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獣の見た夢  作者: MAKI


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炎の女戦士





 リモン公爵領に進んだアベルたちは警戒を強めながら街道を進む。

 いよいよ公爵領に入る際には、検問官から苦しい戦いを続けている騎士団に薬を届けるとは有り難いと感謝までされた……。

 通行する人は地元の人間を除けば、兵士や騎士ばかりになってきた。

 手足を失うような大怪我をした兵士が、数名の集団で街道を歩いているところにも出くわした。

 きっと傷痍除隊といった人たちだろう。

 怪我人同士が互いを労わりながら、故郷への長い旅路を行く。

 傷痍軍人には手を貸さないとならない法律がある。

 馬車などは請われれば乗せないと、処罰の対象になりうるはずだった……。

 風光明媚だが、どこか侘しい田舎をそうした者たちが歩いていく様は、戦士や騎士の活躍する華やかな戦場の裏側であった。


 大地には広大な畑が広がっている。

 そろそろ麦や豆を収穫する季節なので、農繁期にあたるのであった。

 アベルは農民たちが鎌で大麦を刈り取り、麦穂をうずたかく積み上げる光景を横目に見る。

 今年は幸いなことに、まずまずの豊作らしい。

 せっかく育てた作物も収穫しなければ立ち枯れるだけなので、農民は寝る間も惜しんで農作業をする。

 といっても夜間は刈り取りなどできないので、季節労働者を雇うことも多い。

 ところが戦乱で情勢が不安定な皇帝国東部では、そうした労働者の確保が滞っていて大問題になりつつあった。


 現在、リモン騎士団は公爵の長男ファレーズに率いられている。

 三男のリッシュとは武帝流で共に稽古をした仲であるし、祝賀会のときには話しもしたからアベルにとっては知り合いだった。

 しかし、長男とは会ったことが無い。

 リモン騎士団に接触するのは、あくまで秘密裏に越境するための下準備なので、さっさと薬を渡して情報を集め、すぐにでも次の行動に移るつもりであった。


 アベルは移動しながら村々で情勢を問えば、リモン騎士団はさらに東部で部隊を展開しているという。

 最近は大規模な合戦こそないが、もっと南の方では王道国の小部隊が威力偵察を繰り返している、という話しを兵士から聞けた。

 それから、酒場などでハイワンド領の様子を知っている者はいないか聞いて回った。

 嘘は言わず、テナナの出身だから気になっていると理由を告げると、大方の者は同情したような顔をしてくれたものだ。

 リモン公爵領の住民にしてみれば、明日は我が身の出来事である。

 次の大戦に負けるようなことがあれば、リモン公爵領も王道国に占領されるだろうと噂されていた。


 アベルたちはさらに東へと馬を駆って行く。

 遠景には北部山脈の広がりが見渡せるようになってきた。

 いよいよ皇帝国の周辺地域ということになる。

 あの山脈を越えた北東側は、亜人界や属州となる。

 このまま東に行けば旧ハイワンド領、その先は中央平原……。

 雄大な沃野を通過すると王道国が栄えている。


 カチェとシャーレ、ワルトは宿に残して、その日の夜もアベルは酒場で噂話を集めに行った。

 話しの切り出しはいつもの通り、テナナのことを知っている者はいないか、というものだ。

 時には酒を奢ったりしながら人から人へと渡り歩いていくと、商人風の二十五歳ぐらいの男が話しかけてきた。

 相手も酒を飲んでいるが、どことなく抜け目ない視線をしている。


「なぁ。お兄さん。ハイワンド領のテナナに戻りたいのか?」

「ええ。嫁の実家がありまして。様子を知りたいのですよ」

「……元ハイワンド領は王道のハーディア王女が統治している。もちろんガイアケロン王子もそれに協力していて、かなり治安は良いらしい」

「はい。ちらほらとは、そういう噂を耳にしました」

「でな。せっかく領内は安定しているのに旧ハイワンドや中央平原は、豊作ってこともあって人手が足りないんだと」

「ははあ。まぁ、そうなるでしょうね。戦争で兵士や傭兵はいくらでもいるのに、農業労務者は足りてない……、まぁ、こっちも同じ事情です」

「ハーディア王女は寛大な方だ。領内に困窮した民衆が来た時は、保護してくださるらしい」

「本当ですか?」


 相手の若い商人は頷いた。

 それから小声で言う。


「俺は知っているんだ。北部山脈の麓にリモン公爵領からハイワンド領へと抜けられる場所がある。そこからハイワンドの難民が、もともと住んでいた所に帰るために越境しているのさ。もちろん禁じられた行為だが、生まれ故郷で生活したいのが人間ってもんさ。中には何度も往復して家族や親戚の道案内をしたような者もいる」

