悪党ども
賊達から獣じみた歓声が上がる。
泥中から姿を現し、陽光に照らされて眩く輝いた黄金の塊。
大人の頭ほどもあるそれが、二つ、三つと出てきたのだ。
これまでで最高の採掘成果だった。
賊たちがギラついた熱い視線を黄金に浴びせる。
金貨にして数千枚の価値がありそうだった。
人生をがらりと変える富。
荒くれどもはお祭り騒ぎ。
これで帰れると喜んでいる。
金塊を村に持ち帰り、ザラは手下たちを集めて宣言した。
数日後にここを発つと。
それから村人たちに命じて畑から洗いざらいの作物を採ってこさせる。
どうやら女性たちや子供は連れ去られるようだ。
ザラたちに道中も弄ばれて、必要がなくなったら奴隷として売り払うのだろうとアベルは想像する。
子供や女性がいなくなれば村は滅びるしかない……。
事態が急激に動きつつある。
最初、計画していたようには進んでくれない。
賊の戦力を詳しく調べるはずが、肝心のそこが上手くいかないのだった。
それにザラの動き、金の在処も核心まであともう一歩だが近づけていない。
焦りを感じるが、もはやどうしようもなかった。
夜が更け、アベルはザラが元酋長の家から出てくるのを待っていたが、なかなか出てこない。
眠気を抑えて徹夜するが、とうとう夜明けになってしまった。
採掘した黄金の塊を隠しにいくかと考えていたのだが、予測は外れてしまった。
朝方、村人とザラの率いる賊たちが全員で砂金の採掘場に行く。
これほど纏まって行動することはこれまでなかったのでアベルは不審に思う。
どことなく雰囲気が悪い。
特に幹部たちに隠しようのない殺気があった。
昼ぐらいまで村人や下っ端の賊に砂金掘りをやらせていたが、さすがに金塊のような成果はなかった。
ザラが村人たちに砂金掘りを止めるように命じる。
泥水の中から人々が上がってきた。
ヘイルが指図して村人たちを囲むように手下を差配していく。
アベルはその異様な動きに緊張する。
――何かする気だ。
どうするつもりだ?
ザラが背筋の寒くなるような低音の大声で言った。
「おい、子分ども。つまらねぇ砂金探しも今日で終わりだ。だが、ここで金が見つかったことを知る者は少ないほうがいい。村の奴らはここで、死んでもらう。一人も逃がすな」
それは虐殺の命令だった。
手下たちは槍を構え、剣を抜く。
ザラの命令に逆らう者は一人も居ない。
アベルは唇を噛む。
――失敗した!
こいつらの残忍さを甘く見ていた。
用済みになったら即殺す、そういう奴らなんだ。
こんなことならロペスのように計略もないまま成り行きで攻撃した方が良かったのかもしれない。
もう後悔しても遅かった。
村の老人が怯える子供を抱きしめる。
最後の抵抗をしようと石を拾っているのはラッチという名の少年だった。
アベルは自問する。
こういう奴らに負けていいのか。
こんな理不尽と非道を見過ごして、へらへらと適当に生きるのが自分の人生なのか。
もし、これを見過ごせば……どうなるだろう。
別に望んで生まれてきたわけではないが、前世よりもっとくだらない時間を過ごすだけになってしまうかもしれない。
アベルの脳裏に現れるのは、どうしたわけかイースの怜悧な顔だった。
イースならどうする?
