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獣の見た夢  作者: MAKI


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欲望の男たち

 


 ガイアケロンとハーディアは軍勢を無事に防御陣地まで後退させた。

 それから全力で情報収集を急がせる。

 数日のうちに皇帝国の奥深くにまで潜伏させている間諜や、買収した人間からの報せが集まってきた。


 皇帝国の皇室は失策の多かったムベルク執軍官を、ついに更迭して、代わりに第二皇子テオと第三皇子ノアルトを指揮官として派遣してきたのだった。


 これはガイアケロンにとって悪い知らせであった。

 ムベルクは武将としては平凡であり、また反応に鈍さもある相手だった。

 人数で劣る王道国側がこれまで優勢に攻め込めた要因の一つである。


 ムベルクは皇帝国公爵家の出自であり、同時に皇室と外戚の関係にある人物でもあった。

 その血統の高さだけで重要な地位についていた人間であり、軍人としての資質は低かった。


 それに対して、皇帝国の第二皇子テオと第三皇子ノアルトは、共に二十代でありながら覇気と知勇に満ちた人物だという噂だった……。




 さらに別の戦線に関係する情報も入ってくる。

 王道国の第一王子イエルリングが担当している西南戦線における皇帝国の指揮官が、皇帝の継嗣と見られているコンラート第一皇子から交代されたというのだった。

 代わりに執軍官になったのは、ノルト・ミュラー子爵という男らしい。


 ミュラーに関する情報は少なかった。

 年齢三十八歳。

 子爵といえぱ中流貴族である。

 そんな低い家柄の人間が執軍官に任命されることは異例だった。

 なにしろ命令する相手は、伯爵家や公爵家の当主である。


 どうした人事なのだろうかとガイアケロンは気になる。

 そのあたりの事情を調べさせることにする。


 いずれにせよ、これらの情報から確かなのは、皇帝国側に明らかな変化があるということだった。

 負け続きだった体制を刷新して、反撃しようという意図を強く感じさせる。




 再び戦線は膠着する。

 このまま最前線の戦場で冬を越すつもりでいたガイアケロンとハーディアに、緊急の命令が入った。

 王道国国王が、王都から前線の視察に来るので参上せよ、というものだった。


 前線の視察といっても、中央平原までは入り込まないという。

 そこで改めて論功行賞もあるとのことだった。


 ガイアケロンは手勢の大部分を戦場に残していかなくてはならない。

 オーツェル、ナルバヤル、ドミティウスに防衛方針を指示しておくが、彼らなら臨機応変に行動してくれるだろう。

 ナルバヤルとドミティウスは伏兵の存在を示唆していたオーツェルに従わなかったことを、すでに謝罪している。

 将たちはいずれも個性が強く、性格が図抜けているから意見が合わないこともあるが、そこを上手く纏めてやるのが、王子たるガイアケロンの仕事であった。





 急いで帰国の準備をしているハーディアに面会の許可を求める者があった。

 ディド・ズマからの使者だという。

 ハーディアは思わず眉を顰める。


 ディド・ズマは王道国が雇用する傭兵たちの元締め。

 傭兵団「心臓と栄光」の首領にして、傭兵王の異名を持つ実力者だ。


 できれば使者にも会いたくなかったし、書状も受け取りたくない。

 しかし、ディド・ズマからの手紙は、品性の低い恋文まがいの内容かと思えば、時に無視できない軍事情報も記載されていて黙殺はできなかった。


 陣幕に使者を迎え入れる。

 ディド・ズマの使者は、まだ若い青年だった。

 緊張から顔が引き攣っている。

 彼は三十人もの奴隷を引き連れていた。

 大量の荷物を運んでくる。

 ハーディアの前に片膝を付き、上擦った声で前口上を述べる。


「我らが主、ディド・ズマ様からの書状および贈り物でございます。絹の反物、黄金の装飾品、武器と防具など。目録もお渡しします」

「せっかくですが、いつもの通り献上品は受け取りません。書状は目を通しますが、物はお持ち帰りになってください」

「宝飾品は鉱人氏族の名人と名高い作聖パック・ラックに一年間もの製作期間で作らせたものでございます。それというのもハーディア様の身を美しく飾って頂きたいとの一心なのでございます。主、ディド・ズマ様の気持ちを断らないでいただけませぬか。主は王道国のため常に前線で献身的に活動をされております。幸い極まることにイエルリング様には第一の重臣とまで評価していただいておりますれば、どうか主の心をお慰めくだされ」