「安全な通行ができるってわけですね」

「いまのところはな。戦線って言ったところで水も漏らさぬ警戒なんかできやしないんだよ。特に険しい山岳と森ばかりの北部山脈なんかはさ」

「もしよければ、もっと詳しく知りたい話しなのですが」

「いいぜ。その代わり、あんたは帝都の話しやパティアの物価を俺に教えてくれよ……」


 若い商人から、かなり具体的な話しを聞き出すことが出来た。

 抜け道の場所、近くの村。

 それから村にいるどういう者が、金次第で案内をしてくれるかなど……。

 よくそこまで詳しく知っていると相手に聞けば、実は一度利用したことがあるというのだった。

 どこまで本当のことかは分からない。

 だが、危険を恐れていては先には進めない所まで来てしまった。

 行くしかない。


 五日後、アベルはリモン騎士団を訪ね、薬を届ける任務を成功させた。

 ここでバース公爵宛てにリモン騎士団まで到達した旨の手紙を書いて、商人組合に郵便を頼んだ。

 おそらく手紙を送れるのは、これが最後になるだろう。

 文面には、バース公爵が読めばカチェが同行していることが窺い知れる一文を入れておいた……。


 騎士団ではシャーレが役に立ってくれて、下級兵士から幹部まで、様々な人物と話しをすることが出来た。

 むろん、処方の最中に色々と聞き出すのである。

 相手は若い女性との会話に飢えている場合もあって、聞いてもいないのに次から次へと喋りまくる人までいた。

 労なくして情報が集まる。


 戦況は、やはり皇帝国に苦しい情勢だった。

 ディド・ズマが直接指揮をとる傭兵軍団の猛威が特に凄いという。

 略奪をするために街を目標にした攻撃と、奴隷を欲しての人間狩りが激しく、テオ皇子派閥の皇帝親衛軍が防衛に当たっているらしい。


 ガイアケロン王子とハーディア王女は攻勢を控えているが、まったく油断ならないためにリモン公爵領には膨大な人員、主に伯爵盟軍の兵力が集められていて、他に移動できない状態だという。

 王道国の主力を率いる第一王子イエルリングは、皇帝国の属州に圧迫を加えたり、さらに南の地域で活動をしていて、そちらはコンラート派閥の皇帝親衛軍が対応している。最近、コンラート皇子は皇太子を名乗っているため、皇太子軍とも呼ばれているらしい。

