勝手な奴ら
密使の役目を引き受けた翌日、バース公爵の執務室を再び訪ねると意外な人物がいた。
お抱え薬師のエリック・ダンヒルだった。
シャーレの親方でもある。
小柄だが、気合の塊のようなダンヒルはアベルを見つけると愛想よく破顔した。
「こんにちは。ダンヒル様」
「アベル殿。こちらこそ、よろしく頼みますぞ」
「どうしてダンヒル様がここにいるのですか?」
「ガイアケロン王子に接触を図るそうですな。大役です」
「それを……」
アベルはバース公爵に視線を移した。
彼は頷き、説明を始める。
「ダンヒルと儂は五十年の付き合いだ。ダンヒルの表の顔は薬師。しかし、裏では情報を集める細作を務めておる」
アベルはそう言われてみれば思い当たる節があった。
ずっと以前、ハイワンド領で魔獣退治と薬草採取を同時に行ったとき、いろいろと話しをした。
薬師は診察の傍ら、患者の様々な話しを聞きだせる立場にあるので事情通な人が多い。
それにしてもダンヒルは異国の事柄についてまで詳しかったという印象がある。
アベルは初老のダンヒルを改めて眺める。
人の良い初老の男にしか見えない……。
「全然、気がつきませんでした。本当はバース様の腹心だったのですね」
「腹心などと、そんな偉いものじゃないわい。それに薬師の顔とて本物よ。どちらが表でどちらが裏というわけでもないのだ」
バース公爵がダンヒルに促す。
「敵地への潜入方法を儂とアベルに説明しろ」
「承知しました。バース様……。ガイアケロンとハーディアは去年までリモン公爵領へ侵略を繰り返していましたが、防備厳重と理解するや統治重視に方針を変更したようです。現在は旧ハイワンド領のポルト復興を中心に活動しておるようです。よって、まず目指す先はポルトが有力ですな」
「最前線を越えるのはそれなりに危険そうですね……」
ダンヒルは、にやりと笑って首を振った。
「ところが案外とそうではないのだ。旧ハイワンド領はハーディア王女に統治を任されているのだが、かの王女は寛大をもって名高い。もともとハイワンド領に住んでいたものの逃げた者や、他所から生活に困窮して流れてきた者を積極的に受け入れておる」
「ということは、入るのは簡単。しかし、出るのが難しい」
「その通りだ。ただ、いくらなんでも男が一人で前線を通過しようとしたり、移動しているとかなり怪しまれる。そうした危険は回避したい。そこで、私は配下の男女を夫婦に偽装して、それぞれ理由をでっちあげて旧ハイワンド領に送り込んだ。過去、三回に渡って派遣して、そのいずれも成功している。よってアベル殿にも同じ方法をとってもらう」
「男女……。女の知り合いなんかいないですけれど」
「何を言うか。シャーレ・ミルがおるではないか」
「えっ。シャーレですか」
「まさに好都合ではないか。敵の支配領域に入れば検問は必ずある。そのときには故郷のテナナ村に帰りたいと理由を言えばよい。本当のことなのだから、相手も信じないわけにはいくまい」
「シャーレを危険な任務に利用するのは……気が乗りません」
「アベル殿。ハイワンド領に詳しい女性など、なかなか見つからないのだ。ハイワンドに住んでいた経歴を持たない者では故郷に帰りたいという理由が成り立たなくなる。嘘は多くなればなるほどバレる恐れが強まる。とにかく、まずは前線を通過してポルトへ到達することを優先するのです」
アベルは考える。
上手くいけば、シャーレを両親のもとに帰してやることができるかもしれない。
「ダンヒル様。念を押すようですけれど危険は低いのですね?」
「これまでは全て上手くいっておる。敵地に潜入したあとも故郷に帰りたいと説明すれば、まず無事に移動できるはずだ。さらに薬師を名乗れば怪しまれる恐れも、なお低くなる」
「……分かりました」
