11.指を絡めるのが指切りというのならより深い約束を交わす際は舌を絡めて舌切りというのはどうかしら。そういうと途端に舌切り雀というタイトルがいやらしく聞こえてくるわね。
ディアナはふと顔を上げると、クラウに不安と懐疑と期待をかき混ぜてひとまとめにしたような表情を向けてきた。
「ところでミーリアとはもう、にゃんにゃんしたのかしら」
「どこのオヤジだ。いや、してねえけど」
「そう、ならいいわ。とりあえず今は、それだけで満足しておくわ」
どの程度本気なのか知らないが、ディアナは満足げな笑みをクラウに向ける。
‥‥しかし、10歳の幼女と肉体関係を持ったかどうかわりと真剣に尋ねられる状況って、思いの外犯罪ちっくでびっくりした。
と、静かにコーヒーをすするクラウを見て、ディアナはすぐに表情を反転させて不満げに唇を尖らせる。
「‥‥もう少しくらい動揺してくれたっていいじゃない。あなた、今一応浮気をしているところなのよ?」
「あくまで交渉手段の1つってことだよ。話を有利に進める手段以上に、行為に特別な感情は抱けない」
「サイテー。月のない夜道には気をつけることね。背後から全力で揉みしだいてあげるわ。いいえ、ごめんなさい。背後から全力で揉みしだいてくれないかしら」
「謝らなくていいから訂正もしないでくれ‥‥」
「ところでそれ、ミーリアにも同じことを言うつもり?」
その質問にクラウはわずかに表情を緩めて、ディアナではない遠くを見つめた。
「いや、一度でもミリを抱いたら、抜け出せなくなる気がするんだ。オレにとってミリの存在そのものが特別だからな。だからミリにするソレに限っては、特別だよ」
躊躇いも恥じらいもなく、堂々とクラウは自らの想いの深さを述べる。それを聞いた途端ディアナはむすっと、今までで一番わかりやすく不機嫌に膨れ――
「あーんもー! ミーリアのアホー! うーいー、ぎぎぎぎ、やー、あー! 私もクラウスに愛されたーいー! やだやだうらやましーいー! むー、うぎー! おかわりぃー!」
突如ディアナが呻いているのか叫んでいるのかよく分からん音を喉の奥から発しながら、じたばた暴れ始めた。
呆れながらも2杯目を注いでやると「すごぉい、クラウスのが私の中にいっぱい入って来てる‥‥」とカップを見ながらワケの分からないことを言うので注ぐ手を止めると、「焦らされるのも興奮するわ‥‥」と目を輝かせていた。もうダメだ、手に負えない。
「くっそー、しれっとクラウスの赤さんが出来たりしないかしら。もう、婚姻関係なんてどうでもいいわ。そうよ、独り身でも子供を産んで育てることを推奨する法律でも作ってやればいいじゃない。いえ、子供ができたら有無を言わさず婚姻が結ばれるというのはどうかしら。この国はもう私のものなんだからやりたい放題よ! いっそ、クラウスはディアナの私物であるという法律だって作ってしまおうかしら!」
「よーし、ミリと愛の逃避行決定だ」
法の制定くらいなら、ディアナならやりかねない。やや苦い表情でクラウも2杯目のコーヒーをすすっていると――不意にディアナが再び真顔に戻っていた。「クラウス」と呼ぶ声は凛としていて、その切り替えの早さはミリ以上だと思わされる。
「――私は、産むならあなたの子供が欲しいわ」
ディアナは王族として、そろそろ子を成すことを考えなければならない年齢である。
田舎の小国とはいえ、いつ何時どんなことが起こるか分からない身として、早めに子孫を残しておくことは必要だからだ。
実際、ガルネンブルクでも早めにディアナを産んでいたからこそ、領土が増えるとすぐにこうして自国の女王を据えることができたのだ。
ガルネンブルクもルチルも完全な世襲制を取っているわけではないのだが、基本的には子が王位を継ぐのが様々な面で良いとされている。
しかしディアナは決して国というものに捉われすぎることなく、かといって我がままに振る舞うわけでもない。ディアナはその中間を貫き、国を守りながら自分の意思を通す。
それができるからこそ、ディアナはこの歳で女王を務め、誰からも認められているのだ。
「帰って来た時には、オレは今以上にミリを愛していると思うぞ。それに、もうディーの出す条件を呑む理由もないはずだろ」
「‥‥クラウスが私を抱くのは、初めての時からずっと交換条件だったわね」
「言ったろ。あくまで交渉なんだよ」
少しばかり苦々しく、珍しく弱気な表情を浮かべてディアナがクラウを見つめた。
「‥‥私じゃあ、不満かしら。本当は私とこうしているのは嫌だったりするの?」
「‥‥嫌なワケないさ。言ったろ、オレはディーのことは好きなんだって」
「じゃあ、帰って来たらもう一度私を抱きなさい」
「だが断る」
言葉は強気だが、正直クラウは断るのも言い返すのも無駄だろうということくらい、分かっていた。
「あなたたちが帰って来た時に西ガルネンブルクを明け渡す条件、というのはどうかしら」
「ミリに上手くやらせるさ。その時には、ディーでも言い返せないほどの奇策を弄することができるようになってるだろうよ」
「でしょうね」
あっさりとそれを認めるディアナは、酷薄な笑みを浮かべて見下すようにクラウを見つめていた。その態度はすでに少女のそれではなく、口舌で争う為政者の姿であった。
――そして、勝利を確信した笑みでもあった。
「次にこの国に足を踏み入れた時は、ガルネンブルクのために私に子孫を授けること。それが、それまでの間この国を守ってあげる条件よ。拒否するなら、こんな国なんて早々に潰してあげるわ。もしくは完全にガルネンブルクと統合しておいてあげる」