 パティアの街で出会ったノルト・ミュラーはなかなか有能なところがあるらしく、兵士や百人隊長などからは信用されだしていると聞いた……。

 戦線はいくつにも分かれていて複合化しているのが実際、戦地に来てみると良く分かった。


 そして、皇帝国は明らかに劣勢である。

 戦線から遠く離れた帝都では感じられなかった不穏な気配が濃厚に漂っていた。





 ~~~~




 越境は徒歩でなければできないので、馬は全て売ってしまうことにした。

 軍馬の需要は高く、かなり良い値で取り引きができた。

 アベルたちは徒歩で北上して、目的の村を訪れる。

 遠くに見えていたはずの北部山脈が目の前と言ってもいいほど近い。

 峻険な峰々の一つ一つまでもが、肉眼でくっきりと捉えることができる。


 リモン公爵領のなかでも最も北部に位置するあたりで、人口三百人ほどの小さな集落だった。

 まったく辺鄙な田舎で、皇帝国の兵士の姿も見当たらない。

 家々は材木を組み合わせたものか土壁のもの。

 アベルは、どことなく故郷テナナを思い出す。


 情報に基づき村を過ぎ去り、さらに森の中に入ると作業小屋のようなものがある。

 大量の材木が積まれていた。

 そこで樵を生業にしている男たちが数人、働いている。

 切り出した大木を鋸で切断していた。

 木屑の発する独特の香りが漂う中をアベルたちは進む。

 それから棟梁をしている男を見つけたので、率直に聞いた。


「あの。僕らはハイワンド領のテナナが生まれ故郷なのです。実は、ここに越境をさせてくれる人たちがいると聞いてきました」

「……」


 中年の、肉体労働で鍛えられた体をした男は黙ってアベルを見てくる。

 何も答えず、黙ってこちらを見ていた。好意も嫌悪も感じられない。

 様子見だと察した。


「報酬は払います。僕たちは山歩きにも慣れていますから迷惑はかけません。お願いできませんか」


 樵の棟梁に、いくつか質問をされた。

 ハイワンド領内にある街のことや、どこの坂道が険しいとか、ポルトの街並みがどうしたとか、元住民でなければ知りえないようなことばかりだった。

 アベルは淀みなく答える。

 やがて相手は納得したようだった。


「どうやら本当の事らしいな。いいだろう……。一人当たり、銀で三十枚だ。全額先払い。食料は自分たちで用意しろ。途中、怪我をしたり獣に襲われたりした場合、ことは中止だ。俺らが請け負うのは道案内だけ。その他のことについては全部、自分でなんとかしろ」

「ハイワンド側に着くまで何日ぐらいですか」

「天候とお前ら次第だ。天気に恵まれて、お前らが早く歩けば片道二日だろう」

「急な話しで悪いのですが、今日これから頼めますか」

「……気の早い奴らだ。まぁグズよりマシだな」


 棟梁は黙って頷く。

 アベルは四人分の金を払い、素早く準備を終えた棟梁に連れられて森の中に入って行く。

 シャーレは幼い頃から山に入り薬草を採っていたから、山歩きぐらいはなんともないようであった。

 カチェは人跡未踏の密林ですら踏破したので、まったく心配いらない。


 山岳の間道は、ところによっては岩壁を攀じ登らなくてはならないようなものであった。

 辛うじて人が進める隙間を縫っていくような感覚だ。

 地元の猟師か樵にしか分からない地形。

 とてもではないが重武装の兵隊では通過できない。


 夕暮れになったところで野営に入る。

 ちょうど湧き水が岩壁から流れているところなので、小型の鍋に清水を満たした。

 持ってきた肉や野菜を適当に煮て、皆で食べる。

 樵の棟梁は熊の干し肉を食べていた。


 交代で不寝番をして、翌朝、陽が登り切らない前に出発。

 思ったよりも足が速いから、急げば夕方にはハイワンド領側に抜けられると樵は話す。

 黙々と何も話さずに一行は山道を進む。

 午後になり、いよいよハイワンド領に到達したあたりだろうか。

 アベルは先頭を行く樵について歩いていると、ワルトが警告の声を上げた。


「人の臭いだっち!」


 アベルたちは立ち止まったが、森の中から次々に人が現れる。

 総勢十人ほど。

 重装備ではないが、胸甲ぐらいはしているし、手槍や剣で武装していた。

 一人、魔法使い風にローブを着た人物がいる。

 アベルは彼らを観察すると、人相は別に悪くない。

 どことなく傭兵というよりも正規軍のような印象がある。


 あらかじめ、もし戦闘になった場合の打ち合わせはしてある。

 シャーレに戦闘はほとんどできない。なので、ワルトは護衛に集中させる。

 あとは二人で攻撃あるのみ……。

 アベルはカチェと視線で意思疎通をした。


 そうしてアベルは周りを囲んできた兵士に怯えるような素振りを見せた。

 両手を上に上げる。

 相手が何者であったとしても手紙を発見されたら、即座に戦闘だ。

 ここにいる全員を殺して素早く逃走しなくてはならない。

 兵士たちを指揮する隊長らしき人物が声を掛けてきた。

 装着している冑に羽根飾りがついていた。


「お前たち、抵抗はするな。ハーディア王女様が統治する王道国の領地にどのような用件で進入してきたのか、正直に言え」

「僕たちは薬師の夫婦で、あと、こちらは知り合いの商人です。もとはハイワンド領のテナナ村の出身でして……。実家にどうしても帰りたくて、やって来ました」

