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獣の見た夢  作者: MAKI


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歓待と休暇、ライカナの調査



 



 レザリア山脈の奥深く。

 魔女アスの住む神殿よりも美しい建築物の客間でアベルは休んでいる。


 ようやく気分が落ち着いてきた。

 あまりにも衝撃的な体験。

 アスに記憶を引きずり出される魔術を掛けられて、精神は異世界人であるのがバレてしまった。

 それだけでなく、実の父親を殺したことまで……。


 憎しみと罪に塗れた、穢れた魂。

 そうと知って魔女アスは、こちらに徒ならぬ興味を示した。

 いかなる真意なのか……見当もつかない。


 アベルは目の前に立つゲルダという名の自動人形をぼんやりと眺めた。

 見た目、二十歳ぐらいの色白な美しい女性である。

 長身かつ体の線はかなり豊満でライカナ以上だった。

 栗色の髪は長く、腰まである。

 瞳も髪に近い色。

 ガーネットのような目だった。

 人形とは思えない精巧さであるが表情は変化に乏しく生命感というものが希薄だ。

 そのせいなのかアベルには、それほど魅力的には思えない。


 とはいえ体だけならガトゥ好みだなと羨ましくなる。

 彼は一夜限りの女をアスに所望して、ゲルダとフロイアを抱いて良いと許可を貰っていた。

 ああして自分の欲求を恥ずかしげもなく晒して、なおかつ認めさせるのはある意味才能だと感心するばかりだ。

 自分には思いつきもしない。

 もっともそんな要求をしたらカチェに半殺しにされてしまうだろうが……。


 アスの収蔵庫に収められていた宝物の数々。

 人の欲望が形を取ったものだ。

 あれだけ多種多様の物があれば、どんな人間でも一つぐらいは欲しくなる。

 イースのような例外を除けば。


 欲望は希望と言い換えることが出来る。

 希望などというと何か体裁が整い、いかにも良いことのような気がするが……根本的なところではそう違いはないだろう。 

 そういう願いみたいなものは刹那的な方が正しいのかもしれない。

 強欲なモーンケみたいにあれこれと考えた挙句に宝物を貰ったとして、ところが持ち帰れるのかも定かではない。

 それなら、たった一夜を女とこの上もなく楽しむのは、ひとつの人生の態度だろう。何ら形として残るものなど無いが、いたって健全な希望ともいえる。


 では逆に最悪な希望とは何か。

 自分の身に余る、たがの外れた巨大な渇望。

 どれほど得ても満足しない。

 どこまでも際限なく膨らみ誰も彼もを巻き込む厄災のごときもの。

 それは時として、理想と呼ばれる……。


 客間にいるのはアベル、カチェ、イースの三人だけ。

 他の面々は、それぞれ別の場所で目的を楽しんでいるはずだった。


 アベルが耳を澄ませると庭からロペスの雄叫びが聞こえる。

 それから物のぶつかる音。

 魔法の照明が点いた園庭で、ロペスが騎士人形と模擬戦をしているらしい。


 すると客間に魔女アスがやってくる。

 歩み方や仕種に、そこはかとなく妖艶な気配を漂わせていた。


 アスの色素の薄い金髪は豊かに広がり波のようなうねりが美しい。

 輝くように肩から腰へと流れている。

 これほど見事な長髪も珍しかった。


 出会ったときは落ち着いた雰囲気という印象だったが、今となっては魔女と呼ばれるだけあって妖しくも不思議な魅力を感じるばかりだ。


「長旅にさぞかしお疲れのことでしょう。浴室の用意ができました。三人とも、ついてきてください」


 アベルたちは言われるがまま従う。

 皆、霧の谷を突破してきた装備のままだから鎧や胸甲をガチャガチャと鳴らしていた。


「お風呂なんて久しぶりだわ」


 カチェが心から嬉しそうに言う。

 旅の間、なるべく寝る前に魔法でお湯を作り、体や足は拭いていた。

 そうした手入れをしないと不潔である以上に体を痛めてしまう。

 しかし、いつ、どんな魔獣や敵が現れるかも分からない状況で時間と魔力を使って全員分の風呂まで用意する……というようなことは、なかなかできないことだった。


 アベルたちは見たこともないほど大きな浴室に案内される。

 床も壁も白い大理石で造られ鏡のように磨かれていた。

 服を脱ぐ脱衣室があって、その奥に大きな浴槽が四つほど見えた。