「ポルトには既に細作を潜入させている。まずはテナナに行き、それからポルトへ移動して現地の仲間と連絡をつけろ。ガイアケロンとハーディアがどこにいるのか不明な可能性もある。根気強く、怪しまれないように情報を集めるのだ。そのときには薬師を騙っておけば行動しやすいぞ。アベル殿は薬にも詳しいから簡単なことだろうて」
「まぁ、そうですね」
「では、シャーレには私から説明をしておく。テナナにおぬしが連れて行ってくれるとな」
「最大の問題は潜入が上手くいった後、どうやってガイアケロン王子と接触するか……。会わせてくれと軍陣を訪ねるのは下策ですよね」
「それは最後の手でしょうな。あくまで目立たず、秘密裏に会合できれば理想的であるのだが、それが一番難しかろうて。すまないが解決策を授けることはできない。とりあえず現地でガイアケロンと直接やりとりできる有力な配下を見つけ出して、まずはその者と信頼関係を作ってみるのが上策」
アベルは無言で頷く。
現地に行ってみなければ、はっきりしたことなど何も分かりはしない。
バース公爵が代わりに語り始めた。
「祝賀会が終わり次第、アベルには出発してもらう。祝賀会にはテオ皇子にも来ていただく。将来の皇帝陛下になっていただくお方だ。アベル、お前を引き合わせるから、ご挨拶をしておけ」
「はい」
「テオ様にはお前を使者として遣わせるとだけ認めた手紙を、そのときに書いていただく。旅程や侵入路など、細かいことについてはダンヒルと相談して決めておくように」
「アベル殿。さっきも言いましたが貴方とシャーレは薬師の夫婦に偽装してもらう。しかし、まずは皇帝国の警戒線を突破しなくてはならん。そこで、貴方たちはリモン公爵の騎士団に薬を届けるという名目で最前線近くまで移動。身元紹介状などはバース様が本物を用意してくださるから安心するといい。それから機会を見て旧ハイワンド領へ進入するのです。ガイアケロンの兵士たちは逃げ込んできた民衆に乱暴を働くことを厳しく禁じられている。持ち物検査を誤魔化せれば、何ということもないはずだ。密輸に使うような隠された隙間のある薬箱があるから、それをシャーレに持たせる。開け方は後で私が教える」
それからバース公爵が机の引き出しから袋を取り出した。
アベルに渡されたその袋は、ずっしりと重たい。
「中は金貨だ。王政金貨で五十枚、皇国金貨で十枚ある。当分の工作資金にしろ。くれぐれもテオ様に書いてもらう密書はガイアケロンかハーディアに直接渡せ。いいか。絶対に他の者には渡すな。もし密書を奪われそうになった場合は燃やしてしまったほうがいいだろう。仮に奪われた場合は、必ず取り戻せ。取り戻せなかった場合は任務失敗だ……。そのときは帰ってこい」
バース公爵は冷厳な、感情の表れていない顔つきでそう言った。
失敗して帰っても厳しい処罰はないかもしれないが、もう二度と密使の役目に選ばれることはないはずだ。
それ以上にシャーレを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「なんとかしてガイアケロン王子に意図を伝えてきます。接触さえできれば、話しぐらいは聞いてくれる男だと思います」
「祝賀会まで十日を切った。忙しかろうが旅の準備を進めておけ。周りの人間にはしばらく帝都を離れると伝えても良いが、任務については僅かも漏らすな」
「はい。バース公爵様」
「では、今日の要件はこれで終わりだ」
アベルは執務室を出た。
今日は他にも用事がある。
祝賀会の時に着る盛装の試着と、同時に行われる舞踏会のときに踊るダンスの練習である。
アベルが一階にある会堂に行くと、すでに着替え終わったロペス、モーンケ、カチェがいた。
服を持ってきた職人やモールボン女官長など数人の人間の姿も見える。
「アベル。遅刻よ」
「ごめんなさい。ちょっと用事が……」