「……薬師と商人か。荷物を検めさせてもらう」

「はい」


 アベルはシャーレとワルトに目配せした。

 二人は荷物を地面に置く。

 王道国の兵士たちは薬箱や雑嚢を開けて、中を調べ始めた。

 大量の薬草や粉薬などが出てくる。

 カチェやアベルも荷物を調べられたが、別段、変わったものは入っていない。

 彼らが薬箱に隠された手紙に気が付くとは思えなかったが、気づかれた時は戦闘開始だ。

 アベルは近くの男に斬りかかって、即座に魔法使いへ棒手裏剣を投げつけるイメージを持つ……。


 荷物検査は、それほど厳密なものではなかった。

 中身を半分ほど出したところで生薬などしか出てこなかったことから、もういいという声が隊長らしき男から発せられる。

 アベルは安心しかけたところで、二刀差しであることを相手の兵士に問われた。


「薬師のくせに二刀を使うのか」

「一振りは嫁のものです。重くてつらいというので、僕が持っているわけです」

「そうか」


 兵士はその嘘を簡単に信じた。それでアベルへの質疑は終わり。

 質問はカチェに集中するようになった。

 商人というのに売買の物品を持っていないのはなぜかと問われていた。

 カチェは同行しただけなので、売り買いが目的ではないという返事。

 くわえて、できれば安否確認をしたい人物がいると答えた。

 誰に会いに来たと問われれば、ポルトの街で商家を営んでいた店と主の名をすらすらと口にしていた。


 道案内をした樵の棟梁は慌てた様子もなかった。

 それどころか無言ながら会釈をしている。

 どうやら、わざと説明をしなかっただけで、こうした検問があるのは承知の上だったらしい。

 アベルたちが取り調べに怯えて越境を躊躇ったら、稼ぐ機会を失うと考えて黙っていたのかもしれなかった。

 いずれにしても権力から遠く離れた民衆からしてみると皇帝国であろうと王道国であろうと、よく統治さえしてくれればそれでいいのだろう。

 樵の男とはここで別れた。彼は何もなかったかのように来た道を引き返していく。


 粗方、調べが終わると兵士たちは付いてくるように命じてきた。

 断ることなど出来ないので言われるまま夕方まで移動すると、村に到着した。

 そこで名前と出身地、越境の目的を役人に申告させられる。

 どうやら人頭台帳のようなものを作成して、きちんと管理するつもりらしい。

 羽ペンで几帳面にアベルたちの名前を記した中年の役人は言う。


「ハーディア王女様ならびにガイアケロン王子様は、ことのほか善政を布くことで知られておる。お前たち薬師のような技能者は大歓迎だ。テナナまで行って用事を済ませたらポルトなどで活動してほしい。なお、ふたたび皇帝国側に戻ることは原則として許していない。無断で境を越えようとした場合は罰もあり得る。心しておけ」


 アベルたちは同意し、その日は村の空家で夜を明かした。

 役人や村人たちは、こうした越境者に慣れている様子であった。

 さして珍しそうにもしていない。

 兵士たちは規律よく働き、ふざけた態度は少しもないのだった。

 村人たちと打ち解けているのも見て取れる。

 これは占領政策が上手く進んでいることを察知させた。




 アベルたちは旅を再開。

 南東に進む。

 勝手知ったるハイワンド領なので、どこにどんな道や地形があるか、大まかには理解できている。


 アベルは、まず故郷テナナに向かおうと考えていたのだが、シャーレはポルトに行くべきだと主張して譲らない。

 テナナへ行くと遠回りになるし、ここはアベルの用事を優先してほしいと訴える。

 その様子は珍しくも必死なものだった。


 シャーレとしてはテナナに行ってしまうと、アベルが自分を置いていくと言い出しかねないのが怖かった。

 こんな所まで来て、再びお別れなど……あり得ない。

 できるだけ傍にいてアベルの役に立ちたかった。

 戦闘はできないけれども、色々な手助けはできるはずだった。


 結局、アベルは根負けしてシャーレを伴ったままポルトへ行くことにする。

 どこに検問があるか分からないので、依然として夫婦を装った方がいいかもしれないと考えた。

 それにシャーレと別れ辛いという心理も働いている……。

 カチェは別段、何も意見を口にしない。

 賛成とも反対とも。

 任務に纏わる判断はアベルに一任しているようであった。




 慣れたハイワンド領を迷うことなく進む。

 道行く人は農民や運送業者が多い。

 通り掛かった村などで話しを聞いてみると、ガイアケロン軍団の兵士たちは規律正しく、乱暴狼藉など全く働かないという。

 傭兵も雇っていないことから治安は非常に安定しているらしい。


 そうして、とうとう懐かしいポルトの郊外に到着した。

 帝都を出発してから五十五日目のことだった。

 アベルは嫌でもイースのことを思い出す。

 任務のたびにここから出かけて、時として二人とも血塗れになって帰ったものだ。

 殺伐とした日々のはずなのに、イースの気高い精神や美しい容姿ばかりが刻印のように胸に刻まれている。


 街に近づくにつれて人が増えていく。

 道行く人の表情は明るい。

 収穫した野菜などを荷車で運んでいる農民。

 大工らしき職人たちが集団で歩いている。


 ポルトの街に入る門は開かれていた。