迷う事もなく攻撃して状況を変えるだろう。
心の中のイースはやってみろとアベルを励ました。
アベルは体内で猛烈に魔力を滾らせる。
騒ぎを聞きつけて仲間たちが助けに来てくれるのを、ほんの僅かだけ期待した。
心臓が太鼓のように激しく律動する。
それから、ざっと見渡して包囲の薄いところを見つける。
魔力を振り絞って、炎弾を出せるだけ出す。
アベルの魔力の動きを感じ取った魔法使いが、何をしていると叫んだ。
アベルは五発ほどの炎弾を放射状に射出した。
狙いも何もない。
混乱を起こすための攻撃。
激しい連続爆発。
七、八人の賊の身体がバラバラに千切れ飛ぶ。
アベルは、あらんかぎりの声で叫ぶ。
「森へ逃げろっ!」
それから棒手裏剣を懐から取り出して賊の魔法使いに向かって投擲。
狙い違わず眉間に命中。
アベルは濃霧を発生させる第二階梯気象魔法「迷霧」を強くイメージする。
これまで煙幕で目眩ましをする必要がある戦いなど無かったから、知ってはいてもほとんど行使することのない魔法だった。
しかし、今こそ使うべきときだ。
アベルの体の周辺から、濃密な霧が爆発的に拡散していく。
賊たちの怒鳴り声が四周すべてから響く。
アベルは霧を出しつつ移動しながら「轟爆娑」をイメージする。
だが、どこからか強い風が吹いて来た。
おそらく気象魔法「旋風招来」だった。
予想外というわけでもない。
この濃霧を散らせるには都合のいい魔法だ。
実際、自分自身がそうして敵の発生させた霧を吹き飛ばした事もある。
アベルは「轟爆娑」の発動を急ぐ。
霧を発生させながらなので、魔術の二重行使となる。
高度な魔法運用なので、多量の魔力を消耗するうえ精神的疲労も強くなる。
だが、手数の尽きた時が殺される時だ。
強風が吹いてくる方向は霧が失われていた。
そこにいるのは賊の魔法使い。
霧が激しい風で飛ばされ、いよいよアベルの姿が丸見えになっていく。
それを発見した賊たちが怒りの形相で駆けてきた。
アベルの手の上に人頭ほどの大きさをした火球が現れる。
魔法使いの上空に向かって「轟爆娑」を射出。
アベルは耳を塞いで伏せた。
直後に至近距離で大爆音が発生する。
聴覚を守っていても、鼓膜と頭は激しく揺さぶられる。
一呼吸置いてアベルは立ち上がる。
大勢の賊たちが耳を破るような炸裂音に衝撃を受けて麻痺状態になっていた。
「旋風招来」で風を発生させていた魔法使いも片膝をついていた。
集中を失って魔法が途切れたらしく風が止んでいる。
再び霧を発生させようとしたとき、ヘイルが凄まじい殺気を湛えてアベルの方へ走ってきた。
ヘイルはやや離れた所にいたせいか、あるいは咄嗟に耳を塞いだのか爆音の影響が少なかったらしい。
霧を出しながらアベルは抜刀。
囲まれたら、ほとんど終わりだった。
たちまち背後から攻撃を受ける事になる。
せめて視界を潰さなくてはならない。
ヘイルが勢いを殺さずに駆け込みざま、上段の斬撃を仕掛けてくる。
「てめぇ! 裏切りやがったな!」
やつの鍔迫り合いは危険だ。
引きずり込まれたら殺されてしまう。
アベルは誘いに乗ると見せかけて切っ先を軽く当て、即座に退いた。
ヘイルは失われた眼球側の死角を狙おうと、常に左へ左へと回り込んできた。
さすがに実戦慣れした陰湿な手口だ。
そうはさせないとアベルも足捌きを意識して移動を続ける。
依然として霧は出し続けている。
至近距離から離れないヘイル以外はアベルの姿を見つけ出せていないらしい。
加えて逃げ出した村人を追って賊たちが混乱した声を上げていた。
どうやら同士討ちになっている気配もある。
ヘイルが横薙ぎの斬撃を仕掛けてきたが、これを後方飛びで避けた。
しかし、ヘイルは執拗に離れない。
逃げられそうもなかった。
追い詰められる寸前。
賭けるしかなかった。
アベルはイースの剣の使い方を真似た一撃を試みる。
相手の頭部を狙ったと見せかけて、腕を落としにかかる上段斬り。
アベルは、わざと分かりやすい上段斬りを仕掛けるや突然、切っ先を変化させる。
ヘイルは慌てて腕を引っ込めたが、革製の篭手をアベルの刀が破った。
左腕の半ばまで刃が通った感触があった。
血が滴る。
ヘイルの顔に驚愕。
――今なら殺せる!