「同じことを二度、言わせないでください。書状のみ受け取ります」


 ハーディアの側近、クリュテが使者から手紙を受け取る。

 使者たちは反物や装飾品を渋々、持ち帰っていった。


 ハーディアは手紙の封を剥して、内容に目を通す。

 祐筆に書かせているから文字自体は綺麗だが、文言は下品でくどかった。


 ハーディアの姿を見られないのが何より残念だとか、自分はどこで戦って、どうした戦果を上げたとか、そういった内容が延々と繰り返されていた。

 一応、軍事情報も含んでいるので読まなくてはならないのがつらい。

 軍事情報のくだりがやっと始まった。


 皇帝国は指揮官を変えて、徴兵をさらに強化。

 戦力を増強しているから注意がいる。

 どうして自分の傭兵戦力を利用してくれないのか分からないと書いてあった。

 傭兵に払う報酬から、維持に必要な糧秣まで全て自分が負担するから、どうかハーディア様の旗下に手勢を参入させてほしい。

 そういったことが記されている。


「お前が嫌いだから断っているのよ……」


 ハーディアが溜め息をついた。

 下心がある者の接近など日常茶飯事で慣れているが、それにしてもディド・ズマのやり方は異常だった。


 四年前、自分が十六歳の時に初めて王宮で挨拶をした。

 生まれや容姿だけで人を判断するわけではないが、それにしても醜悪にして奇怪な男だった。


 やや長身で太り気味、でっぷりした体つき。

 艶の無い褐色の巻き毛が、べったりと重たく頭に乗っていた。

 ぎらついた、吹き出物ばかりのイボ蛙に似た顔。

 強欲そうな土色の瞳に、傲慢な笑みを浮かべていた。

 年齢は二十九歳だったらしいが、若いのか中年なのか判別がつかないような面相だった。


 出会うなり、ぽかんと口を開けて呆けたように見惚れてきたのを憶えている。

 次第に熱を帯びて、粘液が糸を引くような視線に変化した。


 嫌な男だなと内心では感じていたが、相手は王道国で重用している傭兵の元締めであった。

 そう邪険にするつもりはなかった。

 ハーディアは表向き用の、上品な微笑を浮かべてディド・ズマと儀礼的な会話をした。


 その日はそれだけのことだったが、ハーディアは気になってディド・ズマの人柄を調べさせた。

 程なくして、見た目以上に残忍で欲深い男なのが知れた。

 占領した街を略奪し尽くすなど当然のようにやってのける。

 抵抗の激しかった拠点では、捕虜を火で焼き殺すのが常だった。

 部下にも冷酷な男で、不出来な行動をした者をその場で殺害することも頻繁だった。


 しかし、暴力だけの男ではなかった。

 傭兵団「心臓と栄光」を率いる団長を父に持つディド・ズマは十代前半で初陣。

 以来、父親と共に亜人界、中央平原で戦い続けただけあって合戦の駆け引きは一流。

 あらゆる暴力と恫喝と懐柔の手段に長けていて、次々と他の傭兵団を自らの配下に組み込んでいた。


 自身は直属に約二万人の配下を持ち、連合する傭兵団も含めれば六万とも、七万とも言われる兵力を動員できる。

 亜人界における一大勢力だった。


 そのディド・ズマという男にハーディアは、懸想されている。

 初めて出会った翌日から、手紙と贈り物は始まった。

 ハーディアにはそれなりに経験のあることだから、きっぱりと断ったところ、次の日、手紙を持ってきた使者は斬首されていた。


 その首を持って直に現れたディド・ズマが卑屈な笑みを浮かべて言ったものだった。


「無礼があって手紙と贈り物を受け取ってもらえなかったようだ。使者は罰したので許して欲しい」


 ハーディアは逃げるように理由を作り、なるべくディド・ズマと接触しないようにしてきたのだが、それにも限りがある。

 ディド・ズマから派遣されてきた少年少女の使者が月に一度は来訪することになった。


 断れば使者が殺されるのだから、見捨てることはできなかった。

 手紙だけは受け取ることを続けた。

 軍事的な内容に関してだけは私信ではなく、兄ガイアケロンの名で軍事通信として返書した。

 そんな日々が、かれこれ四年も続いていた。


 中央平原での戦いでは、ディド・ズマ本人が大軍を率いて現れ、突然、加勢を申し出たことまであった。

 その時は、兄妹ともども軍令違反なのでやめるよう、怒りと共に追い返した。