 それぞれの湯船は数人が楽に入れる容量である。

 複数あるのは多分、温度に違いがあったり、様々な植物を入れた薬湯であったりするのだろう。


「当り前だけれど男女に分かれてないよな……」


 アベルは中に入ってから、そのことに気が付く。

 女性陣の入浴が終わってから自分の番にさせてもらおうと思う。


「僕は後から……」


 しかし、アスは優しげに笑いつつ引き止める。


「四つの浴槽があるから分かれて使えばいいわ。そうしなさい。お湯が冷めてはよくないでしょう」

「いや、そう言いますけれどねぇ」


 アベルはてっきりカチェが嫌がるだろうと決めてかかっていたが、どうしたことか向こうは何も言わず衝立の奥で鎧を外している音がする。

 イースに至っては、いつもの通り、物陰に隠れることもなく胸甲や装備諸々を次々に外して下着を脱いだ。

 白い肌や引き締まった腰、丸みを帯びた桃みたいなお尻が露わになる。

 速いったらありゃしない……。


――カチェが何も言わないってことは、混浴ありってことだ!


 アベルの心臓が乱打する太鼓のようにドキドキと激しく動く。

 意識しないように装備を外しにかかる。

 とうてい無理だったけれど……。


 あまりにジロジロ見るのは不粋というものだ。

 できる男はこういう時にこそ自然体でいるものだ。

 などということをアベルが考えていたら、カチェとイースは脱衣を終えて浴室の方へと入っていった。

 体にお湯を浴びている音が響く。

 二人で交互に背中を洗っている気配がする。


――タイミングを……タイミングを考えねば。

  タイミングってなんだ?


 もつれる指先で胸甲、籠手や脛当てを取ろうとするが、かなり手こずってしまった。

 それから深呼吸をしたり心を整えるなどして……やっとのことで浴室に入ると、もう二人は湯船に入っていた。 


 カチェは実際のところ、すごく恥ずかしかった。

 しかし、あそこでアベルを追い返すのは可哀想になってしまった。

 それに余裕が無いと思われるのも嫌だ。

 確かに広い浴室であるし、イースもいるから……これなら許してもいい。


 緊張していたがそれと悟られないように湯の中で待っていると、ついにアベルが入ってきた。

 カチェは羞恥心により肩まで身を沈める。

 気になって、つい睨みつけるようにしてしまうがアベルは注視してくることもなく隅の浴槽へと向かっていく。

 それはそれで何だか拍子抜けしてしまう。


 アベルは木製の垢すりで手早く身を清めると、桶で湯を汲んで豪快に被り、勢いよく頭も洗う。

 それらが済むと浴槽に入った。

 全ては自然な動作で終えた……はずだった。

 実際は緊張していたわけだが。


 アベルが入った風呂は薬草入りの湯だった。

 ミントのような清々しい香りがする。

 本来ならリラックス効果が凄くありそうだったが、今は興奮していて全然ゆっくりできない。

 アベルは悩む。


――こういうとき、何をするべきなのか。

  くだらない冗談でも言うべきなのか。

  それともあれか。

  下ネタ。ふひひ、スケベしようや……みたいな。

  いや、たとえ八つ裂きにされようとも言えないぞ、そんなこと。



 そんなことを考えている内にたちまち時間が経ってしまった。

 イースが立ち上がる。

 もう十分、湯を堪能したという風情だった。

 白い肌が、ほんのりと上気していた。


 隣にいたカチェは口を大きく開けるほど驚く。

 イースは腕で隠しもしない。

 これではアベルに裸が丸見えではないか……!


 イースは平然と歩き、脱衣所の方へ向かった。

 カチェはアベルがイースの全裸を目で追っていたのを見つけた。

 思わず声が出る。


「ねぇ! アベル。イースっていつもああなの?」

「え!? ちょ、ちょっと意味が分からないのですが」

「隠しもしなかったけれど、ずっとあんなふうにしてたんだ」

「……」


 アベルは何と答えたら正解なのか分からない。

 まずいかもしれない、これは。

 上手くやらねば……。


「イース様は僕を男と思っていないのですよ」

「えっ……」


 アベルは言ってみて、本当にそうなのだろうと改めて気が付く。


「なんというか、イース様だって礼儀として裸身を他人に晒さないのは心得ています。それなのにどうして今はそうしなかったのか……、つまり僕は従者だし子供だから……。そういう警戒の対象ではないというか……、一人の男として認めてもらっていない……」