 兵士たちが警戒しているものの、取り調べはない。

 ついでに入市税というのもなかった。誰でも自由に入れる。

 そのせいか、かなり活気に溢れていた。

 攻防戦で荒廃した街並みが、ずいぶんと復興している。

 店舗では様々なものが売られていた。


 まずアベルは宿を探す。

 ここからはシャーレやカチェを安全なところに泊めて、自らは単独で行動しようと考えていた。

 やはり、相当に危険を覚悟しなければならない。

 そうして良さそうな宿を見つけたので、大部屋を貸し切りにして仲間たちに考えを説明をしたのだが、今度はカチェが絶対に離れないと言い切って一歩も退かない。


「カチェ様。言うこと聞いてよ」

「いやよっ! アベルを一人にさせないために付いてきたんでしょ! なんで離れないとならないの?!」


 紫の瞳を爛々と輝かせながら主張するカチェは、およそ説得不可能と思われたので仕方なくアベルは諦める。

 それからシャーレに数日たっても戻らない場合のことを言い含めた。


「いいかい。僕らはもしかしたら二、三日は帰って来られないかもしれない。例えば……七日間経っても戻らなければ、ワルトとテナナの両親のもとに行くといい」

「もし……そうなったとして、それからどうするの」

「戦争が終わるまで……静かに暮らすんだ。シャーレらしくね」


 彼女は素直に頷きつつも非常に辛そうな顔をしている。


「アベル。何日もこの部屋で、じっとしているのは苦痛ですから市場で薬師として商いをしています。それでもいいよね」

「ああ。そうしているといい。かえって本当の薬師と思われるだろう」

「いや、あたし本物の薬師だってば……」

「ふふっ。そうだったよね。ワルト。シャーレを守っていてくれ」

「分かったっち。ご主人様はカチェ様がいるから、きっと大丈夫だっち」


 アベルとカチェは宿を出て、とりあえず城下町をぶらつく。

 今日、いきなり王子と会えるとは思えないので、手紙は置いていく。


「アベル。これからどうするの? お城に行ってガイアケロン王子に面会を頼むの?」

「いや、なるべく目立たずに、できれば一対一で会いたいのです。それに城で取次ぎ役人に賄賂を渡したところで謁見は難しいと思います」

「じゃあ、どうするの」

「王子の側近に接触して、信頼を得てから引き合わせてもらうという手筈を考えています」

「回りくどいわね」

「でも他に方法を思いつきません」

「じゃあ、とりあえずガイアケロン王子やハーディア王女の側近を探しましょう。そこらへんの兵士に上司の居場所を聞いて、どんどん遡って行けば、やがて将軍や側仕えに行き着くわ」


 カチェは至って明るく単純にそう考えている。

 アベルは首を傾げて思案した。


「そんな簡単に行くかな~」

「とにかくアベルは離れたところで見ていて」


 とりあえずカチェのお手並み拝見といったところだ。

 カチェには賢さと、不思議な勢いの良さがあるので任せたら上手く行きそうな気もする……。


 少し歩き、カチェは広場にいた兵士に歩み寄ると何事か話しかけた。

 その横顔には好ましい笑顔。

 相手の若い兵士は、つられて嬉しそうに笑っていた。

 それはそうだろうとアベルは得心いく。

 カチェみたいな美しい女性から親し気にされたら、つい警戒心は緩んでしまう。

 しばらく会話をしていたが、やがて二人は手を振って別れる。

 アベルは物陰に移動してカチェを待った。


「どうしでした。カチェ様」

「収穫はあったわ。兵士たちを訓練している場所があるのですって。まあ、きっと鍛錬所のようなところだと思いますけれど。それで、そこにスターシャ・ソレイユという名の将がいて、ガイアケロン王子の配下でも名の通った戦士らしいわ。王子とも親しくて、側近のようなものということよ」

「スターシャ……。どっかで聞き覚えがあるような……。はっきりとは思い出せないな」

「訓練所は市内の南側にあるそうよ。行ってみましょう」

「……」


 カチェは、さっさと移動していく。

 この素早さは、もって生まれたものだ……。

 アベルはもっと警戒したほうがいいのではとか疑念を膨らませつつも、あとを歩いていく。


 すぐに倉庫街に到着した。

 ここは元々、商人たちが物資を保管しておく建物が多いあたりだった。

 今はガイアケロン軍団の兵士たちが宿舎のようにしているようだ。


 しばらく探し歩いていると、やたらと兵士が出入りしていて、番人が立っている建物を見つけた。

 もとは大商家の邸宅と倉庫を兼ねていたようで、石造りの質素だが頑健な建築物だ。

 カチェが番人に高名なスターシャ・ソレイユ様はおられるかと聞けば、ちょうどいるとのこと。

 続けて面会は叶うかとの質問に、誰とでもお会いになるという返事がある……。

 アベルとカチェは顔を見合わせた。


 -あれ? 意外と……何とかなる……?


 挨拶をして建物の中に入ると、五十人ぐらいの兵士たちが訓練をしている。

 木槍や木剣で打ち合いをしていた。

 気合いの入った声が、無数に木霊している。

 奥の方に歩いていっても、誰も制止しない。


 アベルとカチェは奥の方で、腕組みをしながら立っている長身の女性を見つけた。

 接近するにつれて記憶が刺激されていく。


 巻き癖のある赤毛が胸元に流れている。