 そのディド・ズマは長兄である第一王子イエルリングや第二王子リキメルと関係を深めている。

 傭兵を供給し、自分自身も兵を率いて戦場で支援を続けていた。

 特にイエルリングにとっては、欠かせない重臣のような立場になりつつある。


 ハーディアが聞いた話しだと、イエルリングはディド・ズマを気に入っているらしい。

 実力主義で結果のみ追及するイエルリングの性格と、それをどんな残忍な方法であってもやってのけるディド・ズマは互いに利用価値があった。


 今度の論功行賞にはディド・ズマも呼ばれているので、あの男と望まぬ再会をすることになるかもしれない。

 いや、そうなるだろう。

 あの男がこの機会を逃すはずがない。


 世の中、嫌なことを我慢しなければならないときがある。

 立場が上ならば上なほど、そうしたことがあるものだ。

 ハーディアは自分をそう叱咤する。




 ~~~~




 兄妹は千騎の親衛隊のみを率いて、疾風のごとく街道を進む。

 あらゆる関所を無条件で通過した。

 十日足らずで旧ハイワンド領内を通過、さらに二十日かけて中央平原を越えて王道国に到達する。

 これは驚異的な速さであった。


 王道国西部の要になっている街、ティラールへ到着。

 市内にある要塞は王宮護衛軍によって厳重に防衛されていた。

 ガイアケロンとハーディアは率いていた部隊を郊外に留め置くように命じられる。

 随伴は十名以内を申し付けられた。


 ハーディアは身支度を整える。

 ここぞという時は、白一色を纏うと決めてある。

 肌着は無染色の絹。

 上着と下穿きは純白に染めた最上等の絹織物だった。

 その上から白鋼の鎧を装着する。

 何があってもいいように、武装は念入りに準備した。

 ガイアケロンも同様である。


 万が一、父王から謀反の疑いでも掛けられたらどうするか。

 ガイアケロンとハーディアは昨夜、二人で相談してある。

 その時は、いちかばちか、その場で父親と戦うことになる。

 父の傍には斬流第九階梯の剣聖ヒエラルクとモーガン魔学門閥の次期頭目、サレム・モーガンらを筆頭に、化け物のような使い手や魔術師が複数人いる。


 ガイアケロンとハーディアと言えども、勝てるかどうか分からない。

 少なくても時間稼ぎをされて父親は逃げてしまうだろう。

 だが、黙って斬首されるぐらいなら、絶望的でも抵抗するべきだ……。


 とはいえ叛意があると悟られてはいない。

 兄妹だけの秘密。

 しかし、覚悟はしておく。

 そういう相手だった。


 選び抜いた最側近のスターシャやヒルティ、ゾングル、クリュテといった者たちと要塞へ向かう。

 皆、一騎当千の猛者だ。

 魔法使いもいれば、治癒魔法の使い手もいる。

 死ぬまで共にいてくれる部下と言うより仲間のような者たち。


 ティラールの市内にガイアケロン一行は入った。

 今日は市内の出入りが禁止されていて、民衆の姿はほとんどない。

 その代り、王宮護衛軍が隊列をなして警戒していた。


 城壁に囲まれた要塞の中に入る。

 狭い廊下を何度も折れ、進み、やっと控室に到達した。

 控室にはディド・ズマもいた。

 明らかに送られてくる視線をハーディアは無視する。


 スターシャなど随伴の部下たちはここで待たされる。

 先に進めるのは王族と特に許可のある者だけだった。


 兄弟は王宮の次席侍従に案内されて、隣の部屋へと移動していく。

 ハーディアの顔に緊張が漲る。

 ディド・ズマのためではなかった。

 父にして王道国の王。

 イズファヤート・ゴットロープ・アレキアと面会するのは平静でいられることではなかった。


 ハーディアは兄ガイに視線を移す。

 いつもの通り、大らかな態度だったが、どこか無理やりに気持ちを治めている気配がある。

 気のせいではない。

 自分にだけは分かる……。




 そして、申し合わせた場所と時間に、呼ばれた五人の者たちは姿を現した。


 第一王子イエルリング。

 第二王子リキメル。

 第三王子ガイアケロン。

 第一王女ランバニア。

 第二王女ハーディア。



 ガイアケロンは悠然と歩み、玉座の前で跪いた。

 他の王族たちも決められた序列、儀典に基づき、立ち位置から跪く場まで決まっている。