――自分で言っていて悲しくなってきたな。

  でも、本当にそうだもんな。


 カチェはその説明に納得がいった。

 何度も頷くが、やはり気になることがある。


「でも今、アベル……見ていたよね。イースの裸」

「……」

「ああしたことは、よくないことよね?」


 カチェの責めるような視線。

 畳み掛けるような攻撃だった。

 アベルは必死に抵抗。


「いや! それは仕方ないと言いますか……カチェ様が相手でも、たぶん見ているって言うか」

「や、やっぱり見るのね! 見たいのねっ!」


 カチェは、ほとんど何の効果もないが浴槽の奥へ、湯に漬かりながら移動していく。

 しかし、不思議なことにアベルから見ると嬉しそうな顔をしていた。

 アベルは首をかしげた。


――何を考えているのか分からんけれど。まぁ、いいや。

  調子に乗ったらマズい。



「ごめんなさい。もう僕も出ます」


 アベルが行ってしまう……とカチェは焦った。


「わたくしが先に出るから! アベルは後から出なさい」


 恥ずかしさに耐えて立ち上がる。

 カチェが胸と、大切なところを手で隠して脱衣所の方へ向かった。

 顔から火が出そうだった。

 しかし、こうでもしなければ何かイースに負けた気がする。


 アベルは健康的な桃色の、張りに満ちたカチェのお尻を凝視していた。

 せざるを得なかった……。

 幸せだ。


 イースが脱衣室に戻ると魔女アスとゲルダがいる。


「貴方、綺麗な黒髪ねぇ……。それに抜けるような白い肌」

「アス様。髪でしたら貴方の方が遥かに美しいです」

「ふふ……ありがとう。体を拭くものと、着替えの服を用意したの。着てきたものは洗濯させるから、ここに置いて」


 イースに用意されていたのは余計な装飾やフリルなどのない簡素な絹のドレスだった。

 色は純白。

 ドレスを纏うなど人生で数えるほどしか無いが髪と体を拭いて、それから黙って袖を通した。


 後から来たカチェには藍色のドレスが渡される。

 身を着飾るのは久しぶりだったので、カチェは素直に楽しくなる。


 アベルが二人の着替えが終わった頃合いに脱衣所にいき、乾いた布で体を拭いていると、アスが現れた。

 着替えを手渡してくれる。

 下着と貴族の子弟が着るような、上下だった。

 下は綿布で仕立てた黒のズボン。

 上は絹の白いシャツ。


「よく体に合う服がありましたね……」

「ふふっ。収蔵の間を見て楽しんだでしょう。展示はしていなかったけれど、子供から巨漢の男性に至るまで一通りの服は集めてあるの」


 アベルは思わず感心、納得した。

 そう言われてみれば、あれだけの収蔵品があれば人間の服ぐらいあって当然だ。


「じゃあ、借りますね」

「アベル。美しい少年の体をしているわ。鍛えられていて、贅肉が僅かもない」

「……!」


 アスの妖しい視線。

 もしかしてこれは……。

 アベルが貞操の危機を感じているとロペスとガトゥらが、うるさいほど大きな声で会話しながら部屋に入ってきた。

 二人とも汗みどろだ。

 ガトゥが楽しそうに声をかけてきた。


「おう、アベル。ここにいたのか。風呂はどうだよ」

「さ、最高でした。ところでガトゥ様。ロペス様。ごきげんですね」

「騎士人形がよ、すげぇ強いんだ! ですなぁ、ロペス様」

「ああ。俺たちはさっきまで模擬戦をやったのだが、悔しいことに一本も取れなかった。一槍流第六階梯の、この俺がだぞ。今では実質、第七階梯ほどの腕と思っていたが自惚れであったな」