 でっかい胸が、さらに強調されるようなビキニ風の胸当てをしていた。

 おへそが丸見えで、素晴らしいほどよく発達した腹筋が目立つ。

 ボディラインは豊満そのもの、胸や尻は豊かで甘い曲線を描いている。

 高く整った鼻梁。女性にしては引き締まった頬。 

 尖って伸びた眉。

 気の強そうな鋭い青い瞳でアベルとカチェを見る。


「なんだ? お前ら」

「あの……。僕はアベルと申します。貴方はスターシャ・ソレイユ様ですか」

「そうだ」

「たしか、ガイアケロン王子様の側近でしたよね」

「……」


 スターシャは二十歳を少し過ぎたぐらいの年齢ではないだろうか。

 容姿は溌剌として美しい。

 それだけでなく、溢れるほどの色香があった。

 ただ色気と言っても、どこか陽性を帯びている。

 向かい合うと背の高さがよく分かる。

 カチェよりもさらに長身。

 体内から強い魔力を感じる。

 魔法が使えるのかは分からないが、雰囲気的には身体強化による剣術が得意なのではと思わせた


 アベルはポルトの郊外で行った決闘を思い出す。

 ガイアケロン、ハーディアと戦い……自分は片目を失うほどの重傷を受けた。

 その際、イースが投げた大剣を奪って返さなかった女戦士。

 たしかスターシャという名であったし、見覚えもある。


 交渉の相手として適格だろうか……。

 とは言え、ここから誤魔化して逃げ出すというのは、かえって不審になるだろう。

 正直に正攻法で行こうと決めた。


「あの……。かつてポルトでやったガイアケロン王子様とハーディア王女様の決闘のとき、貴方もその場にいませんでしたか? そのさい、皇帝国の女騎士が投擲した大剣を手に入れた」

「んんっ! なんか、お前、見覚えあるな」

「あのとき黒髪の騎士の従者をしていたのは、僕です」


 スターシャの瞳が、より一層ぎらりと光ったような気がした。


「憶えているぞ! お前か……。だが、目はどうした。たしか左の眼をハーディア様の魔法で潰されていたよな」

「治してもらったんです」

「分かったぞ! あのときの決着をつけにきたってわけか!」

「い、いや。違います」

「他にどんなわけがあるってんだっ」

「実はガイアケロン様に謁見を願いたいと。でも、僕ら伝手が何もなくて。それで、側近の方を探しているのです」

「なんでガイ様に会いたいんだよ」

「それは……ちょっとここでは言いにくいです」

「……」


 スターシャという女戦士は疑わしそうに睨んでくる。


「もちろん会わせてもらうときは、いっさいの武装はしません」

「お前、たしか魔法を使えたよな」

「絶対に襲ったりしないです。それにガイアケロン王子様にしてもハーディア王女様にしても、とてもお強くて僕では到底敵わないですから」

「……」

「あの。無理なら、帰ります」

「黙って帰すわけがないだろう」


 スターシャは腰に佩いた両刃剣の柄に手を掛ける。

 顔には好戦的な笑み。

 戦いを望んでいる人間の表情だった。


「待ってくれ! 本当にやる気はない……そうだ。あのときガイアケロン王子様は僕とイース様を部下に欲しいと言ってくれました。それなのに勝手に殺したりしたら、まずいでしょう」

「ああん? 口の達者な奴だな。殺さなきゃいいんだろ? おいっ! 木剣をこいつに渡してやれ!」


 命じられた兵士が樫のような堅い木材で造られた木剣を持ってくる。

 スターシャは腰の剣を外して、代わりに訓練用の木剣を手に取る。

 アベルは事態の成り行きに困惑するばかりだ。

 カチェは黙って様子を見ている。


「いいかっ! 叩きのめしてここに来た理由を言わせてやるぞ。だが、もし、あたいに勝てたら、そのときはガイ様にお前が謁見を望んでいると伝えてやってもいい」

「……う~ん」

「言っておくがな。ガイ様やハーディア様は暗殺者に狙われているんだ。おめぇみたいな皇帝国の戦士が、会いたいって言って会えるわけがねぇだろ」

「そんなことは分かっています。そこを曲げて頼んでいるのです」


 スターシャは無言のまま、アベルの喉元に木剣を突いてきた。

 アベルは上半身を仰け反らせて躱し、バックステップで距離を取る。

 防備は鋼の胸甲に籠手や脛当ても付けているが、生身の部分をあんな木剣で突かれたら大怪我をしてしまう。


「さっさとこいよ!」


 スターシャは挑発をしてきた。

 もはや言葉による説得は無理だった。

 しかも、まわりの兵士たちも雰囲気を察して警戒してしまっている。

 建物の外に出られない。


「……分かりました。じゃあ、やりましょう。でも、約束を守ってくださいよ」


 アベルは刀を腰から外してカチェに渡す。

 それから木剣を両手で持ち、相対する。

 この手合いは口よりも腕ということだ。


「うらぁぁぁぁぁ!」


 裂帛の気合い。

 容赦ない斬撃が頭上めがけて振り下ろされる。

 アベルはそれに対応して、試しに剣先を軽く打ち合わせてみる。

 木と木がぶつかる、高くて乾いた音。

 凄い威力だった。

 手が軽く痺れる。

 下手に剣を当てたりすれば得物を落とされるか、腕を揺さぶられてしまいそうだ。


 だが、付け入る隙は必ずあるはずだった。

 ふと、思い出すのはライカナの戦い方。

 彼女は魔人族であるがゆえに腕力も非常に優れていた。

