3.ひと目で尋常じゃない マスターだと見抜いたよ
国の現状を把握するためには情報収集が不可欠である。
ということで翌日、ヴァルトノルト国内を巡ってみて、とりあえず分かったことが1つ。
思った以上に――ミリの認知度が高い。
ミリはここには2度ほど訪れたことがあったらしいが、ミリの存在はよほど印象深かったらしく、道行く人にかなりの割合で話しかけられた。まあ、こんなに可愛いのだから覚えられて当然だろう。
とはいえいちいち声を掛けられるのは、正直かなり鬱陶しい。会話のきっかけを得やすくはなるのだが、興味を持たれるだけだとこちらが一方的に質問されるだけになる率が高い。
というわけで、ミリには物語の魔道士よろしく、すっぽりと全身を覆うフード付きのローブを着てもらうことにした。だぼだぼの裾を引く姿は、息を飲むほど可愛い。全身を隠してなお可愛いなんて、さすがミリだね。
そうして色々な場所を回って見て聞いて、国内の情勢を少しずつ把握してゆく。
ちなみにだがガルムは現在、宿に設置された『イヌ小屋』で休んでもらっている。
大抵の街の宿には設置されている施設で、土を敷いて藁が積まれておりイヌが1匹ずつくつろげるようにされた空間のことだ。普通のイヌに比べいささか以上に大きなガルムにはやや手狭に見えるが、クラウに従って大人しくしてくれている。ジャッカルであることは説明してあるので、世話はクラウが自分でしなければならないが。
そんなこんなで、初日の街での聞きこみはほとんどの時間をミリの対応に割かれたせいもあって、得られた情報はあまり多くはなかった。
ただ、戦争の話自体はかなりの人が知っていたことが分かった。どうやら噂としてかなり広まり、最近の国民たちの大きな不安の種にはなっているようだ。
しかしその詳しい内容については知っている人はほとんどいなかった。城の兵士たちは現在任務以外の外出が許されておらず、情報が全く入ってこないそうだ。そしてその事実が、国民の不安をさらに煽っているらしい。
有力な情報源として、争いごとの反対派としては代表例として聖職者が思い浮かぶが、この辺りではあまり神への信仰が深くなく、国と争えるほどの勢力を持った聖職者団体は存在しない。
となれば、あとは直接兵士に話を聞くしかないだろう。
ミリが昨日かまかけとして使っていたが実際、夜の酒場に行けばおそらく兵士たちに会える。外出は許されていなくとも、抜け道の1つや2つ、どこにでも存在するものだ。
てなわけで、今夜はミリとドキドキ酒場デートに決定です。
明るいうちに酒場についての情報も集めた末に見つけたのは、昼間はコーヒー屋を営んでおり、夜中になるとひっそりと酒を振舞う偽装酒場。聞いたところ、城を抜け出した兵士が夜な夜なそこで日頃のストレスを晴らしに来ているらしい。
町が静まり返った時間帯に、クラウは「CLOSE」の看板が下げられた扉を押し開き、地下への階段を下った。隣には昼間同様、すっぽりとローブをかぶったミリの姿もある。
短い階段の先はインテリア風の廊下が続いており、受付風の見張りが2人談笑していた。城の関係者ではないことをじろじろと不躾な視線で確認されたものの、特に何を言われることもなく通り過ぎ、奥の扉へと向かった。
扉をくぐると、途端にむわりとした空気が全身に絡みつく。酒と煙草、そして男の臭いが混じった独特の空気だ。ローブの下でミリが身じろぎしたのが伝わる。慣れていなければ、少しばかり辛い空気かもしれない。
扉の向こうは左手が全面カウンター席となっており、右側はそれなりに開けた空間に丸テーブルがいくつか適当な配置で置かれていて、それ以上に適当に並べられた椅子に腰掛け、ゴツイ男共が赤ら顔を突き合わせている。
ガハハと男たちの豪快な笑い声を聞きながら、クラウはとりあえずカウンター席に腰掛けた。カウンター内にいたマスターは、ちらりとクラウに視線を向ける。