 跪き、石像のように動かない五人の兄弟姉妹。

 王の言葉を待つ。


「我が王子、王女よ。面を上げい」


 ガイアケロンは顔を上げた。

 そこにガイアケロンが憎んでも憎み足りない父親がいる。

 いつか殺すことを願ってやまない、父にして王が玉座に座っていた。

 イズファヤートの傲岸不遜な顔貌がそこにある。


 必ず殺す。

 猛烈な殺意をガイアケロンは穏やかな微笑で消す


 父王イズファヤートは勢揃いした王子王女を、つまらなそうに睥睨する。

 煙たく暗い青色の瞳だった。

 冷徹な心が垣間見える目。

 疑り深く、欲深く、争いを好む性格の王。

 そして、愛情というものを持たなかった。


 イズファヤートは十七歳で即位、若くして王になった。

 まずやったことは、皇帝国に対して王道国を対等な国として認めろという要求だった。

 皇帝国が呑むはずのない条件。

 相手を必要以上に刺激した行為だった。

 ウェルス皇帝の返答は、不戦条約の破棄と宣戦布告だった。


 ガイアケロンは思う。

 皇帝国への無駄な要求、結果として戦争が始まってしまったことは、若かりし過ちとしてまだ許せる。

 ところが、その後も和平交渉は全く行わずに、戦火の拡大をむしろ煽った。

 結果として三十年にも及ぶ戦争の拡大があった。


 政策以上に許せないのは、暴挙を平然と行う良心の欠落だった。

 正妻以外にも複数の愛人を持ち、さらには神聖とされる巫女まで強引に抱いた。

 次々と誕生した子供たち。


 そして、あげくには異様な相続方針を打ち立てた。

 長男継嗣の前提はなく、もっとも王道王として相応しい人物を跡目に指名するというものだった。


 その方針の先にあったのは、貴族や大商人たちが介入した強烈な権力闘争だった。

 自分が庇護する王子王女が跡継ぎになれば、陰から国を操れる。

 権力と金を欲する者たちは、吸い寄せられるように王族へ群がってきた。

 彼らは駆け引きの末に、莫大な献金や、兵員の供給を王道王に申し出るようになった。


 当然、良いことばかりではない。

 陰湿な争いは、直ぐに敵対する陣営が囲っている王子、王女への暗殺へと移っていった。

 幾人もの王子王女が解毒不可能な毒を飲まされ、表向きは原因不明の病気で命を落としていた。

 ハーディアの母も、そうした陰の闘争によって残酷に殺されている。


 それにも関わらず、状況を知っておいて平然と見過ごした父。

 むしろ、利用すらした父。

 さらに飽き足らず複数の愛妾を持ち、いまだに争いの元にしかならない子を産ませ続けている。


 ガイアケロンは助けのない少年時代、白痴のふりをしなくてはならなかった。

 相手をする価値もない無害な、哀れな、脳の腐った少年として振る舞った。

 そうして暗殺から逃れた。


 全ての元凶は、貪欲で、冷酷な父親イズファヤートにある。

 冷たく、それでいて燃え上がるような殺意を心に忍ばせて、ガイアケロンは跪いていた。


 論功行賞は功績の高かった者から、名を呼ばれ労われるのが習わしだ。

 誰が先に名を呼ばれるか、王子王女たちは沈黙し、待つ。


 父王イズファヤートが口を開いた。

「遠く戦地より参上、大儀である。まず、イエルリング。お前は中央平原で良く戦い、皇帝国ベルギンフォン領を奪ったこと見事であった。よって中央平原の半分と旧ベルギンフォン領を与える」

「はっ。父王様。有難く頂戴いたします」


 長兄イエルリングが答える。

 ガイアケロンより五歳年上の兄。

 イエルリングは口達者で表面的には魅力がある。

 容貌も長身で、顔の造作は整っていた。

 しかし、父親と同じく良心というものが無い男だった。

 戦いに勝つためなら何でもやる。

 ディド・ズマのような非道の男も重用していた。


 そんな長兄が功績第一と認められていた。

 次は誰が名を呼ばれることになるのか……、みな黙って待つ。

 父王が口を開く。


「ガイアケロン。お前は中央平原で敵を翻弄。ハイワンドの合戦では皇帝親衛軍を良く打ち破った。その後も着実に攻勢を進め、さらに西のリモン公爵領まで攻め込んだことは称賛に値する。また、ハーディアはそれをよく支えた。中央平原の半分をガイアケロンに、旧ハイワンド領をハーディアに与える」


「父王様。このガイアケロン、言葉に表せぬ喜びであります」