アベルが止めを刺そうとしたとき、体ごと暴風で吹き飛ばされた。
体は数メートルほど地面を転がる。
気象魔法「極暴風」だと気が付く。
「旋風招来」よりも効果範囲は狭いものの、局所に猛烈な暴風は発生させる魔術。
アベルが立ち上がったとき、霧はほとんど飛ばされていた。
隙を見つけて密林に逃げ込まないと殺される。
アベルは姿勢を低くして、賊の間隙を目指して駆け出そうとした。
その直後、地面に強烈な魔力の気配。
「土石変形硬化」だった。
魔力の源を辿ると、そこに怒りの形相を漲らせるザラがいた。
――あいつ魔法が使えたのか!
アベルは足を取られないように地面の変形を魔力で抑えつつ走ろうとしたが、ザラの魔法は意外なほど強力だった。
アベルの歩幅を正確に読み取り、行く先に穴を形成していく。
逃げ道が閉ざされていく。
片腕を斬られたヘイルが鬼の形相で近寄ってきた。
アベルの脳裏に死がチラつく。
歯を食いしばって戦う意欲を湧かせる。
イースだったら絶対に諦めないはずだと己の心を叱咤した。
アベルは踊るような足捌きを休めない。
動くのを止めた瞬間、足は土石変形硬化で拘束されてしまう。
アベルは棒手裏剣を片手に持ち、追って来るヘイルにむしろ近づいた。
ヘイルはアベルの実力を知って、迂闊な攻撃をしてこない。
無傷の右腕だけで剣を持ち、じわじわと接近してくる。
アベルに時間をかけている余裕はない。
棒手裏剣をヘイルの顔面に投げつける。
だが、上体を捻って飛来してくる棒手裏剣を躱された。
しかし、体幹を崩す効果はある。
すなわち好機だ。
アベルは間髪入れずに踏み込み、渾身の突きを繰り出す。
相手は胸甲をしているので狙いは顔か喉。
切っ先がヘイルの顔に届く……寸前、相手の横払いで突きが逸らされてしまった。
攻撃は失敗。
アベルは横っ飛びで距離を取る。
そこへザラが十文字槍を突いてきた。
アベルは咄嗟に左籠手で槍を弾こうとするが、猛烈な突きだった。
防ぎきれずに左腕が刃に引っかかって強引に持っていかれる。
アベルの脳裏で恐怖と本能が爆発するように暴れた。
駆り立てられながら、氷槍をイメージ。
いつもの数倍の大きさと速さで氷柱が形を取り、ザラの分厚い胸に向かって射出。
ところが、ザラの足元から土の柱のようなものが一気に伸びて防御の壁となった。
氷槍が衝突して、氷柱と土の柱が同時に粉々になった。
アベルは左籠手に食い込んだ槍の刃を振り払って、立ち上がる。
もう反撃の機会はあったとして一回だけだった。
瞬間、覚悟を決めてヘイルに猛進した。
大上段。
狙うは急所のみ。
躊躇わず、ヘイルの頭頂部へ振り下ろす。
決死の攻撃。
無策。だが、小細工や受け流しを不可能にする。
アベルの異常に速い斬撃。
対抗するべくヘイルは刀を防御的に繰り出したが弾かれた。
アベルの刀は軌道を逸らされつつも、強引にヘイルの側頭部を斬りつける。
切っ先が硬いものに衝突する手ごたえ。
頭蓋が割れて脳漿が撒き散らされる。
致命傷。
倒れたヘイルは泥の中で痙攣していた。
アベルはザラに向き直る。
だが、どこからか弓矢が飛んできて左太腿に突き刺さった。
死角になっている左側からだった。
激しい痛みで混乱寸前になるのを抑え込む。
ザラから目を離せば即、攻撃されてしまう。
刺青だらけのザラの顔が獲物の命を狙う獣のようだった。
アベルは狂気に近い破壊衝動を持つ。
――この刺青野郎……!
