じく期待に表情を明るくさせていたミリに見送られ、クラウはイルマに従って彼女の家へと向かった。
案内されたのは、かつては小さな倉庫があった場所で、現在それは取り壊されて荒地となっている土地。農耕に慣れつつあるクラウには、整えてさえやれば畑として十分使えそうな肥沃な土であることはすぐに分かった。
「広さは、どれくらい? 隣の畑と一緒くらいでいいの?」
「えっと、奥行きは同じで、幅は倍程度の広さでお願いいたします」
「ん、そしたら隣の土地の邪魔にならないか?」
「隣も今の土地を畑にして、間はあぜ道で仕切るそうなので、ギリギリいっぱいまで引き延ばしてもらえると助かります」
「なるほどりょーかい」
クラウは説明を聞いて目の前の空き地と、隣家の今は資材置き場のようになっている土地を見て、開墾すべき土地の広さをイメージする。
そしてその手に鍬を握ることはなく、両手を下ろしてぺたりと地面に触れる。
――途端、地面がぼこりと盛り上がり、イルマの指定した範囲の土がごぼごぼとかき混ぜられ、あっと言う間にイルマの指定した範囲の土地が、硬い地面から柔らかな地面へと移り変わった。
――この世界には、「魔法」と呼ばれるものが存在する。
ただしそれは物語に登場するような華々しさからは、少しと言わず欠如した範囲でしか扱うことのできないものだった。
魔法を行使できる範囲は、使用者が触れることのできる物体に限定される。つまり、遠く離れたものを引き寄せる・破壊する、といったことは不可能だということだ。精霊やら悪魔なんていう、どこにいるのかも知らない存在の力を借りるわけでない以上、どうしても個人の力という制約がかかる。腕を振るったところで、遠く離れた物は破壊できないのと同様である。
魔法には大きく分けて「流動」「変化」「治癒」の3つの分類がある。
まず「流動」は今しがたクラウが使用したものである。触れた物体を、物理的な力を加えることなく動かすこと。定義としては、物体の姿形を保ったまま位置や状態に影響を及ぼすこと、とされている。
次に「変化」は、最も定義される範囲の広いものである。触れた物体の形状、温度、色など、物体そのものの姿形に影響を及ぼすものが、これに含まれる。ただし巨大化など質量を変えることはできず、また鉄を金に変化させるなど存在そのものを変化させることはできない。
最後に「治癒」は、名前通り怪我の治療を行うものである。触れた部分の細胞を活性化させ、欠損した肉体を即座に治すものである。そのため当然というべきか、死者の蘇生は不可能であり、半身が消失するなど欠損箇所があまりにも大きい場合も治療は不可能である。
そしてこれらの魔法はそれぞれ下級、中級、上級とその影響を与える範囲によって等級が設定されており、下級は実際に触れた箇所と同程度の範囲。これは誰しもが簡単に行使できるレベルの魔法である。
次に中級と上級だが、これらの定義はそれぞれ「広い範囲」と「圧倒的な範囲」という、非常に曖昧な設定がなされている。これは影響を及ぼす物体や、起こされる変化が多岐にわたるため、どこからどこまでが中級、といった正確な定義が難しいためである。国によっては明確な基準を定めているところもあるそうだが、魔法そのものの定義としては曖昧で良しとされている。
ただ、中級と上級の境界は曖昧だが、実際に目にすることのできる2つの等級の間には定義の言葉通り、圧倒的な差があった。
例えばクラウの行使した「流動」の魔法は、一般的には1m四方を越えて影響を及ぼすことができれば十分だと言われている。つまり、クラウの魔法は完全に「上級」の分類となるわけである。そしてこれほど圧倒的な魔法を行使できるのは、旧ルチル国においてはクラウを含めて、たった2人。ここまでの規模で魔法を扱える者は、それだけ稀少であるということだ。
また魔法の威力範囲は先天的な要因に左右されることはほぼなく、努力と経験によって高めることができる。それだけでも、クラウがこれまで騎士としてどれほどの修羅場をくぐり抜けてきたのかが窺える。
戦いの場においては凄まじい力を発揮する「上級」の魔法も、日常生活において非常に便利な能力となる。
よって「上級」の魔法を扱える者は便利屋となることも多く、クラウのように見返りを求めることができるので、双方にとってありがたい力となり得るのだ。
ガルネンブルクからの援助を受けるとはいえ、旧ルチルも現状を維持するわけにはいかず、現在は広範囲かつ大規模に農地の拡大が行われている。
クラウがミリと暮らす、つまり農村に住まうことを許されたもう1つの理由はこれだ。
上級魔法が使えるクラウがいれば、その作業が圧倒的に捗る。効率的に作業を進めるためにも、クラウを農村に住まわせるのは必要だと言えた。
一瞬にして耕された土地を見て、イルマが表情を輝かせる。
「ありがとうございます、クラウス様! 範囲が広くて少し大変だったので、本当に助かります!」
「細かい整地なんかは任せるよ。力仕事があるようなら手伝わせてもらうけど」
「はいっ、その時は是非。‥‥クラウス様にお会いする口実にもなりますから」
「あー‥‥うん、イルマん家のシチュー美味しいから、今日でラッキーだったなあ」
頬を赤らめるイルマに苦笑いを返しつつ話題を変えると、イルマはすぐに楽しそうな笑顔に戻って答えた。
「ふふ、実は先日ミーリア様から立派な丸芋を賜ったので、お2人に召し上がっていただこうと思って今日、お願いしたんです」
「ああ、そうだったのか。なら、今日のシチューはいつも以上に美味いだろうな。なんたってウチの丸芋は一級品だからな」
「はい、お2人の温かみがこもっている感じがして、わたしも大好きです」
「そりゃ良かった。頑張って育ててる甲斐があるよ」
ふむ、できれば軽く突っ込みが欲しかったところだが、素直なイルマには難しい要求だったようだ。
しかし、農業なんざガラではないのだが、そうやって褒められると案外悪い気がしない。
ちなみに、家の畑をミリが手作業で耕しているのは、ミリが望んでやっていることだ。
クラウたちがここに住まうまでは大半は手作業で耕していたのだから、自分もそうしなきゃいけない、という理由らしい。立派な心構えだ。あと可愛い。
「じゃあ、準備ができたら呼びに来てもらえるかな。ミリと腹空かせて待ってるよ」
「わかりました。精一杯、腕を振るわせていただきます」
ひらりと手を振って、愛しいミリが待つ我が家へと足を向ける。
戦うこと以外にも、楽しいことや安らげる場所があることをミリは教えてくれた。
ミリと過ごせるなら、このままここでのんびりと暮らしていくのも悪いことじゃないと、思わないこともない。
――けれどやっぱり。
ちょっとくらいは刺激が欲しいなあと、数々の戦場を駆け巡った最強の騎士として、少なからずの物足りなさも覚えずにはいられないのだった。