12.想いを胸に
早朝、出立の日。城門に見送りに来ているのは、門番を除けばエルフリーデとアヒムの2人だけだった。
関心を抱かれていない、というわけではもちろんない。他の国民には、出立は明日だと言ってあるからだ。
一応見送りに来るなとは言っているが、彼らのことだから全員来たがるだろうと思っての行動だ。実際、ここ数日どこかおかしな空気が流れていたので、何かしらの企画をしていたのだろう。
見送られるのはクラウとミリ、そしてもう1人。
いや、正確には1匹というべきだろう。クラウの横を歩くのは――巨大な黒い獣。
それこそがディアナに交渉してもらい受けたクラウのジャッカル、ガルムであった。
体長は3m以上はあり、ミリ程度のちっちゃい幼女なら丸のみできてしまいそうなほど大きな口腔には、朝日を鈍く照り返す凶悪な牙がずらりと並ぶ。鋭い瞳は血のように赤く染まり、全身を覆う厚い毛皮は闇のような漆黒。
それが、ハウンドと呼ばれる軍用のイヌの中でも抜きんでた体格と知能、そして圧倒的な戦闘力を誇るジャッカルの姿である。並の人間であれば、その姿を見ただけでもすくみあがるほどの威圧感である。
そう、並の人間であればの話である。ガルムと正面から対峙するエルフリーデは一切腰を引かせることもなく、むしろ進み出てその喉をくすぐっている。それは鬼姫の胆力によるものだけでなく、彼女も専用のジャッカル・フェンリルを駆る騎士だからである。
ガルムは非常に頭の良い子なのだが、なぜかエルフリーデには懐いてしまっている。ジャッカルが騎手以外に懐くのは希少なはずなのに、いったいどんな姑息な手を使ったのか分かったものではない。ちなみにフェンリルもクラウに懐いてくれているが、これはフェンリルが賢いからに他ならない。
クラウはガルムを引きつれて、ミリはその肩の上に乗っていた。肩の上、というのはもちろんクラウの肩の上である。無理矢理乗せたなんて人聞きの悪いこと言っちゃいけないよ。
エルフリーデはクラウを睨み、ミリに柔らかい視線を向けた。
「ミリ、クソ悪魔に何かされそうになったら迷わずぶん殴れよ。むしろ今すぐぶん殴れ。それとも代わりにあたしが殴ってやろうか今すぐ」
「はは、テメェのちょろいパンチなんざ喰らうかよ」
「ぶっ殺すぞ」
「「ああん!?」」
にゅー、とミリにほっぺたを摘まれた。くそっ、ちっちゃい手が可愛いな!
「クラウスさん、ミリをよろしく頼むよ」
「安心しなよアヒムさん、オレ以外の誰にも手は出させないさ」
「それが一番心配だっつってんだよ」
穏やかな態度でクラウに声をかけるのは、短く整えられたミリと同じ黒髪に、ひょろりとした中背の男性。碧色の瞳は色こそ違えど、優しげな眼差しはミリとよく似ている。
彼こそミリの父でありエルフリーデの夫、元ルチル国国王である、アヒム=リーネルトだ。
アヒムは軍人としての実力も、参謀としての抜きんでた知力があるわけでもない、ごく平均的な人物である。
しかしその静かな物腰と穏やかな態度は誰にでも真似できるものではなく、その点に関してはクラウも認めており、アヒムに対しては少なからずの敬意を払っている。
「ミリ、もしクラウスに嫌気がさしたらいつでも言いな。変態は山にでも捨てて、あたしが代わりに付き添ってやるからさ。もちろん、今すぐ捨てに行ってもいいよ」
「テメェこそ山で猿と一緒に虫でも食ってろ」
「ならてめぇは虫に食われてろ」
「ぶっ殺すぞ」
「やってみなよコラ」
「「ああん!?」」
にゅー、とほっぺたを摘まれた。くそっ、ぷにぷにした手が可愛いな!
「じゃ、もう行くぜ。鬼姫の顔なんざ見たくねえし、とっととミリと2人きりになりたいからな。ふへへ」
「にゃー! なんで太もも触るのー!」
「エルフリーデ、抜刀!」
「クラウスハルト、いざ参る!」
唐突にエルフリーデが剣を抜いて、クラウに襲いかかる。クラウも真っ向から迎え撃ち、瞬時にして剣呑な空気が一帯を包みこんだ。クラウはぽいっとミリをガルムの上に放り投げ、ガルムは上手く衝撃を緩和しながら幼女を受け止める。
元女王と元騎士王(?)による、ミリの太ももを賭けた全力バトルが今「クラウスさま!」始まることはなく、そこに割って入ったのは必死に息を切らせる――イルマだった。
「‥‥はぁ、よかった、間にあって‥‥」
イルマはクラウの前までやってくると両手を膝につき、ぜいぜいと無理矢理に息を整えてから顔をあげた。
「はぁ‥‥お2人のことだから、きっと素直に見送りはさせていただけないだろうと思ってましたけど、やっぱりでしたね‥‥」
額に汗を浮かべながら、イルマは少し誇らしさの混じった苦笑いを浮かべた。
ようやく冒険らしくなりはじめてきたでしょうか
この話の前に、2人が自分達の家や畑をどうしたか、という話を挟もうかと思っていたんですが、割愛してしまいました
ちなみにそれらは他の村人譲渡しています。冒頭でちょろっと出てるミラさんに譲ることになった、という流れで考えていました