「このハーディアも同じく、恐悦至極でございます」


 意外な報奨の多さだった。

 肥沃な中央平原の半分ともなれば、莫大な収入が見込める。

 しかも、ハイワンド領の全てがハーディアの所領となった。

 リキメルの体がビクリと震えていた。

 深刻な被害を受けて手にしたポルトは、これでリキメルのものではなくなってしまった。

 父王は言葉を続ける。


「ランバニア。お前は国内の安定によく働いた。亜人界への押さえの役割も果たした。以前から欲していたもの、お前に与える」

「父王様。有難き幸せ」


 ランバニアもまた美姫として名高い人物だった。

 滑らかな金髪、白い肌、一見したところ柔和な瞳。

 彼女は内政に才覚を発揮している。

 報奨がなんなのか、ガイアケロンは知らない。


 そして、最後がリキメルだった。


「リキメル。お前は中央平原でも兵力を失ったのに加え、ポルトを無理に攻めて大きな被害を受けた。本来なら指揮権を剥奪し廃嫡も考えるところだ。しかし、儂はあえて許す。そればかりでなく旧レインハーグ領もお前にやるとする。皇帝国に対する攻勢を今後とも失わないように励め。ただし、慈悲はこれ一度である」


 ガイアケロンは父王のやり方を理解した。

 ここのところ戦意を無くしつつあるリキメルを、追い込むことにしたようだ。

 また、賞罰を明確にして、気を引き締めさせる効果も狙っていた。

 崖っぷちに立たされたとなれば、リキメルを庇護している大貴族ビカス・カッセーロなどの派閥はさらに金を絞り出して戦争を続けるだろう。


「は……はい。父王様」


 やっとそれだけ返事をした、丸い輪郭を描くリキメルの額から脂汗が流れ、床に滴った。

 イズファヤート王は蒼白になっている我が子リキメルに僅かの興味も同情も示していなかった。


「次に、イエルリングよ。ディド・ズマの働き、実に見事であることから労いの言葉を特に所望したいという願いを聞き届ける。ディド・ズマをここへ」


 奥からディド・ズマが歩いてきた。

 イエルリングの後ろに跪く。

 滑稽なほど派手派手しい姿をしていた。


 全面を鍍金した鎧兜。

 緋色の飾り布を肩から靡かせている。

 腰に帯びる剣の鞘と柄にまで黄金が豊富に使われていた。

 どう見ても普段使いの装備ではない。

 この日のために用意しておいたものらしい。


 イズファヤートが声をかける。


「ディド・ズマ。お前の率いる傭兵ども良く働く。よって、お前の亜人界における利権、認める。これからも王道国のために働け」

「このディド・ズマ。とある恩賞を欲しております。それが王様より叶えられるのでしたら、傭兵をさらに三万人ほど増やしてみせまする。そればかりではありません。王政金貨にして十万枚の黄金を献上させて頂きます」


 ガイアケロンは父王の顔が歪んだのを見た。

 興が乗ったという顔をしていた。


「ほう。何を欲する。ディド・ズマよ」


 一呼吸置いて、ディド・ズマが答える。


「ハーディア王女を我が妻として下賜して頂きたい」


 ハーディアが歯を噛み締める。

 怒りの大きさで目が眩む。

 なんという無礼で身の程を知らない要求であるのか。

 この場でディド・ズマを叩き斬りたいぐらいだった。

 叫ぶように声を出す。


「父王様! 仮にも王道国の王女を娶りたいなど、不遜の極まりではありませんか! この無礼者を罰してください!」


「……ふむ。しかし、ディド・ズマの功績は確かなるぞ。イエルリングやリキメルをこれからも支援すると申し出ておる」


 父王イズファヤートは黙って冷たい視線をハーディアに注ぐ。

 ハーディアは滅多にないことだが、緊張から汗が出てきた。

 父王は莫大な見返りがあれば、自分をディド・ズマに渡すのではないか。

 あり得るかもしれない。

 それぐらいやる父親だった。


 ディド・ズマが躍り上がらんばかりに喜色を示す。

「で、では! ハーディア王女の輿入れ、なりまするな!」


 喜び勇むディド・ズマに対してイズファヤート王が侮蔑の気配を含んで言い放った。


「ディド・ズマよ。王道国の王女を随分と安く見積もったな。足りぬ。まるで足りぬ。儂の心は屈辱に呆れておるぞ」


 場の雰囲気が凍り付いた。

 イボ蛙のような顔をしたディド・ズマが必死の表情で答える。