アベルは仕立て職人に服を差し出されたので、慌ててその場で着替える。
ズボンを脱ぎ、上着を外す。
下着までは脱ぐ必要はないので、そのままだ。
カチェは、やや見慣れていることもあって大して驚かなかったが、モールボン女官長などは目を光らせながら、食い入るように見つめていた。
五十歳にもなろうかという女性でもアベルの体が気になるのかとカチェは驚いたものだった。
アベルは光沢のある黒い天鵞絨の上下を手に取った。
肌触りといい見た目といい、ベルベットとほとんど同じだった。
全体のデザインは銀のボタンで前身頃を留める構造になっていて、前世の軍服に似ていた。
これは乗馬服が発展したという共通点だろうか。
服は肩飾りなどもあって派手である。
袖を通すと、大き過ぎず小さ過ぎない。
いい感じだ。
上下を身に着けた後、クラバットと呼ばれる首の周りに巻くスカーフ状の装飾を付けてみるが、やったことがないので上手くいかない。
純白の布に襞のついたクラバットをアベルは何度も付け直してみる。
この装飾は、もともと騎兵が戦場で目立つためにやったのが始まりのようだ。
それが見栄えするので、祝い事に着る盛装などにも用いられるようになった。
アベルが苦戦しているとカチェが手伝ってくれた。
最後に革帯などで服を体にしっかりと合わせたら、姿見に映してみる。
――おっ。なかなか立派かも。
鏡には、くすんだ金髪をした青年と大人の中間にいる自分が佇んでいる。
均整が取れて無駄のない体に、ぴったりと服が合っていた。
さすが一級の仕立て職人による仕事だ。
「どこか苦しいところや、不具合はございませんか」
そう聞いてくる初老の恭しい物腰の服職人に何の問題もないと答える。
カチェが頭から爪先まで、何度も念入りに見て来た。
気のせいか顔が上気して赤い。
「なんですか? カチェ様」
カチェから見て、着飾ったアベルは非の打ちどころがなかった。
凛々しく緊張感が漂っていて、貴やかな姿。
上っ面だけではない魅力が滲み出ている。
今更ながら秘めた恋心が大炎上するような姿の良さだ。
どこか暗い、ともすれば陰鬱なほどの気配が感じられるアベルの視線も、こうなると味わいの一つとも感じる。
「そんなにジロジロと見て。そんなにおかしいですか……」
「ええ。おかしいわよっ!」
「どこがですか」
「全部よ!」
全てなどと身も蓋もないことを言われてしまった。
カチェはそっぽを向いて、口をへの字に曲げている。
なんだか知らないが機嫌が悪いみたいだとアベルは察して黙った。
こうなったら触らない方がいいのだ……。
アベルの準備が整い、次の要件が始まる。
加齢で錆びた感じの金髪を質素に結い上げたモールボン女官長は、舞踏会の作法を説明し始めた。
アベルはモールボンを見て女教師みたいだなと思った。
底意地が悪くて、細かいことにうるさく、贔屓が激しくてチクチクと小言を言うような……。
「踊りは大きく分けて基本的に三種類ございます。まず、婚約者のいない未婚の男女が組み合わせを変えながら行うもの。次に既婚者の男女が行うもの。最後に、未婚既婚に関係なく混ざり合いながら行うものです。今回の舞踏会では未婚者の舞踏だけが催されます」
アベルは一つ気になったので聞いてみる。
「未婚の男女の組み合わせといっても数がきっちり合いますか?」
「アベル様。いい質問ですね。たしかに男女の数が合わないことは良くあります。仕方がないので、そういう時は数の多い方が順番待ちをするのです。ちなみに昨今は戦時下ですから、貴族の男性は出征していることが多いので女性余りという傾向があります。さぁ、舞踏は場数です。まずはお一人で形だけ真似してみましょう。私に続いてください」
アベル、カチェ、ロペス、モーンケの四人は、ひたすら練習をする。
舞踏の所作は単純なものだった。
