4.
「ミカ…」
甚三は極力静かな声で、言葉を選んで言った。
「それは…、どこかに…、何か残っているのかな?」
そう言いながらも吐きそうだった。
「プラセンタ?」
「そう」
「ないよ。食べられないところはトイレに流したり、生ごみに入れて捨てちゃったから」
「そうか」
美佳の涙が甚三の背中に伝わってきていた。
「でもね、それがいけなかったんじゃないかしら。ちゃんとどうにかお墓を作ったり、埋めたり、祈ったりしなくちゃいけなかったんじゃないかしら」
「ミカ、とにかく休ませてくれ。少し眠りたいんだ」
「いいよ」
そう言うと美佳はべったりと甚三の背中に顔を押し付けた。
「悪いけど、一人にしてくれるかな」
そう言っても離れる様子がない。
甚三はできれば今すぐにでも家を出て行きたい気分だった。何か美佳はおかしい。
誰かに相談した方が良いのではないだろうか。
「ミカ…」
とそっと声をかけた。
「だめだよ。ジンちゃん。ジンちゃんはどこにも行けないんだよ。あたしはジンちゃんのためにずっと同じまま、きれいで若いままでいたいからやってきたことだよ。あたしはここを離れない。ジンちゃんとずっと一緒にいる」
甚三には美佳に言う次の言葉を考える気力もなかったし、動こうにも動けそうもなかった。
「来週、ミサトさんとの約束はキャンセルしてね」
と美佳が言った。
「あたしはだいじょうぶ。ジンちゃんが何人の女性と付き合っていたとしても。あたしが変わらずにここにいれば、ジンちゃんはここに戻って来てくれるから」
さらにしがみつくように甚三にまとわりついてくる美佳の気配がうとましかった。
「いいんだ、これで一回ずつの約束をキャンセルしてくれたことになるね。それだけでもすごくうれしい。ジンちゃんが具合が悪いときは家にいてくれて、ここが本当のジンちゃんの居場所だってことがわかってもらえればいいんだ」
それから甚三はしばらく眠り、うなされた。
美佳が言っていた、顔のない黒い子供たちが寝ている甚三の上に這い上ってくる夢だった。それは、はらってもはらっても、つぎつぎに甚三の上によじ登って来る。その小さい手が自分の身体中をつかむ感触がまるで現実のように思え、甚三は思わず声を上げた。
「うわあ!」
と起き上がろうとすると、美佳はまだ背中にぴったりくっついていた。
足が上がらない。甚三のひざ下には布団が積み上げられており、何かテープのようなもので固定されているようだった。
「ごめんね、ジンちゃん。さっきわかったの。あたしこの日を待っていたんだわ。たまごちゃんたちが、そのチャンスを教えてくれたんだね。よかった、気がついて」
「ね、ミカ、トイレに行きたいんだ。ちょっと足のほうを緩めてくれないかな」
「だいじょうぶだよ、ジンちゃん。もう、このままここにいようよ。たまごちゃんたちは、天使だったのかな? 天使に生まれ変わって、きっとあたしたちを迎えに来てくれたんだね」
「ミカ! 何を言っているんだ? オレは病院に行かなくちゃならない。それに会社にも戻らなくちゃならないんだ。わかるだろ? そうしなければ生きていけないだろ?」
「ありがと。ジンちゃん。そんな風に考えてくれて。でももうだいじょうぶだよ。あたしが楽にしてあげるよ。ずっとこのまま一緒にいられるように」
甚三は背中にぐっと何かが突き刺さる圧力を感じた。不思議と痛みはなかった。それは思いのほか強い力で背中から甚三の中に押し込められた。視界がぼやけて、思考が混乱する中で、妙な幸福感があった。甚三はその部屋いっぱいに埋まるように飛んでいる、顔のない黒い天使たちをぼんやりと見つめていた。