 先ほどまでとは打って変わったアスが答える。


「あの四体の騎士人形は、それぞれ得意の武器が異なるのですよ。お楽しみになれたようねぇ」

「ああ、とても今日だけでは勝てないな。明日もやっていいか?」

「もちろんです。客人として最上の待遇をさせていただくわ。ゆるりとご滞在してください」


 アベルは脱衣所を抜け出して客間に戻った。

 どうも魔女アスは油断ならない。

 篭絡されてしまいそうだ……。



 ロペスとガトゥは自動人形のゲルダに垢すりをさせてご満悦になった。

 温水浴から冷水浴と堪能して、二人は風呂を出る。


 カザルスとモーンケも風呂を済ませ、嫌がるワルトの体はアベルが無理やり洗う。

 最後はライカナが一人で入浴。

 すっきりと身綺麗にしてお風呂は終了。

 皆、用意された清潔な服を着て、生き返った心地だった。


 ちょうど見計らったように晩餐の用意が整ったということで、客間に集められていたアベルたちは隣の食事室に誘導された。

 席は決められている。


 上位席にアスが座っていた。

 向かい合った位置にアベル。

 アベルの右隣がイース、左隣はカチェ。

 さらにロペス、ライカナ、カザルス、ガトゥと広がっていく。


 厳格な作法でいえば、出入り口に近いほど下位席になり、主人と対面する位置が主客の席となる。

 だから、アベルが主客と見なされていた。

 逆に末席はモーンケだった。

 立場的には奴隷のはずのワルトも晩餐に招かれている。

 席次はモーンケより一つ上である。

 モーンケは不満そうだったが、主である魔女アスが決めたことなので逆らえないみたいだった。


 その魔女アスは衣装を変えていた。

 謁見室では白い薄絹の長衣を纏っていたが今は黒色の、体にぴったり付いたイブニングドレスに似た服を着ている。

 かなり露出が多くて肩から胸の谷間まで、すっかり晒されている。

 艶のある肌が瑞々しく輝くようだった。


 杯が配られ、赤い葡萄酒が注がれていく。

 ワイングラスに似た形状の杯は黄金で出来ている。

 精緻で流麗な文様が刻まれていた。

 黄金の器に赤い液体がなみなみと満たされると何とも豪華な風情があった。

 こんな文化的な食事はハイワンド城以来だ。


 考えてみればアベルは黄金の酒器や食器など始めて見た。

 ハイワンド伯爵家の晩餐でも銀食器や陶器が使用されていた。

 金の杯は手に持てば、ずしりと重い。

 アスが煌めく杯を高く掲げた。


「因業深き旅人たちに、乾杯」


 アベルは赤い葡萄酒を口にする。

 これまで飲んだ、どんな葡萄酒よりも美味かった。

 馥郁たる香りが鼻腔に広がり、濃厚でありながらしつこくない口当たり。

 一口飲み下すと、また直後に飢餓感に似た衝動が起きて、再び飲みたくなる。


 アベルだけが得た感覚ではないらしい。

 カチェが、こんな葡萄酒は飲んだことがないと驚いている。

 最初の一杯は、あっという間に無くなってしまった。

 アスは笑って言う。


「お口に合って良かったわ。そこそこ熟成させた程良いものがあったので、お出ししました。次は前菜になります」


 給仕はゲルダとフロイアが務めている。

 前菜は、パイの中に牛乳仕立ての煮込みが詰まったものから始まった。

 それから兎肉のゼラチン詰め、数種類の野菜とカブを香辛料で味付けしたものが出て来る。


 ここまで整った料理を食べるのは、ポルトでの籠城戦以来だった。

 アベルが次々に料理を口にしてみると、豊かな味わいが舌を刺激する。

 奇怪な魔獣がうろつく辺境の果てようなところで、破格の料理が出てくると何かに化かされているような奇妙な気がする。


 再び葡萄酒が黄金の杯に満たされる。

 ゲルダとフロイアが黙々と酒壺から赤い液体を注いでいく。

 先ほどとは味わいの異なる葡萄酒だった。

 やや口当たりは軽く、食中酒らしい。


 続いて三種類の山鳥を焼いたものと、茸のスープが出る。

 山鳥は香ばしく肉に旨味があって、スープは素晴らしく薫り高かった。

 何か希少な茸なのかもしれない。

 カチェが好奇心から魔女アスに質問をする。


「ここにはアス様の他には、機械しかいないのですか?」

「そうです。人と違って自動人形はこちらを煩わせません」

「この料理。とても美味しいですけれど、これも機械が作るのですか」

「ええ、そうよ」


 焼きたてのパンが出てきて、それから虹鱒のムニエルが運ばれてくる。

 表面は軽やかに揚がっていて、魚の身にはじっくり火が通っていた。