何回か回転しつつ決めごとに従って手足を動かすだけ。
そして、また次の人に移る……ということを繰り返す。
一組の踊る時間は、せいぜい一分程度ではないだろうか。
言ってみればそれだけのことだった。
いよいよ組になっての練習に移る。
まずはロペスからだった。
巨漢のロペスはモールボン女官長を相手にして、ぎくしゃくと不器用に踊っている。
やがてモールボンを力任せに振り回すような仕種になってきて、アベルは唖然としてしまう。
ほとんど暴行か強姦の一歩手前という勢いすら感じられ……。
「ロペス様! もっと優しく踊ってくださいまし!」
モールボンの悲鳴のような指導が入り、少しだけマシになる。
踊りが終わるとモールボンは結い上げた髪が散り散りに乱れた無残な姿……。
鳥の巣みたいになっている。
次にモーンケが真似すると、こちらも似たり寄ったり。
見ているアベルは何だか、だんだん面白くなってきてしまい笑いを堪えるのに必死になった。
カチェも同じらしく、ほくそ笑んでいた。
それなのに止めないあたり、モールボンに恨みでもあるのかなとアベルは思う。
従兄たちの練習が終わったので、ちょっと聞いてみた。
「ロペス様はこれまで舞踏とかやらなかったのですか」
「槍の稽古が忙しくてな。だいたい踊るような時間があれば酒を飲んでいる方が愉快であろう」
「そうそう。兄貴の言う通りだぜ。女なんかいくらでもいるってのに、悠長に舞踏なんかやっていられるかよ。やりたけりゃ、娼館があるしな。踊りは寝台の上で転がりながらやるもんだぜ」
どこまでも即物的な従兄たちであった。
アベルは別に驚かない。そういう人間たちなのは長い付き合いなので知り尽くしている。
主筋たちの下品極まる会話を耳にしてもモールボンは顔色を全く変えない。
武人なんてこんなものと理解しているのだろうか。
ただ、髪はバサバサ、衣装は着崩れてしまっていた。
そこをいくとカチェなどは気まずそうに俯き、顔は恥ずかしさのためか、やっぱり赤い……。
モールボン女官長の説明は淡々と続いた。
「未婚者の舞踏とは、有体に申せば結婚相手を探すという意味合いが強いのでございます。そうした目的が全てとまでは申しませんが、そのような心積もりは持っていてくださいませ。意中の人と踊る機会が来たならば、後程にゆっくり話しをしたいと誘うこともあります。あるいは素早く手紙を相手の懐に入れる……ということもあります。どちらの場合があっても動揺してはいけません。特に大切なのは相手の体面を潰さない事でございます。断るときには、そこを注意するものです」
モーンケが、にやけた顔で言う。
「何人も誘ってきたら、どうするんだよ。片っ端から味見するしかねぇよな。ひへへ」
やはりモールボンは無表情に答える。
ただ、どことなく不機嫌というか怒りのようなものを抑えている気配があった。
「貴族たるもの、名誉を傷つけられたとなれば決闘に至ることもございます。未婚の女性に手を出して捨てたりすれば家同士の戦争となりましょう。しばしば、ある話しでございますよ。あるいは被害者が貴族裁判所に訴えるということもあり得ます。気持ちは心で伝えるものでございます。断るときには、申し訳ないが事情があり交際できないと伝えれば……よいのです」
「女官長さんよぉ。不倫ぐらい、おおかたの貴族はやっているんじゃねぇの」
「それは義務で婚姻する場合がほとんどである貴族社会ならではの事情がございます。たとえば、お年を召した男性の下に嫁ぐこともあります。そうして、数年間ほど夫婦で暮らしてみて、どうしても上手くいかないときに相談の上、あるいは暗黙の了解に成り立って、別の方と親密になるということはございますでしょう。あるいは夫が妻以外の女性を囲うこともございます。ですが、若年の男女が婚約時や新婚において不義をするのはいけません。そんなことをすれば破談になるか、不幸な結婚生活か……いずれにしても悲しいことでございます。栄えあるハイワンド公爵家のモーンケ様がそうしたことをすればバース公爵様は、どれほどお困りになるでしょうか」