おめぇだけは絶対殺す。
殺意は無限に膨張していく。
ところが心の内にイースの美しい顔貌が浮かんできた。
それからカチェの悲しそうな表情。
ウォルター……アイラ……。
ザラを道ずれにしようと炎弾を発生させた。
十文字槍が突いてきたら骨で受け止める。
そして、ザラに炎弾をぶちこむ。
相討ちになる。
何故だか分からないがアベルの全身に痺れるような恍惚感が湧き上がってきた。
野犬みたいな死にざま。
予感はあった。
だが、泥と血に塗れていても自分で選んだ破滅だった。
さぁ、来いとアベルは念じる。
意外にもザラが怯んでいた。
攻撃を仕掛けてこない。
その時、そう遠くない所で爆発がある。
アベルと名を呼ばれた気がした。
幻ではない証拠にザラの視線が一瞬だけ逸れる。
アベルは足元の泥を爪先で蹴ってザラの顔に飛ばした。
命中。
ザラが一瞬、怯む。
アベルが左側を見ると、弩を構えつつある男が至近距離にいた。
炎弾を射出。
吸い込まれるように男へ飛んでいく。
炎の弾が胸元に命中して男の上半身が砕け、火炎が暴れ、骨と内臓が剥き出しになっていく様子がスローモーションのように見えた。
アベルは痛みを擂り潰すように無視して、無理やり足を動かす。
位置を移動する。
間一髪、ザラの十文字槍が胸甲を削り取っていった。
アベルは渾身の力でザラの槍の柄に刀を叩きつける。
硬い樫の柄が両断された。
穂先が切れ飛ぶ。
入れ墨だらけの顔が歪む。
アベルの五感に空気の流れが伝わってくる。
明らかに賊たちが動揺していた。
悲鳴と罵声が飛び交っている。
ザラが雄叫びを上げて突っ込んでくる。
「ぐおおぉおおぉおお!」
アベルも負けじと怒鳴り返す。
「があああぁああ!」
咄嗟に思い出したのはライカナの、力に力で対抗するのではなく受け流す技だった。
ザラの突きを見切り、鎬で逸らしつつアベルは前方に踏み込む。
長物の弱点である至近距離に詰め寄る。
ザラはそれをさせまいと素早く後ろへ下がっていく。
さらに樫の柄を横薙ぎにしてアベルの体を打ってきた。
距離を詰め切れない。
アベルは焦る。
背中から攻撃を受けたら殺されてしまう。
しかし、その時だった。
背後、直ぐ傍からイースの声がする。
「アベル!」
イースの大剣がアベルに迫る賊へ振り下ろされる。
肩から胸にかけて、本当に真っ二つになってしまった。
続いて駆け付けたカチェの攻撃も激しさを極めた。
次々に炎弾を繰り出し、刀を四方八方に振り回しながら血路を切り開いていく。
アベルは、よろけながらイースの方へ後退していく。
ザラは警戒して追い込みの攻撃を仕掛けない。
その場に止まり、手下たちを怒鳴りつけた。
「おめぇら、戦えっ! 黄金が欲しくねぇのか!」
賊が二十人ほど纏まっているところへ強力な魔力が発生していた。
見知った気配だった。
カザルスの第六階梯鉱物魔術「竜尾千斬」だった。
地面から夥しい無数の石の牙が現れ、ミキサーのように回転していく。
内側に閉じ込められた賊達が恐怖の絶叫を上げるが抵抗しようもなく、すぐに血飛沫と共に消えていった。
魔術の発動が終わった後には、悲惨などという言葉ではまるで言い足りない人体の挽肉が大量に残されている。
形勢は完全に変わっていた。
アベルの大暴れが絶好の牽制となり、完全な奇襲となっていた。
アベルの両隣にイースとカチェが到達した。
二人とも髪といい頬といい、返り血が滴るほどだ。
イースの白い肌には赤い血の筋が模様のようについている。
その様子が鬼気迫る艶めかしさだった。
二人の瞳には、どんな障害も破壊してしまいそうな殺気が爛々と宿っていた。
カチェが堪らず聞く。
「アベル! 大丈夫なの!」
それはもう、ほとんど絶叫だった。
「な、なんとか……。ちょっと矢が刺さってますけれど」
「それは無事とは言わないでしょう!」
カチェの吊り上がり気味の目が、いつも以上に鋭くアベルに注がれる。
