隣国へ
ルチルを経ってから約2時間。最初の頃は「きゃー、速ーい!」「気持ちいー!」とはしゃいでいたミリは――
「うー‥‥ごめんね、クラウ」
「いや、ペース考えてなかった。ごめんな」
――すっかりへばってしまっていた。
イヌを駆り慣れたクラウはともかく、移動用のイヌ以外に乗り慣れないミリには、長距離行軍はかなり負担がかかっていたようだ。1時間が過ぎたあたりから口数が減って表情が硬くなってきたのを見て、クラウの判断で休憩を取ることにした。
本当に辛くなったら言うだろうが、耐えられる範囲なら口を閉ざしてしまうミリだ。初っ端から無理をさせたくはない。
別に急ぐ旅でも無いので、ミリに合わせてのんびり行けばいいだろう。
伏せたガルムの背に仰向けに寝転がって、森林浴と共に差し込む陽光で日光浴。帯のように差し込む陽の光にくるまれながら、目を閉じて清涼な森の香りをゆっくりと吸い込む。
ガルムの鞍は今は外しているので、背中には暖かな毛と柔らかな獣の肉の感触。そして腹の上には極上の肉、ミリが乗っかっていた。
抱き合うような体勢で、静かに自然の音に耳を傾ける。時折獣が通り過ぎるような音が聞こえるが、火よりも恐ろしいジャッカルの姿を目にして襲いかかってこようとする獣はいない。人間よりも優れた、野生の本能と言うヤツだ。
ミリはやや苦しげな呼吸をしながらも、クラウの胸の上で嬉しそうに目を細めていた。
「んふー、クラウとくっついてると落ち着くー」
「‥‥‥‥っ!」
あぁーっ! めっちゃ可愛いーッ!
思わず叫びたくなる衝動に駆られるも、必死にそれを抑えつける。
――いや、だがよく考えてみろ。ここはルチルからも次の国からも距離がある、人の手があまり入っていない山中だ。野犬に聞かれたところで何の問題もなく、ガルムなら軽く聞き流してくれるくれるだろうから「あぁーっ! めっちゃ可愛いーッ!」思い切り叫んでみた。ついでに思い切り抱きしめてみた。むぎゅう、と腕の中で声が聞こえるがキニシナーイ! だって可愛いから!
「も、もうっ、クラウってば、自重しなさーい!」
「それを言うならミリだってそんな可愛い仕草と顔と声と性格と体と匂いと体温と「もういいから落ち着きなさい!」
にゅー、とほっぺたを引っ張られて「むしろみなぎってきた! さあ今こそルチル最強の騎士の力を思い知れ!」「こんなところで知りたくないよー!」
じたばた。いちゃいちゃ。
「‥‥あーもー‥‥また疲れちゃったよー‥‥」
ほんの10分ほどで、ミリが音を上げてしまう。普段はもっとしてるのに、やはり疲れがたまっているのだろう。
ぐったりとしながらも、ミリはクラウの上から退けようとはしない。なんだよめっちゃ可愛いじゃねえか、と思いながらよしよしと頭を撫でる。
「じゃあもうちょっとくっついてる?」
「‥‥うん」
うおあぁーっ! もーっ! 素直可愛いぃーッ!
「‥‥うっ! い、今から、どこの国に向かってるのかなっ!?」
ギラギラと再び怪しく光り始めたクラウの瞳の色に気づいてか、ミリはやや焦り気味に話題を振ってきた。
実を言うとまだ、ミリにはどこへ向かっているのかを話していない。ルチルから向かえる周辺諸国ならば、恐らくミリはおおよそを把握している。だから道中で考えを巡らせず、できるだけアドリブ的な対応をさせようと思ってのことだ。
とはいえ、何も知らなさすぎるのも問題だろう。そろそろ頃合いかと思い、ついでにミリの知識も確認してみることに。
「んー‥‥じゃ、今向かってる方角は分かるか?」
ミリは顔をあげて太陽の位置を確認。時間帯と大体の角度からしばらく考えを巡らせ、
「‥‥北、かな」
「うん、正解」
よしよし。にこにこ。ぺろぺろ。「なんで舐めるのー!?」美味しそうだったからね。
「で、ルチルの北にある国と言えば?」
「えーと‥‥ヴァルトノルト」
「正解」
本当に、ミリの知識量には毎度感心させられる。同年代といわず、ともすれば大人にさえ勝っているのではないだろうか。
だからこそ、ミリに足りないのは経験値だ。こればかりは、10歳という年齢によるハンデを覆すのは容易ではない。
そしてその容易ではないハンデを覆すために、今からミリは容易ではない旅をしに行くのだ。
クラウがそのひと言だけで説明を打ちきっていると、ミリが続く言葉を待つようにじっと見つめてくる。
可愛いのでそのまま見つめ合い、3時間経ったら何か声をかけようと思ったが、その前にミリが首を傾げて問いを投げてきた。せっかちさんだね。
「なんでヴァルトノルトにしたの?」
「さー、なんとなくー」
しかしクラウは雑に返答をして、そのまま再び半昼寝状態に。ミリは少しだけ不満そうだったが、すぐに諦めてこてんと体の力を抜いた。
くぁ、と背中でガルムがあくびをして、ゆらりと心地いい振動が2人を揺り動かす。
柔らかな森の香りを孕んだ風が2人を包み込み、木々の枝葉が揺れる音が静かに響く。差し込む陽光がじんわりと体に温もりを与え、腹に触れるミリの体温がクラウに幸福を与えてくれる。
「‥‥なんだか、いいね。こういうの」
しばらくそうしていると、ミリがぽつりと穏やかな声を漏らした。
「お城にいた頃はこんな風にのんびりすることなかったし」
「そりゃそうだろ。王族が日向ぼっこにいそしんでたら、暴動しか起こらんぞ」
「私、頑張ってたんだよー」
「知ってるよ。そんなミリにオレは惚れたんだから」
「‥‥えへへ、じゃあ頑張って良かったかも」
「ああー! めっちゃ可愛いー!」
「だからー!」
「――お前ら、こんなところで何をしてる!」
と、愛の言葉を交わす2人の間に、無粋にも割って入る声があった。不機嫌にクラウがそちらを睨みつけ、同時にガルムもそちらに鋭い視線を向けた。