モールボン女官長のモーンケを見る瞳はどこまでも冷ややかであった。
モーンケは緩めた顔を苦笑に変化させる。
あの怖いバース公爵の名を出されては従うしかないというものだ。
それからカチェはアベルに高圧的な口調で言った。
「アベルは舞踏会しなくてもいいんじゃない。そうしなさい」
「そうだねぇ……。確かに、あんまり得意じゃない分野だしね。やめようか」
カチェは満足げに頷いた。
ところがモールボンは血相を変え、慌てて言って来る。
「アベル様! そんなことできるはずございませんでしょう。婚約者でもいると勘違いされてしまいます。祝賀会で貴方様は主催者側なのです。招くからには義務があるのです。たくさんの貴賓が来てくださると聞いております。皇族の方までご来駕するそうではございませんか。ハイワンド家は全力でお迎えしなくてはなりません。特に貴方たち四人は大事なお役目です。決められたとおりに役目をやってくださいまし!」
勝手な言動ばかりするハイワンド家の面々に、とうとうモールボン女官長はキレ気味になってしまった。
いつでも儀礼的な微笑をしているのに、もはや完全に顔面が強張っていた。
目を吊り上げて髪も乱れているものだから、けっこう壮絶な剣幕である。
アベルは、これは逃げられないと観念して練習を続けた。
カチェと組になって両手を結び、作法に従って動かす。
体がやたらと密着するから、跳ねるように弾むカチェの胸が押し付けられてくる。
その柔らかい感触に服越しでも興奮してしまう。
しかも、距離が近いので甘い女の匂いがしてきた。
――舞踏ってのは初めてだけれど、けっこう際どいもんだな。
女の子と至近距離でいると気分も高まるし……。
きっとこういうことで、すぐにその気になって結婚しちゃうんだろうな。
でも、その方がいいかもしれないぜ。
カチェは踊りとはいえ、やたらと身を寄せて来る。
いよいよ変な気分になってきた。
明確にカチェから「女」を感じる。
女の体には魔力がある。
魅惑の力だ。
きっと魔法の使えない女の子でも持っている魔力に違いない。
アベルは無性にカチェの腰のあたりを抱き締めたくなった。
それをやっとのことで我慢する。
カチェとは友達でいたい……。
変なことをして嫌われてしまったら、せっかくの友情が壊れてしまうとアベルは思った。
それに、もうじき任務でここを発つから、お別れだ……。
それを思うとアベルの心が、じくじくと疼くように痛んだ。
別れの言葉など思いつきもしない。
「二人ともお上手です。さぁ、楽団がいればそこで曲が一巡して交代です。つぎにロペス様。カチェ様と練習してください」
カチェは陶然とした心地を現実に引き戻された。
なるほど、こうして男女は互いに見初め合って婚姻するのかと、ひどく納得した。
それから交代したロペスと手を結ぶ。
巨大な手だ。カチェは自分の倍はありそうだと思う。
激しい鍛錬のせいで岩のような拳骨である。
そういえば戦場ではこの拳を力任せに敵の顔面にぶちこんで潰していた……。
女性としては長身のカチェでも、兄は見上げるような大男だった。
目の前に分厚い胸板があった。
モールボン女官長の手拍子で舞踏を始める。
かなり強い力で引き回されるような感じ。
これではモールボンが玩具のように振り回されるわけだった。
「ちょっと! ロペス兄さま。もっと力を弱めて」
「ふん。これでも力を入れているつもりはないのだがな」
「こんな踊りでは相手の女性が怖くて腰抜かすわよ」
「ふはは。そりゃ愉快」
「なにがよ!」