なんだか叱られているみたいだった。
イースが無言のままザラと距離を詰めていく。
ザラは魔法を発動させようと「土槍屹立」の詠唱を始めるが、カチェが無表情のまま手斧を投擲。
ザラの顔面にすっ飛んでいく。
慌ててザラは回避するが、詠唱は中断されてしまった。
同時にイースが踏み込む。
穂先の無い槍の柄を振り回して、ザラが必死の抵抗をする。
アベルは周りを見渡す。
ライカナ、ガトゥ、ロペスが近い位置で賊と戦っていた。
ワルトがカザルスとモーンケを守るように離れたところにいるのが見える。
もはや敵を圧倒している。
ロペスが凄まじいばかりの勢い。
旋回するハルバートの斧は容易く防御を粉砕してしまう。
冑を割り、鎧を貫く威力。
今も一人の傭兵が臑を叩き折られて倒れる。
悲鳴。
決死の突撃をしてきた別の男をロペスが巨大な拳で殴ると、割れた卵のように頭蓋骨が変形。鼻血を流して昏倒する。
致命傷だ。
この戦いは王道国との戦争の続きと信じているロペスの形相は憤怒のそれだった。
怒るだけの理由があった。
大切な領地は完全に略奪し尽くされた。
仲間であり家来である騎士を大勢失い、父親ベルルまでも行方不明。
復讐に駆られた巨漢を止められる敵は皆無だった。
ハルバートの斧で片腕を切断された賊が引っ繰り返る。
ロペスが腹に響くような雄叫びを上げると怯えた賊が逃走を始めた。
それからライカナは、まだ生き残っている賊の魔法使いを上手に牽制していた。
中和や干渉を駆使して魔法を無効化していく。
そして、ガトゥが攻撃を担当。
いいコンビだった。
ザラは相手をしている黒髪の女が想像を絶する強敵であるのを理解させられる。
どの攻撃も見切られ、完全に防がれた。
それならばと魔法を行使しようとするが、魔力干渉によって発動を邪魔されていく。
ザラは恐怖と共に叫んだ。
「誰かっ! 俺を助けろ!」
しかし、既に逃走している者ばかり。
数名の命知らずがザラの援護に回ろうとするが、アベルとカチェがそれをさせない。
近づく者を氷槍で攻撃する。
イースは下段に大剣を構えて、単純に歩む。
これは誘いだった。
身の丈の高いザラにとってイースの無防備な上半身は格好の的だ。
追い詰められている相手ほど吸い寄せられる。
そして、その誘いに導かれ、ザラが刺青だらけの顔を歪ませて樫の柄を横薙ぎに振るう。
イースの体が沈んだ。
地を這うような低姿勢でイースがザラに接近する。
咄嗟に反応したザラが蹴りで迎撃するが、イースは大剣の柄でその攻撃を受け止める。
同時にイースが跳躍。
空中に浮いたまま上段斬りをザラの顔面に与えた。
ザラは首を捻るが、刺青だらけの頬と右耳が削ぎ落される。
耳朶が泥の上に落ちた。
勢い余ったイースの大剣がザラの肩に食い込む。
ザラが絶叫して、ついに槍の柄を捨てると肩に減り込んだ大剣の刃を素手で掴む。
「やめろ! 俺を殺すな!」
しかし、イースは何も答えない。
「俺はディド・ズマの弟分だぞ! 逆らったら亜人界や魔獣界で生きていけないぞ!」
アベルが代わりに答えた。
「僕ら、そいつのこと良く知らないんだ。だから脅しになってない」
ザラが歯噛みする。
いつも人を見下し、残忍な笑みを浮かべていた顔に焦りを超えた動揺がある。
「よ、よし! じゃあ金をくれてやる! 集めた砂金の半分をやるぞ。金貨にすりゃ何千枚になる! 隠し場所は俺しか分からない!」
「いらない」
「バカな! 黄金だぞ! 何でもできるだけの砂金だ! 俺を殺したら絶対に見つからない!」
「欲しいのはお前の首だ」
ザラの血走った眼に、はっきりと恐怖が浮かぶ。
それから周りを見渡したが、もう戦う気のある手下は一人もいなかった。
遠くから様子を見ている者が数名。
残りは死んだか、あるいは重傷で倒れて呻いている。
アベルは無感動のまま淡々と言う。