自らを有利に立たせるためには、時に冷徹に相手を貶める。反論の余地を与えず、不利な部分を徹底的に利用する。
きっとこれは、言葉だけの脅しではない。この条件を飲まないなら、ディアナは本当に実行するだろう。ともすれば、2人が再度国に立ちいることすら拒絶するかもしれない。
予想通りとはいえ悔しながら、クラウにはこれを覆すことはできそうになかった。
そもそもディアナには国を任せるという大役を、ほぼ押しつけるように自分勝手な理由で頼んでいるのだ。何の見返りもなく守らせようとするのはいくらなんでも虫がよすぎるだろう。その程度の対価は妥当だといえるのかもしれない。
クラウが諦めの息を吐いたのを見て、ディアナは余裕の笑みを浮かべて目の前に小指を差し出した。
「書面に起こすのは、いくらなんでも固すぎるでしょう。私はあなたを信じているし、愛しているわ」
ミリの指だったら迷わず咥えるのだが、さすがに今はそんなことしない。この淫獣なら普通に喜びそうだが。
「‥‥いつ帰れるか分からないし、その頃にはディーもいい歳になってるんじゃないか」
「別に構わないわ。あなた以外には、私の肌に触れてほしくないもの」
クラウはもう一度ため息をついて、同じように小指を差し出した。
「‥‥ったく、やっぱディーには‥‥わーお」
小指舐められた。そのまま勢いよくアレみたいにナニされる。
「ん、あむ‥‥ぢゅ、んむ‥‥んぁ、すごぉい、クラウスの、大きい‥‥」
「小指なんですけど」
「どうしよう、赤ちゃんできちゃうぅぅぅぅ――!」
「オレは小指からナニを出してるんだよ」
ディアナはようやく口を離すと、満足そうに頬を紅潮させながら微笑んで、テカテカになった口元を拭った。
「さて、指切りもしたことだし、契約は成立よ」
ディアナ式指切りは斬新すぎて、常人にはとても思考を追いつかせることはできそうになかった。ディアナはなんのために小指を差し出したのか、クラウには理解できそうにない。
「ふふ、ルチルを再建したければ、私がクッコロされるまえに帰ってくることね」
「鬼姫がいるじゃねえか、その点は心配してねえよ。あいつならディーを守り切るだろうし、鬼姫に勝てるヤツなんざオレ以外には考えられないね」
クラウの言葉にディアナは目を丸くして、可笑しそうな笑みを浮かべた。
「あら、ずいぶんとエルフリーデを信頼してるのね。実はツンデレってやつかしら」
「んなわけあるか。あいつはカスだが、強さだけは本物だ。オレが信頼してるのはそこだけだよ。それ以外は何ひとつ信頼してねえ」
「ひとつだけとはいえ、褒めるなんて珍しいわね。今度会ったら伝えておいてあげるわ」
「やめとけ。嫌な顔されるだけだから」
「知ってるわ。だからこそに決まってるじゃない。ミーリアを産んだのもあんな良い子に育てたのも、元はと言えば全部エルフリーデの責任よ。クラウスを奪われた恨み、あの人で少しは晴らしてやるわ」
「あははっ! いいね、もう理由とかいいから全力で嫌がらせしてやってくれよ」
「それはいいわね。クラウスの好感度を上げるために、エルフリーデには犠牲になってもらおうかしら」
「おうおう、そりゃもう好感度アゲアゲのマシマシさ。撫で撫でしてやろう」
「できれば舐め舐めがいいわ」
えへえへ、でゅふっふ、と謎のノリで笑い合う。
ひとしきり遊んでから、「さて」とクラウは引かれる後ろ髪などまるでないように躊躇いなく椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、そろそろ帰るよ。色んな準備が残ってるからさ」
「‥‥そう、あなたは大変なものを盗んでいったのよ。ちゃんと返してくれるまで、絶対に死んだりするんじゃねえぞ。それさえ約束してくれれば、もう何も恐くないわ。クラウスが帰って来たら、私たち結婚するんだ。この国は私に任せて先に行けっ! クラウスなんかと一緒の部屋にいられるか! わたしは部屋に戻るぞ!」
「待て待て」
なんか1人で騒ぎ始めて部屋を出て行こうとするディアナを引きとめる。
「お前は一体何がしたいんだ」
「もっと構って欲しいから無駄に騒いでいるだけに決まっているでしょう。そんなあっさり帰ろうとしないで、もっと私とグダグダして帰るタイミングを見失ってくれないかしら」
「ヤダよ。そんなこと言われたらもっとイヤになって来た。一刻も早く帰らせてくれ」
「ねー、くらうちゅー、ちゅっちゅちてー。むちゅっちゅー」
「ミリの許可をもらってからにしてもらえますか」
「分かったわ説得してくる!」
「うそうそゴメンヤメテ」
慌てて腕を掴んで引きとめると、くるりと反転して避ける間もなく唇を奪われた。‥‥しまった、油断した。
「できるだけ早く、帰って来なさい」
「交換条件は、西ガルネンブルクの明け渡しだな」
「‥‥もう、クラウスってば‥‥クソッタレぇ‥‥❤」
「可愛くサイヤ人の王子みたいなこと言うのやめてくれません? あと早く手、放してもらえません? すりすりするのやめてもらえません? ‥‥舐めんなって!」
くっ、いちいち人の肌を舐めてくるなんて、こいつはとんでもない変態女だ!
「なによ、さっきはあんなに舐めs」
そこからディアナを引きはがすのに数十分かかって、クラウはようやく城を後にした。
歴戦の騎士が女1人にぐったりとさせられつつ、その帰り道に先程のやり取りを思い出しながらクラウは小さくため息をついた。
――さて、ミリになんて説明しようかな。