怒ったカチェが激しい膝蹴りを食らわせると、どうした理屈なのかロペスの姿勢が正しくなり、まともな舞踏になっていく。
モールボンは呆れ果てた顔で首を振った。
そんな舞踏の練習は夕方まで続けられる。
さほど難しい動きではないので、だいたい憶えることができた。
あとは力加減の問題だろう。
終わりにモールボン女官長がカチェに聞いてくる。
「カチェ様には婚約者がいませんこと、お変わりありませんね?」
「婚約者? え、ええ。いませんよ」
「お年も頃合いですし、舞踏会の最中、あるいはその後にきっと方々から婚姻の申し出があることでしょう」
「え……え~っ! 困るわっ。どうしましょう!」
カチェは困惑しつつ、チラッチラッと横目にアベルを見る。
アベルは口を半開きにして、眉根を寄せていた。
どういうことを考えているか察せられない態度。
期待していたものではない。
何なんだ、その反応はとカチェは苛ついた。
ここはもっと動揺するとか決死の顔つきをするとかあるはずなのに。
「このモールボン。一つ懸念がございます」
「な、なにかしら」
「こちら帝都では特に盛んな風習でございますが、貴族の男性が未婚の女性に対して、守護騎士にしてほしいと依頼してくることがございます。ご存知でしょうか?」
「守護騎士。なにそれ。知らないわ」
「簡単に言えば、好意のある女性に男性が近づくための手です。これは女性の家の方が男性の家よりも高位である場合に行うことが多いのです。つまり、懸想した相手へ疑似的に主従として仕えるということです」
「ふ~ん……つまり愛する女性のほうが立場が高いから、まずは家来として尽くすということですね」
「だいたいそれで合ってございます。ほとんどの場合、親の許可を得てないので騒ぎになりやすいのですが、かといって若い男女のことですから、なかなか無くならない風習なのです」
「なるほどね……」
「カチェ様はそうした誘いをされましたなら、くれぐれも軽々に受けませんように」
「受けたらどうなりますか」
「男性もいずれかの爵位を持っているのですから、そう邪険にはできませんが、守護騎士を辞退させるためにバース様などはあらゆる無理難題を男性に命ずることでしょう。大抵は試練を越えられずに守護騎士などというものは現実を前にして破れていきます。親も満更ではない場合のみ、そうした突発的な当人同士の恋愛が実ることもありますが……それは希少なことでございます」
「へぇ~。そんな習慣があったの。恋愛結婚、唯一の可能性というところね。知らなかったわ……。まぁ、最低でもわたくしより強い者でなければ守護騎士なんて、お笑い種よね。自分より弱い人に身を守ってもらうなんて有り得ないわ」
アベルは思わず聞いてしまう。
「カチェ様よりも強い人なんか、滅多にいないよ。でも、もし申し込まれたらどうするの?」
「まぁ、取り合えず、わたくしと勝負かしらねぇ」
「勝てる人なんかいないよなぁ。第七階梯の使い手ぐらいでないと……。 あっ! ベルティエがいるか。いや、でも互角ぐらいかな」
「はぁ? なんでベルティエさんなの?!」
「いや、だからカチェ様より強い男なんかいないってことで」
「……いるでしょ」
「う~ん……? クンケル様とか」
カチェは怒りのようなものが込み上げてきた。
額に青筋が走りそうだ。
通り過ぎざまアベルの足を強めに踏んでやった。
「うっ!」
アベルが驚いた顔をしている。
どうして不意打ちするのだという風情。
カチェが少しだけ笑う。
輝くような美貌と悪戯心が混ざり合った魅力的な笑みだった。
アベルが思わず見惚れるほど生気が溢れている。
カチェは上機嫌である。
なかなか楽しかった。
どんな舞踏会になるのか、訳の分からない期待感が湧いてくる。
アベル一緒にいると、やっぱり面白いことばかりだ。
いつも読んで貰って、ありがとうございます。
次回未定です




