1.農民の王女様
「ざっざっざー、じゃっじゃっじゃー、きゅっきゅっきゅ~♪」
楽しげな鼻歌に合わせ、鍬が地面に振り下ろされる。軽快な口調とは裏腹にその動きは鈍重と言わざるを得ないが、全く気にした様子もなく少女の鼻歌は続けられる。
鍬の刃が土に刺さり、硬い地面は少しずつ柔らかな土へと変えられてゆく。その隣には既存の畑が広がっており、土の上には地面から飛び出た作物の蔦がうねうねと横たわっている。蔦には丸い作物が実っており、土に半ばを埋もれさせて転がっていた。
少し離れた場所には1軒の平屋が建っており、大きくも華美でもないが、掃除が行き届いて綺麗に整えられているのが見て取れた。
周囲には広々とした景色が広がっており、景観のほとんどを畑が占め、その合間を縫うように似たような家々が点在している。その畑には少女と同じように畑仕事をする人々の姿が見て取れ、その人たちの目には活気が宿っているように見えた。
容赦なく照りつける太陽の熱を浴びて、少女の額に汗が流れる。目の端を汗がくすぐると、少女はぎゅうと目を閉じてそれを追い出し、そのまま作業を続行する。
他の農民と比べると明らかに作業の手は遅いが、その顔に浮かぶ表情は底抜けに明るい。幼い見た目相応の楽しげな笑みを浮かべて、ざっくざっくと土をかき混ぜる。
「ミーリア様、こんにちは。今日もご精が出ますね」
「あ、ミラさん。こんにちは」
と、畑の外側から恰幅の良い中年の女性に声をかけられ、少女――ミーリア=リーネルトは鍬を振る手を休め、笑顔で女性に挨拶を返した。
「作物の様子はいかがですか?」
「はい、元気に育ってくれていますよ。‥‥それより、"様"は止めてくださいと言っているではないですか。私はもう、王女ではないのですよ?」
「存じていますよ。それでもわたしたちにとって、ミーリア様は王女様なのです。わたしの自己満足ですから、お許しください」
ミリは艶やかな黒髪を首の後ろで1つ縛りに紐でまとめ、頭の上には土で汚れた麦わら帽。陶磁器のような滑らかな肌は遠慮なく太陽光にさらされていて、跳ねた土で汚れてしまっている。
「元」という枕詞がふさわしく、今のミリの服装は王女であったとは信じ難い。それでも10歳という年齢を感じさせない落ち着いた立ち振る舞いに高貴さをうかがわせるのは、良くも悪くも如何ともしがたい部分であった。
汗を流して土にまみれる元王女の姿であるが、これは平民に堕したミリが否応なく押しつけられた仕事ではない。
元々国政にも少なからず携わっていたミリには、当初の予定では城での仕事に就かせるはずだったのだが、ミリが農業をすることを強く望み、国内の農耕者の不足もあってミリはここでこうして土にまみれることとなったのだった。
「そういえば先日いただいた丸芋、とても美味しかったですよ。ありがとうございます」
「満足していただけたようでなによりです。小さな作物もまたいくらか収穫できると思いますので、その時はまたお持ちしますね」
現在ミリが育てている丸芋という作物は、栽培がしやすく、食用として利用できるまで成長する期間も短く、また保存も利くことから、ルチルでは主要作物として生産されているものだ。名前通り丸くごろごろした見た目をしており、単純にイモと呼ばれることもある。
「ミラさん、今の生活はいかがですか? 何かお困りのことはありませんか?」
「いえ、エルフリーデ様とディアナ様がご尽力いただいているおかげで、大変でもずいぶんとやりやすくなっていますよ。それにミーリア様がいらっしゃるおかげで、生活に華も生まれていますしね」
「ふふ、ありがとうございます。少しでも皆さんのお役に立てているのであれば、こうして農業に従事している甲斐があります」
ミリは見た目に不相応な大人びた様子で、落ち着いた笑顔を浮かべた。
頬を伝う汗が柔らかな肌に照り返す輝きを与え、太陽と土でさえミリを讃えているかのようであった。