 しかし、それにも関わらず力で押しまくるような戦闘方法は決してしなかった。

 むしろ、技巧を重んじた上で力を利用する戦いを旨としていた。

 スターシャのような相手にも有効そうだ。


 -いなし技を仕掛けてやるか……。


 アベルはそう思うが、スターシャの技量は達人の域にあるものだった。

 かなりの威力、そして精妙さのある斬撃を繰り返してくる。

 アベルは回避したり木剣で防御するので精一杯だった。

 そう簡単に機会は巡ってこない。


 相手を焦らすために、わざと鈍い動きをしてみせた。

 間一髪のところで避けてみせる。

 スターシャはますます猛り、手加減のない攻撃を連打してきた。

 顔のすぐ横を、堅く重い木剣が過ぎ去り、耳に風きりの音が不気味に響く。

 あんな打撃を顔に食らえば顔面骨折は間違いない。


「所詮は魔法剣士なんてこんなもんだ! 魔法は接近戦に持ち込まれたら使えない。剣の腕はいまいち! 大したことないねぇ」

「……」


 余裕からの大言なのか、挑発なのかハッキリとはしない。

 スターシャが苛立って動きが雑になったときが機会である。

 それまでひたすら凌ぐ。


 アベルは歩法を意識する。

 歩きの技術は無数にあるが、母親アイラから叩き込まれた攻刀流のものは摺り足。

 摺り足は挙動が相手からは捉えにくく、動きの「起こり」を隠す効果がある。

 また、クンケルやルネから習得したのは武帝流のステップ歩術である。

 リズムのようにステップを踏みつつ常に移動していると、これもやはり相手からは次の挙動を予見しにくくさせる効果がある。

 いずれにしても、相手の出方の先手を打ち、敵の選択肢を減少させ術中に嵌めるのが最善。

 スターシャのような上級者であっても粘り強く対応しつづければ、いつかは時が訪れる。


 こんな場合、アベルの脳裏に蘇るのはやはりイースだった。

 稽古をしているとイースが巨大な岩壁に思えた。

 どんな連打を仕掛けても、技を試みても、正確に対応して付け入る隙が無かった。

 ほとんど岩壁を相手に剣を振っている気分にさせられた……。

 そして、目の前のスターシャという女がイースよりも強いなどと言うことは有り得ない。

 それはここまで打ち合って明確に分かる。

 勝ち目は必ずあると信じることができる。

 鋭い攻撃を辛抱強く凌ぎ続けた。

 やがてスターシャの好戦的な顔に、苛立ちの影を認める。


 機が来た。

 豪速が唸るスターシャの斬撃。ここぞという間合いで横手から弾き、いなす。

 いなすのは相手の力を利用するので、自身は力負けしない最低限の圧力を加えればよい……。

 そのはずだったのだが、スターシャの重たい打撃の威力は想像を超えていて、アベルは手首に強い負担を感じる。

 驚きを抑えつつ摺り足で踏み込み、スターシャを剣界に収める。


 丸出しの腹に向かって突きを繰り出した。

 だが、スターシャは強引に足を振り上げて蹴り技を出してきた。

 木剣ごとアベルを蹴り飛ばそうという大胆な動き。

 本物の剣が相手ではないから可能な手であった。

 鍛えられた太ももにアベルの木剣が突き当たる。

 常軌を逸した攻撃本能だった。

 アベルも覚悟を決める。

 適当なところで納得させられる相手ではなかった。

 さすがにガイアケロンの側近だけある。


 -手足の一本ぐらいブチ折ってやる!


 横っ飛びでスターシャの蹴りを避ける。

 反復横跳びの要領で、間髪入れずに再び接近。

 彼女は腿を負傷したために片膝を床に着けていたが、戦意は全く失っていない。

 噛みつきそうな表情で睨み付けていた。


 これで決着だ。

 そう念じつつ、腕に横薙ぎの斬撃を加えるが、スターシャは異常な反応を示した。

 拳が潰れるのも構わず、握り締めた拳骨で木剣を迎撃。

 湿った、骨の砕ける音。しかし、斬撃を防がれてしまった。

 残った右手で木剣を掴みとり、ほとんど片足の力だけでジャンプ。

 アベルに体当たりを仕掛けてきた。

 アベルは木剣を放棄。

 迫りくるスターシャから距離を取ろうとしたが腕を掴まれてしまった。

 そのまま体を引き倒される。

 背中から倒れた。衝撃。


 二人は絡み合う。

 スターシャは拳の潰れた左腕で強引にアベルを抑え付けると、残った右手で殴りつけてきた。

 アベルの頬に激しい痛み。

 目が眩む。

 頭に血が上る。


「この野郎!」

「あたいはヤローじゃねぇんだよ!」


 むらむらと湧く怒りのまま、アベルはスターシャが痛めている足を蹴り上げた。

 無理な体勢からなので大した威力ではないが、片膝を着くほど痛めているところへの攻撃だ。

 えぐい効果があるはずだった。


「ぐうぅぅうっ……!」


 スターシャは鈍い呻きを漏らす。

 しかし、それでもアベルの袖を掴んで離さない。


「往生際が悪いぞ! お前の負けだ!」

「あたいは負けてない!」


 再びアベルの顔を殴りつけてきた。

 信じられないほどの重たい衝撃。

 軽く意識が飛ぶ。


 なんという馬鹿力なのかとアベルは戦慄する。

 鼻の奥に殴られた痛みが広がる。

 口内に血が流れてきた。どこか鼻の粘膜が破けたらしい。

 とりあえず距離を取ろうと渾身の力で立ち上がるが、スターシャは離れない。