「で、では、いくらであれば王のお心に適うのでありますか! このズマに教えていただきたい!」

「まず、王宮には王政金貨五十万枚に値する金銀を収めるのだな。また傭兵ども、さらに運用して皇帝国と戦え。負けること、罷りならん」


 ディド・ズマは五十万枚という途方もない額に頭を殴られたような気がした。

 黄金十万枚でも、破格中の破格の金額だ。

 どんな大商人でも出せる値ではない。

 これなら王道王も承諾するはずだと確信して提示した、限界近くの金額だった。


 そして、冷徹に計算をする。

 王政金貨五十万枚……。

 金は何とかなるかもしれない。

 すべてを投げ打って富を掻き集めるのだ。

 しかし、何十年も時間をかけるわけにはいかない。

 五年……、いや三年だ。

 手下どもを動員して、略奪の限りを尽くせば……。


 あのハーディアを組み敷いて、全身を舐め回せる。

 乳房を掴み、股を無理やり大開きにしてやる。

 そうしたらどんな顔をするだろうか。

 見ていると身が痺れるようになる高貴な美貌が、恥辱に歪むことを全てやり尽してやる。

 そして、子を成すのだ。


 一介の傭兵団の長であった父親が売春婦を孕ませて生まれてきた自分が、王道国最高の美女を犯し、妊娠させる。

 これほどの喜びがあろうか……!


 ディド・ズマは熱病に浮かされたように答える。


「承知しました、王様。金貨にして五十万枚。三年程度で集めてみせます。それまでハーディア様、他の男に渡さないでくだされ。このズマ。骨を擂り潰してでも働きます」


 ガイアケロンとハーディアは父王の顔が愉悦で緩むのを見た。

 やっと退屈な前座が終わって、面白い演劇が始まったというような笑顔だった。


「ふははっ。ディド・ズマ。お前の王道国への忠誠、楽しみにしておるぞ! 謁見はこれにて終いとする。我が王子王女たちよ、去れ。そして、皇帝国に勝ってこい!」




 ハーディアにとって地獄行きを宣告されたような謁見が終わった。

 駆け足で謁見室を去り、控室にいるスターシャやクリュテすら置いて進む。

 出口への進路は複雑だが頭に入っている。

 後ろから兄や側近たちが走って追い駆けて来ていた。


「ハーディア様! どうなされたのですか!」


 クリュテの叫び声も無視してハーディアは走った。

 早くこの忌々しい要塞から飛び出したかった。

 自分を物のように扱う父親を憎み、ディド・ズマへの嫌悪は治まるところを知らない。


 出入り口を固める王宮護衛隊が何事かと驚き、進路を塞ぐ。


「無礼者! このハーディアをなぜ止めるか!」


 鋭く一喝した。

 あまりの迫力と、渦巻く魔力を察して相手は一歩引き下がった。

 ハーディアは石造りの建物を出て、厩へと走る。

 ガイアケロンが追い付いた。

 兄は何も喋らない。


 ハーディアは兄ガイに抱き付き、この窮状を訴えたかった。

 しかし、今は堪える。


 白馬を引き出し、騎乗する。

 ガイアケロンと側近たちも慌ただしく馬に乗った時だった。

 要塞からディド・ズマが走り出てきた。

 制止した王宮護衛軍の兵士を殴り飛ばしていた。

 そして、大声で去りゆくハーディアに言う。


「ハーディア様ぁ! このディド・ズマ。必ず貴方を妻にしてみせますぞ!」


 ハーディアは殺意を湛えてディド・ズマを睨む。

 もうイボ蛙という言葉でも形容足りない、欲望に塗れたバケモノのような顔をしていた。

 ぬらぬらと発情した目が濡れ、血走っている。

 舌なめずりまでしていた。


 ハーディアは何も答えることができずに、白馬の脇腹に気合を入れた。

 この悪霊まがいの男から一刻も早く遠ざかりたかった。

 全速騎行で場を離れる。


 市街を出て、郊外にいる親衛隊まで休むことなく進んだ。

 このまま王道国からも飛び出したい。

 しかし、出たところで自分の居場所はどこにあるのか。

 まるで遊戯の景品のようになった自分に安住の地などありはしなかった……。





お読みいただき、ありがとうごいます。


父親を殺した男と、父親を殺そうとしている男。

二人が再び出会うのは、いつになりますか……。


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