「これまで殺し続けて来たんだろう? でも、今日はお前が殺される番だぜ。それだけのことだ」
ザラが最後の反撃とばかりに腰から剣を抜き打ちにした。
しかし、イースの斬撃の方が速い。
剣を持ったまま手首が宙を飛ぶ。
無残な、手首を切断された己の腕をザラが絶望の表情で注視する。
信じられないものを見たという顔。
これから殺されることを認められない。
だが、確実な死がすぐそこにあった。
「し、死にたくねぇ! やめてくれぇ!」
イースの横薙ぎの斬撃が、あっさりザラの首を落とした。
地面に落下したザラの頭部。
血走った眼だけキョロキョロと動いている。
その口が酸欠の魚のようにパクパクと開閉していたが、すぐに動きをやめた。
強敵こそ死に様は呆気なく感じる。
アベルは大きな溜め息をつく。
終わった。
イースとカチェが目の前にいた。
二人とも良く似た表情をしている。
安心しているような、責めるような……。
「やっぱり潜入作戦なんて、そうそう上手く行くものじゃないね。全然、思った通りにならなかった。最後は行き当たりばったり。ロペス様を馬鹿にできないや」
イースは言う。
「アベル。お前と別行動をしていたら感じたことがない気持ちになった」
「どんな気持ちですか?」
「行き過ぎた心配。保護者の気分だ」
そんなことないわよ、とカチェが言葉を繋ぐ。
「行き過ぎてなんかいなかったわ。アベルを一人で敵の中に残すなんて……そんなことをしてはいけなかった」
それからカチェはアベルの頭を抱きかかえて、自分に引き寄せた。
鎧があるからアベルの顔は痛いばかりだが。
「アベル。もう二度とこんな戦い方はしないからね」
カチェの紫の瞳には深い安堵が現れていた。
アベルにもそれが伝わってくる。
息詰まるほど気恥ずかしい。
「こうしていると姉と弟みたいですね」
「……」
カチェは、本当は恋人同士みたいだと言って欲しかった。
不満だが、そのことを口に出しては言えない。
どうしても自分の方からは一直線に好意を伝えられないのだった。
やはりアベルによって愛を伝えられたかった……。
アベルは周りを見渡す。
戦う様子の賊は一人もいない。
仲間は全員無事。
モーンケなど、おそらくほとんど戦ってはいないだろうが邪魔にならなかっただけでも良しとしよう……。
そうしてやっと笑みを浮かべる余裕を取り戻す。
「悪党どもは死んで仲間はみんないる……。まぁ、上出来かな」
アベルは太腿に突き刺さった弓矢をイースに抜いてもらう。
冷や汗が流れるほどメチャクチャに痛い。
それから治癒魔法で傷を治した。
次にアベルたちは賊の生き残りに止めを刺して回る。
なにしろ数が多いし、死んだふりをしている可能性もあるので、そう簡単な仕事でもなかった。
モーンケが意気揚々とそれは楽しそうに嬉しそうに死にかけの男たちへ攻撃を加えていた。
掛け声こそ勇ましいが、死にかけた敵が最後の気力を振り絞って立ち上がり叫ぶと、驚いて逃げ出す。腰を抜かしそうになりながら……。
逃げた賊もいる。
アベルはコステロの死体を見つけることができなかった。
あいつも逃げたのだろうか……。
そうしていると森へ散り散りになって逃げていた村人が戻ってきた。
助けられた村人たちは泣いて感謝している。
特にアベルは特別な尊敬を受けた。
だが、アベルはどこか素直に感謝を受け取れない。
やはり、単に人助けをしたという気になれないのだった。
誰のためでもなく、自分のために自分を投げ打ったという感覚がある……。
百人に届こうかという死体の山を見ても、どこまでも満たされない心を再確認したような気分を味わっていた。
そうしてアベルたちは村へと歩んでいく。
刺青だらけのザラの首は、ロペスがハルバートの穂先に突き刺した。
今や滑稽で醜悪な置物のような首。
大将首をイースに獲られたとロペスは残念そうにしていたが、それでも上機嫌で先頭を歩いていた。