 それどころかタコのように絡みついて来て関節技を仕掛けてきた。

 慌てて腕を取られまいと暴れる。


 木剣を強引に弾き飛ばした左手の指まで折れているのに、構わず戦闘を続ける様子は鬼気迫っていた。

 さらに力を入れて引き剥がそうとしたら服の袖が破れてしまった。

 そのまま勢いに任せてアベルは離脱。

 袖が裂けて、千切れる。

 スターシャが服の切れ端を掴んでいた。


「お前の負けだろ!」

「負けてない!」

「木剣を入れたぞ。実戦なら片足切断。出血で死亡だ」

「あたいだって、お前を二発もぶん殴った! 引き分けだ!」


 睨み合うが、スターシャは興奮して濡れた青い瞳を逸らさない。

 一歩も退かないという意欲に満ち満ちている。

 狂った雌猫のようだ。


 アベルはあれこれと考えたが、良い手はない。

 まさか殺してしまうわけにもいかない。

 そんなことをすれば、このままこの場にいる連中と戦闘だろうし、ガイアケロンと密会するなど到底無理になってしまう。

 溜め息……。


「分かったよ……。じゃあ、引き分けな。あんたにはもう頼まないよ……」


 アベルは片方だけ半袖になり、鼻や口から出血。

 まったく痛い思いばかりで、なんらの得るものも無かった。

 本当に草臥(くたび)れ儲けというやつだった。

 回復魔法を発動して自分の顔に当てる。


 まわりの兵士たちが興奮気味に、ざわついていた。

 見ている分には、さぞかし楽しかっただろう。

 スターシャ様がとか、あいつ治癒魔法までとか、そんな声が聞こえた。


「……。スターシャさん。あんたも治してやるよ」

「うるさい。敵に情けは受けない!」

「だから敵じゃないから」

「……そんなことよりお前、このまま帰れるつもりか?」

「どういう意味だよ」

「明日、もう一度、勝負だ。今度は負けない」


 -おいおい。何を言い出すんだ、こいつ。


「いや、僕は忙しいんだ」

「このまま逃げるつもりなら話しは別だ。ここから帰さない。兵隊ども! 出入口を塞げ」


 兵士たちが弾かれたように駆け出した。それから武器を用意しはじめる。

 五十人ほどの男たちが槍や剣を持ち出した。


「やめてくれ! 殺し合いをしにきたんじゃない! 話しをしに来たって説明しているだろう!」

「あたいともう一回、勝負しろ」

「なんでそうなる?」

「このまま引き下がれるかってんだ!」


 スターシャは歯軋りをして、睨んでくる。

 青い瞳に戦意が燃えていて、それはそれで美しいほどだ。

 アベルは、やはり思った通りにはいかないと思案する。

 魔法を使えば強行突破はできるだろうが……死人を出してしまうかもしれない。

 それだけは避けないとならない。

 もとから難しい交渉の連続になるのは覚悟していたはずだと、自分を叱咤した。


「分かった……。約束する。明日、また来る」

「信用できない」

「じゃあ、どうするんだよ」

「ここに残れ」

「はぁ~! めんどくせぇな。負けは認めない。こっちの言うことも信じない」

「なに甘いこと言ってんだい。お前をどうして信じなくてはならないのか? 充分、疑わしいんだよ!」

「……もう一度勝負してやる。だけれど、勝ったら今度こそ謁見の願いを聞いてほしい」

「ふん……」

「あと残るのは僕だけだ。連れは帰らせてくれ」

「アベル。嫌よ。わたくしも残る」

「カチェ様まで……。誰も言うこと聞いてくれないよ……」


 アベルは黙ってスターシャに近づき、睨み付けてくるその視線を無視して治療魔法を発動させた。


「いらないって言ってる! こっちにだって治療魔術師はいるんだよっ」

「すぐに来るわけじゃないだろう」

「だれがお前なんかに」

「僕は医者の息子なんだ。殺し合いしているわけじゃないから治してやる」

「やめろっ」

「一発ぶん殴ってから治してやるか!」


 嫌がるスターシャの肩を押えてアベルは無理矢理、治療を施した。

 見事な肉付き、しなやかで艶めかしく、それでいて強靭な太ももに淡い光を当ててやると、すぐに赤黒い打撃跡は消えた。

 それから骨の折れた拳も治癒魔法で治す。

 傷が癒えるや否やスターシャはアベルの体を突き飛ばした。


「おっと!」

「余計なことしやがって」

「……それで、これからどうするんだよ。ここに居ればいいのか」

「そうさ。飯は出してやる。再戦は明日の朝」

「本当に次で最後だからな。木剣を体に入れた方が勝ちだ。今日みたいに粘るのはなし」

「いいだろう。今度こそ叩き潰してやる。ここに来たのは敵地偵察のためだろう? 白状させてやるよ」

「違うって。ガイアケロン様は僕を部下に欲しいと言ってくださったはず」

「……じゃあ、なにか。一兵卒から勤め上げるってわけかい」

「そういうことの前に話しをしたい」

「そういえば、あの黒髪の女はどうした」

「……ずっと前に別行動になった。ここには来ていない」

「……」


 スターシャは疑わしそうに見つめてきたが、それ以上は問い掛けてこなかった。

 明日こそ勝利してやるというような気配。

 この先、どうなるか全く分からなかった。





いつもお読みいただき、ありがとうございます。

次話未定です。

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