「見ない顔だねえ」と定番の台詞を投げかける。クラウが。
「この町で俺の顔を知らねえとは、いい度胸じゃねえか」
と咄嗟にそんな返しをしてくれるマスターは、なかなか遊び心のわかる男のようだ。
その男は、30になっているかどうかという程度だろうか。精悍な顔立ちをしており、こんな酒場を経営しているからか、荒事には慣れていそうな雰囲気を漂わせている。目に見えて強靭な肉体を有しているわけではないが、纏っている空気はただ者のそれではない。鋭い眼光に髪色と同じグレーの顎髭を生やしている容姿は、ダンディとかナイスガイとかいぶし銀という言葉が似合いそうだ。
「ご注文は?」
「うさぎですか?」
「アゾット剣は品切れとなっております」
「おおう、ノリいいな。えーっと、お任せで甘い酒を頼むよ。あと、普通のジュースある?」
「おいおい、子供連れかよ。まあ、別に構わんが」
しばらくするとクラウの前にとろりと濁った果実酒が、ミリの前にはオレンジジュースが差し出された。
ひと口グラスを傾けると、酒の味は悪くないが、やはりルチルの果実酒のほうが芳醇で美味いと感じる。
「あんた、確かに見ない顔だが新入りってわけじゃないよな。他の連中と比べても落ち着きが違う」
誰に話を聞こうかと周囲を見回す前に、マスターに声をかけられる。ふむ、確かに情報は多く持っていそうだし、とりあえずマスターから話を聞いてみるか。
「いやー、オレなんかまだまだ新人のひよっこッスよ」
「いや、俺には分かるんだ。あンた、背中が煤けてるぜ」
「ふ、バレちゃあ仕方がない。実はオレは熟練のにわとっりさ」
「キサマがあの伝説の‥‥!」
おいおい、めっちゃノリいいじゃねえか。何気にコイツと話すの楽しいじゃあねーかよ。
とはいえ、いつまでも下らん話をしているわけにもいかない。とっとと本題を切りだすことにする。
「ところでさ、最近はやっぱ戦争の愚痴ばっか?」
「ん? ああ、そうだよ。その口ぶりじゃ、まさかあんたは賛成してるのか?」
「そういうわけじゃねえよ。ただ色々と思うところがあってね」
「そうかい」
さすがというか、細かい事情に関しては不干渉を貫いている。しかしそれだと、あまり多くを聞きだすのは難しいかもしれない。さて、何から尋ねれば――
「先生? もしかして、先生じゃないですか?」
突如かけられた声に、クラウは「あぁん?」とそちらに睨みを向けた。ミリ以外と先生ごっこなんぞした覚えはないのだが。
しかしそこに立つ男を見て、クラウの瞳の険はわずかに鳴りをひそめた。
「‥‥お前、アレか。えーと、あのー‥‥」
「はい、ヴィリです!」
「そう、それだ」
「覚えていただけていて光栄です!」
今のを覚えていると捉えられるとは。素直なのか馬鹿なのか。コイツの場合は、多分両方だ。
ヴィリはさらりとした金髪をお行儀よく垂らして、クラウを見つめる翡翠色の瞳はキラキラと輝いている。背は少しばかり低めで、青年と言うよりはまだ少年と言う方が近い幼さが残っていた。兵士の格好をしていないと、単なるガキんちょにしか見えない。
ヴィリに会ったのは、確か3年くらい前だっただろうか。当時起こっていた戦争の援軍としてヴァルトノルトに訪れた際、ちょうど新兵になったばかりだったヴィリに、少しばかり剣術を含めて指導してやったことがあった。妙に懐かれて、そういえば先生と呼ばせてくれと言われた覚えがある。許可した覚えはないのだが。
ミリとはまた違った無垢な雰囲気をまとわせていて、決して悪い奴ではないのだが、よく言えば純真、悪く言えばちょっとアホだ。クラウとしては、後者を推奨したい。
ヴィリはクラウに出会えた僥倖に浮かれ、熱すぎる視線をクラウに注ぎまくっていた。
男に見つめられても嬉しくねーっての。