 アベルが口にすると、臭みや癖のない魚の味が広がる。

 植物油と香草で作ったソースが上品さを引き立てていた。


 それから、いよいよ肉料理が登場した。

 胡椒が絶妙に効いた鹿肉のステーキだった。

 ナイフを入れれば肉汁が滴る。

 口に入れると柔らかくて、肉の味が濃い。

 鹿は焼き加減が難しいのだが、これは固くならないように弱火でゆっくり火を通したらしい。

 食べるごとに自分の血肉になるのが分かるような、そんな豊かな味だった。


 デザートは細かく砕いた氷に蜂蜜と、果実の角切りを混ぜたものが出てくる。

 酒は際限なく出て来る。

 ロペス、ガトゥ、ライカナが競うように飲んでいた。

 今のところ、ほぼ互角。

 アベルの見たところイースも飲もうと思えばかなり飲めるはずなのだが、今日は控えているみたいだった。


――ライカナさん。すげえ酒豪なんだな。ああ見えて……。



 カザルスやワルトは腹が膨れて満足そうだった。

 アベルの隣に座るカチェも機嫌がいい。

 モーンケは末席で黙々と酒を呷っていた。

 ロペスが上機嫌で言う。


「俺は騎士人形ともっと戦いたい。少なくとも明日一日は滞在したいぞ」

「わたしも書庫の本を選びきれていません。せめて一日か二日ほどは時間が欲しい」


 ロペスとライカナが残りたいと言えば誰も逆らわない。

 魔女アスは滞留を快諾してくれた。


 その後、飲み比べは続いたものの決着がつかなかった。

 深夜になる前に宴はお開きになる。



 神殿の二階部分にいくつかの客間が用意されていた。

 アベルはイースと同じ部屋にしてくれるように希望しておいた。

 騎士と従者はそういうものなのである。

 隣はカチェ。

 向かいの部屋はガトゥ。

 ワルトは本人の希望により廊下。


 アベルはイースと同室で、ほっとする。

 一人で寝ていたら魔女アスに夜這いされかねない……。


「ところでイース様。ドレス姿なんて初めて見ました。とても似合っていますよ」

「私は騎士だからな。身を飾るのは好まない」

「勿体ない。せっかく素敵なのに」


 イースは答えずドレスを脱いで畳むと机の上に置いて、そのまま寝台に横になって毛布を被ってしまった。

 だが、一瞬だけ見えた横顔が少しだけ恥ずかしそうにしていた気がする。


「おやすみなさい。イース様」

「ああ。ゆっくり休むといい」


 二つのベッドは広い部屋の隅に分かれる形で置かれていた。

 寝具は清潔で柔らかく、実に心地よかった。

 まともな寝台で睡眠するのは、本当に久しぶりだ。

 しかも不寝番もしなくていい。

 アベルはすぐに寝てしまった。




 翌朝、アベルはガトゥが満ち足りた顔をしているのを見つけた。

 普段なら野性的な鋭さのある目を柔和にさせている。

 さぞかし素晴らしい夜であったのだろう。

 アベルは話しかける。


「ガトゥ様。希望は叶いましたか?」

「ふへへ。最高だったぜ。触った感じは人間と変わらなかったな。ただ体温は、やや低い感じがした。それはそれで良かったぜ。夏だったらもっと良かったかもな」


 たまたま話しを聞いていたモーンケが羨望の視線をしていた……。

 食堂に呼ばれて、みなで着席していると料理が運ばれてくる。

 朝食は芋の入ったミルク風味のスープ。

 オムレツと鶏肉の香草焼きにパンと豪華な物だった。

 大食らいばかりなので、大量に食べてしまった。


 食事が終わったらライカナは急いで書庫に直行した。

 カザルスは再びフロイアに頼み、服を脱がして肌を剥がし、内部の構造のスケッチを始めた。

 そうした写生に使う道具はアスに貰ったみたいだった。


 ロペスとガトゥは騎士人形と模擬戦。

 モーンケは飽きずに宝物選び。

 食べ物にしか興味のないワルトは庭園の日当たりの良いところで、寝そべり昼寝。


 アベル、カチェ、イースは模擬戦の様子を見学する。

 四体の騎士人形は、それぞれ異なる武器を使う。


 大きな両手剣を使うもの。

 剣と盾を装備したもの。

 槍を使うもの。

 そして、二振りの片手剣を二刀流で使うもの。


 模擬戦だから武器は木製であったが、もの凄い勢いで振られるから生身に当たったら怪我をしかねない。

 激しく真面目な遊びである。


 模擬戦の形式は一対一で行っていた。

 騎士人形は、たしかに侮れない動きをしている。

 ロペスの槍を防いで、逆に反撃をした。


