21.クソガキ
あれからずっと、ミリは立ち直れないでいた。
クラウがいない間もずっと部屋の中にいるようだったし、クラウの仕事が終わって帰ってきても薄い反応が返って来るばかりだった。
正直いって、ツラい。
いつものような冗談なんかじゃない。深刻な感情の重さだ。
きっとミリは無意識のうちにクラウを、そしてエルフリーデを絶対的な基準としてしまっていたのだろう。
そしてその基準が今、唐突かつ凄惨に崩されてしまった。
ミリは賢い子だ。だから多分、クラウの言ったことを理解はしている。
だが、ミリは子供だ。理解できても、気持ちがそれを受け入れられないかもしれない。
ところでクラウにはひとつ、ミリのことでひどく恐れていることがある。
それは――ミリの心が自分から離れてしまうかもしれない、ということだ。
今回のことがあったから、という意味じゃない。ミリに心惹かれてしまった時から、ずっと懸念している。
何度も言うように、ミリは子供だ。ミリが知らない世界はあまりに多い。
同様に、知らない人も、だ。
これから先、どこかの国のどこかの誰かに出会い、恋をしてしまったとしたら。
ミリは数多の男と比べたうえでクラウを選んだわけじゃない。ただ、最初に出会ったクラウに惹かれているにすぎない。
これから先、ミリが成長するとともに心身に変化が現れ、その時求めるモノがクラウ以外だったとしたら。
それはクラウにとって、恐怖と呼ぶにたるものだった。
そしてそんな心移りはきっと、今みたいなすれ違いをきっかけとして起こるのだろう。
それだけは、耐えられない。ミリが自分以外の誰かと愛し合っている姿なんて、想像もしたくない。
だから本当はもっとミリとたくさん話がしたかった。けれど今のミリは話を聞いてくれるような状態じゃない。
ミリは迷った時によく、思考に耽る。まずは自分の中で答えを出さなければ、前に進めないようだ。
途中で相談してくれることもあるけれど、今はそのつもりはないらしい。
自分の中の問題だと思っているからか、クラウには相談できないと思っているからか。
前者であればともかく、後者だとしたらかなりキツい。2人の問題のはずなのに、相談されないというのは、信頼されていない証拠のようじゃないか。
‥‥いや、信頼されないほうがいいのか。信じるなと言ったばかりだ。今ばかりは、信頼という言葉はあまりにも空虚だ。
どうにも思考がまとまらない。認めたくはないが、ジークに喰らわされた説教が尾を引いている。
自分の視野の狭さくらい自覚しているつもりだったが、いつの間にか慢心してしまっていたようだ。でなければ、ジークなんぞの言葉に苛立ったりはしないだろう。
どういったところでジークは人生の先輩で、自分はまだ若造だということだ。
色んな場所で色んなものを見てきたが、たかだか20年そこそこしか生きていないのは確か。ミリに何度も言い聞かせていたことが、こんなところで自分に返って来る。
さらに言うなら、クラウの生きてきた世界はあまりに異質だ。なんならマトモな常識すら欠落させてしまっている。
なんたって、落ち込んでいる好きな子にかける言葉すら見つけられないのだから。
どこまでも自分が情けない。なんでも出来るとは思っていないが、大抵のことは出来てしまうと思い込んでいた。
実際、戦場では求められたことはほとんどは為してみせた。1人で、あるいはエルフリーデと2人で数千の軍勢を相手にしたことだって一度や二度じゃない。
だけど今のこれは戦場での話ではなく、あえて言うなれば交渉や指揮といった、それこそエルフリーデが得意としていた分野の話。シュライオン陥落の時には、クラウがレオンに丸投げしたことの話だ。
いや、もしかするとそんな大層な話ではなく、もっと単純な、日常生活の話なのかもしれない。
自分は、日常生活すらマトモに送ることが出来ない。
その事実は必要以上の苛立ちをクラウの胸中にもたらした。
今は溜まったストレスの発散場所があるのが幸いといって良いのかどうか。
ジークと世間話に興じるつもりなどあるはずもなく、街道を睨みつけて怪しげなヤツには容赦なく絡んでゆく。
先ほども盗みを働いた男に、たっぷりと私怨を込めた制裁を加えたところだった。明らかにやりすぎだったが、ジークは何を言うこともなかった。もしかすると、このジジイも普段似たようなものなのかもしれない。
ともかく。
今のクラウに出来ることは何も無く、いや、無いんじゃなくてあるのかどうか分からなくて、そしてミリは自分の中で答えを見つけ出せていない。
つまり、鬱屈とした現状を変えるための手段は今のところ何もないということだ。
‥‥オレはクソガキ、か。
ジークに言われた言葉を思い出し、内心で大きなため息を吐いた。
非常に不愉快だが、否定できない。自分の問題ひとつ解決できないヤツを、ガキと呼ばずしてなんと呼ぶというのか。
今の自分は、何も出来ないクソガキだ。
唯一出来ることは、ミリに嫌われないよう祈ることだけだった。
最高に情けない。
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