 あんな高性能の騎士人形で護衛されていれば、戦闘時に魔女アスへ接近するのは難しい。

 おそらく魔女アスは未知の様々な攻撃魔法を駆使してくるだろう。

 アベルは何があってもアスと戦ってはならないような予感がする。


 アベルとカチェは見ているだけではつまらないので騎士人形に話しかけて、模擬戦を申し込むと「承知」という無機質な声が返ってきた。


 アベルは二刀流の騎士人形と、カチェは剣と盾を使うものと試合を始める。

 戦ってみると、昨日ロペスが興奮したわけが分かる。

 実に的確にこちらの意図を防ぎ、一番やられたくない嫌な反撃をしてきた。


 アベルの斬撃を一刀で捌き、残ったもう一刀で突きを入れてくる。

 しばらく激しい攻防をしていたがアベルは胸に突きを入れられた感触を得る。

 胸甲を装着していれば無事なのだろうが、服だけならば重傷になっていたであろう。 

 内心、これは状況しだいでは殺されていたのだろうかと衝撃を受ける。

 アベルはそっとイースの方を見ると、全てを見透かしていた。

 

「その戦い方ではいけない。二刀使いに対する経験が足りないな」


 イースは落ちていた木の棒を拾い、二刀構えをするとアベルに接近してくる。

 驚くべきことにイースは騎士人形の動きを完全にコピーした動きを見せてくる。

 二度目なのでアベルはどうにか対応できたが、良くて互角という程度。

 今更ながらイースの神秘的なまでの天性に戦慄を覚える。

 かつてヨルグという男はその才能に激しい劣等感を見せていたが、こういうところに狂わんほどの嫉妬を感じたのかもしれない。


 午前中、アベルたちは模擬戦を堪能した。

 ついに一本、勝ちを取ったロペスが歓喜の雄叫びを上げる。

 ガトゥが笑いながら拍手をしていた……。


 昼食を食べた後、イースはワルトと一緒になって昼寝を始めた。

 アベルとカチェはライカナの元に行く。

 思わぬことに書庫こそが、この神殿で最も大きな部屋であった。

 五十メートル四方はありそうだ。

 大理石で造られた段や棚があって、巻物になったものから製本されたものまで数万巻、数万冊の本がある。


 アベルとカチェが奥へ進むと、本を読むための座所がある。

 そこに黒漆と金細工で造られた書見台というには豪華すぎる家具があった。


 そこでライカナは巻物を一心不乱に速読していた。

 詳細に読むのではなく、内容の粗筋を把握するための目の通し方だった。

 足元にはすでに百冊百巻を超える成果が転がっている。


「ライカナさん……」


 アベルが声をかけると、ライカナは怖いぐらいの目つきと表情をしていた。

 ほとんど殺気に近かった。

 普段のライカナは柔和なだけに、異様であった。


「うっ……」

「なにかしら?」

「あっ。いや。昼食にも来なかったから……様子はどうかと」

「気にしないで。夕食には呼ばれます」

「どうしたんですか? いつもの余裕がないですよ」

「……失礼。これまで断片的にしか伝えられていなかった書物の完本が、ここには大量にあるのです。そればかりでなく存在すら知られていない、歴史の陰の部分を記した巻物もありました」

「陰の部分?」

「大帝国の建国から崩壊、そして分裂戦争の過程で起こった数えきれない虐殺と裏切り、虚構虚飾の全てが記録されています。所詮、歴史とは勝者が書き残したものでありますが、ここには美しい理想と共に滅んだ敗者の痕跡が残っています」

「……僕は理想や政治というのは結局、殺し合いにしかならないような気がしますね。あまり期待していないというか。際限のない欲望のぶつかり合いが話し合いで解決できるなら苦労しません」


 ライカナは悲しそうに首を振った。


「違いや不利益を認められない脆弱な為政者に責任があります。せめて今のような戦乱を鎮めなくてはなりません。そのためにも皇剣を見つけ出して正しい者に渡さなくては……」


 ライカナは再び読書に没頭を始めた。

 邪魔しては悪いのでアベルとカチェは立ち去る。


 アベルにはライカナが少し羨ましく思えた。

 理想や希望を上辺だけ信じているのではなく、身を削っても獲得しようと情熱を燃やしている姿があった。


 晩餐の席でライカナは本選びに目途がついたので明日、出発で構わないと伝えてきた。

 ロペスも今日一日、模擬戦をやって満足している。

 いよいよ、明日は飛竜に乗って旅の再開だ。









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